りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

この木、何の木?

2010-04-30 | Weblog
写真は、自宅の庭先に生えはじめた正体不明の枝。

こんな種を植えた記憶は、ない。
もちろん、妻も娘も息子も。

しかし、明らかに生えている。伸びている。
しかも、どう見ても、“花”ではなく、“木”のようだ。

この木、何の木?

思わず、某大手電機メーカーのCMソングを口ずさみそうになるが、
そんな悠長なことをしていていいのかどうか・・・(-_-;)

アニメ「トムとジェリー」のように、葉が伸び、茎が伸び、
最後にトムの顔が咲くんなら、毎日、水をあげるけどさ(笑)
しかし、いったい何の木なんだろう・・・?

・・・・あ

そういえば、1年前、この場所に栃木名物の「レモン牛乳」の
パックに花の名前を書いた鉢植えを息子が置いてたな。

もしかして・・・・・・「レモン牛乳」(笑)
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連休スタート。

2010-04-29 | Weblog
今日は、祝日。
「みどりの日」・・・じゃない、「昭和の日」ですね。
昭和の日・・・僕はいわゆる“左”の人間ではないけど、
それでも、この名称にはやっぱり違和感を感じるなぁ(-_-;)

まぁ、何はともあれ、祝日です
今日から、実質GWですね

僕が働く会社はカレンダー通りの休みなんだけど、
義父の命日の5月1日だけは有給休暇を取ったので、
明日出勤すれば、5連休です。

・・・でも、何の予定もない(笑)
西日本は天気はいいみたいなんだけど、ホント何の予定もないのよ
5月1日の義父の1周忌の法事を除けば、後は広島の弟家族が帰ってきたら、
僕の実家に顔を出すくらいかなぁ・・・自宅から2kmくらいの距離だけど(笑)

本当は、今日用事があったんだけどね。
一人で、香川県に行くつもりだった。
しまなみ海道を渡って、今治経由で松山高速道をひたすら東へ・・・
愛車・Twin仲間のキムさんから、とあるパーツを格安で譲ってもらうことを
約束したので、ドライブがてら、それを受け取りに行こうと思ってたんだ。
でも、キムさんが今日は仕事だと・・・・onz

というわけで、何も予定がなくなったんで、今、こうしてブログを更新している
次第です(笑)

実際、僕が忙しくなるのは、GWが終わってから。
5月末~6月末の間に、色々と予定が入ってます。
ただ、そのほとんどの予定が僕個人の予定で、家族には関係ないという(苦笑)
まぁ、こういう時期もありますわねぇ~と、自己弁護(笑)

写真は、以前にも紹介した、近所で新築中の敷地面積100坪の家。
ほとんど完成した模様。
外観を見た限り、二世帯住宅っぽいですね。
たぶんGWに引っ越してくるのかな?
仲よくなれたら、いいな

これでも、地域社会を真面目に考えているりきるです(笑)
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悲しい気持ち。

2010-04-28 | Weblog
何日か前に奥さんのハラ坊の歌を題材に日記を書いたので、
今日は、旦那さんの桑田さんの歌で、日記を書きます♪

ハラ坊の日記にも書いたけど、僕はサザンの楽曲も好きだが
それよりも、桑田佳祐としてのソロ作品の方が好きな曲が多い。

その理由としてひとつ挙げるとしたら、それは歌詞だ。

桑田さんの書くラブソングの歌詞には、一貫性がある。
それは歌詞に出てくる女性の大半が“もう会えない女性”なのだ。
若き頃の淡い恋の想い出・・・とでも表現しようか。

桑田さんと同世代で、叶わぬ恋、哀しい愛の歌を書かせたら、
最も巧いのは浜田省吾あたりだろう。
しかし、過去に戻れそうで戻れない陽炎のような淡い恋の歌を書かせたら、
桑田佳祐に敵うミュージシャンはいない。

男なら素直に頷ける。共感してしまう。胸が熱くなる。おまけに涙腺が緩んでしまう。
・・・そんな歌を聴かせてくれる。

だから僕は桑田さんのラブソングを聴くたびにこう思う。
桑田さんは、男の心情を本当によく分かってるなぁ、と。

男は、好きだった女性を忘れない。
絶対に、とは言えないが、だいたいの男がそうなのではないだろうか?
一昨日、「ジェミニ」というタイトルで、僕らの20代前半の頃を一緒に
過ごしたマドンナのような存在だった女性のことを日記に書いたが、
あの話なんて、まさにその格好の例題だ(笑)

