3年前、我が家にお連れしたシャクヤクが、今年やっと花開きました。去年もおととしも、蕾は見えても開花に至りませんでしたから、根気よく待っていて良かったです。花言葉は「恥じらい」「はにかみ」なんだそうです。 そんなある日、大学時代の同窓会の打合せのため上洛しました。早く着いたので、久しぶりに三条河原町の喫茶店「六曜社」を覗きました。
半世紀も前の学生時代に時々おじゃましていた喫茶店ですが、今でもテーブルにはマッチ箱が置いてあります。昔はどこの喫茶店もそうでしたから、当時粋がって煙草を吸っていた私は、いろんなお店のマッチ箱を集めたりしていました。
喫茶店と言えば、昔、三条と四条の間あたりに「夜の窓」というお店がありました。入口のドアを開けると、その奥に大きなスピーカーがでんと座りレコードがずらりと並んでいました。
お店の中には中庭もあって、木漏れ日を感じながらぼんやりクラシック音楽を聴いたり、本を読んだり、あるいは友と語り合ったり。残念ながら、このお店は今はありません。
この日集まったのは10名。補聴器をつけても聞き取りにくい80代の先輩も、奥様同伴でいらっしゃいました。時々筆談を交えてお話ししましたが、冷たいビールをいただきながら終始穏やかに楽しそうにされていたのが印象的でした。
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どこかに出かけると、何となく入ってみたくなるのが本屋さんです。この日はぶらり河原町のジュンク堂書店に立ち寄りました。そこで目に留まったのが松居竜五著「熊楠さん、世界を歩く。~冒険と学問のマンダラへ」(岩波書店)でした。学術書とは趣を異にして、南方熊楠の人となりが分かりやすく記されていました。さっそく帰りの電車(特急ではなく各駅停車)の中で読み始めました。 そう言えば、今週の文化講座のテーマは「宣教師が見た日本の自然環境と人間」でした。宣教師が紹介したひと昔前の日本の自然文化史、博物誌のお話しを聞いていると、ふっと熊楠の世界とニアミスします。それどころか、古代ローマの博物学者プリニウスにまで話が及ぶと、ここ1か月の間なんとなく気になっている方々に取り囲まれたよう。楽しい時間を過ごしました。
最後にもうひとつ。先日、シニアの仲間たちと法隆寺に行ってきました。法隆寺金堂壁画保存活用資金クラウドファンディング支援者向け「壁画収蔵庫限定公開」が目的でした。私が生まれる1年前の昭和24年、解体修理のさなかに火災が発生し、釈迦如来や薬師如来などを描いた大壁4面と小壁8面が焼損するという痛ましい出来事がありました。
薄っすらと往時の姿を留める仏像壁画は、焼け焦げた大きな柱共々に関係者のご努力によって保存されています。その姿が痛々しくもありました。 帰りには藤ノ木古墳に立ち寄り、近くの斑鳩文化財センターでは古墳に埋葬されていた品々(レプリカ)を観て、往時の面影を偲びました。
私の好きな言葉に「温故知新」という四字熟語があります。「昔の物事を研究し吟味して、そこから新しい知識や見解を得ること。ふるきをたずねて新しきを知る」(広辞苑)の意味ですが、なんとなくそんな楽しい1週間でもありました。