心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

半夏生の日にグールドを聴きながら振り返る

2021-07-04 10:31:09 | Weblog

 梅雨も後半になりましたが、旧暦ではこの時季を「半夏生」と言います。一説には、ドクダミ科の草が、その名の通り半分白くなり、お化粧(半化粧)をしているように見える時季なのだとか。数年前、その半夏生を求めて、家内と建仁寺の塔頭寺院に出かけたことがありました。
 その家内が先週初めに入院したのですが、思ったより術後の回復が早く5日後には我が家に戻ってきました。コロナ禍とあって面会禁止のためコミュニケーションツールはLINEだけでした。ふだん傍にいる者がいないというのはどうも落ち着かないものです....。
 そんななか、火曜日は水彩画教室に行ってきました。いつも通り、始まる前に地下街のカフェで深呼吸です。現役の頃もそうでした。出社前に必ず喫茶店に立ち寄って新聞各紙に目を通し、それから3番目に早いご出勤でありました。
 昼間は会議や来客で慌ただしいので、私にとって早朝の1時間が意外と重要でした。広いフロアにいた頃はみんなに要らぬ気遣いをさせてしまいましたが、個室に閉じ込められてからはグレン・グールドのピアノ曲を聴きながら書類に目を通し、その日の行動計画を立てる。それが楽しくもありました。
 リタイアしてちょうど5年が経とうとしています。今では誰からも急かされることなく、ゆっくりまったりの生活を楽しんでいます。そうそう、数日前、当時お世話になったプランナー女史からLINEをいただきました。彼女にはいろんな場面でお世話になりました。
 さてさて、この日の水彩画のテーマは写生でした。コロナ禍とあって無暗に人混みの中に出かけるわけにも行かないので、部屋の窓の外に広がるビル群を描くことになりました。ビルの壁面のわずかな色の変化をどう表現するのか、簡単なようで難しいテーマでした。
 その翌日と翌々日は講座運営のお手伝いでした。そしてやっと週末を迎えましたが、お天気がすぐれず雨が降ったりやんだりの日が続きました。その合間に読んだのは、朝日文庫「梅原猛の授業”仏教”」でした。梅原さんが京都・東寺の境内にある洛南中学校の生徒たちに行った授業の内容を文字にしたものです。古希を迎えたお爺さんも、示唆に富んだお話しに素直に納得したものでした。
 本といえば、以前ご紹介した電子図書館のことですが、先日、「禅と日本文化」の著者で知られる鈴木大拙講演録「最も東洋的なるもの」をお借りしました。50分ほどの講演ですが、明治、大正、昭和と生きた鈴木大拙その人の生の声に接し、何かしら迫るものがありました。
 新潮社のサイトには「東洋と西洋の自然観の違いを例にとって両文化の差異を浮き彫りにし、東洋思想の本質に迫った名講演。93歳にしてなお矍鑠と「西洋人に伝えるべきこと」を説き続けた“世界の禅者”鈴木大拙の肉声を収めた貴重な講演」とあります。むかし近所にいたご隠居さんのような声(言葉)、でもスケールの大きなお話しにずっしりとした「重み」のようなものを感じました。
 最近、渋沢栄一の生涯を描くNHKテレビの大河ドラマ「晴天を衝け」を見ています。寝て起きたら明治だった、歴史はそんな単純なお話ではありません。新旧入り乱れ輻輳しながら徐々に新しい夜明けを迎える、そんなダイナミックな人の営みのなかで、サムライの世の中から開国を経て近代日本へと躍動する礎を築いた人たちの生きざまに興味津々です。渋沢栄一、五代 友厚...。これらの方々の講演集があれば聞いてみたいものです。

 そろそろ梅雨明け宣言も近くなってきました。下旬には東京オリンピックが開催されようとしています。大丈夫かなあ....。東京を中心にコロナ感染者数が下げ止まりから上向きに転じています。でも、誰も止められない。お国も科学的知見を蔑ろにして前のめりになっています。現場の第一線でご活躍の方々のお気持ちも分からなくはありませんが、いつか来た道を辿らないことを願うばかりです。
 きょうはグレン・グールドが奏でるバッハの平均律クラヴィーア曲集を聴きながら、思いつくままに7月初旬の出来事を綴ってみました。

コメント