りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

大説教。

2013-04-30 | Weblog
夕べ、久々に、娘にカミナリを落とした。

その原因の詳細については、娘の名誉もあるのでここには書かないが、
43年間生きてきて、娘よりも先に大人になった者として、絶対に
見過ごすことができなかったのだ。

・・・といっても、ボクも人間ができていない。
娘を叱りながら、頭の中で“冷静に冷静に冷静に・・・”と自分自身に
忠告していたのだが、そう思えば思うほど、まるで反比例するように、
ヒートアップしてゆき、声が大きくなり口調が荒くなっていった。
救いは、ボクがそうなると、その都度、横で静観していた妻が制止に入り、
娘を擁護してくれたことだった。

ボクが大声を張り上げている間、娘は終始下を向いたまま、涙を流していた。
そして、決してボクとは目を合わせなかった。

今年の夏に14歳になる娘に、ボクの言葉がどれだけ響いたか、分からない。

今、人生の中で最も多感な時期を過ごしている少女は、おそらくボクから
最も遠い場所にいるような気がする。
もちろんボク自身もそんな多感な時期を過ごしたし、その頃のことは今でも
如実に憶えている。
しかし、その一方で、ボクはもうどこから見ても40代のオトナにしか見えない。
それは外見だけではなくて、きっと中身・・・つまり、夕べ娘に向かって
ボクの口から発せられた言葉も、しょせん40代のオトナの言葉だったので
はないか?と思ってしまう。
どんなに言葉を重ねても、10代の子どもに届く言葉を、今のボクは持ち合わせて
いないのかもしれない。

ただ、今回、中学生の娘を叱って、ひとつだけ分かったことがある。

最近は、友達のように何でも相談でき、街中でも手をつないで歩いている
父娘が多くなったらしいが、ボクには、無理だ。
娘もそれを望んでいないだろうし、何よりもボクの性分の中にそれは無いような
気がしている。

そういう父娘が羨ましくない、と言えば嘘になる。

でも、それよりは娘に最も近いオトナとして、嫌われ、鬱陶しがられ、大きな壁に
なってやる方が、自分の性分に合っているような気がするのだ。

世の中に出れば、相性の合わない人間はゴロゴロいる。
いや、むしろ世の中は、そういう人間ばっかりだ。
それでも、そんな中で、しっかりと自分の足で立って自分の場所を作らなければ、
人間は生きてはゆけない。

だったら、娘にとって人生最初の大嫌いなオトナになってやる。
それならそれで、本望だ。

それにしても、夕べの説教は、キツかった。
終わった後、何とも言えない虚しい疲れに襲われた。
きっと、説教する方も、尋常ではないエネルギーを要するのだろう。

娘よ、この疲れの意味が、お前に分かるかね?
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許されるならば。

2013-04-29 | Weblog
今日の朝刊に掲載されていた。

人材が豊富な職種だと勝手に思い込んでいたから、
ちょっと驚いた。

今度生まれ変わったら、もうボクは広告業を生業には
しない。
子どもの頃、あれだけ歴史が好きだったんだから
(いや、今もか)、絶対にこの職業に進みたい。

・・・いや、許されるならば。

許されるならば、今からでもこちらに移りたい(笑)
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三矢の教え。

2013-04-28 | Weblog
連休2日目。

歴史好きな息子のたっての希望で、
広島県西北部の吉田郡山城址に
来ています。

この城址は、戦国武将・毛利元就の居城跡。
ここは、結婚直後に妻と2人で訪れたことがある。
あれから、15年。
まさか小学4年生の子どものリクエストがきっかけで
再び訪れることになるだなんて、予想だに
していなかった(笑)

GWの真っ只中だけど、道中は中国山地の県道を走って
来たので、渋滞とはまったく無縁。
五月晴れの中、農村の一本道を奥田民生の「さすらい」や
「イージュー・ライダー」を聴きながらのドライブは、本当に
気持ちがよかった。

午後からは、適当な店で昼食を食べて、道なりに史跡や寺社を
気まぐれに寄り道しながら、のんびり帰る予定。
今年は例年になく、シッブイGWを過ごしております(笑)

