りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

最後のロゴマーク。

2013-09-30 | Weblog
今年に入って、数えきれないほどのロゴマークをデザインしている。

昨年までの数年間は、そういう仕事は本当に少なく、1年に2~3本あるかないか、
という感じだった。
今思えば、ワタシが勤めるような地方の小さな広告代理店でさえ、リーマンショック
の飛沫を浴びていたのだと思う。

それがどうしたことか。

2013年になってからというもの、最低でも月に1本はロゴマークのデザインを抱えている。
本当の意味で景気が回復しているのかは、まだまだ眉唾ではある。
しかし基本的にロゴマークというものは、新しく起業したり開店しない限り必要ないもの
だから、そういった分かり易い新しい動きが増えていることは、ある程度事実なのだろう。

で、全体の様子は横に置いといて、ワタシ自身のこと。

15年、20年前のワタシが、今のような状況になれば、それこそ嬉々としてロゴマークの
デザインに携わっていたと思う。
誤解を怖れずに言えば、数多のデザインの中で、ロゴマークのデザインは、最も創り甲斐のある
仕事のひとつだと思う。
様々なニーズやイメージや時代の流行(?)などを加味しながら、シンプルかつ分かり易く、
なおかつセンスの良いロゴマークを創ってゆくのは、デザインの醍醐味だ。
だからそんな仕事に携われることは、大げさではなくデザイナーにとって栄誉以外の何物でもない。
だから若い頃のワタシなら、どこかの居酒屋の店員のように“喜んでーーーっ!!!!”と叫びながら
ロゴマークをデザインしていた。

しかし。

何事にも表と裏、光と影というものは存在するわけで。
駆け出しの頃は、表や光の部分しか目が行かなくて、いつまで経っても裏や影の部分は見えなかったり、
幸い見えたとしても、それが制作の途中だったりすることが往々にしてある。

具体的に言えば、“良いロゴマークが出来た!”と思っても、既にどこかにあるマークに酷似していたり、
先方のニーズを十分に汲み取れていなくて、消化不良のままで仕上げてしまっていたり・・・。

当時デザインしたロゴマークを目にすると、採用してくださったクライアントには大変申し訳ないのだけど、
“今創れば、もっともっと良いデザインになるんだけどなぁ”と思ってしまうロゴマークがあまりにも多すぎて、
恥ずかしさのあまり赤面してしまうこともしばしば。

今の自分が完璧だとはこれっぽっちも思ってはいないけれど、それでもあの頃の自分よりは少しは成長している
ように思う。

一番違うのは、いくらロゴマークをデザインし続けても、一度として“嬉々として”創っていないことだ。

誤解して欲しくないのだけど、間違っても嫌々創っているわけではない。
しかし、今年に入ってロゴマークのデザインを依頼される度に毎回心によぎるのは、“オレ、ちゃんと創れる
のかなぁ”という不安な思いだった。
もちろん、どの依頼でも最終的には、どこに出しても恥ずかしくないロゴマークを仕上げているのだけど、出来上がった
直後は、もう心身ともにボロボロ。腑抜け&廃人状態(笑)
相当のエネルギーを使っていることが自分でも分かるし、もう頭の中にはアイデアはかけらも残っていないのだと思う。
それはたぶん、ロゴマークのデザインすることの面白さだけでなく難しさも自分なりによく知ってしまった上で対峙して
いるからだと思う。
もしかしたら今のワタシには、もはやロゴマークの表や光よりも、裏や影しか見えていない場合もあるのかもしれない。

それでもデザインすること自体は、何歳になっても面白い。それはもう、本当に真実。
これは、もう職業病とかそういう次元ではなく、ワタシの性(さが)なのかもしれない。
だから、これからもいつまでもデザインが面白く感じるように前向きにがんばっていきたい・・・・なぁ~んて、そんな
予定調和な定型文でこの日記を終わらすつもりは、さらさらないぞ(笑)

