りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

未来なんて、そんなもんだ。

2015-12-31 | Weblog
「お前が大人になる頃、ここから四国までつながる橋が架かるんじゃ」

あれは、まだワタシが小学生になるかならないかの頃だった。
尾道大橋のたもとをクルマで走っていた時、ハンドルを握る父がワタシに向かってそう言った。

四国?つながる??橋???

しかし、当時6歳そこらだったワタシには、それは全く理解できない話だった。
フロントガラス越しに見える尾道大橋でさえ、幼児にとってはとてつもなく巨大な構造物に見えたのだから。

こんな大きな橋が、遥か彼方の四国まで何十本も連なって出来るのだろうか?
それとも、本州から四国まで、もっと超巨大な一本の橋が島や海を跨ぐように架かるのだろうか?

生まれて6年程度の人間の想像力なんて、所詮そんなものだった。
どんなに脳みそをフル回転させても、到底現実的に考えられることではなかったのだ。

しかし、その話を父から聞いた時、ワタシは妙にワクワクしたのを今でもよく憶えている。
行列のように何十本も橋が連なるにしろ、瀬戸内海に蓋をするように巨大な橋が架かるにしろ、そんなことはどっちでもいい。
とにかくなんだか、めちゃくちゃ面白そうだ・・・そんな風に思ったのだ。
具体的なことは横に置いといて、橋が架かることによって、今の生活や日常とは違う何かが起こることを、6歳児なりに予感したのだろう。
思い返せば、それは自身の現実に「未来」という言葉を重ね合わせた初めての体験だったような気がする。
キザな表現だけれど、その時「未来」は優しい微笑みをたたえて、明るく眩しい光で6歳児のワタシを照らしていたのだ。

それから、24年後。

父が言っていた通り、本州から四国まで橋でつながった。
ワタシは、30歳になろうとしていた。
前年に結婚し、その年の8月には、初めての子供も生まれる予定だった。
これまた父の言った通り、ワタシもちょうど「大人になる頃」を迎えようとしていた。

しかし橋は、6歳のワタシが想像していたものとはまったく違う姿をしていた。
それは連続した橋でも、とてつもなく巨大な橋でもなく、島づたいに7本の橋で本州と四国を結ぶという造り方だった。

「しまなみ海道」と名づけられたその橋を、ワタシが初めて家族と一緒にクルマで走ったのは、それからまた2年ほど過ぎてからだった。
しまなみ海道の真ん中辺り・・・愛媛県との県境にある多々羅大橋を走っていた時に、ワタシは6歳の時に父から聞いた「四国までつながる橋」の話を助手席の妻に語った。

四国まで橋でつながるという意味がよく分からなかったこと。
何十本も橋が連なるのだと思ったこと。
もしくは、巨大な一本の橋が海を跨ぐように架かるのかと思ったこと。
そんな想像をして、一人でワクワクしていたこと。
でも、完成した橋は島づたいに架かるという、非常に現実的な工法の橋だったこと。

未来なんて、そんなもんだ。

会話の最後に、笑いながらそんな言葉を口にしたような気がする。
当時30代になったワタシにとって、もう「未来」とは、ワクワクするものでも、優しく微笑んでくれるものでもなかった。

幼い頃に描く「未来」は、確かに明るく眩しい。だが、その代わりにおそろしく軽かった。

大人になって描く「未来」は、逆だ。

煌びやかな輝きはない代わりに、両手に伝わるようなずっしりとした質感が存在する。

とどのつまり、30代になったワタシは、6歳のワタシがあの時初めてしたように、「未来」は現実と重ね合わせることでしか見えて来ないのだと、それまでの経験から学習していたのだと思う。

しまなみ海道が開通した頃のワタシの「未来」は、助手席に座る妻と後部座席のチャイルドシートで眠る娘という「現実」の先にしか存在しなかった。
あれからさらに月日が過ぎて、娘も成長してチャイルドシートが不必要になり、そして4年後に生まれた息子も瞬く間にチャイルドシートが要無しとなり、そのうちクルマも窮屈になりはじめ、数年前に買い換えた。
そうやってその時その時の出来事を受け入れながら走り続け、そして今も、相変わらず助手席には妻が乗り、後部座席には二人の子どもが座っている。

