りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

何を今さら、決意表明。

2011-07-31 | Weblog
「りきるさんのブログって、変わってるねぇ」

先日、とある知人からそう言われた。
その知人は最近、僕がブログを書いていることを知って、
ありがたいことに僕のブログを過去に遡ってまで読んでくれたそうで、
その感想が、上述したような言葉だった。

知人が言うには、家族とか社会とか自分の身の周りのこととか
色々書いているけど、よくもまぁ、あんなに掘り下げて書けるな・・・と。
他の人なら、2~3行で終わるような出来事を、どうして昔の自分や
今の社会とつなげるのか・・・と。

おそらく・・・おそらくだが、知人は肯定的に言ってくださったのだと、
僕は思っている。

たしかにそうだと思う。
ネットの中には多種多様なブログが存在している。
僕が書いている「gooブログ」だけでも、現在160万ブログも存在している
(もっともその中には“開店休業”のようなブログが大半だろうけど)。

いろんなブログを覗くことがあるが、
それこそ、人によって書く内容、書き方、ボリューム・・・様々だ。
ひたすら同じテーマ(趣味とかね)を書く人もいれば、これだけ書いたら、
逆に気持ちが滅入るんじゃないか?とこっちが心配してしまうほど、ひた
すら世間や人間関係の愚痴や悪口を書き続ける人もいる。

どれも悪いとは思わないし、どれも僕には関係ない。

このブログのタイトルの「徒然草」は、もちろん兼好法師から拝借した
ものだが、僕はあの古典の「徒然草」が大好きだった。
初めて読んだのは高校時代だったが、大昔の、普通の、それこそどこに
でもいるような坊主(失礼)のなんでもない日記が、ここまで面白く、
しかも後世まで「作品」として残っているということが、ある意味、僕に
とっては衝撃的だった。

だったら、僕にでも書けるだろう・・・そう思うのが普通だろう(笑)
僕だって、普通のどこにでいるようなオッチャンなんだから。

当たり前だが、僕は、この世にたった1人だけである。
だから僕は、これからも自分のスタイルで自分の書きたい内容を自分の
文体で書いてゆく。

それだけ。
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隠れ家。

2011-07-30 | Weblog
昨夜は知人に誘われて、福山市内のバーへ行った。

店の名前は、「薔薇と迷宮」。

まるで江戸川乱歩の小説のような店名。
知人の「とにかく面白いから。昭和だから」という
行く前からの説明に、妙に興味を持ってしまった。

話を聞いたのは今週の木曜日で、「また時間が出来た時
に連れて行ってあげる」と知人は言ったのだが、こういう
ことは好奇心がうずいてうずいて身体中を駆け巡っている
時に行った方がよい。
で、早速昨夜、行ってきたわけである(笑)

店は福山駅の近くなのだが、賑やかな通りからちょっと
路地に入った雑居ビルの1Fにあった。
店の前から独特の雰囲気が空気に混じって漂っている。

店内に入った。

雑貨が陳列してある。
一見、エスニック的な雑貨屋にも見える店内。
ペンダント、ネックレス、リング、民族衣装のような
女性ものの衣類。


その奥にカウンターとイスがあった。

喉がカラッカラの僕はビールを注文。
一口飲んだら、五臓六腑を通り越え、全身の細胞に沁みわたった。

店内の雰囲気やレイアウトから、必然のようにしばらくの間は
「へぇ~」という感嘆の声を上げながら、首を360°まわして
店内を見回していた。



ピンクの間接照明、意味不明のオブジェ、黒いスキャンティを履いたマネキン、
そして店頭には雑貨や有名無名のクリエーターが創ったポストカードやグッズ・・・。
流れるBGMは、絶対に今の時代に売れそうにないインディーズの曲。
そんなモノたちに囲まれながら酒を飲む。

悪くない。
いや、悪くないどころか、心地よい。

オーナーには失礼だが、きっとすべての人に受け入れられる店ではないだろう。
普通のスナックで安いホステスが作った水割りやチェーン店の居酒屋でジョッキの
生ビールを飲むのが当たり前だと思っている人には理解できない店かもしれない。

