昨日そして今日は、ここ大阪も晴れやかな朝を迎えています。明るい朝の陽ざしを楽しみながら、シベリウスのピアノ小品を楽しむ。1週間の疲れが癒される時間です。
昨日の土曜日は、久しぶりにお休みをいただきました。でも、なんとなく慌ただしい1日でした。朝はいつも通りに目覚めると、孫君の体調が思わしくないから来てくれと。ところが家内は午後でなければ時間が空かない。午前の部は、私が馳せ参じることになりました。その孫君、最初はぐずぐず言っていたのに、いつの間にか笑顔に変わり、絵本をもってきて読んでくれとせがむ。おもちゃを持ってきては、私に見せてくれました。どうやら、体調の方は大騒ぎするまでもなさそうです。
午後は家内にバトンタッチして、私は自宅へ直行です。造園会社の方に庭木の病害虫駆除をお願いしていたのです。この会社、インターネットで見つけたのですが、若い造園技師の方が立ちあげた会社で、ホームページを見て、その心意気が気にいって以来、毎年、剪定と病害虫駆除をお願いしています。
そうこうするうちに、午後も4時をまわり、もうひとつのアポイントは宅急便でした。この日は、特注の品が到着する日でありました。なんということはありません。鹿児島の本格焼酎「島美人」の35度が1ダース届く日でありました。25度ではなく35度であることに、この焼酎の味わいがあります。ある小料理屋さんでいただいて、気に入って、百貨店のお酒売り場で特注したのでありました(^^♪。
こんな具合で慌ただしい(?)土曜休日は終わりましたが、最後にもうひとつ、久しぶりに予約していたテレビドラマがありました。NHKドラマスペシャル「白洲次郎」です。白洲正子さんのことは何冊かの著書を通じて、ある程度承知していましたが、連れ合いの次郎氏のことはあまり詳しくありません。一昨年の秋、どういうわけか北京に向かう空港内の書店で新潮文庫「プリンシプルのない日本」を購入し機中で読んだこと。その後、昨年の暮れにNHKラジオ「日曜カルチャー」で4回にわたって放送された「白洲次郎 ~その生き方と素顔~」を聴いたこと、そんな程度ですが、なるほど時代の変革期にそれなりの存在感を示した方ではありました。白洲夫妻は戦争への足音とともに、いったん田舎に引っ越し農業に勤しむのですが、何度か登場する「カントリージェントルマン」という言葉を興味深く思いました。
この白洲夫妻が活躍したのは大正から昭和の時代です。正子さんは若い頃、アメリカの学校に学んだ経験があり、帰国してしばらくして次郎氏に出会っています。おそらく当時の日本にあっては少し前を歩いていた女性なんでしょうか。でも、小さい頃から「能」に惹かれ自ら舞うことができました。ドラマでその場面を見ながら、ふと、いま読んでいる本「鶴見和子の世界」を思い出しました。鶴見和子さんは戦前戦後に米国大学に学ばれた日本を代表する社会学者のお一人ですが、和服を自然に着こなし、時には娘道成寺を舞って場を和ませる術を身につけていらっしゃたようです。私が生まれたばかりの頃1950年代は生活綴り方運動に参画され、後に水俣調査にも意を注がれた方ですが、私には柳田國男と南方熊楠をつなぐ水先案内人のような存在です。仕事とは全く無関係でありながら、しかし一人の人間の生きざまを問う意味で、鶴見和子さんの著書は、私の中では極めて大きな存在感をもっています。いずれまた、お話する機会があろうかと思います。
.......机の前の窓の外には、柔らかな青空が広がり、庭の木々も生気を取り戻しつつあります。今日のブログは、あちらこちらに揺れ動いた内容になってしまいましたが、これも心地よい「春」の陽気のせいにしておきましょう。
昨日の土曜日は、久しぶりにお休みをいただきました。でも、なんとなく慌ただしい1日でした。朝はいつも通りに目覚めると、孫君の体調が思わしくないから来てくれと。ところが家内は午後でなければ時間が空かない。午前の部は、私が馳せ参じることになりました。その孫君、最初はぐずぐず言っていたのに、いつの間にか笑顔に変わり、絵本をもってきて読んでくれとせがむ。おもちゃを持ってきては、私に見せてくれました。どうやら、体調の方は大騒ぎするまでもなさそうです。
午後は家内にバトンタッチして、私は自宅へ直行です。造園会社の方に庭木の病害虫駆除をお願いしていたのです。この会社、インターネットで見つけたのですが、若い造園技師の方が立ちあげた会社で、ホームページを見て、その心意気が気にいって以来、毎年、剪定と病害虫駆除をお願いしています。
そうこうするうちに、午後も4時をまわり、もうひとつのアポイントは宅急便でした。この日は、特注の品が到着する日でありました。なんということはありません。鹿児島の本格焼酎「島美人」の35度が1ダース届く日でありました。25度ではなく35度であることに、この焼酎の味わいがあります。ある小料理屋さんでいただいて、気に入って、百貨店のお酒売り場で特注したのでありました(^^♪。
こんな具合で慌ただしい(?)土曜休日は終わりましたが、最後にもうひとつ、久しぶりに予約していたテレビドラマがありました。NHKドラマスペシャル「白洲次郎」です。白洲正子さんのことは何冊かの著書を通じて、ある程度承知していましたが、連れ合いの次郎氏のことはあまり詳しくありません。一昨年の秋、どういうわけか北京に向かう空港内の書店で新潮文庫「プリンシプルのない日本」を購入し機中で読んだこと。その後、昨年の暮れにNHKラジオ「日曜カルチャー」で4回にわたって放送された「白洲次郎 ~その生き方と素顔~」を聴いたこと、そんな程度ですが、なるほど時代の変革期にそれなりの存在感を示した方ではありました。白洲夫妻は戦争への足音とともに、いったん田舎に引っ越し農業に勤しむのですが、何度か登場する「カントリージェントルマン」という言葉を興味深く思いました。
この白洲夫妻が活躍したのは大正から昭和の時代です。正子さんは若い頃、アメリカの学校に学んだ経験があり、帰国してしばらくして次郎氏に出会っています。おそらく当時の日本にあっては少し前を歩いていた女性なんでしょうか。でも、小さい頃から「能」に惹かれ自ら舞うことができました。ドラマでその場面を見ながら、ふと、いま読んでいる本「鶴見和子の世界」を思い出しました。鶴見和子さんは戦前戦後に米国大学に学ばれた日本を代表する社会学者のお一人ですが、和服を自然に着こなし、時には娘道成寺を舞って場を和ませる術を身につけていらっしゃたようです。私が生まれたばかりの頃1950年代は生活綴り方運動に参画され、後に水俣調査にも意を注がれた方ですが、私には柳田國男と南方熊楠をつなぐ水先案内人のような存在です。仕事とは全く無関係でありながら、しかし一人の人間の生きざまを問う意味で、鶴見和子さんの著書は、私の中では極めて大きな存在感をもっています。いずれまた、お話する機会があろうかと思います。
.......机の前の窓の外には、柔らかな青空が広がり、庭の木々も生気を取り戻しつつあります。今日のブログは、あちらこちらに揺れ動いた内容になってしまいましたが、これも心地よい「春」の陽気のせいにしておきましょう。
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