※写真は、毛利元就公の墓所。
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被写体慣れ。

2013-04-26 | Weblog
物怖じしないにも、限度があるだろうに。

尾道の猫は、どうも被写体慣れしている。

明日からは、こいつも海岸や路地裏で

出会った観光客に撮られまくるのだろう。

みなさんも、楽しいGWを・・・。
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餅屋は餅屋。

2013-04-24 | Weblog
ただいま、ボクの実家ではリフォーム工事の真っ最中である。

先日、このブログにも書いたが、両親も高齢になったので、今よりも
使いやすい浴室とキッチンに換えることになったのだ。

ボクも何度か打ち合わせの席に同席させてもらい、今月の上旬から
工事が始まると、出来るだけ時間を見つけて実家に立ち寄り、工事の
進捗状況を確認させてもらった。

それにしても、水道業者さんは本当にプロフェッショナルだと、
つくづく思う。

何を当たり前のことを・・・と呆れられそうだが、そうとしか言えない。
とにかく、工事が進めば進むたびに感嘆の連続なのだ。

長年そこで暮らしてきた人間にしてみれば、その家の間取りやカタチは
すでに固定の風景なのだと思う。
だから“リフォームするぞ!”と決心して、業者さんが
作った設計図を見せられたところで、最終的にいったいどういうふうに
なるのか、どうもその想像には限界があるようだ。

でもプロフェッショナルは、違う。

これも当たり前のことだけど、水道業者は対象物をちゃんと客観的に
捉えて工事をしてくれている。
現在工事も大詰めを迎えて、浴室もキッチンも新しいカタチに見せ
はじめているだけど、うわぁ~、ここまで様変わりするものなのか!と、
毎回実家に帰るたびに、ため息がダダ漏れ状態になる(笑)

今回、リフォームを依頼した水道業者は、ボクの高校時代の同級生だ。
リフォームの設計図も、彼が描いた。
先日、実家に帰った時に会い、その後一緒に食事をしたのだが、
その時、ラーメンをすすりながら、彼はこう言っていた。

「長年、たくさん設計図も描いてきたけど、描いている時は“本当に
この設計図で上手くできるのか?”と不安になる。でも、実際に工事が
はじまって、何の問題もなく自分の設計図どおりに工事が完了した時は、
もう、言葉にできないくらい気持ちがいい」

彼が言うには、もちろんボクの実家もそうらしい。

リフォーム工事の完了は、今月末の予定。
その時には、このブログでもリフォームの“ビフォア→アフター”を
UPさせてもらいます。

Coming soon!!!!
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色褪せた鯉。

2013-04-23 | Weblog
今年も鯉のぼりを出した。

1年前のブログにも書いたけど、ここ数年で鯉のぼりの色褪せが、
やけに目立つようになった。

息子も、今年の8月で10歳。
初節句からすでに9年も過ぎているのだから、まぁ、当たり前か。
色褪せた分だけ、成長したということなのだろう。

しかし、これから年を経るごとにもっと色褪せが進んで、最後は
まっ白になってしまうのだろうか。

いやいや。

そんなくたびれた鯉のぼり、見たことがない。
かといって、色褪せたから買い替えた、という話もあまり聞かない。

思うに、それなりの時期になると、鯉のぼりを出さなくなるのだろう。
おそらくその頃が、ちょうど鯉のぼりの色褪せが限界に達する頃と
同じ頃なのではないだろうか。

じゃあ、それはいつか?

たぶん、息子が小学校を卒業する時だろう。
だから、わが家で鯉のぼりが悠々と旗めくのも、残りあと2年、という
ところかもしれない。

ところで話は変わるけど、今日の日記のタイトルに“色褪せた鯉”と
書いているが、入力して最初に変換したら、“色褪せた恋”になった。

それはそれで、いい言葉じゃないか(笑)
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祝・映画化。

2013-04-22 | Weblog
作家・福澤徹三さんの小説「東京難民」が映画化されるそうだ。

2年前に、知人から薦められて読んだ。
本当に面白い小説だった。
その時読みながら、“映画化すればいいのに”と思っていたから、やっとというか、
ついにというか、個人的には、待望の映画化という感じだ。

主人公とは年齢も境遇もまったく違うけど、読んでいた当時はリーマンショックの
爪痕がまだまだ深くて、物語も本当にリアリティがあって、とても他人事のように
思えなかった。
あれから少しだけ時代が動いて、今はかつてのバブル時代の再来のような雰囲気が
漂いはじめている。
そんな少し浮き足立った時代の空気の中で、このような“一寸先は闇”的な物語が
どれだけ受け入れられるか、正直分からない。
でも、そんな時代だからこそ、観た方がいい映画なのかもしれない。

福澤徹三さんの作品は、本当に面白い。

普通の生活を送っていたはずの人物が、ちょっとしたボタンの掛け違いや躓きで、
気持ちがいいほど簡単に瓦解し、苦闘し、翻弄されながらも、最後は自力で再生
してゆく。
そんな小説を描かせたら、福澤さんの右に出る作家はいないような気がする。

願わくば、この勢いに乗じて、地方の広告マンとヤクザのドタバタ劇を描いた
大好きな小説「Iターン」も映画化してもらいたい。
もしもあの作品が映画化されたら、最高のエンターテイメント映画になる気が
するのだけど。

映画会社さん、ぜひご一考を。

●『東京難民』公開決定
http://www.excite.co.jp/News/cinema/20130421/Crankin_2427910.html
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間尺に合わん仕事をしたのう。

