りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

1年の半分。

2011-06-30 | Weblog
今日で6月も終わり。

いや~、早かったなぁ。
ホントに、早かった。

仕事もそこそこ忙しかったけど、
プライベートも怒濤のような1ヶ月だったからな・・・。

叔父が倒れて、その介護や周辺の手伝いがあったりもしたが、
やっぱり、自分の小説刊行とポスターの個展への参加が
同時進行だったのが、キツかった(笑)

言葉とビジュアル。

この相反する表現手段を同時に動かすのは、プライベートな活動と
いえども、けっこうエネルギーを要したよ (^_^;)
例年なら、“今年は小説に没頭しよう”とか、“今年は何もやってないけど、
ポスターのデザインを秋頃からはじめようか”という感じで、マイペースに
やってきたんだけど。
自業自得というとちょっと語弊があるけど、まぁ自分が蒔いた種だから(笑)

でも、どちらもとてつもなく大きな収穫があったから、やり遂げて本当によかった。

この前、週末の土曜日に行きつけのショットバーに一人で行った。
お酒を呑みながら、カウンター越しにマスターと久しぶりにゆっくり話をした。
とりとめのない、他愛もない会話なんだけど、たまに同席したお客さんも交えながら、
その間、時間がただただぼんやりと流れて・・・。

その時、ふと思ったんだけど、こういう時間を過ごしたのは、今年初めてだった
ような気がした。

夫でも、父親でも、会社員でも、クリエイターでも、何者でもない、ただの40歳
過ぎの男に戻る時間。

どれだけ今年の前半が忙しかったのか、痛感したなぁ。

今年も半分が過ぎたけど、後半は前半より少しペースダウンさせたいと思う。
もうちょっとゆっくり、時間を使いたいですね。
空や海や山を眺めながら・・・。
あ、あと家族といっしょに(笑)
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代々木。

2011-06-29 | Weblog
先週行った、東京でのこぼれ話を。

初日の夜、クリエーターの懇親会で盛り上がって、午前1時過ぎに寝たのにも
かかわらず、旅先での宿泊だったからか、翌朝、午前7時前には目が覚めた。

せっかくだから、散歩に出かけた。

宿を取っていたのは、渋谷の道玄坂にあるカプセルホテルだった。

渋谷にはこれまでも何度か来たことがあったが、知っている街は、この道玄坂か
センター街か公園通り沿いくらいだった。

せっかくなので、渋谷駅の方向とは逆に坂を登ってみた。

登りながら通りをクネクネと勝手気ままに歩いてゆくと、スペイン坂にたどり着き、
FM東京のあのスペイン坂スタジオの前に出た。

完全に、おのぼりさん。
感動している自分がいた(爆)

そのまま道なりに、というか、相変わらず勝手気ままに坂を上ってゆくと、CCレモン
ホールが視界に入った。
CCレモンホールか・・・地方の人間だけど、やっぱり世代的に、渋公・・・「渋谷公会堂」
というネーミングの方がしっくりくるなぁ。

そんなことを思っていたら、すぐ隣に見えてきたのが、NHKとNHKホール。
へぇ~、渋公とNHKホールって、こんなに至近だったんだ・・・と
またまたおのぼりさんはビックリ。

今のミュージシャンは知らないけど、僕らが10代の頃に貪るように聴いていたミュージ
シャンたちは、この両方のホールでのライブ公演を成功させることがひとつのステイタス
のようなものだった。
そして、このふたつのどちらかのホールでのライブを成功させたミュージシャンには、
ほぼ自動的に1年以内には「武道館公演」という大舞台への切符が約束されていた。

ボウイ、レベッカ、バービーボーイズ、爆風スランプ、佐野元春・・・etc.
彼らが初めてこれらのホールで最初にライブを演った年を、僕はすべて憶えている。
あの頃、僕はホントに音楽が好きだったんだなぁ・・・と思いながら足を進めた。

