りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

娘へ。

2012-06-30 | Weblog
Facebookにアップされていた言葉。
娘へ。
・・・あ、ついでに自分自身へも。


変えられないことで悩むのが
世の中の最大のストレス。

変えられないものの典型は
... 「過去」と「他人」。

「他人」を変えるくらいなら
「自分」が変わったほうが
何倍も楽に生きられる。

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らせん階段。

2012-06-27 | Weblog
うまくいく時は、何事もうまくいくし、考え方も前向きになる。

うまくいかない時は、何事もうまくいかないし、考え方も後ろ向きになる。

誰だってそんな時があるだろう。

らせん階段の踊り場。

上るのか、下るのか。

どっちだ。
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惚れ直した。

2012-06-26 | Weblog
昨日、愛車Twinがクルマ屋から帰ってきました。

サスペンションを一新したところ・・・絶好調
なによりも、運転席に座った時の視点が全然違う(笑)
ただでさえサスペンションを換えてローダウンさせ、
そのままくたびれたサスのまま走ってたから、純正よりも
10cm近く車高が下がってた。昭和の暴走族じゃないんだから(笑)

おかげで運転しやすくなったし、スプリングもしっかりしたから、
以前ならちょっとした段差でも、ものすごい衝撃があったのが、
かなり軽減された。
本来ならサスペンションと一緒にショックも換えるべきなんだろうけど、
今回は、サスだけの交換で様子を見ることにした。
でも、それで正解だったかも。
もう、全然違う車みたいに乗り心地が向上したもの。

車検を受ける前後には、“もう、そろそろ潮時かなぁ・・・”と、
ちょっと虚しい気持ちも湧いてきたことがあったけど、なんのなんの。

いやぁ、惚れ直しました。
まだまだ走るぞ。
頼むぞ、Twin。
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縫製会社。

2012-06-25 | Weblog
今日から、妻が働きに出た。

自宅から至近の縫製会社で求人があったらしく、
先週面接を受けたところ、今週から働くことになったそうだ。

妻は子どもの頃から縫い物が好きな女性だった。
幼少の頃の妻は、あまり親に物をねだる子どもではなかったそうだ。
そんな彼女が小学生の時、人生で唯一親にねだって買ってもらった物が、
大人用のミシンだったそうで、そのミシンを今でも大切に妻は使っている。

もっとも、ミシン縫いが出来るといっても、それは趣味の域での話なので、
それが本業となると、話は全く別だろう。
だから今日から縫製会社で働きはじめたといっても、最初の2週間は
試用期間となるらしい。

短期間のアルバイトを除くと、結婚以来15年、妻はずっと専業主婦だった。
これを機に、15年ぶりに社会復帰となるのか、それとも試用期間のままで
終わるのか・・・。

とりあえず、無理だけはしないで欲しい。
パートナーとして言えることは、それだけだな。
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サスペンション。

2012-06-24 | Weblog
少し前の日記にも書いたけど、最近、愛車・Twinの足まわりが
経年とともにかなり悪くなって、運転していても振動がハンパ
なく激しくなってきていた。

そこで、思い切ってサスペンションを換えることにした。

今まで装着していたサスペンションは、6年前にローダウンさせた時に
換えたエクスぺリアというメーカーのサスペンションだったのだけど、
今回は、RSRというメーカーのサスペンションに換えることした。

以前から、Twinオーナーたちの間では、メーカー別の装着度でいえば
RSRの方が圧倒的に多かった。
オフ会とかで他のオーナーたちに会った時にも「RSRの方がいいよ~」と
よく薦められてはいたのだが、一度付けたものを取りかえるのも面倒だし、
何よりも費用がそれなりにかかるので、まんま6年間エクスぺリアの
サスペンションを付けていたのだけど、今回、やっとこさ念願だった
RSRに換えることになりました。

先々週に車検を受けて、その直後のサスペンションの交換ということで、
金額的には想定外の出費になり、我が家の財務大臣は、少し(いや、かなり)
渋い顔をしていたのだが、そこは一家の大黒柱である私。
「おいおい、新車を買うことを考えれば大した額じゃない、むしろ安い買い物
じゃないか!」・・・などと口が裂けても言えるはずがなく、
「ごめんね」と「よろしく」と「ありがとう」の3つの言葉を交互に
連呼したことはここだけの秘密にしておいてください(笑)
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お色直し。