たぶん、これからはひとつのロゴマークをデザインする度に、もっともっと疲れ果ててしまうことになるのだと思う。
年を重ねるに連れて、まったくアイデアが浮かばなくなるかもしれない。
むしろ、そうなるのが当たり前のような気がする。
だから、これからは依頼される度に“このロゴマークが最後のデザインになるかも・・・”と思いながら創った方が
いいのだと思う。
そう思いながら、ウンウン唸って悩んで迷って創りあげたロゴマークの方が絶対に愛着があるし、おそらくロゴマークの
寿命も、そうでないロゴマークに比べて長くなる可能性がある。
そしてそんな仕事を重ねていくことで、何歳になっても、新しいアイデアや引き出しが増えていって、それが次の仕事に
繋がってゆくように思う。

とどのつまり、何かを創るということが、やっぱりワタシは理屈抜きで好きなんだろうな(笑)
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殿様商売。

2013-09-25 | Weblog
JR北海道が、エライことになってますな。

堰を切ったようにこれほどまで次から次へと不祥事が噴出するなんて、
よっぽどのことじゃないだろうか。

「あんたは、殿様商売だね」

ずいぶん前に、仕事の取り引きの中で、とあるクライアントから
そう言われたことがある。
もちろんその言葉は、皮肉120%の言葉だったのだけど、当のワタシは
いったい自分のどこが殿様商売なのか、さっぱり分からなかった。
ちゃんとクライアントのことを考え、ちゃんと打ち合わせをして、
ちゃんと仕事を遂行して、ちゃんと仕事を終えた・・・つもりだった。
しかし、それは単にワタシが勝手にそう思い込んでいただけで、
クライアントには別のワタシが見え隠れしていたのかもしれない。

〈この仕事はワタシがやるのが当たり前〉
〈ワタシが良いモノを“創ってあげよう”〉

スケールは違えど、JR北海道も根っこの部分はその頃のワタシと
同じようなモノだったのかもしれない。

ちなみに、ワタシの仕事の仕方を殿様商売だと指摘したクライアントの
仕事は、それからしばらくして、ワタシはデザイン担当から外された。

当然のことだ。

・・・以上、井の中の蛙でした。
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Par3と倍返し。

2013-09-22 | Weblog
今日は午後から、家族でクルマで出かけた。

しかし、目的を何も決めずに出かけたもんだから、
ただただ、中国山地の山道をクルマでブラブラと走るだけ。
傍から見たら、一家心中をする場所を探して徘徊している
家族に見えたかもしれない(笑)

そうこうするうちに、道端の“パターゴルフ”という看板が
目に入った。
どうやら、近くにショートコースとパターゴルフが出来る場所が
あるらしい。
子どもたちはもちろん、ワタシも久しくゴルフらしきことは
していなかったので、軽い気持ちでみんなに提案したら、意外な
ほどすんなりと、みんな快諾してくれた。

すごいゴルフ場だった。

何がすごいって、酷く廃れていて、全くやる気が感じられず、
明日にでも閉鎖しても全くおかしくないような寂れ方をしていた。
受付に行くと、プレハブ小屋の中に警察に職務質問をされるために
生まれてきたような男が1人いた。
ワタシがその職質男に“パターゴルフ、大人3人小人1人で”と言うと、

“本当は大人600円だけど、今日は500円でいいよ・・・”と

めんどくさそうにそう答えた。
言い値のレジャー施設なんて、生まれて初めてだ(笑)

パターのコースも、案の定の寂れ具合だった。
コースは芝生どころか土もアスファルトもボロボロのデコボコで、
ホールに土や埃が積もり積もって完全にコースと一体化して分から
なくなっているコースもある。
子どもたちに目をやると、“こんな場所でこんな棒を持って、私たちは
いったい何をするの?”という表情だ。

それでも何とか1番ホールを探し出して(それすらすぐに分からなかった)、
パットゴルフを始めた。
ホールは一応18番まであって、すべてのホールがPar3。
初めてクラブを握った子どもたちに持ち方や打ち方を教えながら進めたのだが、
当たり前だけど、最初から上手くボールが打てるわけがない。
さすがに後ろに向かうボールはなかったが、それ以外の方角には自由自在に
飛んで行った。

“ねぇ、何が面白いの~?”

