りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

お別れの手紙。

2010-12-04 | 葬式 親族の手紙
対人への伝達方法の主流がメールになった昨今でも、
たまに手紙を書くことがある。

今年も、何枚か手紙を書く機会があった。
お礼の手紙。季節の手紙。お詫びの手紙。そういえば、
ファンレターも書いたっけ(笑)

そして、別れの手紙も。

今年の9月21日。
祖母が他界した。

その葬儀で、僕は祖母への「お別れの手紙」を朗読した。
いわゆる通常の葬儀でいえば、弔辞にあたる。
遺族、しかも故人の孫が弔辞を読むことなど異例な
ことは承知の上だったのだが、祖母の葬儀は、参列
してくださった方もその大半が親戚で、しかもその
人数も50人にも満たない程度の葬儀だった。
語弊があるかもしれないが、おとなしい性格で
晩年、背中が曲って小さくなった祖母らしい、質素で
小規模な葬儀だったのだ。

だから、弔辞の代わりに「お別れの手紙」を僕が読んだ。

別に自分から提案したわけではなかったのだが、様々な
葬儀の打ち合わせを進める中で、自然な流れでそうなった。
そして最後には、自分から葬儀の場で読むことを決めた。

手紙は、読んだ後、出棺の時に棺の中に入れた。
だから、もう、今は手元にはない。
しかし、今も僕の頭の中には一言一句、しっかりと残っている。
烙印を押されたように、心に焼き付いている。

僕は、今日、このブログにその手紙を書こうと思う。
今年、最も僕が迷い悩みながら、絞り出すように言葉を
綴った手紙だ。

ここにその手紙を文字として表すことによって、僕の中の
祖母への想いをしっかりと残しておきたい。
今年僕に起こった大きな出来事のひとつであった「祖母の死」
を、しっかりと心に刻んでおきたい。
そして、それと同時に、90年という途方もなく長い年月を
まっすぐに生き抜いた「小川ミサエ」という一人の女性を、
このブログを読んでくださった方々に知ってもらいたい。

だから僕は、祖母への「お別れの手紙」を以下に記します。

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お別れの手紙

「男がビービー泣いたらいけん!」
おばあちゃん、憶えていますか?
私は今でもハッキリと憶えています。
あれは僕がまだ2歳か3歳の頃、当時、小さな工場を経営していた
おじいちゃんを手伝うために母が仕事へ出かけて私が一人淋しく
泣いていた時、あなたが私に言った言葉です。
今年で41歳になる私の記憶の最下層に今も息づくこの言葉。
さすがに今日は守れそうにありません。
まずはそのことをあなたに謝ります・・・おばあちゃん、ごめんね。

おばあちゃん、私はあなたほど強く、自分に負けなかった人を他に
知りません。
私が知り、また周りの人から教えてもらった限り、あなたの人生は
まるで辛酸と苦渋を舐め尽すような一生でした。
背中に大きな荷物を背負い、両手に重い荷物を持ち、長い長い坂道を
いつまでもいつまでも登り続けるような人生でした。

でも、あなたは決して弱音を吐かなかった。

私が知る限り、あなたが愚痴をこぼしたり誰かの悪口を言っている姿を、
私は一度も見たことがありません。
自身に起こった出来事を、自分の運命として静かに受け入れ、そして
どんなに向かい風が強くても、自分の両足で立ち、そして常に前を向
いてあなたは歩き続けました。
私は今ならハッキリと言えます。

おばあちゃん、私は、あなたを尊敬しています。

そしてあなたの血が私たちや私たちの子どもたちに受け継がれていることを
私は誇りに思います。
その想いを胸に、これからも私たちはそれぞれの人生を、それぞれの足で、
しっかりと歩いてゆくことを、あなたに約束します。

ですからどうかその姿を、27年前にあなたを置いて早々を旅立ったおじいちゃんや、
7年前に母親であるあなたを飛び越えて先に旅立ってしまった、私にとって兄の
ような存在だった叔父たちといっしょに、遠い空の上から、いつまでもいつまでも、
優しく見守っていてください。

長かった坂道は、今日、終わりを告げます。
背中の大きな荷物も、両手の重い荷物も、もう全部、全部、降ろしてください。
そして、ゆっくりと本当にゆっくりと休んでください。

おばあちゃん、安らかに。
そして、本当に本当に、ありがとう。
さようなら。

平成22年9月23日

孫、ひ孫を代表して、あなたの初孫・りきる
コメント (2)
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