りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ホーム・スウィート・ホーム。

2010-09-30 | Weblog
またまたまた、電子出版に作品をUPしました。

これでしばらくは作品のUP はしないかな。
まぁ、りきる3部作ということで(笑)

今回の作品もライトノベルですが、
前2作品とは、少しだけ方向を変えてみました。
もちろん購読無料です。
よかったら、どうぞお読みくださいませ~↓
http://wook.jp/book/detail.html?id=207883
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日中友好。

2010-09-30 | Weblog
ここ1ヶ月ほど、また我が国と彼の国との間で、ギクシャクしている。

その度に、マスメディアを中心に声高に叫ばれる言葉がある。

“日中友好“、である。

よく考えると、この言葉って、語弊があるかも知れないが、奇妙な言葉だ。
例えば、日本と最も友好な国としてすぐに思い浮かべるのは、アメリカだろう。
では、アメリカを指して“日米友好”という言葉を頻繁に使うだろうか?
使ったとしても、もちろん意味は分かるが、どこかしら違和感を感じることを
否めないのは僕だけだろうか?

ではお隣の韓国。
“日韓友好”。
この言葉も、以前は頻繁に耳にした。
今、耳にしても口にしても、さほど違和感がない。
しかもここ数年、あまり聞くことがなくなった気がする。

では、遠い国ではどうだろう?
例えば、スペイン。
“日西友好”。
初めて聞く言葉だ(笑)
ポンと、この4文字を目の前に出されても、すぐに意味を解せる人は、逆に少ない
のではないか?

話を元に戻す。

日中友好。
断言できる。
世界中の国々で、対日本との間で“友好”という言葉が最もしっくりくるのは中国なのだ。

ではなぜ?

最近、危うくなりはじめたといえども、アメリカとの関係は日本にとって最大最強の関係だ。
終戦直後から現在まで、政治、経済、文化・・・すべてにおいて我が国はアメリカに追随してきた。
お互い、アメリカの数多い“相方”の一人として、当たり前の存在だったのである。
だから“日米友好”と口に出す必要はなかったのだ。

韓国は、いまだにアメリカに比べれば、まだまだ危うい関係であるが、8年前のWカップ共催や
昨今の韓流ブームで、一気に親しい関係に進展した。
少なからず、両国は、“文化”に関しては共有をはじめている。
本当の友好関係が生まれはじめている。
だからこそ、“日韓友好”という言葉に違和感を感じはじめているのかもしれない。

では、スペイン。
極論をいえば、これは、どうでもいいのだろう(笑)
スペインにしろ、ベルギーにしろ、アフリカの最奥地のナンチャラカンチャラ共和国など、
適当に仲良くしておけば、何も問題はない。
だから、友好もへったくれもない。

そこでもう一度。
日中友好。
やっぱり、しっくりくる。
まるで最初から成立している四文字熟語のようだ。
では、なぜここまで日中の間で“友好”の文字がしっくりくるのか?

それは、両国の間に友好が、まったく存在しないからである。

日本は言霊の国だ。
古来、日本人は、言葉には魂が宿っていると信じて来た。
そこに無いもので存在して欲しいもの、もしくは現在は不本意な状態だが、本来希望する状態になって
欲しい事柄があれば、それを口にすることでそれは必ず実現すると信じて来たのである。
初詣なんて、格好のいい例だ。

これに照らし合わせれば、現在(いや過去から)、日中友好が存在しないから、私たちは長年
“日中友好、日中友好”と、ことあるごとに口にして来たのである。それこそ念仏を唱えるように。

いつか。

いつか、“日中友好”という言葉に違和感を覚える日が訪れるのだろうか?
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同世代。

2010-09-29 | Weblog
写真の2人。

広島カープの高橋健投手。
プロテニス選手のクルム伊達公子。

2人とも僕と同世代。
しかし、立場は対照的。

高橋健は、今年で現役引退。
クルム伊達は、現在、東レ・パンパシフィック・オープンで快進撃中。

僕も含めて、3人は世間一般で言う、いわゆる“アラフォー”世代なわけだが、
この年代って、本当にいろんな意味で人生の分水嶺なんだと最近痛感している。
先週、祖母を亡くして、まだ間もないこともそれは要因かも知れない。
どうしても、心情的にもそういう思いが湧いて来てしまう。

でも、時間的に考えてみても、僕が人生の折り返し地点に立っていることは、
これはもう紛れもない事実なわけで。

ある人は、何かにピリオドを打つ。
ある人は、何かをスタートさせる。
ある人は、ひたすら何かを続ける。

だから、そういう年代なのだ。僕たちは、今。

40代になって、気づいたことがある。

今までは、人生の長い長い助走期間で、おそらく、これからが本当の意味で
それぞれの人生がはじまるのではないか?



