りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

3回忌。

2011-04-30 | Weblog
今日は、妻の父の3回忌法要。

もう亡くなって2年になるなんて・・・。
年を重ねる連れて時間の流れが早くなっている
ことを痛感する。

しかし、2年が過ぎようとしているのに、
妻も僕も義父が亡くなった実感がいまだにない。
妻の実家に帰れば、そこに今も義父がいるような
気がしている。
それは生前であっても、月に1~2度会う程度だった
からかもしれない。

「いつまでも心の中で生きている」

亡くなった人のことをそんな風にいうことがある。

最近、思う。

それは、社交辞令なんかではなくて、時間の流れが
早くなった大人の些細な錯覚がもたらす、事実なの
かもしれない、と。

そんな事を徒然に思う、4月最後の日。
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逆立ち。

2011-04-29 | Weblog
5月の中旬に、小学校の運動会がある。

今月の中旬あたりから、僕が帰宅する頃、小6の娘が
リビングの壁に向かって、ほぼ毎日逆立ちの練習をしていた。
話を訊くと、運動会で組み体操をするそうで、その練習なのだという。
そして、クラスの中で逆立ちが出来ないのは、娘ともう1人の女の子
だけなのだそうだ。
そう言って僕に答えると、娘は黙々と逆立ちの練習を再開した。

しかし、中々上手くできない。

足が上がらない。
誰かに手伝ってもらって逆立ちできても、両手で体重を支えられず
すぐに倒れてしまう。
何度もやっても、その繰り返し。

気がつくと、娘は涙目になっていた。

こぼれ落ちそうな涙を、何度も両手で擦りながら逆立ちの練習を続ける。
僕は、娘に尋ねた。

「何で、泣く?」
「・・・。」
娘は逆立ちの練習をやめて俯いたまま答えなかった。
僕はもう一度尋ねた。
「何で、泣く?」
「・・・・・出来ないから。逆立ちが出来ないから」
娘は絞り出すような声で、そう答えた。
「そうか・・・だったら、出来るよ。」
僕は娘の頭を撫でて、そう答えた。

「何で出来ないのに、出来るって言ったの?」

クローゼットの前で仕事着から部屋着に着替えていた時、僕と娘の会話を
傍で聴いていた息子が僕も元にやって来て、不思議そうに尋ねた。

「お姉ちゃん、泣いてただろ?」
「うん」
「あれは、しんどいからとか、辛いからじゃないからなんだよ」
「どういうこと?」
「お姉ちゃんは悔しいから泣いてたんだよ。逆立ちが出来ないことが
悔しくて悔しくて泣いてたんだよ。」
「うん・・・」
「そういう人は、がんばって練習すれば必ず出来るようになるんだよ」
「・・・ふ~~ん・・・」
7歳の息子は、僕の説明にあきらかに理解できていない様子だった。

それから1週間。
今日、仕事から帰宅したら、玄関に娘が飛び出してきて、僕に向かって
こう言った。

「出来た逆立ち、出来た

そのまま僕は娘にリビングに引っぱって行かれて、娘の成果を見せられた。

床にしゃがんだ娘は、一度深呼吸すると、勢いよく足を蹴り上げた。
その直後、足がスッと伸び、天を越えて、そのまま静かに壁にくっ付いた。
両手は肩とほぼ同じ広さに開かれていて、しっかりと自身の体重を支えている。

キレイな、本当にキレイな逆立ちだった。

思わず、僕は拍手した。
キッチン目を向けると、妻が薄笑いを浮かべながら、夕食を準備をしていた。
きっと、僕が帰る前までの間、何度も何度も出来るようになった逆立ちを
見せられていたのだろう。

「な、だから言ったろう?出来るって」

僕は、娘と息子にそう言った。
逆立ちを終えた娘は、血が逆流してまっ赤になった顔を、少し自慢げで
嬉しそうに僕に向けた。
息子を見ると、相変わらずいまひとつ合点がいかない表情だった(笑)。

諦めない。
いつか必ずできる。

安易で、手垢のついた教訓だが、もしかしたら、社会的にも個人的にも、
今、最も大事な教訓かもしれない。
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創作再開。

2011-04-28 | Weblog
イラストの委託販売でお世話になっている仙台のawesome!さんが、
6月に東京で個展を開くことになった。
http://asm-shop.com/?tid=13&mode=f24

ちょっと考えて、参加の意思表明のメールを送った。

しかし・・・あの震災から1ヶ月余りしか過ぎてないのというのに、
awesome!さんのこの行動力。
本当にその姿勢には感服する。
稚拙ながらも、僕の作品も何らかの一助になれば・・・と思う。

だが、肝心な作品はまだ出来ていない (^_^;)
頭の中には、ぼんやりとイメージはあるんだけどね。
たぶん、実際の制作に取りかかったら、すぐにカタチになると思う。

