心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

右足の痛みに向き合う

2025-02-14 10:02:06 | Weblog

 この1週間、大阪でも久しぶりに氷点下の気温になりましたが、花壇や植木鉢はよく耐えてくれました。ジャカランダの苗木もそのひとつ。鉢植えは葉が落ちてしまいましたが、地植えしたものは葉も落ちず頑張りました。地植えの方が丈夫に育つのでしょうか。春に向けてニ鉢をどう対処すべきか思案中です。

 さてさて、右足の痛みは一向に改善しません。血液検査でCRP値もCK値も異常がないのに、歩くと時々右足の脛から大腿部あたりがキリキリと痛むので難儀です。急遽、整形外科のリュウマチ専門医の先生に診ていただくことになりました。
 右足と腰部を中心に詳しくレントゲン検査してもらったところ、背骨の位置にわずかに異常が見つかり、それが足の神経を悪戯しているようです。若い頃から気づかないうちに進行していたものが、ステロイド薬の服用で首を擡げた格好です。一種の老化現象でもあり、
手術する方法もなくはないけれど、当面は痛み止めの薬で様子をみることにしました。
 因みに、謡曲仲間10人中2人が手術経験者、予備軍が2人いました。もはや老人病ですね。先生からは、腰痛予防のための姿勢、歩行、体操などが紹介されている「弁慶・牛若丸の腰痛教室」という小冊子までいただきました。
 今のところ、家内が買ってくれたサポーターが役立っていて、ちょっとしたお出かけには欠かせません。杖(ステッキ)を使った歩き方にも慣れてきました。こんなときは、青森・酸ヶ湯温泉でゆっくり湯治でもすれば良いのでしょうが、それも適いません。毎夜、生薬入り入浴剤を入れたお風呂で足腰を温めています。
 もうひとつ重宝しているのが「お灸」です。若い頃、腰を痛めたときに使ったことがある「せんねん灸」を使い始めました。お灸は、免疫力の向上や自律神経の正常化、血液循環の改善、神経伝達の調整、消炎作用などに効能ありと言われますが、さあて、どうなんでしょう。いずれにしても、西洋医学と東洋医学を織り交ぜて、右足の痛みと向き合っています。
 お灸で思い出すのは半世紀以上前の古き良き時代の風景です。昔、お隣に80代の老夫婦が慎ましく暮らしていました。そのご夫婦、時々縁側に座って細っそりした足にお灸をすえていました。当時は、ヨモギのモグサを揉んでそのまま足のツボに置いて火をつける遣り方でした。子どもながらに「熱くない?」「大丈夫?」と心配したものですが、長い煙管を使って煙草をおいしそうに吸っていたお爺さんは、手際よくモグサに火をつけると「平気、平気。気持ち良い」と目を細めていました。私もそんな年代になったのかもしれません(^▽^;)。

 今週は、病院に2日、講座に2日出かけました。懐徳堂の「象徴劇としての能~『杜若』のすべて」は今週で終わり、土曜日には大槻能楽堂で「杜若」を鑑賞します。「杜若」の主題や趣向等について映像を交えて詳しくお話しいただいたので、初心者ながら杜若の美学のようなものに触れることができました。
 それにつけても、お能は奥が深い。子どもの頃、古典が苦手だった私が、今頃になって古典文学に向き合う。楽しいではありませんか。今日は午後から、能楽師山下あさみさんの「わかりやすい能と古典文学」講座(今日のテーマは「屋島」)に出かけてきます。 

 昨日の水彩画教室では、歩き遍路の途上で出会った徳島県の「左右内(そうち)の一本杉」を画題にしました。12番札所・焼山寺をめざして朝6時過ぎに宿を出た後、6時間あまりをかけてふたつの山を上り下りして最後のお山を登っているとき、杉林の中に忽然と現れた千年杉です。あまりの辛さに歩き通す自信を失いつつあった私を、弘法大師像が温かく迎えてくれました。歩いた者でなければ味わえない感動でした。
 ちなみに、この一本杉は天然記念物で、案内板には「弘法大師が焼山寺へ向かう途中、木の根を枕に仮眠したところ、夢に阿弥陀如来が現れたので、尊像を刻みお堂を建立して安置した。その時にお手植えしたスギであるとの伝説がある」とあります。焼山寺には、あと1時間半ほど歩くことになりますが、両足とも元気だった当時を思い出しながら、その一本杉を描き始めました。

 そうそう、京都府立文化芸術会館で来週開催される第48回新芸術関西支部展に、今回2点出展することにしました。昨秋、東京都美術館で開催された新芸術展の関西版です。出来栄えはともかく、出展することで私のモチベーションを維持・向上させようという目論見ですが、さあて、どうなんでしょうね(笑)。

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