清々しい朝を迎えました。ここ数日出かけていましたので、久しぶりに朝のお散歩としゃれ込みました。お不動さんでは、本堂、大師堂、奥の院とめぐり休憩所でひと休み。リタイアして5年、変わりない動きです。
奥の院の洞窟には、薄暗い奥に大日如来が鎮座し、そこに至る通路の両脇には小さな不動明王、阿弥陀如来、勢至菩薩、大日如来、文殊菩薩、普賢菩薩、千手観世音菩薩、虚空蔵菩薩が並びます。それぞれに真言が貼ってありますが、サンスクリット語なので意味不明。でも、5年もお参りしていると、死後の世界への安寧の道筋なんだろうなあと思いながら、心の中で真言を唱えることができるようになります。不思議なものです。
横浜の孫娘が誕生したときのお宮参りも、このお不動さんでした。その孫娘も先日2歳の誕生日を迎え、日々、Amazonフォトにアップされる写真&動画をみると、人差し指と中指を立てて「2歳」と言えるまでになりました。お誕生日にプレゼントした幼児用のペダル無し自転車にまたがって楽しそうに遊んでいます。
さて、秋も深まるなか、先日急に思い立って日帰りバスツアーで丹波篠山、美山かやぶきの里、そして亀岡から嵯峨へ向かう保津峡沿いのトロッコ列車に乗ってきました。先週の金曜日、数週間前に利用したバスツアーの会社から「明日出発のツアーに空き席が3つあります」というお誘いがあって、それに乗ってしまったというわけです。気ままなものです。今回のお土産は松茸、柿、リンゴ、お米でした。
この季節、紅葉風景をまじかで見るとほっとします。丹波篠山で立ち寄った洞光寺もそうでした。美山に向かう沿線、保津峡沿いに走るトロッコ列車の車窓から眺める風景も心和むものでした。でも、ひと昔前のように山肌に華やかさがないのが気になります。
バスの車窓から眺める風景は、なんとなくさらりとしています。車中で家内と話したのは「山肌の色に力がない」ということでした。美しい緑、赤、黄色様々な色が映える北海道の風景に比べて、何かしら弱弱しく感じます。山に「地力」というものがあるとしたら、その「地力」が落ちているのではないかと。温暖化?酸性雨?昔はもっと色鮮やかだったように思いますが、少々お疲れのように見えます。大半の山は下草刈りなどの手入れがされていません。薪を使わなくなったためでしょうか。木材の多くを安価な海外に依存するようになったためでしょうか。森は放置されているようにも思えます。
途中、大きな山を切り崩して土砂を採取する現場に遭遇しましたし、田畑や山を壊して高速道路の設置工事が進んでいるところもありました。車社会ですからインフラ整備という面では致し方ないとしても、何か大切なものを忘れてはいないかどうか。
イギリスで開かれた地球温暖化対策を話し合う「COP26」も、各国の思惑が蠢き石炭火力の段階的削減などを盛り込んだ文書を採択して閉幕したのだとか。目先の損得と長期的視野をどう調整していくべきか、難しいところではあります。
そうそう、明日は南方熊楠ゼミナールがありますので、久しぶりに秋の京都に出かけてきます。南方熊楠といえば、明治の頃、神社合祀令(1906年)に反対したエコロジー思想の先駆者でもありました。神社合祀令とは、一村一社を原則として小社小祠を取り壊し1社に併合する政策ですが、南方は取り壊しによって社祠を取り巻く森林と自然環境が破壊されると反対運動をしたことで知られています。ただ、明日のテーマは「十二支考」ですから、南方のもうひとつのテーマである民俗学が中心になります。
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【余談】
コロナが妙な落ち着きをみせるなか、お国の方も行動制限の緩和に大きく舵を切りつつあります。そんななか、先日2年ぶりにシニア受講生十数名と懇親会を開き、呑み語らい楽しいひとときを過ごしました。時々マスクを外しての会食で、久しぶりに相手の顔を眺めながら語る楽しいひととき。目だけを見つめてお話しをするのと違い、隠し事なしに相手の笑顔をまっすぐに見つめ合うことの新鮮さを思いました。第6波ってほんとうに来るんでしょうか。