りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

しょっぱい散歩。

2009-10-31 | Weblog
昼下がりに、子どもたちとウォーキングがてら、周辺を散歩。

しかし、子ども2人は自転車

特に下の息子は、この1ヶ月ほどでスイスイ乗れるようになったので、

どこに行くにも、“自転車で行く”状態

自宅→市民センター(図書館)→自転車屋→スーパーとまわって、

気がつくと、海岸の岸壁に到着。

ちょっと休憩・・・と言ってもそれは僕だけで、子どもたちは

岸壁の階段で何やらして遊んでいる。

海面を覗きこんだり、指で触れたり・・・

何してるんだ

そのうち息子が階段を昇って来て、僕に報告した。

「秋の海の水も、しょっぱいんだね」

僕は、息子の頭を撫でた。

疑問に思ったことを自分で確認することは、いいことだ

しかし・・・今日は、歩いたなぁ。

帰宅したら、汗だくだく足、パンパン

いつものウォーキングが可愛く思えたよ(笑)
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なんだったんだ?7DAYS。

2009-10-31 | Weblog
このブログをよくお読みの方はご存知の通り、僕は完璧な80’チルドレンだ。

1969年生まれだから、1979年に10歳になり、1989年に20歳になった。
つまり、多感な10代すべてを、80年代に捧げた人種なのである。

今日は、バービーボーイズについて書く。

バービーボーイズ。
このバンド名を聞いて、“懐かしい”と思ったあなた・・・たぶん、なかよしになれそう(笑)
大好きだった。
ボウイ、レベッカ、TMネットワーク、ブルーハーツ・・・etc.
数多の個性的なバンドが活躍していた80年代半ばにおいて、僕は突出してバービーのファンだった。

理由は大別して2つ。
ひとつは、“色気”。
ボーカルのコンタが発する男の色気。
悩む。
どう表現すれば、彼の持つ魅力を伝えられるのだろう。
“カッコいい”という、陳腐で手垢まみれの表現しか出来ない自分が悔しい。
スタイル、ファッション、声、言動、すべてに魅せられた。
当時17歳前後だったハナタレ小僧の僕は、純粋に“こんな男になりたいなぁ”と思ったものだった。

そして、もう一人のボーカル。杏子さん
音楽に魅せられると同時に歌っている女性に魅せられたのは、後にも先にもバービーボーイズの杏子さんだけだ。
“お姉様
この言葉が、これほど似合う女性を僕は知らない。
たぶんあの頃、広辞苑を開いて“お姉様”という言葉を調べたら、きっと“バービーボーイズの杏子のこと”と
書いてあったはずだ(笑)。

もうひとつは、歌のタイトル。
当時、横文字のタイトルが常識のようになっていた邦楽の世界で、バービーボーイズの歌の
タイトルは個性的というのを超えて、もはやひとつのアイデンティティのようになっていた。
「もう、やだ!」、「冗談じゃない」、「負けるもんか」、「離れろよ」・・・etc.

口語体。

中には、そこらへんに転がっている安物の小説の題名に負けないくらいのパワーを感じるタイトルもあった。
当時、すでに“言葉”というものに対して敏感になりはじめていた僕は、これほど新鮮で、過激で、興味を抱かせる
タイトルのオンパレードに、強烈なアッパーカットを食らったような衝撃を受けた。

高校3年生の時、初めてバービーボーイズのライブに行った。
肉眼で目にしたコンタは、やっぱり痺れるほどカッコよくて、杏子さんは、見とれるほど妖艶だった。

昨年から今年にかけて、再結成して各所でライブツアーを敢行したようで、その模様を少し見かけたが、
やっぱり、相変わらず2人はカッコよく、妖艶だった。

最後に、バービーボーイズの歌の中で、僕が一番好きな歌を
今でもたまに、この歌を聴きながら真夜中にドライブすることがある。
この歌のタイトルも、秀逸だ。
奇しくも今日は、土曜日。
忙しくあっという間に過ぎた1週間の最終日を飾るには、ふさわしい歌かもしれない。
みなさん、今週も7日間、お疲れさまでした

「なんだったんだ?7DAYS」バービーボーイズ
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EDOX

