りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

メルカルトル図法。

2014-05-30 | Weblog
先日、とある商店の軒先の自動販売機でコーヒーを買おうとした時、
視界の端に懐かしいモノが入った。

それが、上の写真。
世界地図。

店の軒先に何で世界地図が貼ってあるのか理由は分からないけど、店自体、
以前は駄菓子屋を営んでいたような佇まいなので、もしかしたら店に
やって来る子どもたちのために掲示していたのかもしれない。
それにしても、もうずいぶん前に貼ったモノなのだろう。
長年風雨に晒されて、見事に色褪せていた。

こういった地図は、“メルカルトル図法”というのだったろうか。
赤道周辺は正確なのだけど、南北の極点に近づけば近づくほど、
陸地がデフォルメされたように巨大になってしまうのだ。
そんなことを知らなかった子どもの頃、北極近くのグリーンランドを見て、
“こんなに大きな陸地なのに、なんで大陸の仲間に入らないんだろう?”と、
幼いワタシは真剣に考えたことがあった。

最近、この手の地図を目にすることが少なくなった。

もしかしたら、教科書とかには今でもメルカルトル図法の世界地図は掲載されて
いるのかもしれないが、大人になってからというもの、ほとんど見ることがなくなった。

先日の日記にグーグルマップやストリートビューのことを書いたが、結局、そういった
リアルすぎるほどリアルな地図を用いることの方が多くなってしまったからかも知れない。

たしかに、グーグルマップもストリートビューも便利だ。

住所を入力すれば瞬時に場所が分かるし、行ったことがない場所の前後左右の景色さえも、
まるで訪れたような錯覚になるほど丸分かりになってしまう。
ついでに言えば、映りたくない人物までもが、知らぬ間に映ってしまうこともある(笑)

でも、なぜだかワタシは、メルカルトル図法で描かれた地図の方が、好きだ。

子どもの頃の経験から、単に愛着があるだけなのかもしれない。
でも、ページをめくって地図の上に記された様々な国や山脈、海、砂漠を指でなぞりながら
辿る世界旅行は、まだ自分が知ることができない世界が外部にはひしめいていることを、
ワタシに想像させてくれた。
そんなふうに地図を見ている過程で、グリーンランドが本当は東南アジアのボルネオ島と
同じ程度の大きさなのだと知った時の驚きは、今でもよく憶えている。

グーグルマップやグーグルアースを使えば、グリーンランドを大陸と勘違いして考え込むような子どもが生まれることは、これからはなくなるだろう。
しかし、勘違いから遠回りして憶えた知識は、ちょっとやそっとでは忘れないことも、ワタシはグリーンランドから教わったような気がしている。

リアルな情報は、クリックひとつで過分に手に入れられるようになった。
でも、ささやかな好奇心や想像は、クリックひとつするたびに削られてゆくのかもしれない。

・・・と、まぁ、講釈はこれくらいにして、今宵もまた、ストリートビューで自分の姿を
見てみようか(爆)
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なりきる。

2014-05-29 | Weblog
写真は、近所の寺に掲示されていた紙。

そこそこ(いや、もう十二分にか?)大人になったはずのワタシにとって、
今でも決定的に欠けているのは、もしかしたら、これかもしんない。

柔軟、要領、迎合、妥協、風見鶏・・・さて、どの言葉を当てはめようか(笑)?
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乱れ髪。

2014-05-27 | Weblog
イラストを描いた。

・・・といっても、ネットの中に存在する著作権フリーの素材をパーツに使って、
それらをアレンジしながら創ったコラージュのようなもの。

でも、いい感じゃない?と自画自賛。

昔はもっと直線的で、しかも自己満足なイラストばかり描いていた気がするけど、
少しずつ変わりはじめてるのか。
もっとも、これを成長と呼ぶのか、はたまた老化と呼ぶのかは、分からないけど(笑)

ふだん仕事でもイラストを描くことがあるが、それは自分のためではなく、あくまでも誰かのため。
たまには、自分のために好きなようにイラストを描くのも悪くはない。
最近、そんな余裕がなかったことにふと気づいた、梅雨入り前の曇り空。