男の心の中には、好きだった女性が永遠に生きている。
ある女性は、15歳のままで。
ある女性は、20歳のままで。
当時のままの姿で、男の心の中に部屋を作り、そこで生きているのだ。

だから、男は“今”の女性に再会すると、動揺してしまう。
頭では分かっていても、心で理解できないのだ。

桑田佳祐の歌は、そんな男のどうしようもなく愚かで情けなくも
可愛い部分のど真ん中を貫いてくるのである。

だから、僕は桑田さんの歌が好きなのだ。

数多あるそんな桑田さんの歌の中から1曲をチョイスした。
1988年に発表されたソロアルバム「Keisuke Kuwata」に収録された曲で、
桑田さんのソロの楽曲の中でも、人気の高い曲だ。
そして、肝心な歌詞は、もちろん上述した男の心情がたっぷりと
散りばめられてある。

こんな男の悲しい気持ち・・・女性に分かるかなぁ?

悲しい気持ち[JUST A MAN IN LOVE] 桑田佳祐

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ちょっとやそっとじゃ、変わらない。

2010-04-27 | Weblog
最近、長文&ややヘビーな日記が続いたので、
今日はちょっとライトな日記を。

生まれて初めて好きになったアイドル。
記憶にある限り、彼女だった気がする。
当時、小学4年生くらいだったのかな?
10歳くらいのガキのくせに、隣の家の
お兄ちゃんが買ってた月刊明星の付録のポスターを
譲ってもらって、部屋に貼ってたっけ。
それがまっ赤なビキニ姿のポスターだったから、
お袋がビキニと同じくらいまっ赤っかになって
怒ってた記憶がある(笑)

「エトセトラ」大場久美子


どうも僕は昔から瞳の大きな女性に弱いようだ。

上の映像から30年後。

今、夢中になっている芸能人も、CMを見て、その
つぶらで大きな瞳にノックダウンされたようなもんだもん。
三つ子の魂、百まで。
初志貫徹。
ちょっとやそっとじゃ、女性の好みは変わらないんだろうな。

だからってわけじゃないけど、この2人って似てない?
そう思っているのは、僕だけ?

「サントリー金麦 檀れい」



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ジェミニ・3。

2010-04-26 | Weblog
僕の声に気づいたタッツンは、僕を見つめた。
そして僕の隣にいる女性が視界に入ったとたん、一瞬、顔をゆがめたように表情を
変えたが、すぐに静かな微笑みを顔に浮かべた。

「おはようございます」

昼下がりなのに、何よりも十数年ぶりに再会のはずなのに、
タッツンはそう言いながら、お辞儀をした。
照れ隠しであることは、誰が見ても明らかだった。
しかしジェミニも何の躊躇もなく、おはようございますと返事を
しながらお辞儀をした。
あらためて思った。そうなのだ。二人はそんな間柄だったのだ。

その後、再び他愛もない話が続いた。
今、話さなくてもいいような話が泡沫のように浮かんでは消えていった。

しばらくすると、ライブの時間になった。
僕とタッツンは倉庫の中へ。
ジェミニは、子どもを連れて家路に着いた。
別れ際、あの頃と変わらない、優しい微笑みで、ジェミニは僕らを見送った。

「会わない方がよかったか?」
ライブ会場のパイプ椅子に並んで座った僕がタッツンにそう訊いた。
35年のつきあいだ。
まわりくどい尋ね方は、逆にタッツンに失礼だ。
ステージで響くギターの音で聴こえなかったのか、タッツンは、もう一度、
「え?」と僕に尋ねた。僕は繰り返した。
「会わない方がよかったか?」

僕の質問が終わるか終らないか、というスピードで、タッツンはハッキリと頷いた。

タッツンは、白黒ハッキリしているように見えて、実はそうではない。
こういう場合、少し考えてから、やんわりと「会わない方がよかった」と
いうことを言葉を選びながら口にする男だ。要するに、優しい男なのだ。
そんな男が、秒殺で頷いた。