2番ホールの途中で息子がそう尋ねてきた。
飽き性の息子らしい、と思った。
娘の方を見ると、言葉にはしていないだけで、息子と同じ表情をしている。

“いいか?ゴルフってのはな、ボールを飛ばしてもいいし、少しずつ進んでもいい。
自分が好きなようにやればいい。ただし、自分で考えて自分の力でボールを穴まで
進めなきゃいけない。そのためには全体のコースの形も知らないといけないし、
ボールの周りの状態も知らなきゃいけない。どこにどう進んだって、自分の責任だ。
・・・そう、ゴルフは人生と一緒なんだ”

オレ、良いこと言ってんなぁ・・・と自分自身で思いながら、息子の方へ眼をやると、
“うわ~!デッカイ!!”と叫びながら、息子は隣のコースの芝生の上でバッタを
追いかけていた(笑)

スコアは、省略。

ビギナーの子どもと、打ちっぱなし専門の大人のスコアなんで、想像にお任せします。




話は変わるけど、今日初めてテレビドラマ「半沢直樹」を見た。

世間ではサラリーマンが喝采を送っていたのはもちろん知っていたけど、第一話を
見逃したので、そのまま見なくなっていた。
まぁ、最終回くらい見ておこうか・・・と軽い気持ちで見はじめたのだけど、
思っていたよりも、面白かった。

ラストシーンも、良かった。
思わず、吹き出してしまった。

サラリーマンなら誰もが軽く憂鬱になる日曜の夜に、こんなドラマを放送されたら、
そりゃあ、ヒットするだろうし、元気を与えてもらえた気にもなるだろう。

だって、大人も夢を持った方がいいもの。
・・・いやいや、大人だからこそ、夢は持った方がいい。

でも、安易な夢なら持たない方がいい。

なんだか、そんな終わり方だったな。
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水晶婚式。

2013-09-20 | Weblog
1年目の結婚記念日は、“紙婚式”と呼ぶそうだ。

そこから1年毎に、わら婚式→革婚式→花婚式と呼び名が変わり、5年目でようやく“木婚式”という、それまでよりは
ちょっと頑丈な呼び名になるらしい。
やっとこさ、このあたりで夫婦の関係も、それまでの恋人関係や自分を生んで育んでくれた最初の家族関係よりも
大切になる・・・ということなのかもしれない。

ネットで調べたところ、そこから呼び名は毎年さらに進んでゆき、鉄婚式→銅婚式→ゴム婚式→陶器婚式→すず婚式
→鋼鉄婚式→絹婚式→象牙婚式と、14年目まで剛柔織り混ぜた呼び名に変わり続けてゆく。
そして、そうやって迎えた15年目の結婚記念日は、“水晶婚式”というのだそうだ。

そこから先で、面白いことを知った。

15年目の“水晶婚式”までは毎年呼び名があったのに、16年目からは結婚記念日の呼び名は一切なく、以降は5年毎に
呼び名が付けられていた。
だから結婚15年目の水晶婚式の次は、いきなり20年目の銀婚式になるのだと、今回ワタシは初めて知った。

これは勝手な推測だけど、結婚15年目までは、まだまだ夫婦の関係が脆弱で、ほんの些細なことでもその関係が破綻
してしまうことが多いからこそ、あえて毎年結婚記念日に呼び名を付けて祝うようになったのではないだろうか。
しかし結婚して15年も過ぎれば、相手の長所も短所もすでに十二分に理解し合っているだろうし、もうちょっとや
そっとのことでは、そうそう破綻することもなくなる・・・ということなのかもしれない。
クルマで例えれば、15年目までは“慣らし運転”のようなものなのだろう。


今日、9月20日。
ワタシと妻は、15回目の結婚記念日を迎えた。


上述したワタシの推測が正しければ、ワタシと妻は、今日をもって結婚生活の慣らし運転を終えて、これから
いよいよ本格的な運転走行・・・ということになる。

15年といえば、生まれた子どもは15歳になり、15歳の子どもならば、もう中年手前の30歳。
そんな途方もない長さの時間のはずなのに、ワタシにとっては本当にあっという間の15年だった。
こんなに早い15年は今まで経験したことがないし、そしてたぶん、これから先の15年は、もっともっと早いのだろう。

そんな瞬く間の15年を、こんな凡夫と一緒に生きてくれた妻に、心から感謝。
そして、こんな脆弱な夫婦を15年間支えてくださった周囲の方々に、心から感謝。

本当に、ありがとう。

PS:今日、仕事の昼休憩に妻にメールした。その内容?・・・言わないよ(笑)墓場まで持ってゆく(爆)

佐野元春 & THE COYOTE BAND「La Vita è Bella」
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44歳。