ちなみに、このイラストの制作中、頭の中でずっとこの曲が流れていました。

大滝詠一「乱れ髪」
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吉備路。

2014-05-25 | Weblog
昨日は、お隣の岡山県へ。

久しぶりに吉備路に訪れた。

歴史好きの息子のリクエストで、羽柴秀吉が水攻めした備中高松城址や、そこら辺(ホントに至る所にある)の古墳をまわったりしたのだが、今回の吉備路訪問の目的はここ↓



吉備津神社。

至近の最上稲荷とどちらに参拝しようかと迷ったのだが、結局歴史が古い方の神社を選んだ。
しかも、ご祭神の吉備津彦命は、桃太郎のモデルだし(あまり、関係ないか)

ちょっと(いや、相当)気が早いかも知れないけど、娘の受験祈願。
直前になって藁をも掴む気持ちで“とにかくお願いします”と祈るよりは、“勉強がんばりますから、どうかご加護を・・・”と祈った方が神様も願いを叶えてくれるような気がする(笑)

娘は、お守りを購入して、絵馬も奉納したようだ。
おみくじも引いたみたいだが、結果を教えてくれなかったから、たぶん大したモノではなかったのだろう(笑)

もうすぐ6月。
梅雨入りも間近。
ニュースによると、今年の梅雨は長引くらしい。

爽やかな天気の中、家族で出かけるのは、ひとまずこれで一旦ひと休みかも。



上の写真は、昼食で入った店のモノ。
これ、天ぷらうどんです。
ワタシは仕事の時に何度か来店したことがあったのだけど、家族は未体験だったので、
一度食べさせたかった。

ワタシ的には、ここのうどんを食べるのが目的だったかもしんない(笑)

⚫︎手打ちうどん たぐち〈食べログ〉
http://s.tabelog.com/okayama/A3302/A330204/33000142/
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土佐の石。

2014-05-23 | Weblog
今月初めに行った、日帰り高知旅行。

個人的に印象に残ったのは、やっぱり海だった。



島や岬に囲まれた瀬戸内海で暮らす人間にしてみれば、やっぱり水平線の見える海というのは新鮮で、
眺めているだけで気持ちが洗われるような気がする。
上の写真は、景勝・桂浜のはるか東の海岸。
観光地でもなんでもない場所だからか、人は誰もいなかった。
そんな海岸にクルマを停めて、しばらくワタシは海を眺め、子どもたちは瀬戸内海とは明らかに違う
男性的な波が打ち寄せる波打ち際で遊んでいた。



海岸を見ていて、ふと、思った。

砂浜が、瀬戸内海とは違うのだ。
瀬戸内や中国地方を形成する地質はその大半が花崗岩なので、風雨に脆くて、砕けた岩は細かな粒子のようになる。
だから瀬戸内海の海岸を覆う砂は、薄い肌色のような細やかな砂なのだけど、土佐湾の海岸は、全くと言っていいほど砂がない。
その代わりに海岸を覆っていたのは、手の平に収まるくらいの大きさの丸い褐色の石ばかりだったのだ。
おそらく地質学的なことが要因なのだろうけど、そんな石が広がる海岸を見ていると、まるどこかの河の中流あたりの河岸で
遊んでいるような錯覚をしてしまいそうだった。
この手の分野に精通している人にすれば、別に珍しいことでも何でもないのかもしれないが、子どもの頃から理科が大の苦手だった
ワタシは、足下に転がる数個の石を手にすると、高知旅行のささやかな記念として持ち帰った。

先日。

仕事から帰宅してリビングに入ると、テーブルの上に土佐湾で拾ったその石達が置いてあった。





・・・・間違いなく、娘の仕業だ(笑)
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ストリートビューに・・・。

2014-05-21 | Weblog
何げなく、Googleマップにアクセスした。

仕事で頻繁に使うのだけど、最近“ストリートビュー”を見ていなかったので、
久しぶりに見てみた。

驚いた。

いつの間にか、ワタシが暮らしている地域も隈無く網羅されていた。
ここはもちろん都会ではないし、本土に近いと言いながらも瀬戸内の島なので、
おそらく半永久的にボヤ~~とした航空写真だけで、ストリートビューで
表示されることなんて夢のまた夢だと思っていたのに。

こうなると、お決まりのごとくGoogleマップ内でお散歩(笑)

実家に行ったり、かつての通学路を通ってみたり。
長く暮らしていても、一度も足を踏み入れたことがない場所も、
Googleカー(というのか?)は細かく走破していて、ヒジョーに興味深かった。

