今年に入ってこのブログにも何度か書いているが、父の逝去を契機に、実家の古い倉庫を片付けはじめた。
倉庫の中にあった主だった品々も、この数ヶ月でその大半の処分が終わり、来春からはいよいよ倉庫本体の解体に移れそうだ。
先日、今年最後の片付けのつもりで、倉庫の奥に残っていた埃だらけの段ボールを開いたら、その中にこの本があった。
エジソンの本。
今から40年くらい前、ワタシが小学生の頃に読んでいた本だ。
いわゆる発明家エジソンの自叙伝なのだけど、
エジソンの数々の功績を記すことよりも、一人の好奇心旺盛な田舎の少年が、様々な経験や出会いを重ねて、一人の大人へと成長してゆく過程に焦点を当てた物語だった。
ワタシは、この本が大好きだった。
10歳前後だったワタシは、暇さえあればこの本を読んでいた記憶があるし、いつだったか夏休みか冬休みの宿題で、この本を題材に読書感想文を書いたことも思い出した。
今回、倉庫の奥から見つけ出して、もうひとつ思い出したことがある。
この本は、父が買ってくれたモノだった。
今思えば、読書といえば漫画くらいしか手にしなかった当時のワタシに、父は何かしら思うところがあって、この本をワタシに買ってくれたのかもしれない。
あれから時間が過ぎ、この本の中のエジソンのように、ワタシも様々な経験と出会いを重ねてすっかり大人になってしまったが、残念ながら、エジソンのような大人にはなれなかった。
その間にこの本のこともすっかり忘れてしまっていたが、我が家にとって節目になるような今年の終わりに、40年ぶりに再会できたのも、何かの縁なのかも知れない。
一緒に倉庫を片付けていた母が、倉庫に残っていた他のモノと一緒にこの本も処分するのか、ワタシに尋ねた。
ワタシは首を振った。
その日、倉庫の片付けを終えると、ワタシはこの本を手に持って帰宅した。
そして、2階の本棚の中の、もうあまり読まない小説やら全然役に立たなかった自己啓発本やらが並んでいる棚に置いた。
たぶん、この本をあらためて熟読することはないだろうし、今までの40年がそうだったように、これからもこの本がなくても生きてはいける。
だけど、この本を「処分する」という選択肢は、どうやっても、ワタシの中に生まれてはこなかった。
もしかしたら、これは父からの「最後のクリスマスプレゼント」かも知れない。
ちょっと気障かも知れないが、そんなことを思った。
そして、もしそれが本当ならば。
このエジソンの本には、これからはワタシのすぐそばで、この先ワタシがどんな大人になってゆくか、父の代わりに見届けてもらうというのも悪くはないだろう。