心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

夏の高野山に学ぶ

2015-08-08 23:21:17 | 四国遍路

 きょう8月8日は、旧暦で「立秋」というのだそうです。第三十七候立秋初候「涼風至(すずかぜいたる)」。涼しい風が初めて立つ意だとか。でも今年は夏の真っ盛りです。連日35度を超える日々が続き、老若男女、体力の限界に挑戦中です。
 そうそう、きょうの朝、電動自転車が届きました。 ブリジストン製アシスタDXです。実はこの自転車、福岡県久留米市に「ふるさと納税」をしたお礼です。数か月前に手続きをしていましたが、近所の自転車屋さんから届きました。子供たちがいなくなって以後、自転車もいつの間にか姿を消していた我が家ですが、ひょんなことから再登場です。それにしても22万円の納税手続きで定価10万円強の電動自転車がいただけるとは驚きでした。ブリジストン久留米工場と一体となった久留米市の地方創生の取り組みです。陰ながら応援することにいたしましょう。
 モノに関わる話題をもうひとつ。きのうの夜、自宅のPCをWindows10にグレードアップしました。今回は拡販のため無償提供ですが、インストールを終えて再起動すると、インターネットがつながりません。一瞬、タダほど怖いものはない?という言葉がよぎりましたが、ヘルプ機能で最後にたどり着いたのは、アダプターの再起動でした。午前2時過ぎ、やっとつながりました。バージョンアップするたびに使いにくくなるWindowsです。ほとんど使うことのない機能はユーザーの選択に委ね、もっとシンプルなソフトってできないでしょうかねえ。

 さて、前置きが長くなってしまいました。ではモノの世界から心の世界に軸足を移していきましょう。以下は、一週間前に参加した高野山夏季大学に関する話題です。高野山に3日間滞在して見たこと感じたことをアトランダムに綴ってみます。

 初日、開校2時間前の午後1時過ぎに高野山に到着すると、さっそく行動開始です。まずは高野山総門「大門」に向かいました。徒歩で15分ほどでしょうか。門の両脇に構える金剛力士像にご対面です。ここは、人の立ち入りを制限する「結界」のお印と言えるところ。女性が入山できたのは明治になってからのことでした。翌朝、私は高野山に入るもうひとつの入口に立つ「女人堂」を見に行きました。長い山道を歩いてここまで登ってきても、女性たちはこのお堂で祈るだけでした。町に入る入口があまりにも立派なのに驚いたものです。
 ところで、夏季大学の講師は、桂文枝さん、黒川博行さん、朝原宣治さん、山根基世さん、山極寿一さん、広瀬義仙さん、五百旗頭真さん、司葉子さんです。受講者の大半はシニア世代でした。毎年参加されている方も多数いらっしゃって、会場はさながらNHKの「ラジオ深夜便」的な雰囲気でした。元アンカーの山根基世さんとは初めてのご対面でした。講演だけではなく、金剛流合唱団の公演「曼荼羅の響き」、山内見学、阿字観入門、写経会などが組まれています。  講演以外の時間は、同宿の方と高野山を巡りました。開創1200年記念事業として再建された壇上伽藍の「中門」を皮切りに、根本大塔、金堂、東塔、西塔など。お隣の金剛峯寺や霊宝館、多宝塔なども見て回りました。
 2日の自由時間には、単独で奥之院、空海すなわち弘法大使の御廟をめざしました。徒歩で往復1時間半かかりました。樹齢千年以上の杉木立に圧倒されながら、吸い込まれるように御廟橋を渡り、燈籠堂へと向かいました。弘法大使空海が1200年経った今も奥之院に生き続け、人々の幸福を願っているという「入定信仰」の場でもあります。聞けば、今も決まった時間に食事を運ぶ儀式があるのだとか。
 燈籠堂で手を合わせていて、ふと思い出しました。義理の母が「お大師さん」という言葉を時々使っていたことを。家内にメールで確認すると、実家の菩提寺がここ高野山であったことを知り、お供えをして手を合わせました。
 宗教とは一体なんなのか。空海を一人の哲学者として見つめることはできても、お大師さんとして崇拝の対象として考えることができない私に、もどかしさもあります。高野山大師教会の本堂で行われた阿字観体験(座禅の一種)の時間も、大日如来、宗教というものと向き合っていたように思います。高野山訪問のお土産は、曼荼羅図でした。理を表す「大悲胎蔵曼荼羅」と、智を表す「金剛界曼荼羅」です。

 そういえば、高野山夏季大学は今年91回目を数えます。第1回目は1921年(大正10年)、その時の管長(宗務総長)は、なんと南方熊楠と英国で出会い、以後書簡を交わし続けた土宜法龍でした。その後、第一次、第二次世界大戦のとき各2回中止されていますが、それを除いて今日まで続いています。終戦の翌年、1946年(昭和21年)の第22回夏季大学では、田畑忍・同志社大学学長が「憲法と民主主義」と題する講演をしています。非武装、永世中立を説く田畑先生に、私は「政治学」を学びました。さらに年表をめくっていくと、1950年(昭和25年)の第26回夏季大学では、かの小林秀雄さんが演壇に立っています。私が生まれて数日後のことです。

 いずれにしても、義理の両親にお祈りができたことの満足感、精進料理をいただいて身体の中に充満していた毒素を流してしまった満足感、そして何よりも聖地としての町の空気に触れることで得られた開放感、清涼感。そのうえで、ふたつの曼荼羅が言わんとする何かを極めたいという強い思いが募ってくるのを実感しました。帰りのバスの時間を待っているとき、町の本屋さんで司馬遼太郎の「空海の風景(上)」中公文庫を手にしました。

 

 

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