さながら、ふるさと新発見。

で、最後に肝心要のわが家へ移動してみた。
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    マジで!?
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    ウソでしょ!?
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・・・・おもいっきり、ワタシ、映ってる・・・
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値踏み。

2014-05-20 | Weblog
先週から、娘は毎日塾に通っている。

通常なら毎週水曜日だけなのだが、中間試験対策だそうで。
これが中1なら、そこまで大仰なスケジュールにはならないのだろう。
しかし、娘は現在中学3年生。
“受験”のスタートラインに立ったばかり。
塾はもちろん、当事者の娘も“最初が肝心”と、言ったところか。

毎回、行きは妻が車で送っているが、帰りはワタシが迎えに行っている。
別にそれはワタシが子煩悩な父親だからではなく、娘が通う塾がワタシが
勤める会社の至近にあるからだ。
しかも塾が終わる時間が午後8時前後なので、こちらも仕事が終わる時間と
ほぼ合致している。
・・・なので、ここ数日は仕事帰りに塾へ寄って、娘を乗せて帰宅する毎日
を送っている。

帰りに車の中で、娘と会話する。
塾が終わった直後なので、娘の口から出る言葉も、必然のように勉強のことや
将来のことになってしまう。

心なしか落ち込んだ口調で、娘が呟く。
「今のままじゃ、志望校に受かる可能性は低いんだって・・・」

「そうか・・・まぁ、がんばれ」

情けない。
こうやってブログをずっと書いているし、仕事でコピーライター紛いのことも
やっているし、プライベートで小説を書いて何度か賞も穫っているくせに、こう
いった肝心な時には気の効いた言葉が見事に何も浮かんでこない。

しかし、そのままでは娘を突き放したような状態になるので、なんとかフォロー
しようとする。
だが、口から出てくるその言葉が、毎回あまりにも定型的なことにこの前気づいた。

必ず頭に「お父さんが中3の時は~~」という枕詞が付くのだ。

「お父さんが中3の時に通っていた塾は~~」とか、
「お父さんが中3の時の◯◯高校の偏差値は~~」とか、
「お父さんが中3の時に苦手だった科目は~~」といった感じで。

見方を変えれば、娘も成長して、ワタシ自身の記憶に今もリアルに残る年代に
なりはじめたからこそ、そういった例え話(?)もできるのだろうけれど。
しかし、30年のブランクがある話がどこまで娘の中に染み込んでくれているか
皆目検討がつかないのも事実。

これから夏休みを境に、塾の受験モードはますます拍車がかかってゆくことになるのだろう。
それに合わせて、娘のテストの点数や、偏差値や、志望校への合格ラインと実力の差といったものが
もっともっと露になってゆくのだと思う。

いわば、娘は、人生で初めての“値踏み”をされてゆくのだ。

当然ながら今まではそんなモノとは無縁の生活だったけれど、これをきっかけに否応に関わらず、
自分が他者と比較される日々になるのだろう。
大げさかもしれないが、今、娘は社会の入口の端っこの方へ立っていると言えるのかもしれない。

だって、社会に出れば値踏み値踏みの毎日なのだから。

しかし、本当の自分の価値というものは、そんな杓子定規な値踏みを越えた向こう側にあるということを、
十分に大人になった人間ならば知っている。
できればそういうことに気づいて欲しい・・・と14歳の子どもに求めるのは、まだまだ時期尚早なのだろうと
自分でも思う。

娘よ。
とにかくこの1年は、丸裸の自分の実力と対峙しなさい。
しっかり向き合ったら、何か見えて来るものが必ずあるだろう。

そんな父からお前に贈る言葉は、やっぱり・・・

まぁ、がんばれ。
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初夏。

2014-05-17 | Weblog
今日は、息子の小学校の運動会。

・・・といっても、現在小学校では新校舎建築中で、
グラウンドが使用できないので、今年に限り、至近の
中学校のグラウンドを借りて開催された。

まぁ、この中学校は娘が通っているし、何よりも
ワタシも卒業生なので勝手知ったるもの。

しかし、それはワタシだけではないようで、テント裏には
保護者となった小・中学時代の同級生がチラホラいて。
毎年のことながら、恒例の少人数の同窓会が散発的に
開かれていた。