そんな風に歩いていたら、しばらくすると広大な緑の公園が視界いっぱいに広がった。

代々木公園だった。

明らかに人工的に作られた緑の公園だが、ビルとアスファルトばかりの中で、突然
むせるような緑の匂いが鼻腔に届くと、なんだか少し安堵してしまう。
「都会のオアシス」という、手垢のついた言葉を、思わず実感する。
やっぱり、人間も生き物として、緑がないと生きていけないのかもしれない。

公園内には、サッカー場や、トラックらしきグラウンドも整備されていて、まだ朝早い
時間帯なのに、すでにサッカーのユニフォームを着たオジサンや、野球のグローブを持った
少年たちが、練習か試合か分からないが、忙しく準備をしている。

広場の方に行ってみると、ベビーカーを押しながら散歩をしている若い夫婦の姿が
意外と多いのに驚いた。もちろん、1人で散策している淋しそうな男性もいたけど(笑)

ジョギングをしている人も、多かった。
公園の中だけでなく、公園の周囲の道路にも数えきれないほどのランナーが黙々と
走っている。

本当に面白い街だ。

同じ通りなのに、坂を下れば日本有数の繁華街が広がっていて、そこには夜どうし
遊びまくったピアスとタトゥーの少年少女がビルに寄りかかってたむろしている。
しかし同じ通りの坂を登りきれば、そこにはドラッグはもちろん、タバコやアルコール
とも無縁のように見える人たちが、朝早くから緑の中で身体を動かしている。

ひとつの街で、ひとつの通りで、これだけ対極的な人種が同居しているところが、
東京ならでは・・・なのかもしれない。

踵を返し、また渋谷の雑踏に戻ろうとした時、写真やテレビで見慣れた建物が
目に飛び込んできた。

代々木体育館オリンピックプール。

肉眼で見るとやっぱりスゴイ。
もう、思いっきり“THE・丹下健三”である(爆)

広島県生まれの人間にとっては、丹下健三といえば、原爆資料館や平和記念公園の
設計者のイメージが強いが、やっぱり丹下健三の代表作となると、この代々木
オリンピックプールや東京都庁となるのだろう。

そういえば、先週末と今週末、代々木オリンピックプールでは、浜田省吾のライブが
開催される。
彼も渋谷公会堂やNHKホールで数えきれないほどライブを演ってきたミュージシャンだ。
それが今や日本のロック界の大御所となって、しかもこんなバカでかいアリーナを
4日間も観客で超満員にできるだなんて・・・。

同じ広島の人間として、誇りですな。
ファンで、よかった
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君、船乗りにならないか?

2011-06-28 | Weblog
昨日の昼下がり。

仕事でクライアント先へ出かけた帰りに、港の埠頭に寄った。
絵に描いたようなブルーマンデー。
ちょっと、気分転換がしたかった。

埠頭には、倉庫と船の間を忙しく積み荷を運ぶリフトと、
港が仕事場らしきトラックが数台。
そして、そんな埠頭の風景とはちょっと不釣り合いのワゴンが
2台ほど停まっている。
たぶん、僕と同じように仕事をサボっている(いやいや、休憩だ
どこかの営業マンだろう。

埠頭の先にクルマを停めると、僕は外へ出て、煙草に火をつけた。

岸壁には、中型のタンカーのような船が1艘停泊していた。
船尾に、日本語で「◯◯丸」と書かれてあったようだが、それをペンキで
塗りつぶされ、その上からどこの言葉か分からないが、アルファベッドの
新しい名前が白いペンキで書かれている。

「◯△※□◇☆・・・」

それは、突然だった。
僕の背後から聞こえて来た。
振り返ると、小柄で小太りの中年の男が立っていた。
髪がつやつやと光っていて、顔は浅黒く、彫りが深い。
明らかに、異国の人だった。

「◯△※□◇☆・・・」

異国の男は、相変わらず早口で喋りかけて来る。
それは明らかに英語でもなければ中国語でも韓国語でもなかった。
しかし、表情には微かな笑みを浮かべている。
少なからず怒っているわけではなさそうだ。

・・・それにしても・・・あんた、誰(笑)?