2013-09-19 | Weblog
今日、9月19日で、44歳になりました。

今よりずっと若い頃、“44歳”と聞けば、外見も内面も完璧な大人を
イメージしていたし、実際に周囲の44歳はそう見えていたのだけど、
いざ自分がその年齢になってみたら、“こんな44歳でいいのか?”と
戸惑ってしまうことが多いこと多いこと・・・。

しかし思い返せば、物心がついて以来、20歳、30歳、40歳と迎える度に、
そうやって戸惑いながらもなんとか自分なりの道を歩いて来たわけで。
おそらくワタシは、50歳になろうが60歳になろうが、これからもこんな
感じで年を重ねていくのだろう・・・と、今は半ば諦めの境地です(笑)

日々の生活や仕事の中で、思うようにならなかったり、折り合いを付けたり、
妥協したり、我慢したり・・・。
若い頃に比べて、最近はそんなことが格段に増えたように感じるけれど、
それでも出来る限り自分に正直な生き方をしていきたい・・・と、
心の片隅では思っています。

これからは、今まで以上に良い歳の取り方をしていきたいものです(^O^)/



・・・最後に、両親と妻と2人の子どもへ。

今年も無事に誕生日を迎えることができました。
ワタシを生んでくれて、そして共に生きてくれて、本当にありがとう。
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生き様を肯定する、ということ。

2013-09-17 | Weblog
昨日、山下達郎のコンサートに行った。

ワタシは4年ぶり、通算3回目。
一緒に行った妻は、14年ぶり、通算2回目。

妻が行った14年前のコンサートの時は、ワタシと妻は結婚してまだ数ヶ月で、
しかも妻のお腹の中には小さな命が宿って間もない頃だった。
そんな状態だったため、コンサートの最中に妻のつわりが酷くなり、アンコールの
途中で泣く泣く会場を後にした記憶が今でも鮮明に残っている。

ちなみにその14年前の小さな命は、昨日、“誰のコンサートに行くの?”とリビングで
アイスクリームを舐めながら尋ねてきたので、“クリスマスイブを歌っている人”と
答えたら、“あぁ・・・”と、あまり興味がなさそうな反応をしただけだった。

当たり前だけど、内容は、ここには書きません(笑)
ツアーはまだはじまったばかりで、これから鑑賞される方が全国には大勢いらっしゃるので。

ただ、先日のチケットが届いた時のブログにも書いたけど、今回もやっぱり色々と考えさせられ、
啓発されるコンサートだった。
具体的に、どこがどうでそうなのか・・・ということを書くのは非常に難しいし、仮にそれを
上手く書けたとしても、それもなんだか、とても野暮のような気がする。

こんな時こそ、論より証拠。百聞は一見にしかず。
ご自身でコンサートに行って鑑賞すれば、よーーーく分かります(笑)

それでもひとつだけ自分の言葉で表わせば、山下達郎のコンサートへ行くと、自分の生き様を
肯定できる・・・ということになる気がする。

山下達郎のMCは、相変わらず饒舌で達者なMCだった。
今回もほぼ1曲終わる毎に、長い音楽キャリアの中で起こった過去の様々な出来事について語って
いたのだけど、とどのつまり、“良い時もあれば、不本意な時もあって、七転八倒試行錯誤を繰り
返したけど、結局今も自分が一番好きなことを続けてる。まぁ、何事もなんとかなるもんだ”・・・と
いうことを、その音楽と言葉から教えてくれているような気がした。

38年間、日本のポップスを創り続け闘い続けた人がステージから放つ音楽と言葉には、当たり前だけど、
ここ数年でデビューしてブレイクしたようなミュージシャンとは比べ物にならないほどの質感や立体感、
そして説得力がある。

過去の成功も失敗もすべて受け入れて、自分の生き様を肯定する。
人はある一定の年齢に達したら、そうしなければ、その先へは進めないのかもしれない。

ちょっと大げさかもしれないけど、そんなことを考えさせられた、良いコンサートでした。
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笑う人には笑っといてもらおう。

2013-09-14 | Weblog
奥田民生のシングル「風は西から」をダウンロードした。

いやー、いいわ。
“笑う人には笑っといてもらおう”って、なんて良い歌詞なんだ。
こんな歌詞は、奥田民生にしか書けない。

人から悩みや相談事を打ち明けられた時、ワタシは

“人は人、自分は自分なんだから、気にするな”

