りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

理由。

2016-07-26 | Weblog
最近、煙草の量が増えた。

5年前に再び吸いはじめて以来、ずっと1日10本程度だった。
まぁ、これくらいなら気分転換ということで・・・と自分自身に言い聞かせるように誤摩化してきたのだけど、気がつけば、最近は1日1箱ペース (-_-;)

どうしてだろう?と考えるまでもなく。
その理由は、仕事を含めた日常の諸々だろう。

具体的な事柄を列挙するのは控えるけれど(笑)、それらが原因でここしばらくはイライラしていることは自分でも気づいていた。
そのイライラを鎮めようと、気がつけば煙草に手を伸ばしている自分がいる。
しかし、一服することでそれらが解決するわけではなく。
そして、周囲の人々も紫煙を燻らせることに諸手を上げて理解してくれるわけでもなく。
だから煙草をやめられない理由として挙げても、まったくもって説得力がないことは、自分でもよーく分かっている。

そりゃあ、当たり前だ。

どんなにイライラしてストレスが溜まっても、煙草を吸わずにやり過ごしている人は数多いるのだから。
実際、現代社会の大半の人がそうやって生きている。

だから、いいか?
“仕事が辛かったから”とか“イライラしていたから”とか、口が裂けても言うんじゃねーぞ。
今回のこの事件、そんなことは、到底理由にはならない。

●障害者ら刺され19人死亡26人負傷、男逮捕 相模原
http://www.asahi.com/articles/ASJ7V2650J7VULOB00C.html?ref=yahoo
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夏本番。

2016-07-19 | Weblog
この写真を撮ったのは、4年前の今ごろ。
家族で山陰へ行った時だった。

毎度のことながら、その時も明確な目的地を決めず、まるでロードムービーのように出雲から東へと東へとあてもなくクルマを走らせ、鳥取県の倉吉辺りで、国道から分かれた細い道へ何も考えずに入ってしまった。
当時、クルマにはナビを付けておらず、地図も持っていなかった。
そんな状況なので、その道がどこへ続いているのかも分からないまま、多少の不安になりながら、とりあえず道なりに進んでいったら、突然、眼前に大海原が広がった。


フロントガラスに広がった景色に、子どもたちが歓声を上げた。
子どもたちにとっては、初めて見る日本海、初めて見る水平線だったのだ。

クルマを停めると、子どもたちは一目散に海へと走っていった。
そして波打ち際にたどり着くと、そこで足を止めた。

その時撮ったのが、この写真だった。

ふだん見慣れている瀬戸内海と比べて、あまりにも表情が違う日本海に感動したのか、それとも怯えたのか。
その後ろ姿からは読み取れなかったが、子どもたちはまるで眼の前の海と対峙するかのように、ただただ水平線を見つめ続けていた。

ワタシは、この写真が好きだ。

ナビにも地図にも頼らず、不安を抱えながら進んだ道の先にたどり着いたのが、この雄大な景色だった。
大げさかも知れないが、その道程はまるで人生そのもののように感じてしまうし、海を見つめる二人の子どもたちの姿も、まるで自身の未来と対峙しているように見えてくる。

先の見えない道を走るのは、誰だって不安だ。
だからといって、立ち止まっていても景色は何も変わらない。

雄々しい海原の波は今に飲み込まれそうで、誰だって怖じ気づく。
だけどその一方で、その荒波の向こうに横たわる水平線の先に、人は思いを馳せてしまう。

この写真は、そんなことを教えてくれる。

昨日、この辺りは梅雨明けをした。
それを機会に、スマホの待ち受け画面とFace bookのカバー写真をこの画像に変更した。
4年前にこの写真を撮って以来、それは毎年恒例の習慣になっている。

いよいよ、夏本番だ。
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7月17日の雑感。

2016-07-17 | Weblog
とりあえず、図書館で借りてきた。

もちろん、他にも高尚で重量級の皇室関係の本は数多あったのだけど、この連休中に寝転んで鼻をほじりながら(不敬罪か?)でも読める本がよかったので。

さすがに自分のことを「陛下の赤子」…とは思ってはいないが、広告の仕事を生業にしている以上、自分が資本主義の申し子であることはたしか。

途切れることなく、これからも連綿と続いてゆくことを願っております。


話は変わるけど、トルコのイスタンブールは、2020年のオリンピック開催で東京と競った都市。
本命の呼び声も高かったけど、もしあの時、イスタンブールが開催都市に決まって、今回のような事態が起きたのなら、オリンピックはいったいどうなっていたのだろう。

だからと言って、「やっぱり、東京での開催に決まってよかった」・・・という文章の終わり方はしないけどね(笑)
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喉元、過ぎたか?

2016-07-12 | Weblog


新聞の記事下に、7月スタートのドラマの広告が。

寺尾聰主演の学園ものらしい。
サイトにアクセスしてみた。



トップは、新聞と同じイメージ画像。

それにしてもこのビジュアル、新聞広告を目にした時から、以前にどこかで見たことがあるような気がしてならなかった。

ワタシの記憶違いか?それとも、デジャ・ヴか?

脳みその片隅の片隅にある、おぼろげな記憶の断片を頼りに、スマホでひたすらググり続けてみた・・・・・



見つけた。





不意に、昨年の東京オリンピックのエンブレムを思い出してしまった。

あれから、もうすぐ一年。

「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」と言うけれど・・・喉元過ぎるの、ちょっと早過ぎやしませんか(笑)?
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2本と1票。

2016-07-10 | Weblog
グリコのポッキー。

これを食べる時、ワタシは必ず2本一緒に食べてしまう。
この癖は幼い頃からで、おそらく、1本だけでは食べ応えがないからなのだろう。

だから開封すると、瞬く間に無くなってしまう。生来、せっかちな性格のワタシらしいといえば、ワタシらしいのだが (^^;;

さて、これを食べ終わったら、投票に行ってきます。
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もう一度夜をとめて。

2016-07-08 | Weblog
冷蔵庫を開けたら、ロクな飲み物がなかった。

ジュースのようなお酒を飲みながらスマホでYOUTUBEを見ていたら、この曲にたどり着いた。

よく耳にしたのは、19歳くらいの頃だった。
当時、この歌がとても好きだ、という女友達がいた。
何で好きなのか?とワタシが尋ねたら、歌詞が好きだと答え、特に二番の出だしの


「これ以上 愛し合っても ふたり同じ 夢が見れない」


・・・というところは、涙が出そうになるくらい好きだと言っていた。

そう言った彼女に向かって、「オレには意味がよく分からない」と首をかしげてワタシが答えたら、

「オトナになったら、よーく分かるよ」

・・・と、ワタシと同い年のくせに小馬鹿にしたように鼻で笑われた (ー ー;)

それが悔しかったのか、それ以来、この曲を耳にすると、無意識のうちに二番の出だしに鼓膜の神経を集中させてしまうという、イヤな癖が付いてしまった(笑)

しかし、あれから時間が過ぎ、社会人になり、結婚し、親になって、40代も半ばになったが・・・・・・・・・・やっぱり、ワタシには意味がよく分からない(笑)

「夢」とか「愛」とかという言葉に照れがあるからか、それとも、感受性のどこかに明らかな欠陥があるからか?


まぁ、どっちでもいいや。


何はともあれ、一週間お疲れ様でした。

崎谷健次郎『もう一度夜をとめて』
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