そう思いながら当惑した表情でいると、耳慣れたとある言葉がその男の
口から聞こえて来た。

「◯△※□◇☆・・・インドネシア◯△※□◇☆・・・」

ははぁ~ん、この人は、おそらくインドネシアの人なんだな。
そう直感した僕は、思いきって英語で話しかけてみた。

「あなたは、インドネシアの方なんですか?」
「あぁ、そうだ、この船で来たんだ」
「でも、これ日本の船ですよね?」
「前はそうだった、でもうちの会社が買い取ったんだ、(船尾を指差して)だから昔の名前を
塗りつぶして、今の名前に変えた。“◯☆※△(よく聞き取れなかった)”って言うんだ」
「へぇ~、インドネシアは、遠いですね」
「あぁ、遠いよ」
「僕は一度も行ったことがないから、行ってみたいなぁ」
「ジャカルタは大きい街だ」
「人も多いですよね」
「ああ、でも、キレイな街だ、この街もきれいだけどね」
「ありがとう」
「君は、ここで何をしているんだ?」
「ちょっと休んでいるんです」
「休憩か?」
「はい、もうちょっとしたら、会社に帰ります」
「そうか・・・どうだ?いっそのこと、会社に帰らずにこのままこの船に乗って行かないか?」
「え!?」
「君、船乗りにならないか?」
「え?あ、あははははは・・・
「船は楽しい、それに海もいいぞ」
「海は僕も好きです、でも船乗りはちょっと・・・」
「そうか、まぁ仕事、がんばって」
「はい、ありがとう」

当たり前のことだが、この会話は流暢に交わされたわけではない。
僕は超ブロークンな文法メチャクチャな英語だし、相手もカタコトの英語だ。
でも、なんとかコミュニケーションとして成立した会話を交わして、僕はその場を去った。

そういえば10数年前の独身の頃、当時はまだ彼女だった妻とこの埠頭にやって来て、
ボーーッと二人で港の景色を見ていたことがあった。
その時も、岸壁に停まっていた中規模のタンカーに乗った異国の船乗りが話しかけて来たことがあった。
不審がりながら船乗りに近づくと、「スシ!スシ!コレ、スシ!モウ、イッパイ!アゲル!」と明らかに
スーパーの惣菜売り場で買ったような握り寿司のパックを渡されたことがあった(笑)

港は、面白い。
こんな田舎の港でもいろんな人間が交差している。

ちなみに写真は、帰り際に撮った写メ。
左側の人がインドネシアの方。
その隣の人は、どうやら海上保安庁の人のようだった。
もしかして、職務質問されてたのかな(笑)?
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東西橋。

2011-06-27 | Weblog
僕が暮らす町には「東西橋(とうざいばし)」という橋がある。

河口に近く、ヘドロが堆積した入川に架かる、コンクリート製の
何の変哲もない橋だ。
名前の由来も、この町の旧名であった東村と西村をつなぐ橋
だったから・・・という、なんとも絵に描いたような安易さ。
しかも、信号に引っかからずクルマで走れば、橋を通ったこと
さえも気づかないほどの短さだ。

しかし僕が子どもの頃は、この橋の周辺には商店や民家が立ち並び、
自動車や人の往来が頻繁で、田舎ながらも、この町随一の繁華街
だった。

まだまだ世界が狭く、自分の暮らす町が世界のすべてだった
幼い僕にとっては「東西橋」という名は、大袈裟ではなく、東京や
大阪と同じくらいのネームバリューがある橋であり場所だったのだ。

あれから30数年の時間が経て。

今でも東西橋は現存する。
添付した写真が、それだ。
橋もその下の入り川も、昔と何ら変わっていない。

しかし、周囲は変わった。

橋の東側には巨大なホームセンターがうまれ、週末になると
そこに向かうクルマが東西橋の上を終日走る。
そこだけ見れば、昔ながらの賑やかな繁華街のように感じるが、
賑やかなのは、そのホームセンターだけである。
その反対側、西側と南側の商店街は、全国のシャッター通りの
例に漏れず、店を閉めた店舗が軒を並べ、まるで“店舗遺跡”
のような様相だ。
特に橋の西側は民家と混在している地域でもあり、その民家も
戦前から終戦直後に建てられていた建物が多かったせいか、
最近になって、次々と取り壊され、浸食されるように更地が
広がりはじめた。

