今日は、有給休暇を取って会社を休んだ。
今は繁忙期のど真ん中。
本来なら休みを取れるような状態ではないし、
実際休みを取ったのは、もしかしたら今回が
初めてかも知れない。
目的は、まる一日、妻と一緒に過ごそうと思ったから。
いい年して何を言ってるんだ、と自分でも思う。
しかし昨秋、妻が働きはじめてから、日常的な会話は
交わすことがあっても、休みもすれ違いで、どこかに
出かけたり、深くじっくりと話を交わすことが驚くほど
激減してしまった。
それに、長年の専業主婦から社会復帰した妻は、久々に
飛び込んだ“職場”という場所での諸々の出来事や関係に
少し(いや、かなりか?)疲れていることは、傍から見て
いても明らかだった。
そういうボクも自分の“職場”という場所での諸々の
出来事や関係に少し(いや、かなりか?)疲れて、最近
ちょっと電池が切れかけているような気がしていた。
ちょうどいい。たまにはいいだろ。
そんなわけで、妻の仕事が休みの日に合わせて、ボクも
休暇を取った・・・というわけだ。
突然だが、人生は、分数みたいだと思うことがある。
仕事や子どもや趣味や友達や地域近所・・・etc.
こういう日々の諸々は、いわば分子ではないだろうか。
じゃあ分母は何か?と考えたら、それは“自分”という
ことになるのだけど、ボク自身に当てはめたら、それは
20代までで、30歳手前の頃からは、自分だけでなく妻も
分母の場所に一緒にいるような気がしている。
仕事が膨らんだり、子どもが思春期を迎えたりして
必要以上に分子が大きくなって仮分数になることもある
だろう。
その逆に、これから先、仕事がなくなり、子どもも独立して、
分子が限りなくゼロに近づく時も、いずれ訪れるかもしれない。
でもどんな状況になっても、分母のない分数なんてありえない。
旅行とまではいかないけど、今日は午前中から二人でドライブに
出かけた。
昼食は海辺のレストランでパスタを食べて、食後に近くの浜辺を
散歩した。
瀬戸内海は陽ざしが本当におだやかで、その光を一面に受けた海面は、
硝子の破片のように眩しく光っていた。
もう、春はそこまで来ている。
今は繁忙期のど真ん中。
本来なら休みを取れるような状態ではないし、
実際休みを取ったのは、もしかしたら今回が
初めてかも知れない。
目的は、まる一日、妻と一緒に過ごそうと思ったから。
いい年して何を言ってるんだ、と自分でも思う。
しかし昨秋、妻が働きはじめてから、日常的な会話は
交わすことがあっても、休みもすれ違いで、どこかに
出かけたり、深くじっくりと話を交わすことが驚くほど
激減してしまった。
それに、長年の専業主婦から社会復帰した妻は、久々に
飛び込んだ“職場”という場所での諸々の出来事や関係に
少し(いや、かなりか?)疲れていることは、傍から見て
いても明らかだった。
そういうボクも自分の“職場”という場所での諸々の
出来事や関係に少し(いや、かなりか?)疲れて、最近
ちょっと電池が切れかけているような気がしていた。
ちょうどいい。たまにはいいだろ。
そんなわけで、妻の仕事が休みの日に合わせて、ボクも
休暇を取った・・・というわけだ。
突然だが、人生は、分数みたいだと思うことがある。
仕事や子どもや趣味や友達や地域近所・・・etc.
こういう日々の諸々は、いわば分子ではないだろうか。
じゃあ分母は何か?と考えたら、それは“自分”という
ことになるのだけど、ボク自身に当てはめたら、それは
20代までで、30歳手前の頃からは、自分だけでなく妻も
分母の場所に一緒にいるような気がしている。
仕事が膨らんだり、子どもが思春期を迎えたりして
必要以上に分子が大きくなって仮分数になることもある
だろう。
その逆に、これから先、仕事がなくなり、子どもも独立して、
分子が限りなくゼロに近づく時も、いずれ訪れるかもしれない。
でもどんな状況になっても、分母のない分数なんてありえない。
旅行とまではいかないけど、今日は午前中から二人でドライブに
出かけた。
昼食は海辺のレストランでパスタを食べて、食後に近くの浜辺を
散歩した。
瀬戸内海は陽ざしが本当におだやかで、その光を一面に受けた海面は、
硝子の破片のように眩しく光っていた。
もう、春はそこまで来ている。