2009-10-29 | Weblog
義父(妻の父)が亡くなって、来月の1日で半年になる。

以前にも日記に書いたが、義父は若い頃、腕時計が好きだったようで、
死後、タンスの引き出しの中から何十年も前の腕時計がいくつも出て来た。

その中から、アットランダムに選んで、2つほど僕も形見分けでいただいた。
ひとつはSEIKOの50年くらい前の女性用の腕時計。赤い秒針が目を引いた。

もうひとつは、“EDOX” と文字盤に刻まれた腕時計。
オールシルバーメタリックで、SEIKOの腕時計と対照的に男性的な、
“ザ・アンティーク”といった感じのシンプルさに惹かれた。

しかし、この“EDOX(エドックス)”。
今まで耳にしたことがなかったブランド名だったので、ハッキリ言って眉唾気味だった。
まぁ、義父は、ROLEXやOMEGAのような分かりやすい高級な腕時計をするような人
じゃなかったから、たぶん、ブランドもへったくれもない名称なんだろうな・・・と
思いながら、念のためネットで検索してみた。
そしたら、こんなサイトがトップに表れた↓
http://www.gm-international.co.jp/edox/

ス、ス、スイスのブランド
今はスポーツウォッチに特化したブランドになっているようだけど、昔は普通の腕時計も
製造していたようだ。

「腕時計のメーカーやブランドは、りきるくんが知っている数倍はあるからね、世界には」
これは、先日日記にも書いた、ロシアの腕時計を譲ってくれた先輩クリエーター・S氏の言葉だ。
本当に、そうなのかもしんない

この時計、お宝・・・なんだろうか
とりあえず、今付けているベルトを、もっとしっかりした皮のベルトに替えよう。
だって、今のベルトって、仕事帰りに近所の100均で買ったヤツなんで(爆)

天国のお義父さん、大事にしますからね
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TATTOO<刺青>あり。

2009-10-28 | Weblog
映画を観るのが、好きだ。

それは、映画好きだった親父の影響かもしれない。
幼い頃の僕は、実家の居間で親父の横にチョコンと座って、「月曜ロードショー」や
「日曜洋画劇場」といった、もう今は無き映画番組を、あらすじも分からないくせに
よく一緒に観たものだった。

「人生で最も影響を受けた“洋画”は何?」
もしも、誰かにこんな質問をされたら、僕は困ってしまう。
それは影響を受けたかどうかはともかく、洋画に関しては好きな映画が数多とあるからだ。
しかし「人生で最も影響を受けた“邦画”は何?」と質問されれば、たぶん迷うことなく、
僕はこの映画を挙げるだろう。



「TATOO<刺青>あり」
1982年作
製作:ATG(日本アート・シアター・ギルド)
監督:高橋伴明
主演:宇崎竜童

1979年に起きた三菱銀行人質事件に材を取った作品である。
「三菱銀行人質事件」と言っても、今では鮮明に憶えている人は少ないかもしれない。
大阪で起った銀行強盗事件だった。
当時、僕はまだ小学3年生か4年生だったが、それでもとんでもない事件が起きたらしい
ということは、10歳足らずの僕でもおぼろげに分かっていた。

この映画は、その犯人だった男をモデルにした、一人の男が破滅に向かってゆく過程を
描いた映画である。

“30歳までにデカイことをしてやる”

その言葉だけを呪文のように唱えながら生きてきた主人公・竹田明夫(宇崎竜童)は、
少年の頃から様々な事件を起こし、女性と交わり、事業を興すが、ことごとく失敗する。
そして何もかもを失い、30歳を過ぎようとしたある日。
彼は銀行強盗を画策し、そして、無謀にも決行する。

僕は、この映画を18歳の時に観た。
高校卒業を目前に控えた時期だった。
当時の僕は、大学に受かり、実家を出て念願の一人暮らしが出来ることも決まり、卒業
までの約1ヶ月あまり、夜遊び三昧の毎日を過ごしていた。
そんなある夜、誰も見ていないような時間帯の深夜の映画劇場で、この映画がこっそり
放送されていた。

ATGが作る映画が、僕は好きだった。
前衛的で個性的な映画が多く、独特なカット割りや演出を用いた作品を次々と発表していた。
ATGの映画を観て好きになった俳優も多かった。
永島敏行、原田芳雄、小林薫、森下愛子、原田美枝子・・・etc.
そんな僕だったから、この映画にもあっという間に引き込まれた。