2012-06-23 | Weblog
愛車・Twinのルーフに乗っけているキャリア。

今日、約2年ぶりに塗り直しました。

本当なら錆止めスプレーを塗って、何日間か放置して

それから本塗り・・・という工程をとるべきところだけど、

せっかちな性分がここでも発揮され、即、本塗り(爆)

まぁ、キャリアを購入した時に、錆止めはちゃんと施したから

いいだろう・・・って、もう10年近く前の話じゃないかっ!

スプレー2缶用意したけど、少し余ったので娘の自転車のカゴも

塗り直してやりました。

それにしてもスプレーの、あのシンナーの匂い・・・・いいね(爆)
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サンブランド。

2012-06-22 | Weblog
先週、社会に出て最初に就職した会社の同期の連中と再会したからか、
それ以来、その頃のことが走馬灯のように蘇ることが多くてね。

20年前のちょうど今ごろは、入社して2ヶ月目の頃で。
表面上は会社の雰囲気にも慣れはじめて、先輩や上司の方々とも
少しずつ普通に話ができはじめた頃だったと思う。

ボクは、希望通り制作部デザイン課に配属されたデザイナーの卵・・・と
いうよりも、どこの馬の骨かも分からないチンピラだった(笑)
さすがに会社の空気には慣れはじめたと言っても、仕事はまだまだ
全然、まったく、完全無欠に憶えてなくて、先輩や上司に怒られて
ばっかりだったな。

最初に担当になった仕事は、今でも憶えている。

広島市内のMストアという小さなスーパーマーケットのチラシだった。
A4サイズの1色刷りという、今では一般人でも自宅のパソコンで作れる
ようなチラシだった。
そのラフデザイン(設計図)を担当した。

だけど、新入社員が担当する最初の最初の最初の仕事だから、会社だって
ちゃんと考えている。
そのチラシに対するクライアントからの要望も“前回印刷したチラシの
デザインとほぼ同じでいい”というものだった。
だからラフデザインの制作と言えども、ほとんど自分の考えやアイデアを
投影させることもなく、設計図を見ながらプラモデルを組み立てるように、
ただ印刷できる原稿を、前回通り組み立て直す・・・というような仕事だった。

今考えればデザイナーの仕事とは言えないような仕事だったけど、それでも嬉しかった。

自分で広告を創りたい!と思って広告業界に入った人間だったからね。
何も知らなかったし、何を知らないのかさえも分からない状態だったから、
やること、知ること、全部新鮮だったし、刺激的だった。

そうこうするうちに2ヶ月ほどが過ぎた。
そう、ちょうど今頃の季節だった。
小さなチラシのデザインや制作を毎日こなしていたら、ある日、直属の上司に
呼ばれた。

「来週、サンブランドのチラシの制作が入る。お前が、やれ」

頭が、まっ白になった。
サンブランドというのは、会社が抱える数多のクライアントの中でも超お得意先だった。
制作するチラシも、町の小さなスーパーのような稚拙なチラシではない。
サイズは小さくてもB3、通常はB2、B1サイズで制作し、印刷枚数も何十万枚単位で、
それを関西地方一円に折り込まれる途方もない仕事だ。
そんなチラシだから、制作過程もハンパではない。
デザインのクォリティは高いし、費やす時間も膨大だ。数日間徹夜なんて当たり前。

何で、オレが????

