りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

謹賀新年。

2018-12-31 | Weblog
明けましておめでとうございます。

写真は、娘作のイラスト。
今年の我が家は喪中なので年賀状は作らなかったのだけど、大学生になって遠方にも友人が増えた娘は、せっかくなので自分の年賀状だけ作ったとのこと。
それに使ったイラストです。

昨年暮れのブログにも書きましたが、今年は、ワタシもいよいよ50代に突入。
まぁ、自分なりの“オトナの男”になれるよう、精進していこうと思います (^_^;)

2019年も、マイペースで更新していきますんで、どうぞご贔屓に (^_^)

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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ひとすじの光。

2018-12-30 | Weblog
おそらくこれが、2018年、最後のブログ更新です。



今年もいろんなことがあった。
父をはじめ、例年にも増してたくさんの大切な人を見送った。
地域的には、豪雨に断水、そして猛暑。
そういえば、春先には逃走犯の立てこもりっていう事件もあった。
あれのおかげで、ワタシの暮らす島が不本意なカタチで全国に知れ渡ってしまった(笑)

娘の大学進学をはじめ、嬉しい出来事もたくさんあったはずなのだけど、それでも今年は、相対的にネガティブな出来事の方が多かったような気がする。

だからといって、ワタシ自身もうつむき加減で生きていたというわけではなく、むしろ、そういう1年だったからこそ、極力普通に生きていこうとしていた。
それは、ワタシが少しは成長してタフになったからなのか、それとも疲れ果てて心が鈍感になったからなのか分からないけれど、とにかく、ちょっとでも頭を垂れてしまったら、その途端に歩みを止め、その場にしゃがみ込んで動けなくなってしまう・・・そんな心境だったことは確かだと思う。
だから、できるだけ平常心で暮らすように心がけていた・・・あえて振り返ると、今年のワタシはそんな感じだったような気がしている。

毎年、その年の最後のブログには、“まぁ、来年も良いコトもあれば悪いコトも起こるだろう。それでもこのブログのタイトルのように徒然なるままに生きていきます”・・・といった旨の文章で締めていた。
それは紛れもなくワタシの本心だし、そして、おそらく来年の暮れもそう思って生きているだろうと思う。
だけど、今年だけは、ちょっと違うことを言わせてくれ。



〈来年は、良いコトだけが起こってくれ〉



今年、79才の父を見送って以降、同じDNAを持つワタシに残された時間も、たぶんそれくらいまでなんだろうなぁと、おぼろげながらも自分の寿命について現実的に意識するようになった。
しかしもし本当にそうならば、一生に一度くらい、良いこと尽くめの1年があったって、罰は当たらないだろう(笑)
だから来年は、楽しすぎてあっいう間に過ぎるような一年であってほしい。
切に、そう願う(笑)

来年、ワタシは、いよいよ大台になる。
生まれて、半世紀。
奇しくも、元号も変わる。
年齢も時代も変わるからといって、ワタシの中身も大きく変わる気配はまったくないが(笑)、せめて、ひとすじの小さな光を見つけられたら・・・そう思う。

最後に、この歌を。
ちょうど10年前、よく聴いていた曲。
当時は、まるで自分のテーマ曲のように思えていた。
もうとっくに40歳は越えてしまったけど、久々に聴いたらやっぱり元気をもらえた。

そんなに大した人間ではないし、まして自分がこの歌の歌詞に出てくるような〈勇敢な冒険者〉だなんて思ったことはないけれど、それでも自分なりに、これからも向かい風に立ち向かっていけたら、と思う。

今年もこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年がみなさまにとって良い年になりますように。

●「人生という名の列車」~馬場俊英~
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最後のクリスマスプレゼント

2018-12-24 | Weblog
今年に入ってこのブログにも何度か書いているが、父の逝去を契機に、実家の古い倉庫を片付けはじめた。

倉庫の中にあった主だった品々も、この数ヶ月でその大半の処分が終わり、来春からはいよいよ倉庫本体の解体に移れそうだ。

先日、今年最後の片付けのつもりで、倉庫の奥に残っていた埃だらけの段ボールを開いたら、その中にこの本があった。



エジソンの本。

今から40年くらい前、ワタシが小学生の頃に読んでいた本だ。

いわゆる発明家エジソンの自叙伝なのだけど、
エジソンの数々の功績を記すことよりも、一人の好奇心旺盛な田舎の少年が、様々な経験や出会いを重ねて、一人の大人へと成長してゆく過程に焦点を当てた物語だった。

ワタシは、この本が大好きだった。

10歳前後だったワタシは、暇さえあればこの本を読んでいた記憶があるし、いつだったか夏休みか冬休みの宿題で、この本を題材に読書感想文を書いたことも思い出した。

今回、倉庫の奥から見つけ出して、もうひとつ思い出したことがある。

この本は、父が買ってくれたモノだった。

今思えば、読書といえば漫画くらいしか手にしなかった当時のワタシに、父は何かしら思うところがあって、この本をワタシに買ってくれたのかもしれない。

あれから時間が過ぎ、この本の中のエジソンのように、ワタシも様々な経験と出会いを重ねてすっかり大人になってしまったが、残念ながら、エジソンのような大人にはなれなかった。