東西橋周辺が廃れた理由はいくつかある。

それを詳しく列挙しはじめたらキリがないので割愛するが、
ひと言でいえば、時代が変わったとしか言いようがない。

しかし廃れたと言えども、東西橋自体は、町の幹線道路上に
あるので、クルマや人の往来は激しい。僕自身、毎日クルマで
この橋を渡って通勤している。

最近になって、この「東西橋」という名前が、妙に気になりはじめた。

上述したように、本当に安易な命名をされた橋ではあるが、
別の見方をすれば、意味深な名前にも感じなくはない。

小説を書くようになってからか、それともそうなったから小説を
書くようになったのか自分でもよく分からないが、ここ数年、
世の中のよろずの相反する言葉や事象に、否応に敏感になっている
自分がいる。

朝と夜。
光と影。
プラスとマイナス。
男と女。
上と下。
右と左。
そして、東と西・・・。

東西橋。
決して交差することがない方向をつなぐ橋。つなぐ場所。
時代から取り残されかけた橋。取り残されかけた場所。

何か、書けそうな気がする。
ものすごくキザな言い方をすれば、東西橋が「私を題材にして何か書け」と
言っているような気がする。

いつか、書きたいと思う。
決して交わることがない“何か”をテーマにした物語。
書けたら、きっと面白い物語になると思うんだけど。

でも、しばらく・・・いや当分先だろうな(笑)
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光にしていいんです。

2011-06-26 | Weblog
今朝。


リビングから聞こえてきた妙な物音で目が覚めた。

寝ぼけ眼でリビングに行くと、作業服の男性が作業をしていた。
NTTの方だった。


あ、そうか。
今日は回線「光」に換える予定だったんだ。


我が家のネットの回線は、ADSLだった。しかし自分から望んで・・・というわけではない。
本当なら、最初から光回線にしたかったのだが、たまたまというか、ギリギリというか、
光回線のケーブルが僕の暮らす地区の隣の地区までしか延びていなかったのだ(-.-;)
田舎だからな・・・仕方がない。

だから我が家には、ハナから選択肢がなかったわけだ(笑)
ADSLも世間に出た当初は便利だと思った。
でもやっぱり「光」に比べると・・・。
今夏、「光」がやっと我が家のある地区まで延びた。
即行で申し込んださ(笑)

「光」が新幹線の「ひかり」なら、ADSLは「こだま」・・・いや、それどころか在来線だ(笑)
きっとこれからは、今以上に快適なパソコンライフになることだろう。

しかし、今現在はパソコンが使えない。パソコン自体を「光」用に設定していないのだ。

だからこの後、午後からパソコンの設定を換えるために家電メーカーの方が来る予定。

ちなみに、この日記は携帯からアップしております(笑)
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打ち水。

2011-06-25 | Weblog
今日は、“梅雨明けか”と誤解してしまうほどの快晴

朝からクルマを洗車したのだが、あまりの暑さにホースを家の前の道路に向けた。

打ち水。

どれだけ効果があるのか分からないが、気持ちだけでも少しは涼しくなった気がする。

でもアスファルトを濡らした水は、数分もすれば蒸発していつもの灰色のアスファルト
に戻ってしまった。

今日は、昼から家族で動物園へ。
この数カ月、個展やら何やらで、自分のことを最優先して家族のことは後回しだった
からな・・・。
今日ぐらいは、“良いパパ”にならないと(^_^;)

・・・といいながら、夜には友達と飲み会(笑)

俺、身体がもつのかよ(笑)
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りきるアーカイブス〈6〉/茜色の夕暮れに

2011-06-24 | Weblog
このブログをよく読んでいただいている方はご存知だと思いますが、
僕はこのブログの日記をほぼ毎日更新しています。

それは別に“義務”とか“責務”といったような大仰な気持ちから
ではなく、単に日々書くことがあるから、書いているだけなんですね。
それこそこのブログのタイトルのごとく、徒然なるままに。
だから、毎日更新していることに苦痛はまったくないんです。

毎日更新していると、いろんなことを書くようになります。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと、街のこと・・・etc.