ところで今年の僕は、創作活動において、“あること”を自分の中で
決めている。

それは、直感で創る、ということだ。

イラストにしろ、小説にしろ、出来上がったモノをいつまでも
手元に置いて、何度も何度も修正したり推敲するようなマネは
やめて、最低限のチェックをしたら、その作品の“熱”が冷めない
うちに、応募したり発表することに決めたのだ。

今まで僕は自分の作品を大切にし過ぎたような気がする。
どんな作品であっても自分の創った作品は子どものように可愛い。
しかしあまりに過保護に走ってしまうと、ただでさえ自分の作品を
客観視することは難しいのに、客観視を超えて盲目的になってしまう。

だから、今回の個展に出品する作品も、ある程度カタチになったら、
過度な修正は抑えて、早めにawesome!さんに送ろうと思う。
そうやって今までと少しだけ創作方法を変えることで、そこからまた、
僕なりの創作に対する新しい価値観やスタンスを発見できるかもしれない。

昨年は小説ばかり書いていて、ビジュアル的な創作はほとんど皆無だった。
しかし執筆活動は、既存の作品の電子書籍化もしたし、文学賞で最優秀賞も
受賞もした。
ちょっとひと段落つけてもいい頃かもしれない。
そしてその代わり、振り子の原理でいえば、小説に振り切っていた創作活動の
振り子を、今年はグーーーーンと、イラストの方に振ってみたいと思う。

クリエイターの端くれとして、りきる、がんばります
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AIWA。

2011-04-27 | Weblog
何週間か前まで書いていた、僕のオーディオ変遷史(笑)。
いきなり続編です(爆)。

前回は、中学時代に購入した「オシャレなテレコ」について書いた。
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/99ac1e965347a1ffb6bb5cf4cc598c5b

その後、無事に高校受験をクリアして高校生になった僕は、
高校1年生の夏、人生初めてのアルバイトをはじめた。
仕事場は、某ファーストフード風のお寿司のお店の店員で、
時給は、たしか1時間430円
3時間働いて、やっと1000円稼げるという(爆)
まぁ、25年以上前だから今とは物価の違いもあるんだろうけど、
我ながら、よくやったと思います(笑)
何はともあれ、そこでコツコツと働いて貯めたお金で購入したのが、
僕の3代目のオーディオだった。

AIWAのシステムコンポ。

3代目にして、僕もついに、本物の“コンポ”にたどり着いたのだった。
当時は、今と違って、アンプ、チューナー、デッキ、レコードプレーヤー、
スピーカーといったパーツを、メーカーごとに一番の良品をバラバラで
購入するか、もしくは同じメーカーでも、まるで冷蔵庫のように各パーツが
高く積まれたようなスタイルが当たり前だったし、その方がカッコよく
見えたものだった。

僕が購入したAIWAのシステムコンポも、後者のような各パーツを積み上げた
冷蔵庫のようなコンポだった。
まだCDが普及する直前だったのだが、そのコンポにはCDプレーヤーも
付いていて、コンポを持っていても、CDプレーヤーの付いてなかった友達が
物珍しそうに僕の部屋でピカピカのコンポを眺めている姿に、ちょっとした
優越感を感じたものだった(笑)

ラジカセからコンポに変わって、僕の音楽生活で最も大きく変わったこと。
それは“ダビング”という行為だった。

それまでの僕は、聴きたい音楽があったら、コンポを持っている友達に
テープを渡してダビングしてもらうか、FM番組をこまめにエアチェックして
集める(それこそ狩猟のような集め方だった気がする)しか
手段はなかった。

しかし、ダブルカセットデッキ&レコードプレーヤー、そして、そして、そして、
時代の最先端のCDプレーヤーまでも備えたコンポを手に入れた僕は、それまでの
受動的の音楽生活から、能動的なミュージックライフに大きく変わった(笑)

財布のカード入れの中には、常にレンタルレコードのカードが収まっていた。

毎週毎週、通った。
毎週毎週、カセットテープが増えていった。

中には、その後あらためてCDを購入したものもあれば、今では廃盤になってしまい、
どこをどう探しても手に入らないアルバムもある。
とにもかくにも、80年代半ばの僕は、古今東西を問わず貪るように音楽を聴きまくった。
今でも聴く音楽の大半は、この時期に耳にした音楽と言っても過言ではないだろう。

あの頃ダビングした数多のカセットは、今でも実家の僕の部屋でAIWAのコンポと
いっしょに眠っている。
宝物か?と問われれば、僕は素直にうなづく。

いくら産業ロックだ、上っ面のロックだ、と上の世代から嘲られても、やっぱり80’Sの、
あのキラキラと煌めいていた音楽達は、今の自分の基礎を作ってくれた時代の音楽だ。
20年以上時間を経た今でも、僕には心から愛しい。