でもこういう店で酒を飲む方が居心地がいい人種もいるのだ。
話が、はずむ。
零細企業の社長が通うスナックや、マニュアル通りの対応しか出来ない店員の居酒屋
では話さない(話したくない)ような、レアでコアな話が次から次へと湧き出してくる。

訪れるお客も、面白い人たちばかりだ。
いや、面白いというのは失礼だろう。
感性が突出していると言った方が適切かもしれない。
狭い店なので初対面ながら気軽に話しかけると、その人の空気や言葉の端々から
それを如実に感じる。

考えれば、当たり前かもしれない。
そういう店なのかもしれない。

この店の前を通った時に、人は、知らないうちにこの店自体に“取捨選択”されて
今、この店内にいるのかもしれない。
“捨”された人はそのまま通り過ぎるが、“取”された人は、狭い迷路に入り込んだ
ように常連になってゆく・・・まさしく“迷宮”だ。

路地裏の小さな迷宮。
新しい“隠れ家”を、またひとつ、見つけた気がする。
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ふたりぼっち。

2011-07-29 | Weblog
昨夜。

仕事から帰宅すると、子どもたちの姿がなかった。
妻に尋ねると、同じ町の僕の実家に泊まりに行ったという。

今までもそういうことは多々あった。
しかし、そういう場合は事前に数日前から
知っていることが常だった。
でも、今回は違う。

突然、妻と二人きり。

結婚して13年。子どもが生まれて12年。
もしかしたら、初めての経験かも知れない。

ほどなく、夕食。

4人掛けのテーブルに、食器が2人分だけ。
しかも、対面になるように置いてある。
まぁ、当たり前か。
でも、いつものゴチャゴチャと4人分の料理の小皿や中皿、大皿を
置いてある風景に見慣れているから、奇妙な違和感とちょっとした
恥ずかしさを感じる自分がいる。

いただきます。

鶏肉のフライと、突き出しのような和え物と、なぜか夏なのに豚汁(笑)
黙々と食べる。黙々と。

見事に、会話が、ない(爆)

何か話すことを考えあぐねながら箸を進めつつ、僕はビールを出す
ように妻に頼んだ。
いつもならグラスはひとつだが、今日はふたつ。
出てきたアルコールはビールではなく「金麦」だった。

「あ、もう金麦は買わなくてもいいから」

・・・と僕が言うと、妻はそのひと言ですべてを察したようで、笑った。
アルコールの勢いも手伝ってか、少しずつ言葉がこぼれはじめた。

といって、子どもたちが突然実家に泊まることになった経緯とか、
最近引っ越してきた近所の若夫婦のこととか、子どもたちの友達の
話とか、クルマの車検の話とか、そんな事務報告のような表面上の話だ。

どんな話をしてたんだろう?

妻との質量の軽い会話を交わしながら、頭の中でそんなことを考えた。
どんな話をしてたんだろう、こんな時、妻と結婚する前は。
妻が、まだ僕の“彼女”だった頃は。

同じように軽い話をしていたと思うけど、今の会話の中身よりは、
もっとそこには“意味”が介在していたような気がする。

当時は、彼女のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
彼女も僕のことを知らなかった。知りたいと思っていた。
だから、自分の中にあるその未知の部分を埋めるために、とりとめの
ない会話の中から相手のことを知ろうとしていたように思うし、
ひとつ新たに知ることで、その分彼女と近づいた気がし、そして
実際に近づいてゆくから、その会話には意味があったし、質量も
あったのだと思う。

しかしあの頃は、そんな理屈はどうでもよかった。
純粋に、会話を交わすことが楽しかったし、嬉しかったのだ。

こんな書き方をすると、今の妻との会話が嬉しくも楽しくもないような
書き方だが、けっしてそんなわけではない(笑)
ただ、そこには独身の頃のような深い“意味”がないのだ。

埋まったのだ、と思う。

独身の頃に、妻が彼女だった頃に、必死になって埋めようとしていた、
僕の中の相手の未知の部分の大半が、結婚して二人で生きてゆくために、
お互いの最低限、大切かつ必要な部分が、もう埋まってしまったのだと思う。

食事の後、ほろ酔い気分でテレビを見ていたら、自然に目蓋が重くなってきた。
「報道ステーション」見ている途中で、ギブアップ。
洗面所で歯を磨くと、洗濯物を畳んでいた妻に向かって「お先に」という言葉を
残して、僕は寝室に向かい倒れ込むように寝た。