それにしても、かつての中学時代の同級生達と30数年後に
共に学んだ中学校で会うのは妙な気分だ。

時間や空間の感覚がマヒするのか、途中の20代、30代が
気持ちがいいほど端折られて、40代なのに瞬時に10代の時と
同じ空気になってしまう。
懐かしいような、困ってしまうような・・・。

おかげで、かつての同級生たちとの他愛もない会話が長引いてしまい、
息子が出場していた騎馬戦を見逃してしまった。
いったい、オレは、ここへ何をしに来たのか・・・本末転倒(笑)

このブログは、そんな小中学時代の同級生で今は故郷から遠く離れて
暮らす人たちも読んでくれているので、ここでサービスカット。
昔の面影が残る中学校の風景を、運動会の合間に撮影。









今振り返れば、中学時代は、ちょうど今ごろの季節のような・・・つまり、
人生の“初夏”だったような気がする。
カラッと晴れた空に輪郭を縁取る古い校舎を見上げながら、そんなことを思った。
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右向け右。

2014-05-14 | Weblog
誰でもそうだと思うけど、平日の朝は慌ただしい。

それでも、新聞を読みながら朝食を食べて身支度を終えた7時30分から10分程度、テレビを視る。

これが、最近、ヒドい。

何がヒドいかと言うと、どのチャンネルに合わせても、同じような番組内容ばかりなのだ。
どの番組も早朝からの長時間番組だからその時間帯にもよるのだろうけど、ワタシが視聴する時間帯は、
どの局のどの番組も、だいたいファッションや芸能や巷の噂話ばかり。
とどのつまり、今日一日を過ごすにあたって知っても知らなくても何ら支障のない薄~~~~い情報ばかり
なのだ。

驚いたのは、“民放だから仕方ねぇか”とNHKにチャンネルを変えたら、ふだんはお固いアナウンサーが
無理矢理作った笑顔を顔に張り付かせて“今日は今話題のマイルドヤンキーについてお送りします”と、目覚めたばかりの神経が
また眠りについてしまうようなネタをタレ流していた。
もちろん、そういう情報を欲している人が確実にいるからこそ、供給しているのだろうけど、それにしても
すべての放送局で同じ時間帯に似たような内容を放送することはないのではないか。
せめてどこか1局くらい、他局が泡沫のようなネタを流している時に、ちゃんとしたニュースを放送してもいいん
じゃないの?
色々不祥事はあったようだけど、3月まで放送していた「朝ズバッ!」にはそういう姿勢があったような気がする。
だからワタシはわずかな視聴時間ではあったが、毎朝「朝ズバッ!」を視るようにしていた。

“そちらがそうするなら、こちらは違ったやり方で”・・・というのは、仕事だけでなく、生きていく上ですべてに
通底する概念だと思うのだけど。

これからもネットのニュースをトレースするだけの番組が続くのなら、同じ10分でも、毎朝、スマホ片手に
マッサージチェアに座っている方がよっぽど有意義かも知れない。

がんばれよ、テレビ。

●夏目三久『あさチャン!』苦戦 女性視聴者『ZIP!』へ移行か
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20140514/Postseven_256114.html
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母の日の釣果。

2014-05-11 | Weblog
今日は、母の日。

昨日のうちにプレゼントを片手に実家に戻って、母とは顔を合わせた。

・・・と言っても、先週のGWにも実家には帰っていたし、来週も息子の
小学校の運動会があるので顔を合わせるだろうから、全くもって新鮮味はないのだけど(笑)

まぁ、それでも、お互いがすぐに行き来できる距離で暮らしていること、そして何よりも、
毎年ちゃんと母の日のお祝いを出来ることは、そろそろお互いの年齢的にも、幸せなことだと
思わなければいけないのかもしれない。
周囲を見回せば、同世代の友人の親御さんも、少しずつ少なくなりはじめているのだから・・・。





写真は、今日の午後。
息子と釣りへ。

晴天。
紺碧の海。
地元の人間も近寄らない穴場の浜辺。
そんな場所で2時間ほど。

・・・なのに、釣果はアイナメ1匹。

入れ食い状態になったら、帰りに実家に寄って、「母の日第二弾プレゼント」として、
お裾分けしてあげようかと思っていたが。

やっぱり、世の中は自分が望むようにはならないもの・・・ですな(笑)
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