心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

夏の名残

2015-08-30 00:28:01 | Weblog

 暑かった8月もあと2日。旧暦では第四十一候処暑次候「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。ようやく暑さが鎮まる意味だそうです。今年たくさん収穫できた酢橘(すだち)の実も、残りあとわずかです。薄くスライスして冷え冷えのお酒に浮かべて今夏の暑さを凌ぎました。
 私の夏バテ対策のもうひとつはハーブティーでした。ことしは暑かったからなのかハーブの香りが強い感じがします。ドライ・ハーブを3種仕込みました。ミント、タイム、ローズマリーです。毎夜、紅茶の中にひとつまみ入れて楽しみます。今年はあと、セージ、レモンバーム、ラベンダーなども予定しています。
 ところで、お盆明けからお隣が騒々しいのです。独り暮らしのお婆さんがお亡くなりになって何年経ったのでしょう。その後、空き家になっていましたが、いよいよ解体工事が始まりました。立派な鉄筋コンクリート造りの大きなお家ですから、買い手もつかず放置されてきました。広い庭の木々も伸び放題になっていましたが、急に周囲が明るくなりました。
 それにしても、これまであった家が姿を消していくのは寂しいものです。かつてお庭から聞こえてきた笑い声も、今はありません。夕刻になると「ミーちゃん」と愛猫を呼んでいらっしゃったお婆さんの透き通った声を思い出します。
 そうそう、23日の日曜日は、家内の両親の墓参りをしたあと、奈良に向かいました。お目当ては、奈良国立博物館開館120年記念特別展「白鳳~花ひらく仏教美術」でした。645年の乙巳の変(大化の改新)から710年の平城京遷都までの間を「白鳳時代」といい、その時代の仏像を中心とする仏教美術がたくさん展示してありました。これまで仏さまとしての仏像を遠くから拝むことはありましたが、今回は、一体一体の仏像を、まじかに、「芸術作品」として鑑賞したことになります。
 ちょうどいま、司馬遼太郎の「空海の風景」を読んでいて、時代背景がほぼ同じ頃なので、興味深く立体的に理解できたように思います。仏像をひとつの作品として観ると、作者の心が伝わってくるような気がいたします。
 それにしても、千数百年前の文書が今も大切に保管されていることに驚きます。昨年、鳥獣戯画展を観た時もそうでした。すべてがデジタル化され、筆を使うことがなくなりつつある今日、文字というものがカタチとしてしか存在し得なくなってはいないか。そしてデジタルは一瞬のうちにカタチを消してしまうことだってある。文字と文字をつなぎ、心を紡いでいかなければ、数千年の歴史の中で「現代」だけが消滅してしまいはしないか。考えすぎなんでしょうけれども、そんなことを考えてしまいました。
 そんな夏の締めくくりは、子ども工作実験教室でした。大阪の工業系大学がこの時期に開催する行事に、きょう、孫君を連れて行きました。優しそうな学生さんたちのお世話で、いろいろなモノを作ったり、電気自動車に乗ったり。終始満足気で、「将来、ぜったいに工学部に行きたい」と、両親に似て理系に進む気持ちが強まったようです。彼が大学に行く頃には、ひょっとしたらお爺さんは居なくなっているかもしれないよ、と言うと、そんな馬鹿な、と一蹴されてしまいました。
 土曜日の夜中にだらだらと綴ってきたブログ。この辺で筆をおきましょう。実は今夜は、これからEテレの番組「マルタ・アルゲリッチ&広島交響楽団 被爆70年・平和への祈り」をご鑑賞兼録画撮りであります。予告では「生命力と愛に満ちたベートーベンの協奏曲を演奏する。あわせてアルゲリッチの娘アニー・デュトワと作家・平野啓一郎が、広島出身の詩人・原民喜の原爆詩などを朗読する」と。レコード、CDとたくさんの作品を聴いているのにアルゲリッチの動画は1枚のDVDだけでした。私にとっては夏休み(?)最後のお楽しみといったところでしょうか。(笑)

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