・・・・という言葉を、ホントによく使う。
それはウソでも偽りでもなく、ワタシの本心のつもりなのだけど、
裏を返せば、そういう言葉をよく使うということ自体、実は本当の
自分は、他人の目をとても気にしているのかもしれない。

・・・・などということを、ちょっと考えてしまった。

それにしてもこの歌はいい。
聴いていたら、家を飛び出して無性にドライブに行きたくなってしまう。

先日の日記にも書いた家族旅行。
行き先どころか、現時点ではまだ旅行自体も流動的だけど、もしも
車での旅行だったら、車内でヘビーローテーションで流れること必至。

ダウンロードが終わった後、YOUTUBEへアクセス。
気がつけば、この動画にたどり着いた。

やっぱりねぇ、個人的にはこの頃のビートたけしが一番好き。
トンガってて、アナーキーで、男の色気があって・・・・。
おそらく今から20年くらい前か。

あ・・・。
たぶん、今のワタシとほぼ同い年だ・・・(-_-;)

ビートたけしのコント「結婚式」
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侃々諤々。

2013-09-12 | Weblog
10月の連休に、家族旅行を計画中。

まだ1ヶ月ある・・・と思っていたが、様々な予定が書き込まれている自宅の
カレンダーをよく見ていたら、感覚的に“もう1ヶ月”にスイッチが変わった。

なので、昨夜は家族会議。

一応、子どもたちの意見も聴いてみたが、案の定、巨大なテーマパークや
大都市のド真ん中の地名しか口にしない。
そんな所へ行っても、人が大勢集まったらどれだけ疲れ果てるか学習する
だけだ・・・ということを噛み砕いて諭してみたが、2人ともどうも合点が
いかない様子。

家族4人でPCを囲んで、いろんなサイトにアクセスアクセス。
しかし一向に着地点が見えないまま、ぬるい会議は続いていったのだが、
ふと時計を見ると、もうすぐ日付が変わろうとしていた。

ここで、会議終了。
決定事項、なし(笑)

今日も会議の続きをするのかどうか分からないが、細かい行き先は後回しにして、
せめて宿泊施設くらいは仮予約しなければ。

それにしても昨夜の会議は、みんな騒がしかった。
各々好き勝手に自分の考えを喋るわ、宿泊サイトを見ている横から勝手に
観光サイトのページを開くわ、本棚から大昔の旅行雑誌を引っぱり出してくるわ・・・etc.

思えば、旅行に限らず何かしらのイベント事を行う時、結局一番楽しいのは、
その事柄を立ち上げるために、こんなふうに侃々諤々やっている時なのかもしれない。

・・・あ、そういえば、ひとつだけ決まった事があった。

広島弁の聞こえない所へ、行きます(笑)
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第5の矢。

2013-09-10 | Weblog
自宅でくつろいでいたら、突然外から“ゴーーーーッ!!!”という聞いたことがないようなとてつもない
轟音が響いてきた。

急いで玄関から飛び出すと、家の前の道のアスファルトを突き破って、大量の水が巨大な水柱となって
噴水のように溢れ出していた。
水柱は高さ数十メートルにも達していて、その水しぶきで道路はもちろんのこと、ワタシの家や周囲の
家もびしょ濡れになっている。
そのあまりにも非現実的な光景を目にしたワタシは、ただただ呆気にとられて水柱を見上げるだけだった。

「おぉ、やっぱり吹き出たかぁ」

背後から声がしたので振り返ると、そこにはワタシが暮らしている地区の地区会長が立っていた。

「この辺りには、昔から温泉の水脈があるという言い伝えがあったんじゃ」

会長は水柱を見上げながらそう言った。
そうこうするうちに周囲に人が集まりはじめた。みんな近所のおじさんおばさんたちだ。

「おお、すごいことになっとるのぉ」
「こりゃあ、ホンマに温泉じゃねぇ」
「いやぁ、すんごい勢いじゃのぉ」

みんな水柱を見上げながら口々に好き勝手なことを言うだけで、誰も動こうとしない。

「これ・・・消防署を呼んだ方がいいんじゃないですか?」

ワタシは会長にそう尋ねたが、会長は首を傾げて思案の表情を浮かべるだけで、何も答えてくれない。
いや、こういう場合は消防署じゃなくて、警察だったかな?どっちだっけ??
会長の反応を目にしたワタシは、このとんでもない状況の中でなんとも呑気なことで迷っていた。