特に心に焼き付いたのが、やはり主人公の、“30歳までにデカイことをしてやる”という台詞だった。
当時の僕には、30歳なんて、まだまだ遠い遠い存在だった。
当たり前の話だが、18歳で夜遊びばかりしていた僕に、自分が30歳になった時のビジョンや目標
なんて、これっぽっちもあるわけがなかった。
それ以前に、30歳まで僕が生きてるかどうかさえ、分からなかった。

“明日のことなんて、誰にも分からない”

何の経験もなく、何も世間のことを知らないくせに、僕は一丁前にそんな風に未来のことを考えていた。
そんな僕に、“30歳までにデカイことをしてやる”という言葉は、強烈な一撃を与えた。

30歳。30歳。30歳。30歳。30歳。30歳。30歳・・・・。
この映画を観て以降、“30歳までに・・”というこのマジックワードが、いつの間にかこの映画の主人公と
同じように、僕の頭の中にも芽生えてしまっていた。

結婚する。
父親になる。
いくつかの人生の節目になるような出来事が、30歳までに実現した。

でも、それだけだった。
だからと言って、僕自身の中に、何かとてつもなく大きな充足感が満ちることは、まったくなかった。

“なんだったんだ?”

何でも真正面から大袈裟に考えるという悪い癖のある僕は、30歳になったとたん、そう考え込んでしまい、
大きな虚無感と喪失感に襲われて、見事にうつ病になってしまった。
おかげで、僕は一時期、家族と別居し、会社も休職し、車に乗ってひとり旅に出た。

あれから10年が過ぎて、そんな僕も今年の9月で40歳になった。
今振り返れば、30歳なんて、まだガキに毛が生えた青二才にしか見えない。
まったく、人間とは都合よく出来た生き物だ(苦笑)

例の如くYOU TUBEを見ていたら、この映画のエンディングがUPされていた。
この歌・・・映画を観た後、しばらくの間、よく口ずさんでいた。
名曲だと、思う。

「ハッシャバイ・シーガル」宇崎竜童
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カナちゃん。

2009-10-26 | Weblog
昨日は、朝から地区の清掃作業だった。

僕は今年の地区の代表者なので、先頭&中心になって動いた。
溝の掃除、道路の掃除、土砂崩れの補修(マジよ)などなど。
そんな雑務の中で大半の時間を費やすのが、雑草の駆除だ。
道路の斜面や、小川の河岸に生えた雑草を鎌で根こそぎ切り抜く。
自分の背丈より高い、半分“木”のように成長した雑草を
切り抜く時は、ちょっとした快感を覚える(笑)

そんな雑草の中に、この時期は、黄色い雑草を目にする。
“セイタカアワダチソウ”という野草だ。
誰もが一度は見たことがあるだろう。(写真参照)
しかし、その野草を見た瞬間、僕の頭の中に
“喘息の花”という言葉が浮かんだ。
そして、それと同時に、とある少女の顔も・・・。

小学1年生の時のことだ。
入学とほぼ同時に転校生がやってきた。
カナちゃんという名の女の子だった。
スラッとした長身で、長い髪をいつも三つ編みにしていた。
カワイイという言葉よりも、キレイという言葉の方が似合う女の子だった。

しかし彼女には、皆と少し違うところがあった。
運動が出来ないのである。
体育はいつも欠席していた。
学校を休むことも多かった。
ほどなく、クラスの誰かが“カナちゃん、ゼンソクらしい”という
噂話を教室でまき散らし始めた。
もちろん、小学1年生の子どもが喘息という言葉の意味はもちろん、
その病気の詳細を、ちゃんと理解しているわけがない。
僕らは“ゼンソク”という言葉を記号のように覚えて、そして上っ面
の浅い知識だけで“カナちゃん=ゼンソク”と頭の中にインプット
してしまった。

子どもという生き物は、残酷だ。

自分たちとひとつでも違うと分かると、そこを徹底的に容赦なく攻撃する。
1年生の頃は、みんなと仲がよかったカナちゃんは、学年が進むにつれて、
いじめの対象になってしまった。

