りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

ギットンバッタン。

2011-12-31 | Weblog
今年の晩秋の日曜日。
とある小さな公園に僕はいた。

それはどこにでもあるような平凡な公園だったが、夕暮れがせまる時間帯
だったためか、僕ら以外には人影はなかった。
僕ら以外・・・それは、僕と妻と娘と息子の4人である。

娘と息子は公園の中のジャングルジムやすべり台や鉄棒を次々とまわって
遊んでいる。
来年中学生になる娘が、弟に向かってからかうように「これできる?」と
逆上がりをしてみせ、それを見た小学2年生のわりには身体が大きい息子が
「できるよ!」とむきになって出来もしない逆上がりに挑戦している。
妻は、公園の奥にある桜の木の下のベンチに腰掛け、そんな二人の姿を
ぼんやりと見守っていた。
僕はというと、公園の入口の門柱にもたれて、煙草をふかしながら、雲の
隙間からのぞく脆弱な夕陽をぼけーっと眺めていた。

しばらく時間が過ぎ、僕はおもむろにジャングルジムを登ったり降りたり
している子どもたちのそばに近づき、こう言った。

「影踏み鬼ご、するか?」

僕の提案を耳にした子どもたちは、僕をみつめて少し首をかしげた。
どうも意味が分からなかったようだ。

影踏み鬼ご。

それは単なる鬼ごっこではなく、じゃんけんして負けた人間が鬼にはなるが、
鬼が他の人間を追いかけるのではなく、追いかける人間の影を踏んだら踏ま
れた人間が鬼になってまた他の人間を追いかける・・・という遊びだ。
小学生の頃、通学の距離が長かった僕は、よく学校帰りに友達とこの遊びを
しながら家路についたものだった。

“影踏み鬼ご”の要領を説明すると、子どもたちは“やろう!やろう!”と
破顔して連呼した。
子どもたちは寒々しいベンチに座っていた妻も誘ったが、妻は微笑みながら
片手を軽く横に振った。

じゃんけんをして負けたのは、僕だった。

一斉に逃げる娘と息子。
僕は大人げなく必死に追いかけた。
夕暮れの寂々とした陽の光が、公園の広場に子どもたちの長い影を描く。
細く長い影は、あっという間に僕に踏まれ、鬼の役は僕から息子に
バトンタッチした。
何度か繰り返しているうちに、僕の息が切れはじめた。
中腰になって、息を整えている僕の視界の端に、あるモノが入った。

木製の、シーソーだった。

いまどき、木製のシーソーは珍しい。
ひと昔前なら鉄製のシーソーが主流だったが、今ではプラスティックや
樹脂製の素材で作られていてもおかしくはない。
だから、ペンキが剥げて木目がむき出しのシーソーは、ひと昔どころか、
ふた昔、みっつ昔ほど前の過去の遺物のように見えた。
僕は、子どもたちに「影踏み鬼ご、休憩」と勝手に宣言して、その大昔の
シーソーに向かって歩を進めた。
今までシーソーと書いていたが、僕が子どもの頃はそんな名前では呼んで
いなかった。

「ギットンバッタン」だった。

おそらくシーソーが上下する時の軋む音から、そんな名前で呼んでいたの
だろう。
そしてそんな音は鉄製のシーソーや、まして“人にやさしい”最新の素材
からは聞こえることはない。
そんな分かりやすい擬音を幼児が名称にするくらいだから、幼い僕が遊ん
でいたシーソーも、おそらく木製のシーソーだったのだ。

僕はシーソー・・・いや、ギットンバッタンの片方に座った。すると、
当然だが僕の座った方がギシッという音とともに下になり、誰も座っていない
向こう側が静かに上に上がった。
そんな光景を目にした娘と息子と、そしてベンチに座ったままだった妻も
ギットンバッタンに向かってやって来た。