すると、背後から、微かな車のエンジン音が近づきはじめた。

そうか、この光景にアタフタしている間に、親切な誰かが消防署に電話してくれたんだ。
いや、もしかしたら警察かもしれない。
まぁ、この状況を解決してくれるなら、どっちでもいい。
やれやれ、とにかくこれで、一件落着・・・と胸を撫で降ろしかけたワタシだったが、現れた車を目に
したとたん、撫で降ろしかけた胸が再び一気に上がった。

そこに現れた車は消防車でもパトカーでもなく、黒塗りの高級車だった。

その筋だ、その筋だ、その筋だ、その筋だ・・・・と、おもいっきりビビり上げたワタシの横に黒塗りの
その車はピタリと停まるや否や、後部のドアが静かに開き、そしてスーツを着た一人の男が降りてきた。



安部首相だった。



周囲のおじさんおばさんが一斉に拍手を送る。
「おめでとうー!」
「ご苦労さまー!」
中には、日の丸の小旗を振っている輩もいる。
その歓声に右手を挙げて応える安部首相。
その首相の足下でチョコチョコと動き回る、赤いシャツを着た小さな人間らしき生き物がいた。
目を凝らしてよく見てみた。

猫ひろしだった。

安部首相が手を挙げて応えるのと同時に、猫ひろしも首相の足下で“ニャー”と周囲に応えていた。
しかし、如何せん、肉眼では確認しずらい。

どこの誰が用意したのか、いつの間にか安部首相はマイクを握っていた。
そして、一向に勢いが衰えない水柱の前で、当たり前のように演説をはじめた。

「みなさん、東京でのオリンピック開催が決定しました」

拍手と歓声で応えるおじさんおばさん。
なるほど。
だから首相が現れた時、みんなお祝いや労いの言葉を首相にかけたのか・・・と、
またしてもこの状況下で脳天気な得心をするワタシ。

「これから、東京は変わります」

いやいや、ここは東京ではないんですけど・・・。

「ワタシは、決めました」

え?何を???

「ここに、スーパー銭湯を作ります」

はぁ????

「そしてここは、選手村として使います」

と、安部首相は後ろを指差した。
首相が指差した先を点線で伸ばすと、そこには明らかに我が家があった。
いやいやいやいやいやいや、それは困ります、勘弁して下さい、なんでうちが選手村になるんですか!?
思わずワタシは首相の前に躍り出て、猛抗議した。

「大丈夫です」

首相はハッキリとした口調でそう言って、こう続けた。

「後で、返します」

そういうことじゃなくて!!

「この温泉も、十分に活用します」

活用なんかしなくてもいいよ!早くなんとかしてくれ!!

「大丈夫です」

何が大丈夫なんだよ!びしょ濡れだぞ!!

「国のコントロール下にあります」

あんた、何言ってんだっ!?

「大丈夫です」

何がっ!?

「これが、アベノミクス“第5の矢”です」

いいかげんにしろっ!!




・・・・・ここで、目が覚めた。
夢だと分かると、すぐに窓を開けて家の前の道路を見た。

温泉は、吹き出ていなかった。

こんな不条理な夢を見たからか、今日は終日、身体の中に鉛を詰め込まれたように
重く鈍いままだった。
同じ夢でも、もっと甘くて柔らかい夢を見たいもんだよ。

それにしても・・・・猫ひろしは、何で出てきたんだ(笑)?
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バ~~~カ。

2013-09-09 | Weblog
はじめてこの人の小説を読んだ時、その人物や風景の描写に唸った記憶がある。

世代的に近い重松清や百田尚樹のように派手な扱われ方はしていないけど、

個人的には、巧い作家だなぁ、と思っていた。

広告業に身を投じている者としては、彼の経歴にも親近感を憶えていた。

今も自宅の本棚には、彼の作品が何冊かある。

でも、手放しちゃうかも。

バ~~~カ。

●小説家の原田宗典容疑者逮捕=覚せい剤と大麻所持容疑
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130909-00000052-jij-soci
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