今夏は、連日35度を上回る夏日が続きましたが、お盆が過ぎたころから徐々に気温が下がり始めました。台風の動きも気になりますが、こうして徐々に秋を迎えるのでしょうか。我が家の畑では、夏野菜のほとんどが終わり、唐辛子の赤い実が何やら秋の訪れを告げているように思います。
お盆休みから職場に復帰した今週は、仕事の段取りをしたり、社員の個人的で深刻な相談にのったり、経済団体主催のお勉強会で灘の酒造会社を訪ねたり。酒造業界では、販売量がピーク時の3割に落ち込み、清酒製造免許場数が4割にまで減ったりと厳しい状況が続いているようですが、企業経営に熱き情熱を傾ける若きトップの姿に感心した次第。私も最近お酒よりも焼酎を呑む機会が増えています。今夜はお土産に買って帰ったお酒を美味しくいただきました。
そうそう、65歳の誕生日が過ぎて数日経った頃、市役所から「介護保険被保険者証」なるものが届きました。こんなに元気なのに、年齢だけで判断されるところに違和感がないでもありません。国民に請求権のある年金受給繰り下げ手続きは規則一辺倒の非常に分りにくいものだったのに、介護保険の方は後日保険料の請求書をお送りしますと、なんともシステマティックな事務対応。致し方ないのかなあと思いつつ、65歳という年齢に、ひとつの分岐点を思わせるものでした。
さて、16日の日曜日は、京都・下鴨納涼古本まつりにでかけました。ここ数年、欠かすことなく出かけていますが、糺の森の木陰で古本を眺める楽しさは、どの古本祭よりも心を豊かにさせてくれます。道の両側にたくさんのお店が並び、片方のお店を眺めるのに1時間、往復2時間はかかります。古本まつりの内輪をいただいて、蝉しぐれの中を散策する楽しさ。途中、缶ビールで喉を潤し、次の作戦(?)を練る、子供のような楽しさがあります。
この日は最終日だったため、付け値の半額セールや3冊以上5百円といった廉価本コーナーにたくさんの方々が群がっていました。私が今回手にしたのは、多田富雄著「私のガラクタ美術館」、白洲正子「古典の細道」、新潮古典文学アルバム「今昔物語・宇治拾遺物語」、雑誌「文学」第55巻第12号(特集「小林秀雄」表現と思考の場)など。
いま、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいるので、これらの本に目を通すのは少し先になりますが、とりあえず雑誌「文学」(1987年12月号)をパラパラと捲ってみると、小林秀雄をいろいろな識者がいろいろな視点から解説するという意味で楽しい特集記事でした。そのなかに延広真治著「小林秀雄の語り」という一文があります。カセットブックブームの先駆けともいえる「小林秀雄講演集」について、録音嫌いの小林秀雄は「毎日、古今亭志ん生のレコードを聴きながら、内容を考え、当日も宿舎にこもって稽古していた」とか。あの甲高く、べらんめい調の、しかし聴衆の心をひきつけてやまない話術の巧みさの裏に、私たち凡人にはわからない下準備があったことは新しい発見でした。
少し時間があったので、下鴨神社からの帰り路、女性守護・日本第一美麗神「河合神社」に立ち寄りました。なぜ女性にまつわる神社なのかは定かではありませんが、境内では方丈記を著した鴨長明が終の住処とした五畳ほどのお家「方丈」の模型を拝見させていただきました。
この歳になっても、日々の出会いのなかで新鮮な驚きを抱く、古の世界に思いをいたし、自らの姿を見つめ直す。まだまだ知らないことがあまりにも多いことに気づきます。そろそろ、点と点を繋いで全体像を明らかにしていかないと、中途半端のまま人生を終えてしまいそうです。でも、答えなんてないのでしょうよ。きっと。