子どもたちが上になった方に座ろうとする。
背丈より高く上がっているので、座るというよりも真ん中からよじ登る
ような格好で娘と息子は僕の対面に座った。

でも、ギットンバッタンは動かなかった。

息子はなぜ動かないのか不思議そうに首を傾げたが、娘は「お父さん、
また重くなったんじゃないの~?」と嬉しそうにそう言ってからかった。

そうしているうちに妻が参戦した。
最初、妻は僕の方へ座ろうとしたが、僕は子どもたちの方へ座るように
妻に促した。
子どもたちの前に妻が軽く座ると、小さな悲鳴のような軋む音がして、
ようやくギットンバッタンは、ゆっくりと動き出した。
しかし、それでもギットンバッタンは上下が逆転せず、ちょうど真ん中で
見事に均衝を保って平行になった。
娘と息子が何か奇跡的な事でも体験したかのように、はしゃぎまくった。
僕は中央の支点に向かって少し移動した。
するとギットンバッタンは、再び小さな悲鳴をあげてゆっくりと動き出し、
妻と二人の子どもが座る方が下に降り、そして静かに地面に着いた。

それからしばらくの間、僕たちはギットンバッタンで遊んだ。
片方にみんなで座ったり、僕と妻だけ座ってどっちが上になるかを競ったり、
一人で座って平行にしてみたり・・・。
晩秋の、夕暮れの、小さな公園の、世界遺産のような他愛もない遊具で、
僕と妻と娘と息子は、日が暮れて風景の色がなくなるまで遊んでいた。

考えてみれば、人生もギットンバッタンのようなものなのかもしれない。

背負ったものが多すぎて重たすぎて、いつまでたっても下のまま、という
時もあるだろう。
曖昧な答えしかみつからなくて、平行な時もあるだろう。
身も心も軽くなって絶好調で上りっぱなしという時もある。
しかし、いつまでも下がったままということはない。
その反対に、いつまでも上りっぱなしということも、決してない。
どちらかが下になれば、他方は上になる。
下になっても、いつか他方に力が入れば、再び下は上になる。

それを繰り返して、人間は生きてゆく。

だからこそ、木製のシーソーは長年の上下運動に耐えた証として
軋む音を響かすようになり、“ギットンバッタン”という名前で
呼ばれるようになる・・・。

来年がどんな年になるかなんて、分からない。
どんなに高尚で広大な目標や夢を掲げても、一瞬で砕け散ってしまうことを、
今年の早春、僕らは嫌というほど知ってしまった。

だから、僕はそんなものは掲げない。

ただ、この秋の日曜日のように、夕暮れの小さな公園で、影踏み鬼ごや
昔の遊具ではしゃげるひとときがあれば、それでいい。
そんなひとときを持てることが幸せだと思える生き方ができれば、
それでいい。

今年もこのブログをお読みいただき、本当にありがとうございました。
来年がみなさまにとって良い年になりますように。
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年の瀬ですね。

2011-12-30 | Weblog
昨日(29日)から年末年始の休暇に入りましたが。

昨日はアサイチから整体にマッサージに行きまして。
仕事納めのギリギリまでイラストマップのデザインをしていたから、
もう肩と腰がガッチガッチになっちゃって。

午後からは家族と墓参りに。
途中、昼食をとりながら、のんびりとお墓をハシゴ(という表現は
適切なのか?)しました。

墓参りの途中で実家から携帯にTELが。
電話の主はお袋。
広島の叔母家族が年末の挨拶に来ている・・・とのことなので、
墓参りの帰りに実家へ顔を出しまして。

こたつに入って、饅頭やみかんを頬ばりながら、景気の話やら、家庭の
話やら、昔の話やら、他愛もない話を叔母や従姉妹と延々と(笑)
娘と息子は、まだ年が明けないうちに叔母からお年玉を貰って
大喜びしていた。その横で親父が浮かれる孫たち向かって「封は年が
明けるまで開けちゃいかん!」と真剣に説教していた(笑)
その姿を見て、“なんか、この人も年をとったなぁ”とあらためて思ったり。

夕方、叔母を見送った後、お袋が「よかったら、晩ご飯食べに行こうか」と。
またまた子どもたちは大喜び。
昼だけでなく、夕食も外食になるなんて、想定外だったのだろう。
まぁ、僕も妻も想定外だったけど。

