ずっとこの3つを心掛けて生きてきた。
長寿の秘訣だそうだ。
他人にも機会あるごとに伝えてきた。
何かの本で読んだんだけれど…と。
ところが書名も忘れ、誰が書いたのかもわからなくては
説得力に欠けるのも確か。
ところが一昨日『死ぬための生き方』がヒョッコリ出てきたことで
その謎が解ける瞬間が来たかもしれないと直感した。
見開き左ページのこの辺りに書いてあったはず…と
記憶をたどって全頁をめくっていくと、
あったあった!
59ページに‼
明治36年生まれの三菱の重鎮大槻文平の文章の中に。
執筆したのは昭和63年85歳の時。
ちなみに大槻氏は宮城県丸森町の出身。
先ごろの豪雨で阿武隈川が氾濫し
町ごと水に浸かるという被害を受けたところだ。
私も一度訪れたことがある。
福島県に近い宮城県側だ。
中学時代は往復4里(4㎞ではない)を徒歩で通学し
鍛えた身体で一高(東大)に入った。
大学ではボート部。
人生のほとんどを三菱て過ごしたと本人が書いている。
日経連の会長も務めた。
頭書のことばはこの大槻氏のオリジナルなのかと思ったら
よく読んでみるとこれを信条にしていたのは岸信介であった。
20年を経て再読することの意義はあった。
長寿の秘訣だそうだ。
他人にも機会あるごとに伝えてきた。
何かの本で読んだんだけれど…と。
ところが書名も忘れ、誰が書いたのかもわからなくては
説得力に欠けるのも確か。
ところが一昨日『死ぬための生き方』がヒョッコリ出てきたことで
その謎が解ける瞬間が来たかもしれないと直感した。
見開き左ページのこの辺りに書いてあったはず…と
記憶をたどって全頁をめくっていくと、
あったあった!
59ページに‼
明治36年生まれの三菱の重鎮大槻文平の文章の中に。
執筆したのは昭和63年85歳の時。
ちなみに大槻氏は宮城県丸森町の出身。
先ごろの豪雨で阿武隈川が氾濫し
町ごと水に浸かるという被害を受けたところだ。
私も一度訪れたことがある。
福島県に近い宮城県側だ。
中学時代は往復4里(4㎞ではない)を徒歩で通学し
鍛えた身体で一高(東大)に入った。
大学ではボート部。
人生のほとんどを三菱て過ごしたと本人が書いている。
日経連の会長も務めた。
頭書のことばはこの大槻氏のオリジナルなのかと思ったら
よく読んでみるとこれを信条にしていたのは岸信介であった。
20年を経て再読することの意義はあった。