佐野元春の新アルバム「ZOOEY」が、今日発売された。
ボクはAMAZONで注文していたので、昨日発売日よりも1日早く自宅に届いた。
佐野元春の歌と出会って、今年でちょうど30年になる。
30年前の中学生の時、FMから流れてきた彼の歌をラジカセでエアチェック
したカセットテープを擦り切れるほど聴いて、高校生になると街の小さな
貸しレコード屋でアルバムを借りて、20代になって以降はアルバムが発売
される度にCDショップで予約して購入した。
それが今では、マウスでクリックひとつだ。
それだけでも、30年という月日の長さを感じてしまう。
届いたアルバムは、目を見張るほどの豪華さだった。
まるでちょっとした腕時計を収めるようなボックスにCD2枚、DVD1枚、
ライナーノーツ、ステッカー、ポスター、そして印刷ではあるけれども、
佐野元春直筆の手紙まで入っていた。
今まで数えきれないほど彼のアルバムを購入してきたが、おそらく今までの
作品の中で最もデラックスなアルバムではないだろうか。
さっそく、パソコンにCDを挿入した。
ちなみに、わが家にはオーディオ機器はもう1台もない。
ラジカセもシステムコンポもCDプレーヤーも、ない。
CDもDVDもパソコンで視聴して、気に入ればそれをウォークマンやiPhoneに
コピーしている。
これも、時代なのだろう。
曲についてはまだ聴かれていないファンの方のために詳細は割愛するけど、
あえて感想をひとこと言えば、とてもよかった。
良いアルバムだ。
長年のファンならご存知かもしれないが、佐野元春も50代半ばになって、
20年前30年前とは比べ物にならないほど、声量が落ちた。
昔は絶叫するような歌唱だったが、今では呟くような歌い方に大きく変わってしまった。
それを嘆くファンも少なくない。
でも自分自身を見てみれば、10代の頃に比べると、身体のアチコチにガタも来て、
クルンクルンの天然パーマだった頭も薄くなり、おまけに白髪も増え、身軽だった
身体も両手や背中に色んなモノを抱えて日々を過ごすようになってしまった。
変わったのは、佐野元春だけではない。
歌詞が、優しい。
アルバムを最後まで聴いて残った印象は、それだった。
「ガラスのジェネレーション」にしろ、「サムデイ」にしろ、昔の彼の歌は
“いつかきっと”とか、“風向きを変えろ”とか、歌詞にそんな言葉があふれていて、
そういった曲を聴くと、聴いている人間は“よし!”と重い腰を上げてしまうような、
俯いていた顔を上げてしまうような、そんな心境になったものだった。
前々作の「THE SUN」あたりからだろうか。
そんなまるでアジテーションで鼓舞するような言葉が少なくなって、
その代わりに“今まで頑張って来たんだから、君はそのままでいいんだよ”と、
長年、彼の歌とともに生きてきたファンにそっと寄り添うように労る言葉が
目立つようになった。
今回のアルバムは、そのオンパレードと言ってもいいかも。
まさに癒しのアルバム。慈愛に満ちたアルバムだ。
歌詞カードに目を通しただけなのに、ボクは不覚にも涙腺が緩みそうになった。
それは、あれだけエッジが鋭かった佐野元春も、様々な経験を重ねて丸くなって
しまったからなのか。
それとも、彼の歌と出会った頃は無知で無垢だったボクも、それなりに経験を重ねて
“つまらない大人”になってしまったからなのか。
たぶん。
たぶん、その両方なのだろう。
佐野元春 & THE COYOTE BAND「世界は慈悲を待っている」