そんなわけで近所のラーメン屋へ。
“尾道ラーメン”といえば、尾道の街中にあるラーメン屋が有名で、いつも
休日には行列ができているのだけど(この日も並んでいた)、地元の人間は、
そんな店には行かない。
本当に美味しい尾道ラーメンを食べたいなら、尾道市の郊外の店へ行く。
その店も、校外にある言わば、“隠れた名店”のようなラーメン屋さん。
お客は、僕ら家族だった。
寒風の中、長時間待って食べる尾道ラーメンもいいかもしれないが、やっぱり、
腹が減った時は、すぐに食べたいよ(笑)

夜は、テレビでDVDを観賞。
先日録画した「坂の上の雲」の最終回からはじまって、映画やらドキュメントやら
見ているうちに、気がつくと数年前に録画したラウドネスの25周年ライブを見ていた。
カッコいいなぁ~。
「CRAZY NIGHT」は今聴いても、心が躍る。思わず拳を振り上げてしまう。
ドラムの樋口はこの数年後にまだ若いのに他界しちゃったけど、みんな本当に
カッコいい☆
なんとかいい年の取り方をして、僕もこういうオジサンになりたい。
気がつけば、午前3時。

今朝、9時起床。
今年最後の洗車(写真)。
向かいのお家のTさんも洗車中。
Tさんは、大のクルマ好き。
還暦前後の年齢だが、つい数年前まで2シ―タ―のスポーツカーに乗っていた。
そんな方だから僕のTwinにも大いに興味を持っていて、洗車で顔を合わせる度に、
Twinの質問責め(笑)
でも、悪い気がしない。
その感情は、たぶんペットを飼っている方に限りなく近い(笑)

今、ブログを更新中。
この後は、近所のスーパーやホームセンターに行くくらいで、別に大きな予定はなし。

・・・ここまで書いて気がついた。
今年は、休みに入って一度も飲みに行っていない。
例年なら友達から電話やメールが来て、夜な夜なフラフラ出かけていたのに。
みんな、僕を避けはじめたのか(爆)?
まぁ、自分から「飲みにいこうぜ!」というタイプではないし、そんなことを
するのはめんどくさいので(笑)、それでもいいけど。

そうこうしているうちに妻が僕を呼んだ。
昼食ができたとのこと。
さて、昼ごはんを食べてきますか。
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仕事納め。

2011-12-28 | Weblog
今日は、仕事納め。

振り返ると長かったような、短かったような・・・。
毎年うちの会社は1月から3月までが繁忙期なんだけど、
今年のその3ヶ月は例年以上にメチャクチャ忙しくて忙しくて。

基本的に、僕は来る仕事は拒まないスタンスなんだけど、
あまりの忙しさに、本来なら自分がすべきだった仕事を、
外注に出したことも多々あった。

だからか、4月に入って、仕事がひと段落した時、ちょっとした
“燃え尽き症候群”になったような気がした。
そして4月以降も、なんだかその残像や余韻を引きずったまま
仕事をしていたような気がする。

明日から1月4日まで休暇だけど、本音をいえば、あまり休みたくない。

いい子ぶってるわけじゃなくて、本当にそう思う。
仕事が、たまっているのだ。
しかも、秋口に急激に下がったモチベーションも、ここ数週間で
なんとか上向きになりはじめた。
長いことこの仕事をしていると、自分の仕事のやり方も分かってくる。
こういう時は、何も考えずに仕事に没頭した方が、効率よく仕事が
進められる。

とりあえず、年明けに休みボケで仕事が滞ることがないように、
今年中に出来ることはやっておかなければ。

しかし、休暇に入るワクワクよりも仕事のためのドキドキを優先するなんて・・・。
20代や30代前半の頃の自分では考えられなかった。

良し悪しにつけて、僕も大人になったのかな。
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大人の流儀。

2011-12-27 | Weblog
おそらく、この本が今年の読書の読み納めになるんだろうな。

伊集院静「大人の流儀」。

言わずと知れた2011年のベストセラー。
先日、続編の「続・大人の流儀」が上梓されたばかりだけど、僕が購入したのは、第一弾の方。

前々から購入しようと思っていたのだが、そう思ったまま、時間だけが過ぎてしまい・・・。
考えてみれば、本だけでなく映画や音楽とか、観よう聴こうと思ったまま放置している作品たちが、
例年通り今年も順番待ち状態。