エアコンを付けずに窓を開けていたら、柔らかい風と鈴虫の声。
静かだけどおちついた空気が漂っていた、ふたりぼっちの夏の夜。

9月には14回目の結婚記念日。
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おめでとう・・・・(T0T)

2011-07-28 | Weblog
さて、ブログでも書こうかね・・・っとPCを起動させて
ネットにつないで、最初に目にしたニュースを見て呆然となった。
今日書こうと思っていたことも、何もかも、瞬時に一気に吹き飛んだ。

おめでとう・・・と言わなければいけないんだよね、こういう時、大人なら。

おめでとう。お幸せに。
冷蔵庫にひとつだけ残っていた「金麦」を開けて、乾杯。

しかし・・・よりによって僕が一番好きな女優と妻が一番嫌いな男優が
結婚するとは・・・(-_-;)
海江田経済相のコメントじゃないけど・・・人生は不条理だ・・・onz

「俳優の及川光博さん、女優の檀れいさんと結婚」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110727-00000603-san-soci
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何も、変わっていない。

2011-07-26 | Weblog
先日の中国高速鉄道(しかし、なぜこういう時にはあれだけ連呼していた
“中国新幹線”とは呼ばないのだろう)の列車追突事故。

事故の甚大さに目を覆った人も、その後の復旧作業には目を疑った人も
多かったのではないだろうか。
そもそも、今“復旧作業”と書いたが、現地からの報道を見る限り、どう見ても
復旧作業には見えない。

これがアフリカや南米の方の発展途上の独裁国家なら“しょうがねぇなぁ・・・”と
ため息まじりに嘆くところだが、オリンピックや万博を開催し、今やGDP世界第2位の
大国になった彼の国の行為だとは到底信じられない。

その光景は復旧作業でも救援活動でもなく、まさしく証拠隠蔽にしか見えなかった。

しかしこの光景、この行動、まるでデ・ジャ・ビューのように、以前どこかで見た
気がした。どこだろう?と記憶を辿って、思い出した。

20年前の天安門事件だ。

あの時もとんでもない行為をしておきながら、数週間後には何事もなかったような
顔をしていた。

変わっていない。

20年も過ぎたのに、彼の国は、何も変わっていない。
いくら現在の世界が、彼の国抜きでは動かなくなるほどの大国になったといっても、
中身は20年前・・・いや、彼の国が発足した時から何も変わっていないのだろう。

まるで身体だけ先に大人になってしまった、子どものような国だ。

それでも、今回の一連の事故の報道の中で、ひとつだけ光明のような光景を目にした。
鉄道省の記者会見の席で、会見を打ち切って一目散に退席しようとする担当者に向かって、
怒号を発する記者が多数いたことだ。
ひと昔前、それこそ天安門事件の頃には考えられなかった光景だ。
言論統制が厳しい(というよりもほとんど言論の自由がない)彼の国のマスメディアに
おいて、少しずつそういった部分から変わりはじめているのかもしれない。

そういった“ほころび”が少しずつ広がり、“ひび”が入り、いくつもの“穴”となって、
そこから民主化が進み、最終的には政治も経済も、いつかは完全な自由を彼の国も
手に入れるのかも知れない。

もっとも、それが世界において良いことなのか悪いことなのか、今はまだハッキリと
明言はできないけど・・・。
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アナログテレビ。

2011-07-25 | Weblog
昨日、ついに完全移行したテレビの地デジ化。

我が家は、最初の地デジ対応のテレビを6年前に
購入(なんとブラウン管!)したのだが、
“やっぱり1台じゃ困るだろう”ということで、
先日駆け込みで、もう一台購入した。

しかし、両方ともリビングルームや客間(和室)用
なので、自分の部屋のテレビは買えずじまいで、
この度の地デジ化を迎えてしまった。

写真のテレビが、その自分の部屋のテレビなんだけど、
実はこれ、妻が独身時代に使ってたヤツで、14型で
しかもなんとビデオデッキ付き。
そう“テレビデオ”なのである!