最後に、AIWAのコンポを購入して最初にダビングした曲を。
まさに80年代の“キング・オブ・産業ロック”だ(笑)

Journey 「Be Good To Yourself」
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最後の肉声。

2011-04-26 | Weblog
さすがに目頭が熱くなった。

僕は尊敬という言葉を安易に使いたくないけど、
この方には何の躊躇もなくこの言葉を贈りたい。

あらためてご冥福をお祈りいたします。

スーちゃん、ありがとう、やすらかに・・・。

スーちゃん「最後の肉声」「被災者のお役に・・・」(11/04/25)
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げん担ぎ。

2011-04-25 | Weblog
また1週間がはじまる。

正直言って、今はあまり元気がないけど、
とにかく、そんなこととは関係なく、
1週間がまたはじまった。

こんな時は、げん担ぎ。

写真のように、偶然並んだ数字に
気付いたことをラッキーと思え。

ふんばれよ、俺。
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釣り。

2011-04-24 | Weblog
昨日、今日と、息子と釣りに出かけた。

昨日は、島の東端の波止場。



ちょうど満潮時だったので期待していたのだが、
2時間ほど釣り糸を垂らしたけど、結局ボウズ・・・(-_-;)

今日は、島の北側で釣り糸を垂らした。
岸壁や桟橋が並ぶ港町らしい景色が続く場所だが、
それでも僅かに残る砂浜へ。



日頃から何人かの釣り人がいる場所なので、
今日も期待していったのだが、結局ボウズ・・・(-_-;)

息子は2日連続のボウズに、さすがにちょっと
不満気味になった。
「この前来た時は、3匹釣れたのに・・・」
ことある毎に、昨年の秋に生まれて初めて釣りに
行った時の成果をそう口にしていた。
つまり、息子にとっては去年の秋の釣りが、釣り
自体の基準になっているようなのだ。

大人なら分かるが、それは明らかな“ビギナーズ・
ラック”だったに過ぎない。
色んな偶然が重なって、そういう成果になったのだ。

いつも自分の思うような成果を得られるとは限らない。
むしろ、その逆が多いことの方が多い。
それでも何度も繰り返す。
失敗しても。失敗しても。“いつか・・・”という
気持ちがある限り。
だからこそ、自分が望む成果を得た時、人は心の底
からの喜びを感じる。
若輩者の僕でも、40数年の人生を通してそういうこと
を知り得た。

釣りなんて、その最たる行為のような気がする。

だから、何も釣れなかったこの2日間であったが、
僕自身は息子のように不満顔になることもなく、
“まぁ、こんな時もあるさ”と吹いていられた。
それどころか“海で釣りをする”という行為を通して、
ここしばらく僕の心身の中にうっ積していたイヤな
ガスを少しは軽減できたような気がしていた。
僕にとっては、それで十分だったような気がする。

思ったような成果を得られず、釣竿を片づけ、
クルマのトランクに収めた時、息子がこう言った。

「ねぇ、また釣りに来ようよ」

その言葉を聞いた僕は、息子の頭を思いっきり撫でた。
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疑似。

2011-04-23 | Weblog
ど~しても、カエルに見えちまう(笑)
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スーちゃん。

2011-04-22 | Weblog
キャンディーズ。

ランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんの3人組。
それは、もう、とてつもないアイドルだった。
AKB48なんて比較にならないほど。

当時、僕はまだ7歳くらいのハナタレ小僧。
そんな僕でも夢中になった。
一番好きだったのは、ダントツでスーちゃんだった。

彼女たちがレギュラー出演していたテレビの
バラエティ番組「見ごろ!食べごろ!!笑いごろ!!!」
を毎週見るのが楽しみだった。
「8時だよ!全員集合!!」で、ドリフとコントをしたり、
一緒に体操する姿も、幼心にカワイイと思っていた。

そういえば、それなりの年齢になった頃、
どことなくスーちゃんに面影が似ている娘に
片想いをしたこともあったなぁ・・・。

スーちゃん、ありがとう。・・・さようなら。

田中好子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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食べかけの綿菓子のような雲。

2011-04-21 | Weblog
先日、「第35回ふくやま文学選奨」で最優秀賞を受賞した短編小説
「さんらいず通りの爺(じい)」には、物語の最後に主人公が空を
見上げる場面がある。

そこには、真っ青な空に一片の雲が浮かんでいて、主人公には、
それがまるで“食べかけの綿菓子のような雲”に見えた。

写真は、昨日の朝、目にした雲。

それは、まさに僕が小説を書きながらイメージしていた“食べかけの
綿菓子のような”雲だった。

思わず携帯で写メを撮った。

僕は写真を撮ると、出勤のための身仕度もせずに、しばらくその雲を
ぼんやりと眺めた。

「さんらいず通りの爺」は、こんな一文で物語が終わる。

“春は、もう、すぐそこまで来ている”
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