今週の古典文学講座は前回に続いて井原西鶴の浮世草子「世間胸算用」(1692年)でした。西鶴51歳の作品で大阪を舞台にした町人物語ですが、三百年も前の町人の暮らしと人となりが、こんなにも明るく面白可笑しく綴られているとは。ついつい引き込まれていきます。隔週で通う文学講座、9月からは松尾芭蕉の「奥の細道」がテーマです。
高校生の頃、大の苦手だった「古文」の授業。女生徒に人気の若い男性教師の立ち居振る舞いに胡散臭いものを感じた私は、授業の間現代小説を読んで過ごしました。当然のことながら「古文」から遠のいてしまい.......。いやいや、だからこそ、この歳になって「学んでみよう」という気持ちになった次第。この4月から通い始めたばかりですが、少しずつ古典文学の楽しさを感じ始めています。
授業のあと、天満橋駅に向かって歩いていると、街角で「熊野かいどう」の歴史を記した案内板を見つけました。平安時代、熊野へ詣でる人々は京都から淀川を船で下り、現在の天満橋付近に上陸。このあたりは、古代は難波津、平安時代には渡辺津(窪津)と呼ばれたところで、ここを起点に南下して四天王寺、住吉大社などを経て、熊野に向かったのだそうです。 そんな古き良き時代の「大坂」を学んだ翌日は、暑気払いと銘打って仲間たちと「鱧料理」を食べに難波に集いました。暑い季節に長いものを食べると精力が付くのだそうですが、平均年齢が70歳に手が届こうかというシニア7人組(男4名、女3名)、呑んで食べて皆さんお元気そのものです。次回は9月の「だんじり祭り」に岸和田に繰り出すことに。(下の写真は集合場所の難波高島屋正面玄関前)
その日は少し早い目に家を出て日本橋界隈を散策しました。久しぶりにLPレコード店DISC J.J.さんに立ち寄り、グレン・グールドのR・シュトラウス「イノック・アーデン」、ラザール・ベルマンのリスト「巡礼の年」をお持ち帰りでした。
日本橋界隈は昔に比べてずいぶん雰囲気が変わりました。電器街というよりはアニメ、マンガ、ゲーム、コスプレの街。外国人観光客が目立ちます。そんななかで老舗オーディオ専門店も頑張っていました。私が愛用するレコードプレーヤーもこのお店で買いました。
しばらく歩くと「なんば古書センター」が見えてきます。といっても今はビルの1階に「山羊ブックス」さん1軒が頑張っていらっしゃいます。秋から始まる古典講座のために新潮古典文学アルバム「松尾芭蕉」を手にしました。ほかにも何冊か気になる本がありましたが、今週末から京都下鴨神社で「下鴨納涼古本まつり」が始まりますのでお預けです。そうそう、難波千日前で天地書房という古書店を発見しました。
翌日は、先月下見をした街歩きの日でした。JR桜橋駅からバスで10分ほどのところにある大阪市環境局舞洲工場、要するにゴミの焼却施設ですが、建物の奇抜な外観はウィーンの芸術家 故フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏の作品です。建設当時は賛否両論ありましたが、「技術・エコロジー・芸術の融和のシンボル」としての立ち位置に、なんとなく共感を覚えました。
外観もさることながら、ゴミ焼却技術の素晴らしさに驚きました。次々と運び込まれる可燃ごみの投入から焼却、焼却灰の処理、燃焼ガス・排水の処理、余熱利用による発電と、一連の流れがコンピュータで集中管理されていました。その巨大な工場に従事する人が百十数名、それも交替勤務ですから1クルー三十名弱に過ぎません。こうした最先端技術を見学するために、中国など海外から修学旅行でやってくる若者が後を絶たないのだそうです。ちなみに処理済みの焼却灰は、大阪がいま万国博覧会開催をめざす夢洲の埋立に使われています。
この日の参加者は14名。打ち上げはホテル・ロッジ舞洲でのBBQでした。多くの若者たちで賑わっていて、我々のようなシニア組は少数派でしたが、皆んさん元気にぺろりと平らげました。
この日も暑い一日でした。日が暮れる頃になると大阪湾の向こうに神戸、その先に明石海峡大橋が見えます。大阪市内の雑踏からは考えられない風景が広がります。万国博覧会の誘致に成功するようなことになれば、この一帯は一大リゾートセンターに様変わりする予感がします。カジノ誘致には反対ですが.......。 そうそう、忘れていました。先週末に孫長男君と南港の海釣り公園に行ってきました。同じ大阪湾でも、少し南の方ですが、この日の釣果はアジ十数匹でした。孫君も大満足でした(笑)。信じてもらえないかもしれませんが、私は大きな獲物を逃しました(笑)。
こうしてドタバタの1週間が終わろうとしています。締めは水彩画教室です。今日のテーマは夏野菜。粗目の画用紙を用いた表現手法を学びました。水彩画を習い始めて1年、決してうまくはないけれど、言葉以外の方法で自己表現することの楽しさを覚えました。決してうまくはないけれど.......(笑)。