今でもリモコンもデッキも壊れておらず、普通に使える。
しかし、肝心なテレビは、もう二度と見られない(笑)
地デジチューナーを付けようかとも思ったが、そこまで
する必要もないだろう・・・と。
だからといって、こんな現役バリバリ(テレビが見れない
のに“現役バリバリ”もおかしいが)のテレビを破棄する
のは忍びない。

よし、決めた!

安いDVDプレーヤーを購入しよう。
で、このテレビはDVDとビデオ専用のテレビにするのだ。
1階のリビングでは、子どもたちがうるさくて、ゆっくり
映画や音楽のDVDを観ることなんて出来なかったから。
あ、あと、絶対にリビングで観れないDVDとかもあるし(爆)

単に貧乏性なだけなのか、それとも物持ちがいのか分からないが、
このテレビには、もう少し頑張ってもらうことにしよう
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クッタクタ。

2011-07-24 | Weblog
昨日から今日にかけて地元の地区の夏祭りで。

今年、我が家は子供会の役員なので、自動的に祭りの役員でもあるわけで。

昨日は、神社の境内でひたすら焼鳥を焼いて売ってました。盛況だったよ。
売れるわ、売れるもう独立開業できるかもしんない(笑)
今日は、子供たちの神輿。
地区を練り歩き、地区のみなさんからおさい銭をいただいて。
恥ずかしいのかどうなのか、子供たちは「声」を出せないので、神輿を先導しながら「ワッショイ」という神輿に必須の声を出してたら、身体中のエネルギーをほぼ全て消費してしまった・・・。

もっとも神輿で練り歩いていた時、面白い印象的な出来事もあったんだけど。
でもそれは書けたら後日に。

今日はこれ以上書けないくらい、もうクッタクタ・・・

夏祭りは、やっぱり主催するより参加する方がいいね(苦笑)
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忍。

2011-07-23 | Weblog
一昨日から話題になっている海江田経産相の手のひらの「忍」の字。

同情する意見もあれば、嘲笑する意見もある。

真相は、どっちなんだろう?

前者の意見の方々は、“管首相がブレまくってるから、海江田さんも
大変なんだなぁ、なんとか自分を自制させるのに必死なんだろうなぁ”

・・・まぁ、そんな心情なのではないだろうか。

ついでに“どうしようもない上司を持つと、部下は大変だ”と、日常の
自分とオーバーラップさせているサラリーマンも多いような気がする。

後者の意見の方々は、“国会の質疑という場なら、手のひらに書いた字が
テレビやカメラに映ることは自明じゃないか、ああやって自分は頑張って
いることをアピールしているだけだ、安易なパフォーマンスに過ぎない”

・・・まぁ、そんなところではないだろうか?

で、真相はどっちなんだろう?
それは、分からない。

でも、この行為からいろんなことを推測することはできる。

例えば、今回の管首相とのゴタゴタで、皮肉にも次期首相に海江田氏を
推す声も出はじめているそうだ。

仮に前者の意見の通り、自分を自制するために手のひらに書いた文字が
たまたまマスメディアに流れてしまったのならば、海江田氏は首相の器
ではない、と僕は思う。

手のひらに書いた文字は、非常にセンシティブで個人的な文字のはずだ。
誰にも見せてはいけない文字のはずである。
それを、国会という政治家にとって最も大切な場所で見られてしまったのだ。

こんなに恥ずかしいことはないぞ。

あまりにも脇が甘すぎる。
そんなことさえも想定できない人間に、今のこの国を任せることなど到底
できない。

では、仮に後者の意見の通りならばどうだろう。
たしかに安易なパフォーマンスではあるが、それを見た国民が自分をどう
思うか、それなりに予想した上で行動に移したのではないだろうか。

面白い。

少なからず、人間の機微というものや世の中の情勢を推察する力をそれなりに
備えた人のように思える。

海江田氏が政治家になる前は経済評論家としてテレビのコメンテーターなど
でも活躍されていた。
そんな彼が政界に入ったのは、1993年の衆議院選挙でだった。
日本新党から出馬して当選した。
あの日本が大きく変わった選挙と海江田氏の当選した時の様子は、今でもよく
憶えている。

ひと昔前のように、良し悪しにつけて政治家らしい政治家がいなくなった日本。
さて、海江田氏は、いったいどっちの政治家なのだろう。
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りきるアーカイブス〈9〉/四〇六号室