その中に、昔のことを書くことがあります。

さすがに40年も人間をやっていると、知らない間に色々と経験を
重ねてきてるんですね(笑)
だから過去に経験した出来事で、“今、思えば・・・”という事も
心の中に多々浮かんでくるわけです。
このブログの日記では、そういう事も多々書いてきました。

この「茜色の夕暮れに」という作品は、このブログで書きてきた
昔のこと・・・特に子どもの頃のエピソードをテーマにした日記を
再度、小説のスタイルに改稿してまとめた短編小説集です。

だから、僕が電子書籍で発表している作品の中では、この物語たちは
最も事実に近い作品といえるかも知れません。

しかし、自分の想い出話で終わってしまったら、あまりにも主観的で
独善的な代物になるので、作品として発表する以上、上述したように
誰が読んでも共感できる作品に仕上げたつもりです。

アップロード後、購読いただいた方々からコメントをいただきましたが、
「子供の頃が走馬灯のように甦る」とか「いくつになっても変わらない
ものもあるんですね」という感想を読んでホッとした記憶があります。
あぁ、ちゃんと小説として成り立っていたんだと(笑)

この作品の中には、4本の短編賞小説が収められていますが、個人的に
一番思い入れがあるのは「カナちゃん」かなぁ・・・。

これは僕が小学生の頃の出来事をモチーフに書いた作品ですが、
あれから30年以上の時間が過ぎているのに、今でも心に異物が引っか
かっているような感じがあるんですね。
「贖罪」というと逆に先方に失礼かも知れませんが、そんな自分の中の
想いを自分が持つ出来る限りの文体で表現してみた小説です。

最後に余談ですが、これを一番読んで欲しい人・・・やっぱりそれは、僕の
小学校時代の同級生たちかな(笑)

「茜色の夕暮れに」の電子書籍サイト→http://wook.jp/book/detail.html?id=208041
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竜頭。

2011-06-23 | Weblog
写真は、僕が普段使っている腕時計。

先日、竜頭が壊れた。
前々から少しねじれていたのだけど、数日前からカチッと
ハマらなくなった。

ここがちゃんとハマらないと、いくら防水機能があっても
意味がない。

今日、仕事帰りに会社の近くの時計屋に行った。
大型ショッピングセンターの中の時計屋だ。

僕より年上っぽい店主に事情を話すと、ルーペを片目に付けて
時計をしげしげと見てくれた。

「あぁ・・・」

しばらくして店主が感嘆とも悲観ともつかない声を上げた。

「これは竜頭が折れてますねぇ」

「直りますか?」

「このブランドは、うちでは取り扱ってないんですよ。直すのなら、
直接このメーカーに送るか、もしくはうちの店から送るか・・・」

ゆっくりと言葉を選びながら話すその口調で、店主がこの時計の
修理にあまり乗る気ではないことは明白だった。
仮に依頼しても、手間賃や何やらで、予想以上の修理代を請求される
可能性もある。

僕は礼を言うと、時計を持って店を出て、クルマに乗りこんだ。

数十分後、僕は別の時計屋の前にいた。
となりの街の小さな時計屋。

僕が店に入ると、1人のおじいちゃんが店の奥から出てきた。
この店の店主だ。
僕の顔を見ると、明らかに僕の顔に見覚えがある表情になった。
僕は少し安堵して、事情を話した。すると・・・

「あぁ、大丈夫だよ、直せる直せる」

・・・と、軽い口調で店主はそう言った。

「その代わり、うちの店にある竜頭で合うヤツを使うけど、ええかね?」

僕は頷いた。
ものの30分、純正ではないが、僕の腕時計は新しい竜頭に取り替えられて、
修理は終わった。
修理代も納得のいく範疇の金額だった。

この時計屋には、昔から世話になっている。
僕は腕時計が好きで、ブランド、ノーブランドを問わずいくつか持っている。
しかしその中でも、自動巻きや手巻きの時計は壊れやすい。

そんな時、僕はこの時計屋に訪れるのだ。

なぜか?