やっぱり、「未来」なんて、そんなもんなのだ。

しまなみ海道が開通した当初は、「本州から四国に3本も橋を架ける必要があるのか」という批判があった。
その矢面に立たされたのは、3本の中でも最も通行量が少ないしまなみ海道だった。
しかし、開通から16年が過ぎた今、しまなみ海道は「サイクリングの聖地」として、連日サイクリストで賑わっている。
開通当初はサイクリングの“サ”の字もなかったのに、どうしてこうなったのか詳しい経緯をワタシは知らない。
おそらく、自転車で走りながら望むしまなみ海道の眺望と快適さが少しずつ少しずつ伝播して、気がつけば今のような状況になっていったのだろう。
あえて擬人化するならば、しまなみ海道も、自身の現実に重ね合わせた先に、「未来」を紡いでいったのだ。

きっと、ワタシの「未来」も同じなのだろう。
もう、未来に過度な期待はしない。
かといって、必要以上に悲観もしない。
ただ、その時その時の自分と周囲の「現実」を重ね合わせて、その先に自身の「未来」を紡いでいくだけなのだと思う。

「未来なんて、そんなもんだ」と、口にしながら。

今年もありがとうございました。
2016年が、皆様にとって素晴らしい年になることをお祈りしています。

浜田省吾「日はまた昇る」
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20分間隔、2回で。

2015-12-30 | Weblog
大掃除中です。

キッチンの床のワックスがけ。
毎年、これはワタシの役目・・・というよりも、ワタシの使命(笑)



あらためてよく見ると、以前よりも燻んだ色になった気がする。
やはり、フローリングも経年劣化でくたびれてきたのかも。
まぁ、気づいていないだけで、こういうことは暮らしている人間に比例するのだろうから、あまり強く言えないが(笑)

一度目のワックスがけの後、あらためて容器の裏面の説明を読む。

〈湿布後、30分程度で乾きますので1回毎によく乾かして、2~3回重ね塗りして下さい〉

せっかちなのだろうか。
毎回、20分間隔、2回で済ませてしまう。

劣化の原因は、どうやら時間だけではなさそうだ(笑)

話は変わるけど、今日の夜は親しい友人たちと「暴年会」。
誤字ではなく、ホントに「暴」(笑)
ここ10年ほど、毎年30日に開いている集まり。
さて、今年は何時にお開きになることやら (^^;;

自宅のワックスがけとこの暴年会で、今年もワタシの1年は、例年どおり終わりそうです。
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64作品。

2015-12-28 | Weblog
先日、東京オリンピックのエンブレム委員会から、またまたメールが届いた。



エンブレム選考の途中経過の報告だった。
応募総数14,599作品から候補作として64作品まで絞ったらしい。

それにしても、2週間・延べ27人で15,000作品から64作品をピックアップとは。
それがどれだけハードな作業なのかは、ワタシにだって容易に想像がつく。
審査員のみなさま、お疲れさまでした。

さて・・・・・・ワタシのは、残っているのかな(笑)?

その可能性は非常に低いけど、確認する術がないので、ここは残っていると前向きに考えたい。
その方が、明るい気持ちで年を越せるし(笑)

そういえば今日、来年の伊勢志摩サミットのロゴマークが決まったそうだ。

●伊勢志摩サミットのロゴマーク決定 高3女子がデザイン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151228-00000021-asahi-soci

実は、この公募にはワタシの息子も応募していた。
息子は娘に比べてあまり絵心がある方ではないのだけど、それでも自発的に“応募したい”と言い出したので、親としては応援していた。
いわゆる、“参加することに意義がある”というヤツだ。

しかし、なんだかんだ言っても、ワタシも普通の人の親。
もしかしたら『国家的プロジェクトのエンブレム、双方とも親子で採用』ということになるかも・・・と、密かに期待していたということは、くれぐれもここだけの話にしておいてください(笑)
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作者冥利。

2015-12-25 | Weblog
某snsに、知人が投稿してくださった。



自分が創った作品が、それぞれの嫁ぎ先(笑)の生活や日常の一部になっていってくれるのは、本当に作者冥利につきる。

あらためて分かった。
こういうことをされると、創った人間も元気になるんだなぁ。

素直に嬉しい。
おたみさん、ありがとう(^-^)
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母校にて。

