ロンドン五輪で、わざと負けようとした女子バトミントンチームが失格になる騒ぎがありましたが、それを言うなら、南ア戦のなでしこジャパンも五十歩百歩、わざと勝たないようにしているように、私には見えました。
メダルを至上の目的としてその達成手段を考えれば、そういう選択ってあり得るのでしょう。
でも、なでしこの南ア戦は、応援している私たちに何の感動も与ませんした。
相手チームに対しても、ワールドカップチャンピオンらしからぬ失礼な試合だったと思います。
企業は、利益をあげ続けることのみを至上の目的としているかといえば、決してそのようなことはありません。
会社のHPをみると、大抵の場合、会社概要の一番最初のページは「経営理念」です。
これこそが会社の目的であり、目指すゴールであり、利益よりも大切なもの。
正しい経営理念を掲げ、その理念に向かって努力をすれば、利益は結果としてついてくるもの、その様に考えている経営者が大半だと思います。
それでは、アスリートの目的、ゴールって何なのでしょうか。
勝つこと、金メダルを取ること、でしょうか。
それは目標であって、目的ではない、元運動部員の私はそう思います。
目標は、個人の実力等によっても変わります。
金メダルが目標の人もいれば、入賞が目標の人も、予選を勝ち抜くことが目標の人もいる。
国内では、国体や関東大会に出場することが目標の人もいれば、とにかく1勝することが目標の人もいるわけです。
でも、目的はすべてのアスリートにとって普遍的なものと思います。
それは、好きなスポーツで、より高みに上るために自分の出来る最大限の努力を継続すること。
そして、試合という発現の場で、培って来た努力の成果を全力で表現し切ることなのではないでしょうか。
五輪選手ともなれば、いろいろな人の応援を受けています。
アスリートが果たすべきことを、「もしドラ」風に言えば、応援してくれる人を感動、感激させることです。
トップに立つものとして、後に続こうとする子供や若い選手達に夢、希望、元気を与えることです。
目標達成という結果以上に我々を感動させるもの、それはアスリートのひたむきで真摯な姿勢であり、それがあった上でのメダルなのだと思います。
私も経験がありますが、スポーツの大会では、必ず、選手代表による選手宣誓というものがあります。
例えば、リーグ戦で、1,2年生が中心のA校より、主力の4年生がごっそり抜けて、来年は弱くなることが確実そうなB校に同じリーグに残留してほしい、そう思うことがあります。
でも、選手宣誓で、選手代表が「スポーツマン精神にのっとり、正々堂々戦うこと」を誓った限りにおいて、B校との試合で手を抜くことは宣誓に反する、してはいけないことです。
それに反した者は裁きを受けても仕方がない、これは、オリンピックでも、大学のリーグ戦でも、どんな大会でも一緒です。
私は、メダルは目標であって、目的ではないと思っています。
そして、アスリートとしての目的を放棄してまで目標達成に固執することは本末転倒である、そう思っています。
メダルを至上の目的としてその達成手段を考えれば、そういう選択ってあり得るのでしょう。
でも、なでしこの南ア戦は、応援している私たちに何の感動も与ませんした。
相手チームに対しても、ワールドカップチャンピオンらしからぬ失礼な試合だったと思います。
企業は、利益をあげ続けることのみを至上の目的としているかといえば、決してそのようなことはありません。
会社のHPをみると、大抵の場合、会社概要の一番最初のページは「経営理念」です。
これこそが会社の目的であり、目指すゴールであり、利益よりも大切なもの。
正しい経営理念を掲げ、その理念に向かって努力をすれば、利益は結果としてついてくるもの、その様に考えている経営者が大半だと思います。
それでは、アスリートの目的、ゴールって何なのでしょうか。
勝つこと、金メダルを取ること、でしょうか。
それは目標であって、目的ではない、元運動部員の私はそう思います。
目標は、個人の実力等によっても変わります。
金メダルが目標の人もいれば、入賞が目標の人も、予選を勝ち抜くことが目標の人もいる。
国内では、国体や関東大会に出場することが目標の人もいれば、とにかく1勝することが目標の人もいるわけです。
でも、目的はすべてのアスリートにとって普遍的なものと思います。
それは、好きなスポーツで、より高みに上るために自分の出来る最大限の努力を継続すること。
そして、試合という発現の場で、培って来た努力の成果を全力で表現し切ることなのではないでしょうか。
五輪選手ともなれば、いろいろな人の応援を受けています。
アスリートが果たすべきことを、「もしドラ」風に言えば、応援してくれる人を感動、感激させることです。
トップに立つものとして、後に続こうとする子供や若い選手達に夢、希望、元気を与えることです。
目標達成という結果以上に我々を感動させるもの、それはアスリートのひたむきで真摯な姿勢であり、それがあった上でのメダルなのだと思います。
私も経験がありますが、スポーツの大会では、必ず、選手代表による選手宣誓というものがあります。
例えば、リーグ戦で、1,2年生が中心のA校より、主力の4年生がごっそり抜けて、来年は弱くなることが確実そうなB校に同じリーグに残留してほしい、そう思うことがあります。
でも、選手宣誓で、選手代表が「スポーツマン精神にのっとり、正々堂々戦うこと」を誓った限りにおいて、B校との試合で手を抜くことは宣誓に反する、してはいけないことです。
それに反した者は裁きを受けても仕方がない、これは、オリンピックでも、大学のリーグ戦でも、どんな大会でも一緒です。
私は、メダルは目標であって、目的ではないと思っています。
そして、アスリートとしての目的を放棄してまで目標達成に固執することは本末転倒である、そう思っています。
だけどオリンピックと言う最高の舞台でこんな試合をしなきゃいけなかった選手自身も1番の被害者なんじゃないかなぁと思いますね。
メダルを何個取ったとか煽り立てる社会自体が根源かなぁと。
間違っている常識も多々あるので惑わされずに行くっきゃないですね。
選手はひたむきに勝ちにいきたかったのではないでしょうか。
監督がそう指示をしたのでしょうから、監督の責任、ですよね。
それが選手たちのためと信じ、自分が全責任を取る覚悟でやったのであるなら、それはそれでって気もしますが。