ある日、クラスの誰かが、新しい知識を教室に持ち込んで来た。
“道端に黄色い草があるだろ?あれって、ゼンソクの花なんだって”
その言葉と同時に、当然のように、冷たい視線の束がカナちゃんに向けられた。
当時のカナちゃんは、相変わらずキレイな女の子だったが、教室の隅で、
自分で自分の存在感を失くすように、こっそりと居る女の子になっていた。
今になって思えば、それが数年間のいじめによって身につけた、彼女なりの
処世術だったのだろう。

その言葉に便乗した誰かが、カナちゃんに向かって吐き捨てるように言う。
“おい、お前、あの草に触れたからゼンソクになったんか?”
“家で、食べてるんだろ?”
“いっぱい食べるから、家で育ててるんだろう?”
カナちゃんは机に座って俯いたまま、同級生の暴言にじっと耐えていた。

やがて僕らは小学6年生になり、そして卒業し、中学生になった。
同じ町の中学校だから、小学校の同級生もそのまま同じ中学校の
生徒になったわけだ。

しかし、そこにカナちゃんの姿は、なかった。

後日、母が僕に教えてくれた。
カナちゃんは、卒業の翌日、引っ越したのだった。
引っ越し先は、大分県だった。
大分は、カナちゃんのお父さんの故郷だったそうだ。

誰も、知らなかった。
そしてカナちゃんも、誰にも教えなかった。
誰にも何ひとつ教えずに、お別れの挨拶もないまま、
こっそりと、静かに、カナちゃんは行ってしまった。
まるで教室で存在感を消していた、あの姿そのままで・・・。

今でも、あの頃の同級生の何人かと呑むことがある。
その時、思い出したように、誰かがカナちゃんのことを口にする。

“悪いことしたな・・・”

誰かが、酒を片手に、ため息といっしょにそう呟く。
明らかに遅すぎる後悔だということは、その場にいるすべての
人間は痛いほど分かっている。

カナちゃんがこの町に訪れることは、たぶん、もう二度とないだろう。
そして、僕らがカナちゃんと再会することも、もう二度とないだろう。
だって、彼女にとってこの町には、何ひとつ、いい思い出なんてないのだから・・・。

道端の斜面に群生したゼンソクの花・・・いや、セイタカアワダチソウを
僕は、鎌で根こそぎ引き抜く。
近所の人が“手伝いましょうか?”と尋ねてきたが、僕はそれを断って、
すべて一人で引き抜いた。
今では、セイタカアワダチソウと喘息は無関係だと立証されているそうだ。

「カナちゃん、ごめんね・・・」

心の中でそう詫びながら、群生しているセイタカアワダチソウをまたひとつ、
僕は力いっぱい、鎌で引き抜いた。

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100坪。

2009-10-25 | Weblog
我が家のすぐ近くにヤブがあった。

それが先週から突然整地され、あっという間に更地になった。
近所の人の話だと、宅地として売り出されるらしい。
ざっと見て、100坪くらい。


買っちゃおうかな。


ふと、そんな考えが頭をよぎる。
今の家と土地を売って、そのお金を頭金にして・・・。
今より少し借金が増えて、ローンも長引くだろうけど、
今の家よりは広くて大きな家が建てられるぞ。
庭も広いぞ~。バーベキューし放題
カーポートにも、余裕で車を3台並べて置ける
何よりも、引っ越しと言っても、同じ地区の同じ通り沿いだから、
新しい人間関係を築く手間が省けて、ラクちんラクちん

・・・な~~んて、妄想してるうちが“華”なんだよな。

こんな妄想住宅(爆)を、堅実を絵に描いたようなうちの細君が、
“ハイハイ”って、簡単に容認するわけがないじゃないか(笑)
今の家は、中古で購入したといえども、紛いなりにも庭付き一戸建て。
狭いなりにも庭もあるし、カーポートもある。

その一方、更地になった土地はいくら田舎と言っても、面積は約100坪。
土地代、いくらするんだ?
その上に建てる家の金額は?
毎年の固定資産税は?