「どうして?」

僕はタッツンの真意を質した。

「あんなに老けているとは思わなったわ・・・会うんじゃなかった」

タッツンは、吐き捨てるようにそう言った。
男なら、分からない気もしない。
きっと、タッツンの中には、20代前半のあの頃のジェミニがずっと
生きていたのだろう。
40年も生きていれば、そういう女性が、男の中には何人かは棲んでいるものだ。
タッツンにとって、きっとジェミニはそういう女性だったのだ。
僕にとっても、ジェミニは20代前半を語る上で、欠かせない女性の一人だ。
でも、いつまでも心に棲んでいるか?と尋ねられたら、たぶん首をかしげると思う。
だからこそ、少し距離を置いて40歳になったジェミニを見ることができ、
キレイに思えたのだと思う。
そもそも、通りすがりに何の迷いもなく声をかけられること自体が、
それを証明しているような気がする。

僕は、それ以上タッツンにジェミニのことを尋ねなかった。
タッツンもジェミニのことを口にしなかった。

ステージでは、マスターがギターを弾きながら歌を歌っていた。
憂歌団の歌だ。サビでマスターが絶叫した。
“胸が痛い、胸が痛い・・・”

夕方帰宅したら、朝からの強行スケジュールと、あまりの晴天と、人ごみに疲れたのか、
寝室の布団の上でゴロゴロしているうちに、瞼が重くなってそのまま寝てしまった。

枕元に置いた携帯電話のバイブの音で目が覚めた。
辺りはもう、薄暮だった。
電話を手にする。
電話の着信が1本。
メールの着信も1本。
電話は愛車Twin仲間の方からで、タイヤとホイールとマフラーを格安で売ってくれると
いう、余りの嬉しさに飛び上がりそうな電話だった。

メールはタッツンからだった。
メールの文面を読んだ。
そこには、昼間のタッツンの言葉と相反する言葉が書いてあった。
内容は、秘密だ。
だって、35年のつきあいだからな。
だからこそ、メールの文面の真意も分かる。
それでいいんだと、思った。

タッツンのメールを読んだ後、僕はまた「カシオペアの丘で」を思い出した。
こじつけかもしれないが、最近、この小説とリンクするような出来事が
多いような気がする。

過去には、戻れないし戻りたくない。
でも、自分の過去は素直に受け入れてやりたい。
そこから、また今日を、明日を、1日ずつ過去にしていけばいい。
そう、思う。
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ジェミニ・2。

2010-04-26 | Weblog
ジェミニ。

もちろん、これもニックネームである。
別に双子なわけではない。
20歳の頃、いすゞの今は無き「ジェミニ」という車が
彼女の愛車だったので、みんなからそう呼ばれていたのだ。

少し話がそれるが、僕は最近決めたことがある。
それは、街中などで、見覚えのある顔とすれ違ったら、
出来るだけ声をかけよう、ということだ。
もちろん、全員にではない。
見覚えがあっても、思い出したくない“見覚え”のある顔もある。
僕が声をかけようと決めたのは、僕の人生にとって
良い印象や想い出とともに残っている人だ。
もっとも、そうなると圧倒的に女性の方が多くなるのだが(笑)
しかしそこで声をかけなかったら、狭い街といえども、
そのまま再び何年、何十年と会わずじまいになってしまう可能性が高い。
一生会えなくなる可能性もある。
そんなことになるくらいなら、声をかけた方がよっぽどいい。
数秒だ。
「○○さん?」と旧姓でも下の名前でもニックネームでもいい。
声をかけて、数秒間、少し気まずい時間を我慢すれば、
その後、答えはおのずと出てくる。
「すみません、どなたですか?」と言われてしまえばそれまで。
「うわぁ!ひさしぶり!」と笑顔が弾けたら、そこからまたひとつの
人のつながりが再生する。

生まれたからには、出来るだけ人とつながった方がいい。しかもいいカタチで。

40年間生きてきた僕が、自信を持って人に言える唯一の格言かもしれない。
ジェミニは後者だった。
おかげで、またつながりが再生できた。

何年ぶりの再会だろう?
ジェミニとタッツンと他にも何人もの旧友たち。
みんなで朝まで大騒ぎで酒を飲んでドライブしてカラオケに行って・・・
そんな理屈抜きで遊んでいたのは、20代前半の頃だった。
あの頃以来だから、17~18年ぶりになるのだろう。