まぁ、そんなわけで、とりあえず、この本だけでも今年中に読んでおこうと、今日、書店で購入した。

このような、いわゆる“自己啓発”系の本は、僕はあまり得意ではない。
好きか嫌いかと尋ねられれば、どちらかというと、嫌い。苦手。
しかし、社会人になればそのテの本も読まなければいけないのかなぁ・・・と思った時期もあったが、
そう思いながら社会人になって、来年で20年を迎えようとしている(笑)

そんな僕であったが、この本だけは読んでみたいと思った。

作者が好きな作家のひとりである伊集院静氏だったこともあるが、それとは別に、世間に溢れている
“自己啓発本”が、200ページ、300ページと、その紙幅を競うかのように分厚いモノが多いの対し、
この本は170ページ余り。
中身も、短文でサラッと書いてある印象がある。
・・・ここまで自分で書いてきて、分かった。

つまり、この本はプレッシャーにならないのだ。

他の“自己啓発本”のように“さぁ、読むぞ~”という気概というか構えのようなものが必要ない。
食事の後に文章と同じようにサラッと読めるような気がしたのだ。

40代になって、たまに考えることがある。

僕は、ちゃんとした大人になれたのか?と。
もちろん人生の先達から見れば、まだまだヒヨッ子の部分は多々あるのだけど、それでも一丁前に
家庭を持ち、人の親になって10年以上が過ぎてしまった。
そしてこんな僕に、妻や知人がこう言うことがある。

もっと、感情を抑えなさい、と。

たしかに僕は、いい年をして感情的になることが多いような気がする。
仮に、僕自身や家族や古くからの友人が僕の性格をひと言で表せ、と言われたら、おそらくそれは
「短気」という言葉を挙げるような気がする(笑)

自分が再生不能なほどの欠陥人間だとは思わない。
しかし最低限度の大人としての、または人の親としての、“流儀”を持ち合わせた人間なのかどうか?
そういうことを人並み程度に知っておきたい・・・そんな素朴な願望はある。

この本を読むことによって、それが氷解し、明日から今までとはまったく違う、素晴らしく聡明&賢明な大人に
自分がなれるとはもちろん思っていないが(笑)、それでも何かしらのヒントが与えてくれたら・・・と思う。

それこそ、“啓発”のきっかけだけでいい。

今年最後に読む本だもの。
気持ちよく来年を迎えられるような、そんな読み納めにしたい。
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日本のコピーベスト500。

2011-12-26 | Weblog
今朝、ネットのニュースで見つけた↓
「名作CMコピー、ナンバーワンは?」
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1324012283291.html

僕が広告業界に興味を持ったのは、13歳の時だった。
何がきっかけだったのか、具体的な事はもうよく覚えていないが、
当時、コピーライターが時代の寵児としてもてはやされていたことは
強烈に覚えている。

地元の小さな本屋で、糸井重里の「コピーライターの世界」という本を買った。
糸井重里といえば、当時、コピーライターの中でも群を抜いて注目されていた、
まさに時代の寵児の中のスーパー寵児のような存在だった。
その本は、中畑貴志、魚住勉、真木準など、糸井重里とともに当時の広告業界を
大きく変えようとしていた新鋭のコピーライターとの対談集だった。

この本で、僕の人生は決まってしまった。

・・・さて、今回ネットで見つけたこの本。
僕と同世代、もしくは上の世代の人なら誰でも知っているような名コピーのオンパレードだ。

「スカッとさわやか コカ・コーラ」
「そうだ 京都 行こう」
「きれいなおねえさんは好きですか。」
「hungry?」
「バザールでござーる」
「わんぱくでもいい たくましく育ってほしい」
「ハエハエ、カカカ、キンチョール。」・・・ etc.