2011-07-22 | Weblog
人間も40歳を越えると、自分の内外にいろんな変化が否応に
起こりはじめるんですね。

自分自身で言えば、色々と物事を考える力や引き出しが増えた
けど、その一方で体力が落ちはじめたことを痛感したりとか(笑)
肩こりや腰痛も持病のようになるし、あと、老眼の足音も近付き
つつあることも感じはじめたり。

周りを見回しても、友達の中には、起業したり親の後を継いで
会社の社長になったヤツもいれば、40歳を過ぎても無職のヤツも
いるし、家庭が破たんしたヤツがいれば、不条理な借金を背負い
こんだヤツもいるし、心や身体が壊れたヤツがいれば、すでに
亡くなってしまったヤツもいますしね・・・。

良し悪しにつけて、人生の苦みが少しずつ口の中に広がりはじめてる
ことを実感しながら日々を過ごしている・・・そんな感じがするんです。

そういった30代後半から40代にかけての人間模様を書いた作品と
しては、以前にもこのブログで紹介した「中古家族」という小説が
あるんですが、この「四〇六号室」は、そんな人生のど真ん中の
世代を、もっとクローズアップさせた作品だと自分では思っています。

クローズアップさせた・・・といっても、40代、いわゆる“アラフォー
世代”の辛さや酷さをこれでもかこれでもか、と書いたわけではなく(笑)、
今読み返しても、文体や構成が、それまでの作品と違って客観的で、
淡々と物語が進んでゆく、自分で言うのもなんですが、不思議な作品に
なってますね。
その要因は何なのか自分自身ではハッキリとは分かりませんが、その
ひとつに、物語の中での主人公とタイトルにもなった「四〇六号室」
との関係があることは確かだと思います。
こんな物語の作り方は、初めてでした。
新しい書き方を会得したからか、執筆中は、自分でも興奮してましたね(笑)

「四〇六号室」というのは、実は僕が学生時代に過ごしたアパートの
部屋の番号なんです。
この小説の中にも20歳の頃の主人公のエピソードが出てくるけど、その
空気や20歳の頃に僕が思っていた心情は、作品の文中で主人公が吐露した
心情そのままだったと思います。

“命の重さは、今よりはるかに軽かった”という挑発的な言葉を書いてますが、
僕は本当にそう思います。
命の重さは、若い頃の方が絶対的に軽い。それは良い意味でも悪い意味でも。
だからこそ、30代40代50代・・・と、時間を重ねるに連れて人生の苦みは口の
中に広がり続けるし、それに対して折り合いをつけて生きてゆく知恵もまた、
増えていくのだと思う。

この小説は、今年の6月に上梓した、僕の作品の中では最も新しい作品ですが、
この2ヶ月間、僕が発表した10作品の中で、アクセス数を常に1位か2位をキープし
続けています。
作品を発表するごとに、ヘビーな作品になりつつある中で、おそらく最もヘビー
かも知れないこの作品が、常に上位に位置していてくれることは素直にありがたいし、
嬉しく思っています。

上梓した時の日記にも書きましたが、この作品の装丁も僕がデザインしたんですが、
ものすごく気に入ってるんですよ。
この小説が持つ、独特の空気感を上手く表現できたような気がしてます。
いやぁ、我ながらよく創ったなって、自分で自分を褒めてあげたいです(笑)

「四〇六号室」の電子書籍サイト→http://wook.jp/book/detail.html?id=211874
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今年もアロハを出しました。

2011-07-21 | Weblog
タイトル通りです(笑)

梅雨も明け、台風も過ぎたので、
今年もアロハシャツをタンスの中から
引っぱり出しました。

アロハシャツ、好きですねぇ。
以前は何着も持っていた時期があったけど、
いつの間にか取捨選択したみたいに、
今は、お気に入りのこの1着だけ。

何才までアロハシャツが着れるか分からないけど、
できれば、ポロシャツよりはアロハシャツの
似合うおじいちゃんになりたい(笑)

おじいちゃんじゃないけど、所ジョージさんなんて
格好のお手本のような人だよね♪

“似合う or 似合わない”は、外見だけで決まるわけじゃない、
ということが最近になってやっとこさ分かりはじめた。
これからもセッセと内面を磨かないといかんな
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