心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

お気楽な演繹的人間

2008-05-18 12:41:07 | 愛犬ゴンタ

 清々しい快晴の朝、きょうは5時過ぎには目が覚めました。でも、ラジオのスイッチを入れると、また布団のなかに潜り込んでしまいました。そんな気楽な休日の朝が、私は大好きです。これで人生終わっても良い、などと真剣に思ってしまいますから、なんともお気楽な人間なのでしょうよ。きっと。
 きょうは、愛犬ゴンタの予防接種でした。近くの動物病院からお知らせをいただいていたのですが、ずるずると1カ月が経ってしまいました。午前10時開院をめざして一番乗りと思ったのですが、すでに玄関口には老若男女のワン君、ネコ君、小鳥さんがお待ちでありました。6種混合ワクチンと狂犬病予防注射、同時に打つのは良くないのだそうですが、飼い主の責任ということで一緒に注射をしていただきました。写真は、診察台のうえで不安そうに注射を待つゴンタです。ついでにフィラリアのお薬もいただいて、しめて2万円。我が家で一番医療費が高くつくゴンタ君でありました。
 ところで話は変わりますが、朝日新聞の経済面の片隅に「経済気象台」という欄があります。たかだか600字程度の記事ですが、天声人語よりも肩の力を抜いた、おうようさが気にいっています。先週、目にとまったのは15日の「帰納と演繹」です。
 いわく、「20世紀の科学は、帰納法を中心に発展した」「問題を分析し解明する帰納的人間が社会的エリートとして幅を利かせてきた」。しかし、複雑極まりない現在の諸問題は、帰納的人間の手に負えなくなった。複雑系の科学と呼ばれる演繹的方法論が必要になった。「振り返ってみれば、歴史的な節目で世界の経済、政治を動かしてきたのは、帰納的な人間ではなく、大局的な決断ができる演繹的人間である」と。なるほど、と思いました。
 職場でも、さまざまな問題解決法や分析手法が話題になり、帰納的人材教育が盛んですが、それですべてがうまくいっているのかといえば、必ずしもそうではない。専門化と高度化が進む時代状況をどう読み説くのか、その大局的な見通しや判断が求められているように思います。
 政治・経済・社会のあらゆる分野で、ものごとが行き詰まりをみせています。ある特徴的な動きをキャッチすると、マスコミを含めて何もかも、あたかもそれが救世主のように、それに靡いていく社会現象。何かおかしい。左脳ばかりに頼らず、ときどき感性脳、イメージ脳といわれる「右脳」を使ってみるのも手かもしれません。私が、LPレコードの世界に浸ったり、小林秀雄や南方熊楠、柳田國男などの世界を戯れるのも、ひょっとしたら無意識のうちに右脳が求めているのかもしれません。そう考えると、やはり日曜日は大事にしたい。
 先週の日曜日、「南方熊楠百話」で中沢新一の「ヘリオガバルス論理学」を読んで、10数頁ほど文章でしたが、私にとっては異次元の世界のようで楽しく拝読した次第です。それに触発されて昨日は仕事帰りに、古本屋に立ち寄って同氏の「純粋な自然の贈与」を買いました。その本の一節「バルトークにかえれ」を、実はきょうの朝、ベッドのなかで読みました。読み終わって、またうとうと。......きょうは、バルトークのピアノ協奏曲をアルゲリッチの演奏で楽しみながらのブログ更新でありました。

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