そして、上位にランキングされたコピーたち。

「おしりだって、洗ってほしい。」
「男は黙ってサッポロビール」
「触ってごらん、ウールだよ。」
「すこし愛して、なが~く愛して」

・・・これらは、もはや商業文案という域を越えて、今では明らかにある時代を象徴する
文化的作品となっているような気がする。

そして1位に選ばれたのが、糸井重里が考案した西武百貨店の「おいしい生活。」。

僕が、同氏の「コピーライターの世界」をむさぼるように読んでいた頃の作品だ。
実際、上位にランキングされた作品を考案したコピーライターは、同著で糸井重里と対談していた
方たちが多い。
あの頃、広告業界に登場した新しい世代に位置づけられていたコピーライターたちだ。

「コピーライターの世界」という本を購入した10年後、23歳になった僕は広告業界に飛び込み、
そして来年、それから20年を迎える。
あっという間だったと思えばそんな気もするが、その一方で、よくも、まぁ、人生の大半を
“広告”という二文字と一緒に歩いてきたなぁ、という気がしないわけでもない。
そして、“そんなこと、どっちでもいいや”、と思っている別の僕もいる。

でも、ひとつだけ確かなことを。
この道のゴールは、まだまだ遥か先にあるようです。
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報道の日。

2011-12-25 | Weblog
今日は、朝からTBSの番組「報道の日」を見ている。

毎年この時期になると、TBSのこの報道番組を見ているが、例年なら夜に2~3時間の番組なのに、今年は14時間の長丁場だ。
それだけ2011年は、後世まで影響を与え続ける「出来事」があまりにも多すぎた、ということなのだろう。

夜にはNHKでドラマ「坂の上の雲」の最終回。

現代の日本と、「現代の日本のはじまり」だったのかも知れない頃の日本。

ふたつの番組。
ふたつの物語。
ふたつの時代。

僕は平凡で無名で普通の小市民だが、今日くらいは、自分なりにこの国の事を真摯に考えてみてもいいかも知れない。
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Christmas time in blue

2011-12-24 | Weblog
クリスマスに、あまりいい思い出はない。

10代、20代の頃はひとりぼっちかアルバイトばかりだった。
間違っても、恋人とフランス料理を食べて、その後プレゼントを
小脇に抱えてオシャレなシティホテルへ・・・なんてことは
一度も経験したことがない。

大学時代がそのまんまバブルの世代だったから、周りの友達には
そんなクリスマスを過ごした連中もちらほらいたけど、僕は、
もうまったくと言っていいほど、そんなデートとは無縁だった。
そういう意味では、ある意味、僕は貴重な人間かも知れない。

・・・なんだかこうやって書いていると、自分が悲しくなってきた(笑)

30代以降は家庭を持ったから、さすがに家族と一緒に過ごしている。
家族と過ごすのが当たり前だった子どもの頃。
独立心が芽生えて友達と過ごしたり、1人でアルバイトに明け暮れた
10代後半から20代前半。
年末の繁忙期のせいで夜遅くまで仕事をしていた20代半ばから後半。
そんな時期を過ごして、結局、今はまた家族と過ごすクリスマスに
戻ってきた。

ちょっとキザかもしれないけど、港から出港して、いろんな海を航海
してきて、10数年かけて再び母港に帰ってきたような感じがする。
出港した時は頼りなく、到底荒波に耐えられそうにない小舟だったけど、
少しは大きく、ちょっとやそっとの荒波では沈まない舟になって港へ
帰ってきたんじゃないかな・・・照れくさいけど、少なからず、自分
自身はそう思ってやりたい。

みなさんは、今夜、どこで、誰と、お過ごしになるのだろうか?
すべてのみなさんへ、幸せの星屑が降りますように。

I wish you a merry christmas.