さて、僕は。



何かにピリオドを打つのか?
何かをスタートさせるのか?
何かをひたすら続けるのか?

たぶん、そのどれもが当てはまるのかも知れない。
日々の日常の中で、何かを捨て、何かを見つけ、何かを持ち続けている。

そうなのだ。きっと。

僕は僕の人生の折り返し地点で、今日も、僕なりに日々を生き、
そしてこれからも生きてゆく・・・のだと思う。
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バスルームから愛をこめて。

2010-09-28 | Weblog
先日、電子出版サイトに、僕が書いた稚拙なライトノベルを
UPしましたが、予想外に読んでくださる方が多くて☆☆☆
感謝感謝でございますm(_ _)m

そこで性懲りもなく、2作品目もUPさせてしまいました(^_^;)
今回の作品も、今まで書いてきた本ブログやmixiの日記を
ベースにしているんですが、その中でも“お風呂ネタ”に特化して
短編集にまとめました。
作風としては、小説と言うよりは、どちらかというとエッセイに
近い感じですね。
おヒマなら、お読みくださいませ (^0^)/
もちろん、購読料は無料でございます。
そして・・・絶対に損はさせません(爆)↓
http://wook.jp/book/detail.html?id=207836
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レンガ壁。

2010-09-27 | Weblog
今日から、社会復帰(笑)

出勤してデスクに仕事が山積みになっていたらどうしよう・・・と、
少しビビっていたが、先週が連休だったこともあって、
さほど仕事は滞っていなかった。

いやぁ、よかったぁ~ (^_^;)

その代わり、僕らが連休明けなら、お客さんも連休明けなわけで、
朝からドンドン仕事が動き出した。
いいですね。
非日常に停滞していた心身を元に戻すには、やっぱり日常の中でしか
戻す手段はないんだな。

まぁ、今日から少しずつ2週間前・・・いや、半年前の自分に戻していきます。

ところで話は変わるけど、先週の日曜日、前の会社の先輩で、
今もバリバリのクリエーターとしてがんばっている徳島のゆ~こさんが、
お友達のakaneさんと一緒に僕が暮らす街へ遊びに来られた。

僕に会うために・・・というのなら男冥利に尽きるのだけど、
実は、別のお友達にお会いするついでだそうで(爆)

しかし、その日は奇しくも9月19日。
そう、僕の誕生日。

デザイナーであり、ディレクターであり、そしてカメラマンでもある
ゆ~こさんに、誕生日プレゼントにかこつけて、写真を撮ってもらいました。
場所は、僕が暮らす街に戦前からある紡績工場。
古いレンガ壁がものすごく味があって、いつかプロのカメラマンに
このレンガ壁の前で写真を撮ってもらいたかったんだ。
出来上がった写真を見て、感嘆。。。。
・・・我ながら、カッコいいよねぇ(爆)
やっぱり写真に精通した人が撮ると、全然違う。

僕自身は、これで、中学時代からの夢がやっと叶いました。
それこそ、25年越しの夢(爆)
長かったなぁ~。

ゆ~こさん&akaneさん、ありがとうね (^0^)/
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ダウンタウン・ボーイ。

2010-09-26 | Weblog
ちょうど一週間前は、僕の41回目の誕生日だった。

その翌日は12回目の結婚記念日で、
その翌日は妻の誕生日で・・・・と、
毎年我が家では、最も慌ただしく大切な記念日が
続く特別な時期だったのだけど・・・・今年は
それらが全部吹き飛んでしまって。

その代わりに、毎年とは違うカタチで、“家族”とか
“血筋”というモノを教えられた一週間でした。

今日は連休最終日。

まぁ、たしかに連休で、今週は実質3時間しか働いてないけど、
休んだ感覚というのは、まったくなくて(苦笑)

だから、今日は朝から、息子と一緒に近くの浜辺へ
魚釣りへ行きました。
のんびりと瀬戸の海に釣り糸を垂らしていたら、
少しだけ、気持ちが落ち着きました。

空は、正直ですね。

日射しにはまだ今年の猛暑の名残りがあったけど、
雲は明らかに秋の雲。

空を見上げて、浜辺に座って海をぼんやり眺めていたら、
佐野元春の「ダウンタウン・ボーイ」という歌の、
“すべてをスタートラインに戻してギアを入れ直している君”
という歌詞を思い出しました。