やっぱり狭い街だから、ジェミニの噂は聞いていた。
ずいぶん前に結婚したことも知っていたし、何人も子どもがいることも
風の噂で知っていた。中には出産太りで、昔の面影は残っていない・・・と
いう噂も耳にしたこともあった。
でも、今目の前にいるジェミニは、たしかに20代の頃に比べれば、少し老けた
かもしれないが、それでも普通に年を重ねて、普通にお母さんになった、
あの頃と同じ声色と仕草と笑い声をしたジェミニだった。
だから僕には、あの頃よりも、ジェミニが格段にキレイになったように見えた。
そんなジェミニが、僕に訊いた。

「みんな、元気・・・?」

少し上目遣いで訊いたその言葉は“みんな”と言っていたが、明らかに一人の
男の消息を尋ねていたことを僕は直感した。

「タッツン、この中にいるよ」

僕は倉庫の中を親指で指さした。
倉庫の中からは、ライブのリハーサルの音が聴こえる。
ライブのスタートまで、あと15分少々。

「いっしょに来たわけじゃないけど、偶然会ったんだよ。行ってみる?」

ジェミニは迷わず頷いた。
中に入ってタッツンを探す。
でも、いなかった。
岸壁の方にもいる雰囲気はない。
散策がてら、どこか別の場所に移動したのだろうか?

仕方なく僕とジェミニとジェミニの子どもたちは倉庫から出て、
少しの間、他愛もない世間話をした。
会話を交わしていて、あらためて思った。
彼女は、キレイになった、と。
いや、キザな表現かもしれないが、素敵になっていた。

昔から、キレイな女の子だった。
明るく、気さくで、可愛くて、キレイ。
これだけ揃っていてモテないわけがない。
彼女が好きだという男は、僕が知る限り、数えきれないほどいた。
でも、彼女は特定の彼氏を作らなかった。
その理由を、僕は知らない。
一度だけ、その理由を尋ねたことがあった。
「だって、みんなと一緒に遊んでいた方が楽しいもん」
ジェミニは屈託なくそう答えた。それが本心かどうかは別として・・・・。

そうこうするうちに、白いハンチング帽を被った男が視界の端に入ってきた。
タッツンだった。

「いた」

僕がそう言いながらタッツンを指さすと、ジェミニは僕の指の先を凝視した。
タッツンは、もうどこへも行かない。
彼もマスターのライブを見に来たのだから、ここへ戻ってくるはずだ。
だから遅かれ早かれ、タッツンを待っている僕とジェミニに気づくはずだ。
それでも、僕はジェミニに向かって訊いた。

「呼ぼうか?」
「どうしよう・・・・」

ジェミニも戸惑っている。
戸惑っている間にも、タッツンは近づいてきている。

そう。あれは20年前だ。
今でも覚えている。
1990年12月30日。
当時僕が暮らしていた広島市内のアパートに、タッツンが突然遊びに来たのだ。
その横に、小さな女性がいた。
それがジェミニだった。
二人はつきあっていないと言っていた。
それが事実だったのかどうかは、僕は知らない。
しかし、たとえつきあってなかったとしても、タッツンにしてもジェミニにしても、
あの頃・・・大人へと脱皮しかかっていた、まだ今ほど人間関係が複雑ではなかった頃の、
かけがえないのない“仲間”だったことは、たしかだろう。
そして、仮に40年で人生が終わってしまったとしたならば、人生最後のエンドロールで、
絶対に欠かすことができない人物であることも否定はできないだろう。
僕だって、そうだ。
僕にとっても、タッツンはもちろん、ジェミニもそういう人間だ。
だからこそ、タッツンは他にも話すことがあるはずなのに、僕の耳元で
“ジェミニを見た”と囁いたのだし、ジェミニも言葉を選ぶように僕に向かって
“・・・みんな、元気?”と訊いたのだ。

今回は、逆だ。
20年前とは、逆だ。
今日は僕がジェミニを、タッツンに紹介してやる。

「タッツン!!!!」

気がつくと、両手を口の左右で丸めて、全身の力をこめて僕は大声で叫んでいた。
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ジェミニ・1。