佐野元春「Christmas time in blue」
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手汗。

2011-12-22 | Weblog
今年もいろんなことがありましたが。

個人的なこと、特に身体的なことで言えば、掌の多汗症に
翻弄された1年だったような気がする。
今年の2月頃から酷くなって、写真のように仕事中は、
ずーーーっと指なしの手袋をしていた。

一向に改善の兆しがなく、秋口からはさらに悪化したので、
病院へ行って、漢方薬を処方してもらった。
先生曰く、多汗症に適した西洋医学の薬はないそうで・・・。
“鰯の頭も信心から”という諺ではないが、指をくわえていても
治るわけでもないので、とりあえず祈るような気持ちで、
毎食前、その漢方薬を服用した。

一ヶ月ぐらい過ぎた頃から、少しだけ汗がひいたような気がしてきた。
実際、仕事が終わって帰宅した後のプライベートの時間には、
あまり手汗を意識しなくなったし、自分で掌を触ってみても
さほど汗はかいてないことが多くなった。

でも、慣れなのか不安なのか分からないが、今も仕事中は
相変わらず指なし手袋をしている。

原因は、分かっている。

問診の時にも言われたが、要はストレスなのだ。
“手に汗を握る”という表現があるが、そういう表現は緊張している
場面で使う。
僕のように四六時中、手に汗を握っているということは、
つまり四六時中、緊張している、ということなのだ。

言い方を変えれば、僕は自律神経が弱いタイプなのかもしれない。
肩こりや腰痛も酷いし、いい年をしてニキビ(吹き出物ですな)も
しょっちゅう出るし(笑)

せめて、来年はこの掌多汗症を完治したい。
気兼ねなく、誰とでも握手がしたいよ。
↑相手が気がつくほど掌がビッショリ濡れているわけではないです・・・念のため(笑)
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対岸の不安。

2011-12-19 | Weblog
いろんなことがありすぎた2011年。
まさか、あと半月で今年も終わるというこの時期に、こんなニュースに接するとは。

「対岸の火事」という諺がある。

どう転んでも我が国にとってこの対岸はそうはならないから、不安なのだ。
彼の国にとっては、来年は“強盛大国”の大門を開く年、だったそうだが。
いったい、どうなるんだろう?

「北朝鮮の金正日総書記が死去 現地指導の途中、69歳」
http://www.excite.co.jp/News/world_g/20111219/Mainichi_20111219k0000e030151000c.html
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TOYOTA2000GT。

2011-12-18 | Weblog
ここ数日、新聞やテレビでこのCMがよく流れている。↓

http://deagostini.jp/tgt/

僕は70年代に一世を風靡したスーパーカー世代だから、
この商品には少なからず“お!”と思った。

1/10スケールだよ。
欲しくないと言ったらウソになる。

欲しい。
お前が、欲しい。
今すぐ、欲しい。

でもこのデアゴスティーニのシリーズ、まともに全部揃えたことがない。
歴史モノ、宇宙戦艦ヤマト、ウルトラマン・・・今までも、創刊号だけ
買って挫折したシリーズがいったい何冊あることやら(笑)

それにしても、TOYOTA2000GTである。
今見ても、本当に美しい。

僕がホンモノを肉眼で見たのは、生まれて一度だけ。
数年前に開催された旧車ショ―の会場でだった。

しかしそのTOYOTA2000GTは、展示されていたクルマではなかった。
なんと旧車ショ―を見に来ていた一般のお客さんのクルマだったのだ。
だから僕も最初は目を疑ったが、そのTOYOTA2000GTは、ワゴンRや
ステップワゴンといったごく普通のクルマに混じって、普通の駐車場に
普通に駐車されていた(笑)

そしたら、僕は会場で奇妙な現象を目にすることになった。
展示されていた数多の旧車たちよりも、一般の駐車場に駐車された
TOYOTA2000GTの方に数倍の人垣が出来てしまったのである(笑)

オーナーは、60代くらいの男性だった。
TOYOTA2000GTが本当によく似合う紳士だった。
世界に300台余りしかないクルマだ。
そこらへんのぽっと出の成金オヤジやボンボンが所有していたら、
関係のない僕らまで腹が立ってくる。

しばらくオーナーとお話させていただいた後、自分のクルマと一緒に
写真を撮らせていただいた。
Twinを横に置いてシャッターを切った時、不覚にも目頭が熱くなった
ことを今でも憶えている。
クルマを見て泣きそうになったのは、生まれてこのかた、この時が
最初で最後だ。
大の大人をそうしてしまうだけの魅力というか引力というか、そんな
不思議な力をTOYOTA2000GTは持っているのだ。

だからこの写真は、ある意味、僕の宝物のひとつかもしれない。

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