2015-12-23 | Weblog
娘の高校へ来ています。

今日は、三者面談。
先生、保護者、生徒のみなさん、祝日だというのにご苦労様です。

面談には、妻が同席。
ワタシは、クルマでの送迎という名のお供(笑)。

以前からこのブログにも書いているように、娘が通うこの高校は、ワタシの母校。
娘の入学以来、以前よりも頻繁に訪れるようになったのだけど、それでも足を踏み入れるのは、校門から少し入った校舎辺りまでで、その奥の古い校舎やグラウンドの辺りは、それこそ卒業以来、足を踏み入れたことがなかった。
なので、娘の面談中に、車内でボケーっと待っているのも時間がもったいないので、校内を一人で徘徊してみた。


このアングルで校舎を眺めるのは、約30年ぶり。


雪の積もった日に、ソリの代わりにダンボールで滑り降りた記憶があり(笑)


昔はこんなに自販機は並んでいなかった。選べる幸せ(笑)

懐かしいと言えば懐かしいのだけど、自分が予想していたほどは懐かしく感じないのは、なぜだろう(笑)
卒業以降、大半の時間を地元で暮らしているからか?
それとも、高校時代の思い出が浅いからか?
それとも、高校時代からワタシ自身が成長していないからか?

・・・まぁ、どっちでもいいや(笑)

そういえば、今夜は奇しくも、地元に残っている高校時代の同級生たちとの忘年会だった。
まぁ、彼らに適当な土産話が出来たということで良しとするか(笑)
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今日はなんだか。

2015-12-17 | Weblog
シュガーベイブのナンバーに、同名曲にがありましたが。
そんな話ではなく。

今日はなんだか、異常に鼻がムズムズした1日だった。

先月引いて最近やっと治った風邪がぶり返したのかと思ったのだが、どうも違う気がする。
鼻腔の奥がむず痒くて、立て続けにクシャミ。そして、鼻水。

これ、花粉症じゃないか?
一瞬そう思った。
しかし、ワタシは今まで花粉症と無縁の人生を歩んできた。
何よりも、今の季節は、歳末感謝セール(笑)
やはり、これも違う気がする。

明確な原因を見つけられないまま夕方を迎えた頃、会社である話を耳にした。

今日は、PM2.5が大量に飛散して来ているらしい。

あ・・・なるほど。

不思議なほどすんなりと納得できたのだが、それでも頭の片隅で半信半疑。

そんな感じで夜帰宅したら、妻がマスクをして夕食の準備をしていた。
「風邪?」と訊ねたら
「昼にベランダの洗濯物を干してから、なーんか鼻と喉がおかしいのよ」と、鼻声で答えた。

どうやら西方からの贈り物は、本当らしい (ー ー;)

クシャミはちゃんと寒い時にしたいし、鼻水は願わくば、嬉しい事に出会って大号泣した時に垂れ流したいものだ。

みなさんは、大丈夫でしたか?
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爆弾処理。

2015-12-13 | Weblog
我が家の給湯器は、灯油式である。

10年前にこの家を購入した時に、水道会社を経営している友人に水まわりをリフォームしてもらった際に取り付けてもらった。

当時は、今のようにエコ給湯器はまだ普及していなかった。
石油の価格が今よりも低くて、「給湯器」といえば灯油式が主流だったように記憶している。
実際、取り付けてくれた水道屋の友人も「給湯器といえば、灯油だろ」というセールストークをワタシにしていた。
ちなみに、彼が「給湯器といえば、エコに決まってるだろ」というセールストークを口にしはじめたのは、その翌年あたりからだったが(笑)

そんなふうにして取り付けた給湯器だったが、最近、調子がおかしくなった。

追い炊きのボタンを押しても機能せず、“キュイーンキュイーン”という空回りしているような音がするだけ。
家族が寝静まった夜遅くにこの音を耳すると、このまま爆発してしまうんじゃないかと、ぬるま湯の浴槽の中で不安に襲われる。
もしも本当に爆発してしまうと、ワタシは人生の最期を全裸で迎えてしまうことになる。

それだけは、なんとしても避けなければ(笑)

