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ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

伝説のウィング

2004-12-11 23:10:17 | スポーツ
ジョン・カ―ワンさんです。往年のラグビー・ファンの方には言わずと知れた、最強軍団ニュージーランド・オールブラックスの名ウィングだった人です。
とある仕事関係のパーティで発見、本物のカーワンさんと知って、思わず目がハートになり、写真をおねだりしました。
それにしてもこの体格差、私も177cm、70kgと、決して小さい方ではないのですが、、、日本だったら絶対ロックにされてたでしょうね。

ラグビーの第一回ワールドカップは、意外と歴史が浅くて、1987年。それまではテストマッチ(国対国の、ホーム・アウェーの対抗戦)にこだわっていたラグビー界が、初めて、第三国で、トーナメント戦を戦いました。
決勝戦は、フランス対ニュージーランド。入社から6年間、会社のラグビー部に所属していた私にとって、非常に鮮烈な印象の両チームでした。
当時フランスのラグビーは、シャンパンラグビーと呼ばれていて、シャンパンの泡のようにボールをめまぐるしく展開する、華麗なラグビーでした。一番印象に残っている選手は、FBのブロンコかな。
対するニュージーランドは、ブラック・ブランケット。ボールを中心に、フォワードの全選手が1枚の毛布のように、あっという間に密集、バインドしてボールを支配する、まさに教科書どおりのフォワードでした。バックスは、華麗ではないが堅実。小憎らしいほど慎重にキックを蹴るSOフォックス、そして当時としては常識破りの重量ウィング、カーワン。カーワンは、この大会で、伝説の90m独走トライを含む、6トライを上げました。
この対照的な両チームによる、闘争心剥き出しの決勝戦の軍配は、ニュージーランドに上がりました。
優勝トロフィーを手にしたオールブラックスの選手のコメントは、「我々はまだ世界一ではない。スプリング・ボックスに勝って、初めて世界一だ。」というものでした。
当時、南アは、人種差別を理由に、スポーツの世界で、国際試合を大きく制限されていました。オールブラックスの選手のこのコメントに、「俺たちは強い!」というプライドと、「スポーツの世界に政治は関係無い。楕円球を持ったこともない奴が、スポーツの世界に口出しするな!」みたいな、さわやかな反骨心を感じました。

この写真、一生モノの宝物になりそうです。


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