Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

再びポルトガルへーファーロ救急病院

2018-02-27 22:19:16 | 再びポルトガルへ2017-2018

2週間前、亭主の体中に赤い発疹ができて痒くてたまらないと言う。それでタヴィラの病院へ行った。タヴィラの病院はキャンプサイトと正反対の町はずれにあり、歩いていくが、片道30分はかかる。

この日は英語のできない医者が、ろくに発疹を調べもしないでかゆみ止めにものすごく痛い注射をお尻にして、2週間分の薬をくれた。

そして2週間後発疹は盛り上がって痒く、また薬をもらいにタヴィラの病院へ行った。診療は午後3時過ぎから始まるから、病院へ着いたのが1時半。3時10分まで待ってやっと亭主はドクターに会えた。

この医者もほとんど英語ができなかったが、丁寧に調べてくれ、Urgent (緊急)と表書きした封筒をくれてすぐファーロの救急病院へ行きなさいと言う。もう3時半今からでは遅いから明日ではだめかと聞くと今日の日付にしたからすぐに行きなさいと言われた。

たかが発疹、どうしてUrgent なのだろう、仕方がないからタクシーを頼んでファーローまで飛ばして着いたのが4時20分。救急病院は50人くらいの人たちがわさわさしている。激しい咳をしている人たちや、太ったジプシー女達が10人近く声高におしゃべりし我が物顔にあるきまわる。待合室に入るドアは出入りする人たちがあまりに多くて毎分激しい音をたてる。患者を呼ぶスピーカーの音はキーンと悲鳴を上げてから聞き取れないポルトガル語で呼ぶ。

待合室に入って10分ぐらいしてから名前を呼ばれてまずはナースからの問診。ここで患者の緊急度を図られる。亭主はUrgent の手紙をもらったにもかかわらず、緊急度は5段階の4段目。グリーンの名札を腕に巻き付けられて,待ちに待った。

6時過ぎると暗くなってきても待合室の患者数は減らない。5分おきに救急車が入ってきて患者の搬入が頻繁になっている。

8時過ぎても呼ばれないから、もうあきらめて帰りの電車の時間を聞くが受付の人たちは誰も知らない。最終電車に乗り遅れたらまたタクシーで帰らねばならぬ。

近くでじっと待っている若い女性に ”何時からここで待っているのか” と聞いたら3時だという。5時間も待ってまだ医者に診てもらえないなら、私たちも何時になるか判らない、また明日来よう。と8時20分4時間で諦めて駅まで歩いた。

幸い9時過ぎの電車があっておなかをすかせて帰ってきた。

翌朝サンドイッチに飲み物も準備して、サイトの体操仲間が載せてくれた車で病院へ向かった。

10時半から待合室で待っていたがこの朝は患者数が少なく15人ほどしか待っていなかった。これでは午前中に医者に会えるかと思っていたが、12時ごろから徐々に待合室がいっぱいになってきた。おまけに昨日のジプシー女がまた数人出入りしている。

とうとう2時10分に亭主の名前が呼ばれて診療室へ入っていった。私は待合室で待つこと4時半までの6時間。ほとほと疲れてもう2度とここへは来たくないとおもった。あんなに激しい咳をしている患者など、お家で寝ている方がどんなにか早く良くなるだろうに。

4時半に薬2剤をもらって出てきた亭主は、医者4人が徹底的に見てくれて、話し合い、この薬が効かなければまた来いと言われた。診療室までの廊下一面にストレッチャーに乗って寝ている患者がズラーと並んでいて、2時間以上も時間をかけてみてくれたこの病院に申し訳ないと思った・・・・という。

かゆみが取れてきて発赤も収まってきているから、なんとしても早く治って、もう2度とあの地獄のような待合室に行きたくない。

先週金曜日発行の英語新聞にはヨーロッパ各国のナショナルヘルス(国民医療組織)の番付が載っていてポルトガルは14番目英国は15番目。ポルトガルの方が上とのことで本当に?と疑ってしまった。

