私が走り始めたのは2000年1月9日。この日に、練習もほとんどせずにいきなり10kmレースに出走しました。
ですから、明日で走歴10年ということになります。
飽きっぽ自分がよくも続いたものです。
それだけ、初日のレースの印象が強烈だったということなのかもしれません。
当時は和泉多摩川の社宅に住んでいて、目の前が多摩川でした。
その多摩川の河川敷の「狛江の五本松」と呼ばれるところで「狛江多摩川ロードレース」が開催されると社宅マンションの掲示板に張り紙があり、多少体力に自信があったので出てみることにした次第です。
当日申込みのみ、参加費500円の超ローカル・草レース。
1月だったのでジャージの上下で参加したのですが、会場へ行ってみてびっくり、寒い中、ランシャツ・ランパンの季節感のない人がたくさんいます。
当時は、市民ランナーというものに対する知識が皆無で、冬場にあんな格好で走るのは一流選手のみと思っていました。
コースは多摩川の河川敷の片道2.5kmのコースを2往復、10kmの部のエントリーはなぜか男性のみで80人くらい。
スタートしてみてもっとびっくり、ほとんどの人がほんの数分で私の視界から消えてしまいました。(キロ6分の人からキロ5分以上の人を見ると、そう見えます。)
すごいおじいさんにも引き離され、7,8人で最下位集団を形成、折返して「さああと半分」と思ったところで、自分の周囲にいた人が3人リタイヤ、後半の5kmは本当に最下位争いになりました。
それでも自分と同じようなジャージ姿のお兄ちゃんをやっとのことで振り切り、ビリから2番でボランティアの方たちの「最後までがんばれ!」の暖かい拍手を受けてゴール。タイムは58分半くらいだったと思います。
ビリから2番、ブービー、ありえない、屈辱です。無料サービスのトン汁もいただかず、完走証ももらわずに帰宅、お風呂の中で「このまま終わってたまるか。」とリベンジを誓いました。
河川敷の早朝ジョグを始めました。
ランナーズという雑誌を買い、今まで自分が全く知らなかった「市民ランナー」という世界があることを知りました。
それから4ヵ月後の新緑の季節には、ハーフマラソンのスタートラインに立っていました。
「初心忘れるべからず」、あの日のことを思い出しながら、また気持ちも新たに走りたいと思います。
次の10年は、どんな10年になるのでしょうか。
ワクワクします。
ですから、明日で走歴10年ということになります。
飽きっぽ自分がよくも続いたものです。
それだけ、初日のレースの印象が強烈だったということなのかもしれません。
当時は和泉多摩川の社宅に住んでいて、目の前が多摩川でした。
その多摩川の河川敷の「狛江の五本松」と呼ばれるところで「狛江多摩川ロードレース」が開催されると社宅マンションの掲示板に張り紙があり、多少体力に自信があったので出てみることにした次第です。
当日申込みのみ、参加費500円の超ローカル・草レース。
1月だったのでジャージの上下で参加したのですが、会場へ行ってみてびっくり、寒い中、ランシャツ・ランパンの季節感のない人がたくさんいます。
当時は、市民ランナーというものに対する知識が皆無で、冬場にあんな格好で走るのは一流選手のみと思っていました。
コースは多摩川の河川敷の片道2.5kmのコースを2往復、10kmの部のエントリーはなぜか男性のみで80人くらい。
スタートしてみてもっとびっくり、ほとんどの人がほんの数分で私の視界から消えてしまいました。(キロ6分の人からキロ5分以上の人を見ると、そう見えます。)
すごいおじいさんにも引き離され、7,8人で最下位集団を形成、折返して「さああと半分」と思ったところで、自分の周囲にいた人が3人リタイヤ、後半の5kmは本当に最下位争いになりました。
それでも自分と同じようなジャージ姿のお兄ちゃんをやっとのことで振り切り、ビリから2番でボランティアの方たちの「最後までがんばれ!」の暖かい拍手を受けてゴール。タイムは58分半くらいだったと思います。
ビリから2番、ブービー、ありえない、屈辱です。無料サービスのトン汁もいただかず、完走証ももらわずに帰宅、お風呂の中で「このまま終わってたまるか。」とリベンジを誓いました。
河川敷の早朝ジョグを始めました。
ランナーズという雑誌を買い、今まで自分が全く知らなかった「市民ランナー」という世界があることを知りました。
それから4ヵ月後の新緑の季節には、ハーフマラソンのスタートラインに立っていました。
「初心忘れるべからず」、あの日のことを思い出しながら、また気持ちも新たに走りたいと思います。
次の10年は、どんな10年になるのでしょうか。
ワクワクします。
当時、この今のマラソンブームを予想されておられましたでしょうか?10年前だと、ウエアもここまで進化しておらず、まだまだ苦しいイメージばかりが先行するスポーツではなかったでしょうか?それでも、走り出したのは、相当な屈辱と、毎日いやでも目に入り込む、穏やかな多摩川の風景を見てのことでしょうかね?