それは、店主のおじいちゃんは、必ず直してくれるからだ。
どんな状態の時計でも、よほどのことがない限り、元通りにしてくれる。

つまり、時計の職人なのだ。

「直ったけど純正の竜頭じゃないからね、水にだけは気をつけなさいよ」

帰り際、時計の職人は僕にそう忠告した。
やっぱり純正じゃないから、完璧な防水機能は無理だったか(笑)
僕は「はい」と答えてお礼を言うと、店の外に出て、直ったばかりの
腕時計を頭上にかざしてみた。

うん。
でもやっぱり、いい。
職人の仕事は、いい。
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史上最高のラブレター。

2011-06-22 | Weblog
今日の日記は、自慢の日記です(笑)

親バカ日記です。
ええ、誰が何と言おうと、僕は親バカですとも。

昨日までの日記にも書いていた通り、先日の18日・19日は、
僕は一人で東京へ行っていた。
そして19日の午後3時過ぎに品川駅からのぞみに乗って、夜遅くに
自宅に着いた。

19日は、日曜日だった。
しかし、ただの日曜日ではなかった。
「父の日」だった。


すっかり、忘れていた・・・(-_-;)


肩にバッグを抱え、両手に土産や荷物を持ち、疲れ果てて帰って来た僕に、
もう寝ようとしていたパジャマ姿の娘が、リビングルームで一枚の紙を手渡した。

僕は身体からすべての荷物を降ろすと、その手紙を持って無意識のうちに
誰もいない部屋に行って、その手紙を開いた。

その手紙を読んだ僕は、片道4時間の旅の疲れが吹き飛ぶのと同時に、なぜかしら
両眼の奥がほのかに熱くなるのを感じた。

その手紙の中身をここに書く。
このブログをお読みのみなさん、心の準備はいいかな(笑)?

-------------------------------------------------------

父さんへ
お仕事おつかれ様!!
いつも私たちのために働いてくれてありがとう。
父さんがファッションしているすがたがカッコイイです。
長生きしてください。そしていつかおんせんに行って旅かんに泊まろうね。

PS:これからも絵を上達させます。

--------------------------------------------------------

僕は、別に家族のために働いているつもりは、これっぽちもない。
逆に自分のやりたい仕事を好き勝手にしているばっかりに、子どもたちと一緒に
いる時間を削ったり、下世話な話をすれば、収入だって、そんなに裕福だと思った
ことはない。
家族に感謝や詫びの言葉を言いたいのは、こっちの方だ。

こんな僕でも、生まれて今まで何度かラブレターをもらったことがある。
でも、こんなに暖かいラブレターをもらったことは一度もない。
断言できる。
僕がもらったラブレターの中で、史上最高のラブレターだ。

手紙を読んだあと、娘の元へ向かった。
娘は洗面所で歯を磨いていた。
娘の後ろに立つと、僕は娘の頭を撫でながら「ありがとうな♪」と言った。
今年の夏で12歳になる娘は、「もう~せっかく髪の毛をといたのにぃ~!」と
頬をふくらませた。でも、その口調は明らかに照れていた。

手紙には、僕の似顔絵が描いてあった。
似てるのかな?
情けないが自分ではよく分からないので、最後に、娘のその手紙を載せておきます。

もう一度尋ねます。
このブログをお読みのみなさん、心の準備はいいかな(笑)?