2013-04-20 | Weblog
先日、この本を買った。

映画「仁義なき戦い」の、いわゆるムック本。
映画公開40周年とブルーレイ版の発売を記念して出版された雑誌らしい。

今や説明不要の邦画史上に残る傑作映画だけど、ボク自身、広島生まれの広島育ち
だからかどうか分からないが、「仁義なき戦い」は、今まで見た
邦画の中でも5本の指に入るほど好きな映画のひとつだ。
シリーズ全作観ているし、3作目の「代理戦争」や4作目の「頂上作戦」
なんて、アフレコが出来るくらい何度も何度も観ている。

40年も前に作られたこのヤクザ映画が、なぜ時代を超えて今でも熱狂的に
支持されているのか、この雑誌でも簡潔ながらも解説してあった。

中でも興味深くボク自身も共感したのが、台詞。

広島人から見て、ほぼ完璧な広島弁で語られる登場人物の台詞の数々は、
年を重ねたからこそリアリティーを持つ言葉が本当に多い。

例えば、今日の日記のタイトルに使った言葉は、主人公の広能昌三
(菅原文太)の台詞。
4作目「代理戦争」のラストシーン、熾烈な抗争が多大な犠牲者を生んだ
だけで終わり、寒々とした警察署の中でこの台詞を呟く。

初めてこの映画を観た20歳の頃、“間尺”なんてモノは自分の中には存在しなかった。
ある意味、“間尺”というモノは、自分の出来ること、出来ないことがおぼろげに分かり
はじめて、初めて実感する概念なのではないだろうか。
良し悪しは別として、自身の“身の丈”を冷静に受け入れることが出来なければ、
理解出来ない種類の言葉のような気がする。

この映画には、そんな“大人の言葉”が溢れている。

早くも4月も下旬になる。
新卒で社会に出た人たちも、そろそろ世間の不条理や理不尽さの断片に
触れはじめた頃じゃないだろうか?
そんな人たちこそ、今、この映画を観るべきじゃないかとボクは思う。
ありがちなビジネス書やマナー講座よりも、この映画を観た方が、
よっぽど社会勉強になると思うのだが。

どれだけ時代が変わろうとも、山守の親分(金子信雄)や槇原政吉
(田中邦衛)、打本昇(加藤武)のような人間は、どんな世界にも
存在している(笑)
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風をあつめて。

2013-04-19 | Weblog
この季節になるとこの歌を聴きたくなる。

そんな歌が、誰にでもあると思う。

今の季節・・・桜が散って若葉が芽吹く頃、

ボクは必ずこの歌を聴きたくなる。

世代的にはまったくリアルタイムではないけれど、

いつの間にか、自然にこの歌を覚えてしまっていた。

週末。

天気予報では、あいにくの天候のようだけど、

この歌を口ずさみながら、のんびりと過ごそうか。



はっぴいえんど「風をあつめて」
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動力。

2013-04-17 | Weblog
たまーーーに。

たまーーーに、“オレって天才じゃないか!?”と、思うことがある。

昨日から、とあるクライアントから依頼のあったロゴマークの
デザインに取りかかった。
デスクに広げたラフノートに、落書きに毛の生えたような
まだお世辞にもマークとは言えない段階のモノを、鉛筆で
いくつも殴り描きしていた。
何ページにも渡ってそういうモノを描いていたのだが、なかなか
“コレ!”というモノが表れない。

少しだけ、焦りはじめる。
もしかしたら、今回はいいモノが創れないかもしれない・・・。
いや、それどころか、もしかしたら、オレはもう年齢的にも感性的にも、
デザイン自体が出来なくなりはじめたのかも知れない・・・。



・・・が、しかし。



それは、突然、現れた。
ラフノートの数ページ目。隅っこに描いた殴り書き。

すげぇ!!

こんなデザインのマーク、今まで創ったことがない!!!
たぶん、世の中にもこんなマーク、存在しないんじゃないか!?
これは、画期的で斬新で感動するほどハイクォリティなロゴマークになるぞ!!!

ノートに隅の隅に隅に描いた、おそらく他人から見たら絶対に判別不能な
そのロゴマークの“種”を、さっそくスキャンしてパソコンに取り込み、
カタチを整え、本格的にデザインしてゆく。



あら?


カタチがおかしい。
バランスが悪い。
色がまとまらない。

どう見ても、マークの呈を成していない・・・onz

この瞬間、“オレって、天才!”と思っていた自分は見事に消え失せ、
“やっぱりオレはダメだぁ~”と、奈落の底に落ちてしまう。

この20年、その繰り返し。
天国と地獄を交互に巡る。
その回転が動力になって、人生は動いているのかもしれない。

(写真はイメージです)
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