マジメな話、季節的にこれからますます寒くなるので、このままでは困る。
なので、水道屋の友人に先週連絡したら、昨日、さっそく業者さんが修理に来てくれた。

業者さんは家の裏にある給湯器を慣れた手付きで分解すると、修理をはじめた。
「こりゃ、経年劣化ですね。よくあることです」
やはり、餅屋は餅屋。
業者さんはそう言うと、淡々と作業を続けた。



給湯器の内部を見たのは、初めてだった。
ここまで精巧な仕組みになっているとは思わなかった。
赤や黄色のコードがウジャウジャと繋がっていて、根っからの文系のワタシには、それらを手際よく修理している業者さんの様が、まるで本当に爆発寸前だった爆弾の処理をしているように見えた。

修理は昼過ぎに始めて、夕方に終了。
後日、あらためて水アカの清掃やら何やらといった周辺の作業をするとのこと。

とりあえず、これで夜中に爆発する心配はなくなったようなので、ひと安心(笑)
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ご親切に、どうも。

2015-12-09 | Weblog
昨日、メールの受信トレイを開いたら、このメールが着信していた。



わざわざワタシの所に届いたということは、ワタシを除く14,598人の方の元にも、このメールが届いたのだろう。

文面によると、誠心誠意、選考を進めるとのこと。
また、ニュースによると、年明けには最終候補の数点を公表するとも。

やっぱり、これは宝くじの抽選日を待ちわびるような楽しみ方をするのが一番だ(笑)

・・・あ、早く年末ジャンボ、買わなきゃ。
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初冬の脱皮。

2015-12-07 | Weblog
毎年、今頃の季節になると、ワタシの手の皮は捲れる。

紅葉が見ごろになる頃、手の平全体がゴワゴワしはじめ、まるで着ぐるみの中に入ったような感覚になる。
そして、その違和感に慣れはじめた頃になると、指先から皮が捲れはじめるのだ。
それは十指の皮だけでは終わらず、数週間をかけて手の平から手首まで捲れてゆき、そして、もういくつ寝るとお正月・・・という頃になると、ワタシの両手は、すっかり“新皮”に生まれ変わっている。
その様は、ちょっとしたホラー映画にも勝る(笑)

原因はハッキリと分かってはいないのだけど、心当たりはある。

ここ数年、ワタシは仕事をしている時、手汗をよくかくようになった。
自律神経が疲弊しているのか、それともストレスが溜まっているからなのかは分からないけれど、仕事中は指先がカットされた手袋をしてパソコンを使うのが、当たり前になっているほど。
四六時中、手の平に汗を滲んでいるのだから、自身が気づいていないだけで、皮が微妙にふやけ続けているのだろう。
そりゃあ、手の皮も耐えきれなくなって、新しい皮にバトンを渡したくなるはずだ(笑)

先日、今年もこうなりはじめた・・・と妻に手の平を見せたら、妻がこう言った。

「まぁ、新陳代謝がいいってことだから、まだ若いってことだよ」

それ、慰め?
・・・たぶん、違うと思うよ(笑)
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サマータイムブルース。

2015-12-01 | Weblog
典型的な祭りのあとの余韻なのか、先週の奥田民生のライブ以降、関連の動画をちょこちょこ見てる。

そしたら、この動画にたどり着いた。
調べてみたら、4年前に武道館で開催されたイベントらしい。
ステージ上には、活動を再開した子供ばんど、ユニコーン、J(S)W 、そして、OKAMOTO'S。
新旧のバンド揃い踏み。

それにしても、楽しそうだなぁ。
ろくすっぽ楽器は出来ないけど、どさくさに紛れて、自分もこの中に入りたくなる(笑)

ステージの上には、見事にぜんぶ男。

「ロックって、男の子の音楽だからね」と言ったのは、布袋寅泰だった。
このライブパフォーマンスというかハシャギっぷりを見ていたら、なんだかその言葉の意味が分かるような気がする。

いよいよ師走。
慌ただしさも、これからさらにフルスロットル・・・という時に、こんな季節はずれでバカ騒ぎな「サマータイムブルース」でテンションを上げてゆくのも悪くないんではないかえ(笑)?

子供ばんど ユニコーン J(S)W OKAMOTO'S /「Summertime Blues」
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