実は、昔、F-1オタクでした。セナ、好きでした。
1989年、当時は、マクラーレン・ホンダが、他の車を圧倒しており、自然、DRIVER'S CHAMPIONは、チームメイトのセナとプロストの争いでした。堅実なプロストがセナをポイントでリードしており、セナは、チャンピオンになるためには、最後の2戦、鈴鹿とメルボルンを連勝しなければなりませんでした。
1989年のその日、私は鈴鹿サーキットにいました。
圧倒的なタイムでポールポジションを獲得したセナに対し、プロストはフライング気味のスタートで先頭に立つと、セナとの差を広げにかかる。マクラーレンの2台は、他の全ての車を周回遅れにする、異次元のスピードでバトルを続け、レースは終盤に。ついにプロストに追いついたセナが、シケインでインから仕掛けると、プロストは故意に(or反射的に)インを閉めてセナに車をぶつけ、二台は絡み合ってエスケープゾーンで止まる。大歓声の観客席が一瞬静まり返る。
車を降り、一目散にコントロールタワーへ走るプロストを尻目に、セナは車を押しがけし、ピットでノーズを交換し、再びレースへ。セナがピットにいる間に、ベネトンのナニーニが、セナを抜き去り、10秒くらいの差をつけてしまった。レースはあと7周。
そこからがセナの真骨頂、あっという間に追いつき、ついさっきクラッシュしたシケインで、クラッシュした時と同じようにインからナニーニをぶち抜く。地響きのような15万人の歓声!私がセナを好きになった瞬間でした。おそらくここにいる15万人全員が、私と同じようにセナを好きになったに違いない、そう思いました。
電車の時間があったので、セナがトップでチェッカーを受けたのを見届け、私は白子の駅に向いました。セナ優勝を信じていた私は、東京の自宅で、表彰台の一番高い所に立ったのはセナでないことを知りました。シケイン不通過で失格、セナを勝たせないことで、プロストのチャンピオンが決まりました。
私がセナを好きな理由は、単に速いからだけではありません。
勝つことに対する、あの執念、あの諦めの悪さ。すごいです。
例えばもし車の調子が悪く、自分としてその状況の中でベストを尽くしての2位であれば、シューマッハであれば、笑顔でシャンパン・ファイトに加わるでしょう。でも、セナは笑いません。勝てなかったからです。そのストイックさがたまらない。
ホンダがF-1を去り、セナをもってしてもマクラーレンがウィリアムズに勝てなくなった時、とある記者が、セナに「いくら貰えたらウィリアムズに移籍するか。」と聞くと、彼は「100万ドル」と答えた。マクラーレンから2000万ドル貰っているセナが、です。本当に、お前は、勝つ事以外何もないのかっ。
1994年5月、念願のウィリアムズに移籍してわずか4レース目、セナがこの世を去りました。
セナが死んだ翌々日、昼休みに会社を抜けて、青山一丁目のホンダの本社へ行きました。沢山のセナ・ファンが集まっていました。マクラーレンMP4/6のところに記帳台があったので、彼の冥福を祈りながら、記帳をしました。
後日、ホンダから、セナの写真が3枚入った、お礼の手紙が送られてきました。その写真は、今でも、会社の机の引出しの中にあります。
1989年、当時は、マクラーレン・ホンダが、他の車を圧倒しており、自然、DRIVER'S CHAMPIONは、チームメイトのセナとプロストの争いでした。堅実なプロストがセナをポイントでリードしており、セナは、チャンピオンになるためには、最後の2戦、鈴鹿とメルボルンを連勝しなければなりませんでした。
1989年のその日、私は鈴鹿サーキットにいました。
圧倒的なタイムでポールポジションを獲得したセナに対し、プロストはフライング気味のスタートで先頭に立つと、セナとの差を広げにかかる。マクラーレンの2台は、他の全ての車を周回遅れにする、異次元のスピードでバトルを続け、レースは終盤に。ついにプロストに追いついたセナが、シケインでインから仕掛けると、プロストは故意に(or反射的に)インを閉めてセナに車をぶつけ、二台は絡み合ってエスケープゾーンで止まる。大歓声の観客席が一瞬静まり返る。
車を降り、一目散にコントロールタワーへ走るプロストを尻目に、セナは車を押しがけし、ピットでノーズを交換し、再びレースへ。セナがピットにいる間に、ベネトンのナニーニが、セナを抜き去り、10秒くらいの差をつけてしまった。レースはあと7周。
そこからがセナの真骨頂、あっという間に追いつき、ついさっきクラッシュしたシケインで、クラッシュした時と同じようにインからナニーニをぶち抜く。地響きのような15万人の歓声!私がセナを好きになった瞬間でした。おそらくここにいる15万人全員が、私と同じようにセナを好きになったに違いない、そう思いました。
電車の時間があったので、セナがトップでチェッカーを受けたのを見届け、私は白子の駅に向いました。セナ優勝を信じていた私は、東京の自宅で、表彰台の一番高い所に立ったのはセナでないことを知りました。シケイン不通過で失格、セナを勝たせないことで、プロストのチャンピオンが決まりました。
私がセナを好きな理由は、単に速いからだけではありません。
勝つことに対する、あの執念、あの諦めの悪さ。すごいです。
例えばもし車の調子が悪く、自分としてその状況の中でベストを尽くしての2位であれば、シューマッハであれば、笑顔でシャンパン・ファイトに加わるでしょう。でも、セナは笑いません。勝てなかったからです。そのストイックさがたまらない。
ホンダがF-1を去り、セナをもってしてもマクラーレンがウィリアムズに勝てなくなった時、とある記者が、セナに「いくら貰えたらウィリアムズに移籍するか。」と聞くと、彼は「100万ドル」と答えた。マクラーレンから2000万ドル貰っているセナが、です。本当に、お前は、勝つ事以外何もないのかっ。
1994年5月、念願のウィリアムズに移籍してわずか4レース目、セナがこの世を去りました。
セナが死んだ翌々日、昼休みに会社を抜けて、青山一丁目のホンダの本社へ行きました。沢山のセナ・ファンが集まっていました。マクラーレンMP4/6のところに記帳台があったので、彼の冥福を祈りながら、記帳をしました。
後日、ホンダから、セナの写真が3枚入った、お礼の手紙が送られてきました。その写真は、今でも、会社の机の引出しの中にあります。
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