2010-04-26 | Weblog
昨日、地元の祭り「みなと祭」へ行った。

小学五年生の娘が学校代表でパレードで踊るので。
それを見に、妻と息子と観に行った。

ものすごい数の観客の中、その人ごみをかき分けて、
海岸通りで踊る娘を応援&観賞&ビデオ撮影(笑)。
我ながら、いいパパしてる、と心で苦笑する。

午前中に娘の踊りは終わり、昼からは会場内を
ブラブラと散策した。
会場と言っても街の海岸沿い全体が会場みたいな
ものなので、すべてを見てまわることはできない。
妻と子どもたちが、昼食がてら屋台で買ったやきそばを
岸壁に腰掛けて食べている間、僕はすぐ目の前の
港の倉庫に入った。
戦前に建てられた県営の倉庫は、祭の期間中だけ、
ライブイベントの会場に模様替えしていたのだ。
今日は、午後2時半から馴染みのライブハウスのマスターの
バンドがライブをする予定だった。
“りきるくん、来てね♪”
偶然先日会ったマスターに、そう言われていた。

倉庫の中のステージはまだ準備中だったので、
僕は倉庫を横切って、岸壁の反対側で開催されていた、
フリーマーケットに顔を出した。
古着や骨とう品、玩具やジュエリー・・・雑貨好きな僕にとっては、
ヒマつぶしにもってこいのような場所だった。

そうやってブラブラしていると、前方に見たことのある顔を見つけた。
そいつも、僕を見ている。
そいつが手を上げた。
僕も手を上げた。

タッツンだった。

タッツン・・・これは仮名である。
ニックネームで仮名とというのも、少しナンセンスな話だが、
あえてこの日記ではこのニックネームを使う。
彼とは保育所以来の友達だった。
出会って、35年。
今でもずっとつきあいのある、貴重な友人の一人だ。
普段は、タッツンではなく、別のニックネームで呼んでいる。
タッツンというニックネームは、実は僕が7年前に書いた
小説の登場人物の名前なのだ。
そしてその人物のモデルが、彼だったのである。

タッツンは、僕が近づくと、他愛もないことを話した後、
あることを僕の耳元で囁くように呟いた。

「あそこにいる女、ジェミニじゃないか?」

僕はタッツンが漏らした言葉と同時にタッツンの視線の先を追った。
そこには、屋台の前に置かれた簡易な椅子とテーブルに座る。
母親らしき女性と二人の女の子がいた。
うちの家族と同じように、屋台で買った食べ物で、これから
昼食をとろうとしているようだった。

僕は少し斜め前に歩んで、その女性の前に出た。
すると、案の定、女性の顔が真正面に見えた。
僕は顔を確認すると、すぐにタッツンの元に戻り、そして頷いた。
タッツンの顔を見た。
どことなく所在ない表情をしているような気がした。
どうすればいいのか分からないような表情だ。

それから僕らは、再び他愛もない話をはじめた。
はじめたのは僕からだったのか、それともタッツンからだったのか、
今ではよく憶えていない。
でも、それもほんの2~3分のことだったと思う。
その後、どちらともなく、ジェミニが座っていた方に目をやった。
しかしそこには、もうジェミニの姿は、なかった。

約30分後。

僕はタッツンと別れて、再び一人でブラブラと散策した。
そして気がつくと、またフリーマーケットの前にたどり着いていた。
その時だった。
前から、懐かしい顔が僕の横を通り過ぎた。
通り過ぎた瞬間、僕は振り返り、何の躊躇もなく、
思わずその女性の旧姓を口にした。
女性は僕の声に歩みを止めて、振り返り、僕を見た。

数秒、時間が止まった。

「あぁ!久しぶり!!」
女性の歓声に近い声で、時間が再び動き始めた。
女性・・・ジェミニは、僕の事を覚えていた。
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完読&四十路ドライブ。

2010-04-24 | Weblog
2週間前に図書館で借りた重松清氏の小説「カシオペアの丘で」。
昨日、完読しました。

感想は・・・・いい物語でした。

僕ら世代(いわゆるアラフォー世代)には、胸に迫る言葉や描写が
散りばめられていて、重松文学の真骨頂という感じでしたね。

この小説のテーマは、ひと言でいえば「ゆるす」という行為でしょう。
自分をゆるせるか?
他人をゆるせるか?
最愛の人をゆるせるか?
現状をゆるせるか?
過去をゆるせるか?・・・・・

それを、いろんな登場人物のいろんな境遇の中から炙り出すように
「ゆるす」ための物語が進んでゆきます。

そして、読み進むうちに、僕は思いました。
「ゆるす」とは、「受け入れること」なのではないかと?

自分を受け入れられるか?
他人を受け入れられるか?
最愛の人を受け入れられるか?
現状を受け入れられるか?
過去を受け入れられるか?
そして・・・未来を受け入れられるか?