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りきる・トーキョー。(3)

2011-06-20 | Weblog
このブログにどんな風に書けばいいのか悩むほど、
濃密な2日間だった。

備忘録のように、時間軸に沿って箇条書きで
書こうかとも思ったけど、それではあまりにも
膨大&長大な日記になってしまうので、まずは
今回の上京の目的だった個展について書きたいと
思う。

6月17日から、東京で開催されていたawesome!主催の
共同個展、「ARIGTOU展」に18日・土曜日に行ってきた。

今回は僕も作品をひとつ制作して参加している。
今までも個展を開催したり、共同個展に参加した
ことはあるし、東京の「デザインフェスタ」にも
awesome!経由で参加したことはあるのだが、
「個展」となると、東京では初めてだ。

自分の作品が、東京の小さなギャラリーで
どんな風に見えるのか、とても興味があった。
どんな作品であっても、自分の創った作品は、
自分の子どもと同じだから。分身だから。

場所は東京・原宿。
正確にいえば通称・裏原宿。「裏原」である。

原宿駅で降りて、若い子たちでごった返す竹下通りを突き進み、
明治通りを横断する。
横断したとたん、ここから街の風景は一変する。

そこまでは“こどもの街”だった原宿が、いきなり“アートの街”になる。
例えが悪いかもしれないが、こんな感じなのだ↓



自分が裏原にたどり着いたことを実感した瞬間だった。
ギャラリーは、そんな街の路地の奥迫った場所にあった。



主催者のawesome!の庄司さんと再会。
仙台在住で、今回の東北大震災を乗り越えてこの企画展を開催に
こぎつけた彼女。
極論を言えば、今回わざわざ遠く広島から東京へ駆けつけたのは、
この未曾有の困難に負けずにがんばっている、同世代の彼女の
元気な顔を見たいがためだった。
開口一番、僕の口から出た言葉は「無事でよかった・・・」だった。

会場は、決して広くなかった。むしろ狭い。

しかし、それを感じさせないほど数多の作品が展示されていた。
旧知のクリエーターの作品もあれば、新しいクリエーターの作品もある。



様々なお客さんが立ち寄っていかれる中、僕の友人も何人か来て下さった。
ここ数年の間に知り合い友人になった方もいれば、東京在住の幼なじみもいた。
嬉しかった。
こういうカタチで再会できたこと、わざわざ雨の中を僕のために足を運んでくださったこと、
本当に嬉しかった。

僕の作品↓



その隣には、作品へのコメントと僕の簡単な経歴も↓



個展会場に来る楽しみに、「クリエーターとの交流」というのがある。
むしろ、そのために個展が開催される度に顔を出している気がする。
今回も、個展に参加した全国のクリエーターの方々が陣中見舞いに来られていた。

ウエツジショータローさん、西村誠さん、toytoyさん、toya chikakoさん、
富助さん、森下祐介さん、今野印刷の橋浦社長と今野さん・・・etc.

18日の土曜日、ギャラリー閉店後、都合のついたクリエーター数名で打ち上げ。



陳腐な表現しかできないが、話の花が咲きに咲いた。
そこに集っている人間は、幼なじみでも、会社の同僚でもない。
すべてクリエーター・・・つまり自分を表現する人間ばかりである。
幼なじみ同士なら、昔話に花が咲く。
会社の同僚同士なら、会社や仕事の愚痴に花が咲く。

しかしクリエーター同士は、違う。
そこには、過去も日常もないのだ。

あるのは、作品の話と、それを創った今の自分自身だけだ。
必然的にそこから生まれる話は、前を向いた話しか、ない。

それは、もう、とてつもないエネルギーを受ける。
大げさかもしれないが、自分自身の内部を駆け巡るエネルギーを
言葉に代えて口から吐き出しているようなものなのだから。

打ち上げが終わり、宿を取っていた渋谷の雑踏を歩きながら考えた。

庄司さんに会いに来た、自分の作品をこの目で見たくて来た・・・
それらはまぎれもない事実だけど、僕が東京に来た本当の目的は、
こうやって、まったく縁もゆかりもしがらみもない、だけど「ものづくり」
という共通項でつながっている人たちに会うためだったのかもしれない。

新しい人と知り合い、話ができる。

これは人間として生まれたからこそ味わえる、人生の醍醐味だと、僕は思う。
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