RASCALさんがいなければ、今私は間違いなくレースに参加するようなことはなかったと思います。恩師と呼ばせていただきます。ありがとうございます。今年も打倒RASCALでいきたいと思います♪
いきなり10kmレース完走ってのも凄いですよ。
体力があったと言うか、身の程知らずと言うか・・・
お互いもう伸びしろは少ない(私は無いかも)でしょうが、いつまでも諦めの悪いオヤジでいましょうね。
いきなり10キロで1時間切ってるのは、やはり体力があるですねえ。そのタイムで最下位集団ってのはレベルが高いレースですね。
私は走り始めて5キロ走れるようになるまで、2ヶ月くらいかかったし、10キロ1時間切れるようになるのに4ヶ月くらいかかった気がします。
でも、人それぞれですが、元気がわいてきますね。明日のランニング楽しみです。
急に海外勤務から帰国となり、赴任前に住んでいたマンションを後腐れなく売却してしまっていたため、たまたま入った社宅の目の前が多摩川。
マンションの掲示板の地元のマラソンの張り紙が目について、面白そうと思った。
そして、勉強や仕事はそうでもないのですが、ことスポーツに関しては、普通の人より少しだけ負けず嫌いだった。
この3つの偶然がたまたま重なってランナーになっちゃった、という感じです。
その偶然が、yacchiさんがランナーになるきっかけとなったとするのなら、私にとっても大変うれしいことです。
後は、NAHAマラソンのように、簡単に負けないこと、ですよね。
幸い足の状態は最近ちょっといいので、今年はがんばれるんじゃないかなと思っています。
亀オヤジさん
これからどんなランナーでいたいかなと考えると、でもファンランナーやジョガーにはなりたくない、自分はあくまでランナーでいたいとは思います。
「風が強く吹いている」で、速いランナーではなく強いランナーということばがありましたが、それも、うーん、分かりにくいし無理かな。
でも、周囲の人に共感や感動や、多少なりともなにかしらプラスのエネルギーを与えられるランナーではありたいかなと思います。
(本日は、国立競技場の激走教室に参加後、仲間と一杯飲んできましたので多少ハイになっています。)
これからもよろしくお願いします。
ランナーの裾野が広くなくて、本当にマジで走っている人しかレースに出てこなかったのかな?
4ヵ月後に出たハーフでも、ネット1時間59分でビリから15%くらいでした。
94年ごろかな、マラソン好き、博打好きの当時の上司が、参加費1万円、優勝者総取り(ただしアフターは優勝者のおごり)の皇居1周マラソンをやろうと言い出し、私も一攫千金を夢見て練習したことがありました。(といっても皇居1周5kmを5回くらい走っただけですが)
その時のタイムが26分半くらいでしたので、なんとなく1時間位で走れるという予感はありました。
でもビリから2番という結果がとにかく大ショックで…
でも、そのおかげで今ランナーでいるわけですから、本当に「人間万事塞翁が馬」です。
最近は、走れる喜びを実感しています。
来年は、懐かしの「五本松」へどうぞ!
そうですね。
あそこが僕のスタートラインなので。
まだ当日受付なのかな。