・・・・ほ~ら、だんだん現実に戻ってきた(爆)

みなさん、秋ですねぇ~
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BYE BYE BYE

2009-10-24 | Weblog
相変わらずYOU TUBEをダラダラと見ていたら、このPVと再会した。
今、“再会した”と書いたが、正式には、歌と再会したのであって、
PVを見たのは今日が初めてだった。

歌は、知っていた。

いや、正確には、想い出した。
それと同時に、忘れていた“あること”も、想い出した。

22歳の頃、つきあっていた女性がいた。
1歳年上の照明メーカーに勤めるOLだった。
僕はその春、社会に出たばかりで、不慣れな仕事に戸惑いながら、
右往左往の毎日を繰り返していた。

仕事柄か、彼女は残業が多かった。
僕も、就職した会社が広告会社ということもあって、彼女と同じく
残業残業の毎日で、ゆっくり会えるのは日曜日だけという状態。

お互い、20代前半の男と女である。
しかも、携帯電話もメールもまだ存在しなかった時代。
そんな状況で満足なんてできるはずがなかった。

ある日、いつもようにクタクタに疲れて深夜のアパートに帰ると、
玄関のポストに切手の貼られていない封筒が入っていた。
開封すると、中には便箋が一枚と、カセットテープ。

彼女からだった。

便箋には、僕を傷つけないように、彼女らしい優しい言葉で、
別れの言葉が綴られてあった。
僕は手紙を読み終えると、今度は同封してあったカセット
テープをコンポで再生した。

すると、この曲が、流れてきた。

カセットテープが46分だったか60分テープだったか、さすがに
もうそこまで憶えていないが、A面の冒頭にこの曲だけが入っていた。
あとは、無音。
まるで、僕と彼女の交際を象徴しているような気がした。
時間の長さに比べて、想い出は、たったひと握りだけ。

意味は、分かった。頭では。
でも、心は震えなかった。
たぶん、当時の僕には、彼女が去っていくということに対して、
心が震えるだけの余裕がなかったのだと思う。

終わったか・・・。

狭いワンルームの部屋に無理矢理入れたソファーに寝転んで、
ぼんやりとタバコをくゆらせながら、僕はその事実を淡々と
静かに受け入れた。

1年にも満たない、短い恋だった。

あれから18年。
その後の彼女の消息を、僕はまったく知らない。
結婚したのかな。
でも、優しい反面、気の強いところがあったからな。
もしかしたら、まだ独身かもしれないな・・・。
まぁ、いいや。どこかで元気でいるのなら。
元気でいてくれれば、それでいい。

「BYE BYE BYE」GO-BANG'S


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Stevie's

2009-10-23 | Weblog
広島で呑みたーーーーーーーーいっ

チョコチョコ遊びには行ってるんだけど、
新天地や流川(広島の歓楽街)には、まったく足を運んでない
最近、行ったのって・・・・ゲッ、もう1年前だ。
旧友のアンジュナやその知り合いたちと呑んで以来、行ってない

その間、東京や大阪や、もちろん自分の暮らすこの街でも呑みに出かけたけど、
広島は違うんだよ。僕の中では。
昔、住んでいたからか、どこの街角に佇んでも、“あぁ、帰ってきたなぁ~”って
ちょっと、おセンチになってしまう。
だから、そんな街で呑むのは、僕にとって格別なのだ。

昨年、アンジュナに紹介されて行った、流川のソウルバー「Stevie's 」。(写真参照)
よかったなぁ~ソウルフルで、しかもマスターもDJも常連さんもフレンドリー
そういえば、ゴスペラーズやトータス松本も広島に来ると顔を出すそうで、壁にサインがあった。

明日、土曜日の夜、その「Stevie's」でオープン11周年のアニバーサリーパーティーがある。
ゲストに和製スティーヴィー・ワンダーと言われる「木下航志」を招くという。
アンジュナから「行こうよ」誘われたが、丁重にお断りした。
行きたい気持ちは山々山々山々山々真屋響子なんだけど(すんません)、
翌日の日曜日、朝から用事があるんだよ@地区の一斉清掃 (-_-;)
行くからには、真夜中・・・いや、朝の電車の始発まで遊びたいもんなぁ~
だから近いうちに広島の仲間達に声をかけて、また呑みに行きたいなぁ。。。。
でも、そう言ってるうちに、たぶん年末を迎えるんだよね(笑)
2ヶ月なんてあっという間だもん
だって、10月も、もう終わっちまうっ(ホントに、早すぎる

