アンドラ中央病院に入院した亭主を見て、またタクシーでキャンプサイトに帰り着いたのは夜中の1時頃だった。病院へ入ってしまえばもう大丈夫と安心してぐっすり眠った私って悪妻?
翌朝は割と早く目覚め、入院に必要なものを取り揃えてまたタクシーで病院へ行った。夜はどこを走っているのかが判らなかったけれど日中は大体の方向や道筋が判る。この病院はキャンプサイトとは川を挟んで反対側、北方の山の中腹にあり、車は一直線には登れない。両脇高層建築でいっぱいのジグザグ道をずんずん登ってゆく。知らない道というのは遠く感ずるものだが、この日以来タクシーは使わず歩いて直線道路を開発した。
中央の川沿いを町の中心に向かって歩き、めぼしい橋から左に折れて100メーターくらいで病院の真下に着く。歩いて30分で行き着く。なんとラッキーなことにここには一般市民使用のエレベーターがあって病院の地階に着く。
亭主は3階のきれいな個室で医者はある程度英語が話せるが、看護婦さんはほとんどダメ、スペイン語で会話しているとのことだった。私が行ってすぐ病院の会計士から電話が入り来てくれという。さすがは会計士英語が話せて、1000ユーロの手付け金を払ってくれという。差額は退院する時でいいからと言われすぐに支払った。スペインかフランスならば払うことはなかっただろうにと亭主の嘆くことしきり。アンドラがEU 圏に入っていないなどとはあまり知られていないのではなかろうか?
亭主は3泊入院して無事退院できた。差額は400ユーロ足らず、これがアメリカやノルゥエーならどれほど多くの医療費を払わなければならなかっただろう。一応5000ユーロくらいはと計算していたから本当にホットした。
亭主の入院中の丸2日間病院へ行ってもお昼近くからショッピングに操出し、小さな首都の町のほとんどを見て回ることができた。2年前に来た時に見つけたスーパーの2階にあるセルフサービスのレストランで何十種類ものサラダを中皿いっぱい盛り上げても3ユーロ、冷たいスープ・ガスパッチョが一杯3ユーロで毎回これ以外にほしいものがない。
ほかのカウンターには肉や魚のグリルやローストなどもあるが,歳とともに肉を食べたいという気持ちが少なくなってきている。
ウインドウショッピングで見た限りでは町のほとんどが、酒類、たばこ、香水、時計とカメラのお店。あとは若者向けのファッション衣類。タックスフリーですべて安いのだろうが何を見てもほしいものがない。
でも明るい青空で、華やかな町を歩き回り大いに楽しんだ二日だった。
亭主が退院したその夕、まだ明るい夕空に大きな半月が現れ、久しぶりの空を仰いだ亭主が見つけた。