ちなみに一番はオランダ、2番がオーストリア、3番がデンマークだという。

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再びポルトガルへータヴィラの旧市街散策

2018-02-27 11:43:43 | 再びポルトガルへ2017-2018

先週水曜日にタヴィラ在住の英国人によるタヴィラ歴史散策が行われた。もうすでに過去2週間でタヴィラのジラウ河を挟んで南側は散策を終わっていて、この日はローマ橋から北側を歩き歴史を説明するとのことだった。

ケンブリッジ・ペンブロック大学出身歴史学者のピーター・ブッカー氏はポルトガルに住んで10年、この地に住む外国人特に英国人が、この国の歴史をあまりにも知らなすぎると考えて、彼らを教育するために英語のツアーをすることにしたそうだ。

11時にローマ橋の上に集まった人たちは全部で28人。私は英語が少しできる隣のブリッタに誘われていった。1時間半のツアーは2.5ユーロ。

 

 

ローマ橋のすぐ近くの細道がドクター・アントニオ・カブレイラと呼ぶ名前でこのドクターがこの通りに立派な建物を建てて、図書館を町に寄付したが、この川渕は良く洪水になって本が損なわれるため、現在は南の魚市場よりの高台にある。でも今現在も町の公共の場として使われている。

 

この建物のドアノブが面白い。

内装は典型的なポルトガルのタイル張りの壁で2階への階段の両側もこのタイル張り。

 

 

来週オープンするというカフェの壁飾り。大きさにすると全長50センチ位。川渕に小さなモダンな建物がつくられた。

 川渕からこの急な階段を登ってすぐ小さな教会がある。

 

 

このサンタ・アナ教会は過去に何度か土曜日のコンサートに行ったことが有る。

この教会のスクエアに川を見下ろす小さな建物があり、これは昔海賊が襲ってくるのを見張っていたウオッチタワー(見張り台)だということ。このような小さなウオッチタワーがアルガーヴの海岸線に多くあるそうだ。急変には火をつけて連絡しあったものだという。

今まで何気なく通り過ぎていたこの建物は古いタヴィラの音楽学校があったところだそうで、現在はこの建物から500メータほど離れた、平屋の独立した建築物に移っている。

 

旧音楽学校から10メーターも離れていない大きなスクエアーはビショップスクエアーと呼ばれる。

アルガーヴのビショップ(カトリックの司教)だったマルセリノ・フランコの像が建っている。この人贅沢を嫌い、どこへ出かけるのもロバにひかせた馬車か汽車を使い、決して自動車を使わなかったという。

 

昨年クリスマスに娘夫婦が来て借りていたお屋敷の近くの小さなチャペルは、このブッカー氏が今まで訪れて一度も開いていたことがないという。今回初めてチャペル横の小さなドアーが開いていて、小さな老女が皆を中に入れてくれた。聖ブラスチャペルという。

 

 

こんな小さいチャペルがタヴィラには非常に多い。

 

 

このきれいなタイルに覆われたチャペルは、上の聖ブラス・チャペルから坂道を下ったところにあり、今まで一度も正面のドアーが開いていたことがない。15-16世紀のものだという。

このチャペルの近くに広大な建物があって、今まで小学校だと思っていた。ところがここはアルガーヴ最大の身体障碍者のための施設で元はお金持ちの女性が死後に残した庭に建築されたものだという。

この玄関付近に有った大きなリサイクルビンは壊れた電気製品をここに入れてもらって、この施設て再生して売りに出すものだという。なんと素晴らしいアイデア!!!

 

上の白い西洋長屋は、19世紀のお金持ちだったセバスチアノ・マーティンス・マストレというプレジデントが私財をなげうって貧しい人々のために住居を作ったそうで、2005年に再建されたもの。

 

なかなか有意義なツアーだったから、これからも気をつけてこんな催し物にはぜひ参加してみたい。イギリス人だけでなく、スカンジナビアやオランダ人など、英語の判る人たちが多かった。

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