そういえば、昨年「Stevie's」に行った時、とある地元のTV局のカメラクルー
入って来て、一時騒然としたんだよ。
話を聞くと、近日中にこの店をTVで紹介するとのこと。
で、そのカメラクルーの一人が僕に向かって「踊ってもらえません?撮りますから」って。
・・・・・
僕が断るわけがない(笑)
新参者にも関わらず、酔いも回って、フロアーの真ん中で、一人で踊る踊るダンスダンス
その後、「また放送予定日が決まったら、お店に連絡します」という言葉を残してカメラクルーは帰っていった。

それから1ヶ月ほど過ぎた頃、深夜の番組で「Stevie's」が紹介される日がやって来た。
TVの前に座って、視た。
店が、映った。マスターが、映った。DJが、映った。
僕は、カットされていた・・・・・

あまりの憤りと行き場のない怒りに、僕は即座にアンジュナにメールを送った。
そしたら、すぐに返信が着信。内容はひと言だけ。
「そんなことも、あるさ

今からでもいい。
深夜枠で、こっそり俺のダンスを流してくれよ。
RCC・中国放送(爆)
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夫婦。

2009-10-22 | Weblog
女優の南田洋子さんがお亡くなりになった。
享年76歳。

ここ数日の報道で、失礼ながら“もう長くはないだろう”と
思っていたが、まさか、こんなに早く逝かれるとは・・・。

芸能ニュースをご覧になった多くの方が最も関心を寄せたのは、
たぶん、ご主人の長門裕之さんの献身的な介護のことではないだろうか。
僕も、その一人だ。
南田洋子さんが危篤状態に陥った際、芸能記者の質問に答える長門さんの
口から出る言葉の一言一句が、否応に、僕の心の真ん中を射った。

「(洋子は)生涯で絶対失いたくないもの。先日、一生分のキスをしました」
「人間の機能を失った洋子のむくろでしかない。もう助からない。時間の問題です」
「洋子にもしものことがあったら、明日からどうやって生きればいいのか」
「俺の生涯で絶対に失いたくないものを失う時間を待っている」・・・etc.

人間とは、ここまで人を愛せるものなのだろうか。
ともに過ごした時間の長さの問題だろうか。
それとも、子どもの有無の問題だろうか。
・・・いや、そんな下世話な詮索はやめよう。自分が卑劣に思えてくる。

もしも今、妻が倒れ、僕が長門さんと同じ立場となったとしても、
たぶん、僕はそこまでの覚悟を決めたような言葉を口にはできない。
そこまで肝が座っていない。
きっと、ただただ狼狽するだけで、倒れて初めて、当たり前のように
いつもそこにいた妻の有り難みを、ヒシヒシと痛感するのが精一杯だろう。

僕は結婚して12年になる。
このブログを読んでいる人の中には、“まだ12年”と思う人もいれば、
“よくぞ12年“と思う人もいるだろう。

僕の周りにも色んな夫婦がいる。
高校卒業と同時に結婚して、子どもがもう成人を迎えた夫婦もいれば、
つい数ヶ月前に結婚したばかりの、新婚ホヤホヤの夫婦もいる。
いつまでも仲睦まじい夫婦もいれば、もうとっくに夫婦関係は破綻して
いるのに、社会的体裁のためだけに一緒にいる形骸化した夫婦もいる。

夫婦って、何だろう?

きっと死ぬまで答えの出ないこの命題を、たまに考えることがある。
そしてその答えは、おそらく長門さんのような状況まで経験して
達観できなければ出てこないのかもしれない。
その答えが出るまで、妻は僕を支えてくれるだろうか?
そして僕は妻を支えてあげられるだろうか?

最後に、
南田洋子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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格言。

2009-10-21 | Weblog
写真は、山口県内の高速道のSAの男性用トイレにて。

ズラーーーーっと並んだ小便器の前のひとつひとつに、

このような格言の刻まれた陶板が貼られてあるのよ。

「人の“フリ”みて、我が“フリ”直せとか」(爆)

もう絵に描いたような、グッドアイデア

ちなみに、僕が使用した小便器の格言は写真の通り。

「十人十色」。

“うん、たしかに”と頷きながら、用をたした。

ちなみにその日の僕の色は、薄茶でした(爆)



※お食事中の方、ごめんなさぁ~い (^_^;)
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