気持ちは、もう10月です。
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電子出版。

2010-09-25 | Weblog
以前から知人に薦められていたサイトに、
自身の作品をUPしてみた。

いわゆる、電子出版。

しかし初めての経験だし、
まだよく分からない点もあるので、
とりあえず、最初は1ヶ月限定の“購読料無料”で試運転。
まぁ、“デモ電子出版”ってとこかな。

もし、よろしければお読み下さいませ。
もう一度、書きますが、“無料”ですので(笑)

http://wook.jp/book/detail.html?id=207820
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祭りのあと。

2010-09-24 | Weblog
親戚が集まり酒が入れば、必然的にそれは
宴席になってしまう。
それが慶事であろうが、弔事であろうが。

昨日の葬儀の終わりは、みんな朗らかな
笑顔になっていた。

最初は酒を交わしながら祖母を偲んだ会話だったが、
気がつくと家族の近況や仕事の話なっていた。

僕らは、明らかに“今”を、生きているのだ。

今朝。
まるで学生時代の運動会や文化祭の後のような心境。
ひと言でいえば、祭のあと。

しかし、まだ祭は終わっていない。

今日は、香典の整理やお寺へのお礼や四十九日の段取りを
両親や喪主を務めた従姉妹と4人でやってゆく。

写真は、祖母がかつて暮らしていた家。
母の生家でもある。
今は廃屋になってしまっているこの家に、
葬儀の後、帰り際、両親と弟と一緒に訪れた。

さぁ、今日も、“今”を生きてゆこう。
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大八車。

2010-09-23 | Weblog
終戦直後の話である。

祖母は瀬戸内の親戚の家に間借りしていたそうだ。
傍らには前年に産まれた乳飲み子。
後の私の母である。

祖父は、いなかった。
突然届いた赤い紙一枚で出征したまま、消息を絶っていた。

親戚といえども、間借り生活は肉体的にも精神的にも
しんどかったことだろう。

何もない時代だ。
祖母はせめて食べ物だけでも自給自足した。
海辺から山の向こうの知り合いの農家に食べ物を
貰いに向かったそうだ。

祖母は親戚に大八車を借り、乳飲み子の母を荷台に乗せ、
浜辺の家から山の向こうの農家に向けて、自ら大八車を
引っ張った。

山を越えるためには険しい峠を越えなければいけなかった。
その峠を祖母は自分の力だけで登った。大八車を引っ張って。
乳飲み子の母を乗せて。何度も何度も・・・。

時々、思う。
峠の頂上にたどり着いた時、祖母は自分が登ってきた
道程を振り返ることはあったのだろうか。
もしそうならば、その風景を眺めながら、
祖母は何を思ったのだろう。
遠くキラキラと光る瀬戸の海を眺めながら、
何を思ったのだろう。
消息の分からない祖父のことだったのだろうか。
それとも自身が置かれた境遇のことだったのだろうか・・・。

思えば、祖母の人生はずっと大八車を引っ張り続けた
一生だった。
苦しく険しい坂道をひと言も弱音を吐かず、黙々と
登り続けた一生だった。
路傍の野菊や漂う柔らかい風に癒される時もあっただろうが、
坂道を登り続けたことに変わりはない。

祖母がやっと下り坂を緩やかに歩きはじめたのは、
最晩年の数年だけだったと思う。
だが、最後まで大八車を手放すことはなかった。

だけど、それも今日までだ。

おばあちゃん、もう大八車から手を放してもいいよ。
お疲れ様。本当にお疲れ様。
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89年。

2010-09-22 | Weblog
人間にとって、89年という歳月は、いったいどれほどの長さなのだろうか。

つい先日41歳になったばかりの僕は、昨日からずっとそんな事を考えていた。
昨夜は遺族を代表して、僕が葬儀場に泊まった。
少し狭い安置室で、祖母の横に布団を敷いて一緒に寝た。
「なぁ、おばあちゃん・・・」
二度と口を開くことのない祖母にむかって、僕は尋ねた。
「長かった?」
「短かった?」
「・・・幸せだった?」
35年ぶりくらいに祖母と一緒に寝た僕は、あの頃と同じように、暗くした部屋の怖さや不安を払拭するために、祖母に尋ね続けたのかも知れない。

朝。

いつもより少し早く目が覚めた。
僕はまず、線香が消えていないことを確認した。

会館の職員の方が、コーヒーと朝刊を持って来てくださった。ありがたい。

時間が止まっていた安置室にも“今日”という日がやって来た。
僕の目も覚めた。

今日は、通夜だ。
明日は、本葬だ。

おばあちゃん、ちゃんと送ってあげるからね。
27年も前に早々と旅立ったおじいちゃんや、母親の自分より先に逝った、僕の叔父である息子に、もうすぐ再会できるから。
初孫だった俺はもちろん、家族のみんな頑張るから、もう少し待っていてください。
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