そんなこと、上司に言えっこない。
ボクは“は、はぁ・・・わかりました”と、曖昧な返事に終始したような記憶がある。

こういう噂は、社内をあっという間に駆け回る。
その翌日には、「来週のサンブランド・制作担当:りきる」ということが瞬く間に知れ渡った。
当時、ボクが勤めていた本社には、社員は100人程度いたと思う。
同期入社の連中は、全部署で30人くらい。東京営業所や大阪支社にも同期の連中はそれなりにいた。
何が起こったかというと、そんな様々な場所にいた連中が、次から次へと内線でボクに電話してきたのだ。
「お前、サンブランド担当するんだって?」
「すげーなぁ、出世頭じゃん」
「がんばれよ~」
「大丈夫か?」
「お前、たぶん、死ぬな」・・・など(笑)

そんな励ましやひやかしの電話を対応しているうちに、少しずつ背中に得体の知れないプレッシャーが
のしかかってきたことを今でもよく憶えている。

翌週、予定通りサンブランドの仕事が入稿した。

何だかんだ言っても、ボクは新入社員だから最初からボク一人だけが担当するわけではなく、最初の
大元になるラフデザインはベテランの先輩が担当され、ボクはそのアシスタントのような役だった。
しかしアシスタントと言っても、実際に印刷されるB1サイズのチラシを制作するのは、このボクなのだから、
手を抜くようなマネができない。
チラシに載せる文字ひとつ、写真ひとつ、慎重に慎重に扱って作ってゆく。
いつもなら午後7時過ぎには退社していたのに、その時は、さすがに連日深夜残業だった。
いつもなら40人近いデザイナーが右往左往している広いデザインフロアに、ボクと直属の上司だけ残って
ひたすらサンブランドのチラシと格闘し続けた。

そうこうするうちに、チラシのデザインが完成した。
いったいどれだけの時間、どれだけの日数で仕上げたのか、今ではまったく憶えていない。
とにかく無事仕上がって、次の工程である製版にまわし終えたのが、夜中だったことだけは憶えている。

あれから、20年。

会社も変わり、仕事のスタイルも変わり、広告もチラシだけではなく、ありとあらゆる広告媒体の
デザインに携わってきた。
20年前のあのサンブランドの仕事が、今の自分の何らかの糧になっているのかどうかを尋ねられても、
自分でもよく分からない。
でも、仕事を任せられることへの喜びと重責を初めて実感したのは、まぎれもなくあの仕事だったと思う。

20年前、まさか今もあの頃と同じように広告の仕事で飯を食べているとは、正直想像だにしていなかった。
大げさではなく、奇跡のようなことだと思う。
これから先、どこまでこの仕事でやっていけるのか?
それはまったく分からない。時代もあるし、年齢もある。
でも、いろんなことがありつつも20年もやってこれたのだから、どうにかやっていけるんじゃないか?と
楽観的に思っている自分もいる。

道は、続いている。

その道を、ボクは歩くだけ。それだけだ。
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毎日通院。

2012-06-20 | Weblog
月曜日に整体に行って、昨日は皮膚科。

今日の仕事帰りに、たぶんまた整体に行く。

先週末には、心療内科にも行った。

今週の土曜日には、歯医者だ。

我ながらスゴいよなぁ、毎日病院だ。

でも、オレ、決めた。

今のうちに集中して身体のメンテナンスをしておく。

もう心身のガタはコリゴリだよ。

周りを見回しても、同世代で心身が壊れたヤツがチラホラいる。

中には、死んじまったヤツもいる。

死にたくないもん。

死ねないもん。

まぁ、歯医者や皮膚科は生死に関わるような病気じゃないけど(笑)

でも、機械と同じで、人間も小さな故障を放置しておくと

その後どうなるか分かったもんじゃないからな。

オレは、元気になりたいんだ。
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さすらい。

2012-06-19 | Weblog
先週末広島に行ったけど、電車やバスじゃなく、
自分でクルマを運転して行ったんだ。

往路は高速を突っ走って行ったんだけど、
帰り道は、国道2号線をのんびり走って帰った。

その時のBGMが、これ。
ずーーっとこの曲を聴きながら、一緒に歌いながら
100kmの道のりを走った。

さすらいもしないで、このまま死なねぇぞ。

奥田民生「さすらい」
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父の日。

2012-06-18 | Weblog
昨日は父の日。

一昨日の広島での酒宴からフラフラで帰宅したボクに、

娘がこれをプレゼントしてくれた。

手作りのメッセージカード。

親バカかもしれないが、ラインの描き方が素人とは思えない(笑)

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