個性的な登場人物たちの中で、僕が最も親近感を持ったのは、
ユウちゃんこと、雄司でした。
お調子者で、みんなのムードメーカー。
でも、ちゃんとみんなのことを少し離れた距離で優しいまなざしで
みつめている。
どことなく・・・昔の、いや、今の自分を見ているようで、まるで
他人のような気がしなかった(笑)。

終章を除いても十七章もあるこの小説は、語り手が章によって変わる。
その中でも、僕は第十五章が最も好きだ。
なぜなら、唯一、雄司が語り手の章だからだ。

雄司という絶妙な距離感の登場人物によって書かれたこの章は、
優しくも強い文章で物語が書かれている。

この章を読んで、僕は“おとなになる”ということの本当の意味を、
恥ずかしながら、40歳になった今ごろになって、やっと、おぼろげに
分かりはじめたような気がする。

雄司は、優しい。そして、強い。

もちろん、他の登場人物たちも十分に優しくて強いのだが、
その中でも、僕は雄司の強さと優しさに強烈に惹かれる。
そんな雄司は、第十五章の最後をこんな言葉で締めている。

“おとなになるのは悪いことじゃないな、シュン。”

こんな言葉で最後を締めてるから、僕は昨夜、高校時代の友人たちと
飲みに行ってしまった。
別に久しぶりというわけじゃなかったけど、僕を含めて3人だけで、
安い居酒屋で、今の話をしたから、昔話をしたから、
真面目な話をしたから、バカな話をしてたから、気がつくと、
真夜中なのに、僕らは卒業した高校に行ってしまった。

高校の校門はぶ厚い檻のような門で閉ざされていて、
僕らはあの頃と同じように校門の前の自販機でコーヒーを買って、
それを飲みながら、昔話にふけってしまった。

別にあの頃に帰りたいとは思わない。
帰ったとしても、少しだけ違う想い出が作れるだけで、
結局、今と同じような人生を選ぶんだと思う。少なからず、僕は。

でも、懐かしかった。
車だったのでアルコールを飲まなかった僕は
みんなを家まで送ることになったけど、僕がシャレのつもりで
カーコンポから思いっきりボウイの曲をメドレーで流してしまったら、
僕以外の2人が「懐かしい!」を連呼して、結局、そのまま40歳の
オッサン3人で真夜中のドライブに出る羽目になった。
「Dream'n」「ハイウェイに乗る前に」「わがままジュリエット」
「イメージダウン」「ホンキー・トンキー・クレイジー」・・・etc.
曲が進むに連れて、みんな無口になってしまった。
歌に興味がなくなったわけでもドライブに飽きたわけでもなく、
それぞれがそれぞれの歌に合わせて、それぞれの過去に、少しだけ
タイムスリップしてしまっていたのだと思う。

昔に戻りたいとは、思わない。
でも、自分の過去は受け入れたい。

きっと、小説「カシオペアの丘」での中で重松清氏が言いたかったことは、
あの時の瞬間のようなことだったのではないか?・・・と僕は思った。

・・・なぁ、雄司、そうだろ?
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あじさいのうた。

2010-04-23 | Weblog
昨日、花屋の前を通ったら、もう紫陽花が店頭に並んでいた。

ついこの前まで、“桜が満開だぁ~”って言ってたのに (^_^;)
早いよなぁ~。
年を重ねるにつれて、時間は確実に早くなっている。ゼッタイに。

紫陽花を見ると、この歌を思い出す。
サザンも好きだけど、僕はどちらかというと、桑田圭祐、原由子名義での
ソロ活動の作品の方が好きだ。
(桑田さんのソロ作品については、また後日ブログに書きたいと思う)

もうすぐGWだけど、今年はこのまま梅雨入りしてしまうんじゃないか?と
思うような天気が続いてるから、少し早めにこの歌を思い出してしまったんだろうな。

新しい傘、買おうかな

「あじさいのうた」原由子


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トトロの森へ。

2010-04-23 | Weblog
トトロが棲む森へ向かって歩く姉弟2人。

・・・“トトロ”というのは、もちろんウソ(^_^;)

本当は近所の池の真ん中に浮かぶ、鎮守の森。

この池、今では何の変哲もない、ただのため池だけど、

江戸時代には県内でも有数の庭園だったそうで、

この池と浮島は、その名残りなんだそうだ。
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