その間にこの本のこともすっかり忘れてしまっていたが、我が家にとって節目になるような今年の終わりに、40年ぶりに再会できたのも、何かの縁なのかも知れない。

一緒に倉庫を片付けていた母が、倉庫に残っていた他のモノと一緒にこの本も処分するのか、ワタシに尋ねた。
ワタシは首を振った。

その日、倉庫の片付けを終えると、ワタシはこの本を手に持って帰宅した。
そして、2階の本棚の中の、もうあまり読まない小説やら全然役に立たなかった自己啓発本やらが並んでいる棚に置いた。

たぶん、この本をあらためて熟読することはないだろうし、今までの40年がそうだったように、これからもこの本がなくても生きてはいける。
だけど、この本を「処分する」という選択肢は、どうやっても、ワタシの中に生まれてはこなかった。

もしかしたら、これは父からの「最後のクリスマスプレゼント」かも知れない。

ちょっと気障かも知れないが、そんなことを思った。

そして、もしそれが本当ならば。

このエジソンの本には、これからはワタシのすぐそばで、この先ワタシがどんな大人になってゆくか、父の代わりに見届けてもらうというのも悪くはないだろう。
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今朝の躊躇。

2018-12-15 | Weblog
今朝の朝刊に載っていた。



午後から外出しようと思っていたが。

ちょっと、躊躇している(笑)
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願掛けとデニムまん。

2018-12-09 | Weblog
昨日は、息子と妻とワタシの母を連れて、岡山の吉備津神社へ行ってきた。

ここへお参りに来る時の目的は、いつも同じ。
受験の願掛けだ。

4年前、たまたまドライブで訪れた時、これまた、たまたま高校受験が目の前に迫っていた娘の願掛けをしたら、これまた、たまたま合格してしまった(笑)
それ以来、我が家の“ちゃんとした”受験の願掛けと絵馬の奉納は、自宅から約70km離れた、備中国一の宮の、この神社で行うことがお決まりになってしまった。

今回は、息子の高校受験の願掛け。

先日、三者面談を終え、志望校と受験する高校がすべて確定したので、年が明けると、早々に受験がはじまる。
昨年の娘の大学受験に続き、我が家にも再び受験シーズン到来だ。

・・・とはいうものの、息子もワタシ達も、さほど切迫感や緊張感がないというのが、本音。
それはたぶん、2度目の経験でワタシ達親もその空気に慣れたことと、あまり感情を表に出さない息子の性格によるものかもしれない。

まぁ、それでも息子にとっては人生初の分岐点。
まだ勝つ前ではあるけれど、兜の緒を締め直して頑張ってくれよ。

お参りの後、父の逝去以来、久しぶりに遠出をした母も一緒だったので、隣街の倉敷へ。
いわゆる美観地区を散策したのだけど、そこで「デニムまん」と遭遇。



昨年の夏頃だったか、テレビ番組で倉敷へ訪れていた出川哲朗が食べていた。



見た目はグロテスクだけど、味覚は至って普通(笑)
ただ、昨日は寒波が厳しく、そんな寒空の下で口にしたので、いつも以上にホカホカに感じて美味かったっす (^-^)
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zabeさん。

2018-12-01 | Weblog
今日、クリスマスツリーを久しぶりに出した。

木製の、小さな、かわいいクリスマスツリーだ。

今から10年前、「zabeさん」という友達が、まだ幼かったワタシの子ども達のためにプレゼントしてくれた。

栃木出身で東京で一人暮らしでワタシより5歳ほど年上の姉さんだった。
とあるsnsの、お互いがファンだった浜田省吾のコミュニティで知り合ったのだけど、性格も性別も出身も世代も仕事も何もかも違うのに、なぜかワタシは彼女に可愛がってもらっていた。

遠距離ということもあって、そう頻繁に会える仲ではなかったが、たまにメールや電話で互いの相談事をしたり、今ごろの季節になると、こちらから瀬戸内のみかんを送ったり、zabeさんからは、栃木名産(?)のレモン牛乳を大量に送ってもらったりした。

今夏、共通の知人から突然、連絡があった。

それは、zabeさんが亡くなった、という連絡だった。

実はzabeさんとは、ここ4〜5年、疎遠になっていた。
原因は、些細な、本当に些細なボタンのかけ違いのようなことで喧嘩してしまったからだ。

それ以降、お互いに連絡を取り合うことがなくなったまま、今年、突然、訃報を耳にすることになってしまった。

クリスマスツリーは、10年前のちょうど今頃、ワタシが上京した時に、zabeさんからプレゼントされた。
「時間ができたから」と、新幹線で帰るワタシを東京駅まで見送りに来てくれた。
別れ際、「今度はゆっくり来なさいよ」と言って手渡されたことを、今でも憶えている。

さっきから、zabeさんのことを「友達」と書いているが、彼女がワタシの事を友達と思っていたかどうかは、今になってはもう判らない。
本当は気が弱いのに、気を張って張って張って東京で独りで生きていたような人だから、意地を張って
「あんたなんか、友達じゃないわよ!」
と、一喝されそうな気がする。

でもねぇ、zabeさん・・・

友達じゃなければ、喧嘩別れもできないんだよ。

またいつか会える時が来るだろうから、その時は仲直りしましょう。
僕の方から、ごめんって言うから。

zabeさん、ごめんね。ありがとう。

さようなら。
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