11月の上旬の日曜日。
僕は、近所の写真館で写真を撮った。
一緒に写真に収まったのは、僕の家族と弟家族と、そして両親。
総勢11名。
みんな正装して、少しこわばった顔にぎこちない微笑みを浮かべている。
時間はさらに遡って、今から約10年前。
僕の娘が1歳になり、弟夫婦に長男が生まれた直後のことだった。
「みんなで写真を撮りたい」
親父がそう言った。
「孫も生まれたことだし、みんなで撮りたい」
親父はその理由も口にした。
僕と弟は、笑って一蹴した。
たしかに子どもが生まれたことで、親父は祖父になり、僕と弟は人の親になった。
ここ数年で新しい家族が一気に増え、その“ポジション”も変わった。
写真を撮りたがった親父の気持ちは僕も弟も分からないわけではなかった。
しかし、まだ変わったばかりだ。
「まだ、俺も弟も子どもは1人だぞ。これからどうなるか分からん。もう少し待ってくれ」
当時30歳になったばかりだった僕は、極力優しい口調で頑固親父をそう説き伏せた。
僕の考えは、正解だった。
その翌年、弟夫婦に次男が生まれ、4年後に僕にも息子が出来きた。
もうそろそろいいかな・・・と思いはじめた2年前、弟夫婦に、もう一人男の子が
生まれた。
今年。
親父は70歳になった。
晩年、実家で一緒に暮らしていた母方の祖母が、9月に90歳で天国に召された。
僕は40代になり、厄年ど真ん中。弟も年男になり、一番末っ子の弟の子も
2歳になってカタコトの言葉を話しはじめた。
今年だ。
今年しか、ない。
僕は弟夫婦の了承を得て、親父とお袋に提案した。
2人とも、是非もなかった。
当日。
なぜ写真を撮るのか今ひとつ飲み込めない子どもたちを連れて、写真館に向かった。
撮影は、予想以上に順調に進んだ。
子どもたちが愚図ったりして、1時間は費やすと思っていたのに、30分もかからなかった。
今月の上旬、写真が出来あがった。
僕は写真館で写真を受け取ると、出来たてホヤホヤの写真を持ってその足で実家に向かった。
親父に渡すと、嬉しいくせにそれを顔に出さず、写真を袋から出し、静かに見つめ続けた。
その後ろで、お袋が嬉しそうに眼を細くして親父と同じように静かに写真をみつめていた。
「お前らのは、ないんか?」
僕は頷いた。
「じゃあ、ワシらが金を出すけぇ、焼き増ししてもらってこい」
親父は気を遣ってそう言ったが、僕は即座に断った。
別に心になく遠慮したわけでも、焼き増しの予算がなかったわけでもない。
要らない、と思ったのだ。
この写真は、親父の写真だ。
そこに映っているのは、親父とお袋が60年、70年という年月を必死で生きてきて作りあげた、
世界でたったひとつの、家族だ。
この写真は、そのささやかな証しなのだ。
今の僕と弟には、必要ない。
僕も弟も、今、その真っ最中なのだ。
自分の家族を必死に作っている、そのど真ん中にいるのだ。
だから僕と弟が家族で写真を撮る時は、まだまだ先の話だ。
僕らが60歳や70歳になった時、その時には自分の子どもたちにお金を出させて、
そして可愛い孫たちを膝に抱いて、遠慮なく写真を撮らせてもらう。
僕と弟は、自分が作った家族で、写真を撮る。
・・・僕は親父にそう言って、丁重に断った。
頑固な親父は、少し納得のいかない表情を浮かべながら僕の話を聞いていたが、それでも
最後には渋々ながら同意し、そして噛み締めるような小さな声で「ありがとう」という言葉を、
口からこぼした。
今年もいろんなことがあった。
社会的にも。個人的にも。
良いこともあれば、悪いこともあった。
来年も、いろんなことがあるだろう。
社会的にも。個人的にも。
良いことも。悪いことも。
それでも、僕は、今までどおり家族を作ってゆくだろう。
そしてその家族を母港に、僕は自分の道を自分の足で、来年も歩いてゆきたい。
そう、思う。
履きつぶしてボロボロになった今年の靴は、靴箱の中にそっと仕舞った。
そして、今、僕は新しい靴をおろして、その靴に新しい紐を通している。
新しい年のために。
新しい道を歩くために。
今年もみなさん、ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
よいお年を。
僕は、近所の写真館で写真を撮った。
一緒に写真に収まったのは、僕の家族と弟家族と、そして両親。
総勢11名。
みんな正装して、少しこわばった顔にぎこちない微笑みを浮かべている。
時間はさらに遡って、今から約10年前。
僕の娘が1歳になり、弟夫婦に長男が生まれた直後のことだった。
「みんなで写真を撮りたい」
親父がそう言った。
「孫も生まれたことだし、みんなで撮りたい」
親父はその理由も口にした。
僕と弟は、笑って一蹴した。
たしかに子どもが生まれたことで、親父は祖父になり、僕と弟は人の親になった。
ここ数年で新しい家族が一気に増え、その“ポジション”も変わった。
写真を撮りたがった親父の気持ちは僕も弟も分からないわけではなかった。
しかし、まだ変わったばかりだ。
「まだ、俺も弟も子どもは1人だぞ。これからどうなるか分からん。もう少し待ってくれ」
当時30歳になったばかりだった僕は、極力優しい口調で頑固親父をそう説き伏せた。
僕の考えは、正解だった。
その翌年、弟夫婦に次男が生まれ、4年後に僕にも息子が出来きた。
もうそろそろいいかな・・・と思いはじめた2年前、弟夫婦に、もう一人男の子が
生まれた。
今年。
親父は70歳になった。
晩年、実家で一緒に暮らしていた母方の祖母が、9月に90歳で天国に召された。
僕は40代になり、厄年ど真ん中。弟も年男になり、一番末っ子の弟の子も
2歳になってカタコトの言葉を話しはじめた。
今年だ。
今年しか、ない。
僕は弟夫婦の了承を得て、親父とお袋に提案した。
2人とも、是非もなかった。
当日。
なぜ写真を撮るのか今ひとつ飲み込めない子どもたちを連れて、写真館に向かった。
撮影は、予想以上に順調に進んだ。
子どもたちが愚図ったりして、1時間は費やすと思っていたのに、30分もかからなかった。
今月の上旬、写真が出来あがった。
僕は写真館で写真を受け取ると、出来たてホヤホヤの写真を持ってその足で実家に向かった。
親父に渡すと、嬉しいくせにそれを顔に出さず、写真を袋から出し、静かに見つめ続けた。
その後ろで、お袋が嬉しそうに眼を細くして親父と同じように静かに写真をみつめていた。
「お前らのは、ないんか?」
僕は頷いた。
「じゃあ、ワシらが金を出すけぇ、焼き増ししてもらってこい」
親父は気を遣ってそう言ったが、僕は即座に断った。
別に心になく遠慮したわけでも、焼き増しの予算がなかったわけでもない。
要らない、と思ったのだ。
この写真は、親父の写真だ。
そこに映っているのは、親父とお袋が60年、70年という年月を必死で生きてきて作りあげた、
世界でたったひとつの、家族だ。
この写真は、そのささやかな証しなのだ。
今の僕と弟には、必要ない。
僕も弟も、今、その真っ最中なのだ。
自分の家族を必死に作っている、そのど真ん中にいるのだ。
だから僕と弟が家族で写真を撮る時は、まだまだ先の話だ。
僕らが60歳や70歳になった時、その時には自分の子どもたちにお金を出させて、
そして可愛い孫たちを膝に抱いて、遠慮なく写真を撮らせてもらう。
僕と弟は、自分が作った家族で、写真を撮る。
・・・僕は親父にそう言って、丁重に断った。
頑固な親父は、少し納得のいかない表情を浮かべながら僕の話を聞いていたが、それでも
最後には渋々ながら同意し、そして噛み締めるような小さな声で「ありがとう」という言葉を、
口からこぼした。
今年もいろんなことがあった。
社会的にも。個人的にも。
良いこともあれば、悪いこともあった。
来年も、いろんなことがあるだろう。
社会的にも。個人的にも。
良いことも。悪いことも。
それでも、僕は、今までどおり家族を作ってゆくだろう。
そしてその家族を母港に、僕は自分の道を自分の足で、来年も歩いてゆきたい。
そう、思う。
履きつぶしてボロボロになった今年の靴は、靴箱の中にそっと仕舞った。
そして、今、僕は新しい靴をおろして、その靴に新しい紐を通している。
新しい年のために。
新しい道を歩くために。
今年もみなさん、ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
よいお年を。