りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

吉兆。

2013-03-30 | Weblog
今日の昼食は、自家製の豚丼。

冷蔵庫から玉子を取り出して割ったら、
なんと黄身が二つ!
なんだか、縁起が良い。

これが吉兆ならば、今日からは
ハキハキ喋らずにささやくように
話そうか・・・って、微妙に古い
オチでごめんなさい(笑)
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犬人間。

2013-03-29 | Weblog
再来週の水曜日、人間ドックの予約をした。

初めて受けたのは、今から8年前。
その時は、ほとんど興味本位で受けた。
まだ30代半ばで、その数年前に禁煙も成功していたので、ちょっと
肥満傾向なことを忠告されただけで、何も問題がなかった。

で、前回は2年前。
6年ぶりの健診だったので内心不安だったのだが、再び吸いはじめて
しまった煙草を注意されただけで、その時もなんら問題はなかった。

しかし40代も半ばに差しかかり、昨年あたりから周囲の同世代の
友達にも、大病を患う人がポツポツ出はじめた。
昨年末に胃がんの手術をした雨上がり決死隊の宮迫も、ボクと同い年だ。

もう、他人事ではない。

だから前回の2度の健診に比べて、今回はちょっとシリアス。
何かあってもおかしくないような気がする。
でも、どうか、何も異常がありませんように。

ところで、「人間ドック」と頭では分かっていても、その言葉を
口にする時、つい「人間ドッグ」と言ってしまうことがある。

検査項目に、脳神経外科はあったっけ(笑)?
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終わりは、はじまり。

2013-03-27 | Weblog
25年前の今日。
生まれて18年間暮らした家を出て、ボクは独り暮らしをはじめた。

父が運転する軽トラックに荷物をいっぱい積み込んで、一路、新しい生活が待っている
広島へ向かった。
あの時は、もう二度とこの街で暮らすことはないだろうと思っていたのに、その後、
数えきれない偶然と必然と運命と宿命と思いつきが絡み合って、今では生まれ育った
この街にしっかり根を降ろしてしまった。

3月も、最終週。

季節がら、今月に入ってボクの周囲でもいろんな変化が起こっている。
仕事では取引先やクライアントの人事異動、退職、私生活でも知人が仕事や会社を
辞めて新しい一歩を踏み出したり、友人や親戚の子どもが、家から独り立ちしたり。
毎年のことなので慣れているつもりなのだが、それでもいつも少し感傷的になって
しまう。

ボクは転勤族ではないし、子どももまだ小さいので、上述したような変化は
今のところない。
だからどちらかというと、故郷に帰ってきてからというもの、この時期になると
見送る立場になることの方が圧倒的に多い。

ボクも普通の人間なので、離れゆく人を見送る時、一抹の寂しさを感じるのだが、
それと同時に、なぜか奇妙な羨ましさも心の片隅に生まれる。
それがいったいどういう感情なのか自分でもよく分からなかったのだが、もしかしたら
それは、どんな理由であれ変化してゆく人と、その場に立ち止まったままでいる自分を
無意識のうちに比べているが故に生まれた感情なのかもしれない。


「終わりは、はじまり」という言葉がある。


佐野元春の「グッドバイからはじめよう」という歌の歌詞だ。
この歌に出会ったのは、ちょうど今から30年前の今ごろだった。
別れの歌だということは頭では理解していたが、当時は中学生の子どもだったから、
この歌の歌詞を心で共感するにはまだまだ未熟すぎた。

それから数年が過ぎて、高校卒業の時。

卒業式の後に受け取った卒業アルバムの片隅に、この歌の歌詞が掲載されてあった。
教師がこの歌を知っている可能性は限りなく低くかったから、きっと卒業アルバムの
制作委員会に属していた同級生の誰かが、歌詞を引用したのだろう。
それから数日後、ボクは生家を出て、独り暮らしをはじめた。
今思えば、この歌詞の本当の意味が分かりはじめたのは、この頃だったような気がする。

あれから、数えきれないほどの人と出会いと別れを繰り返してきた。
別れゆく時、若い頃なら自分の知り得るありとあらゆる言葉を尽くして惜別したものだけど、
最近では、もうそんなことはしない。

たとえばメールならば、感謝の気持ちを手短かに書いて、その最後に「終わりは、はじまり」と
書くだけ。
ちょっと、キザかもしれない。
でも、この言葉ほど離れゆく人に対する最大限のエールはないような気がしている。

嫌いな人に涙をこらえて別れの言葉を口にする人は、おそらく世界中に一人もいないだろう。
そういう感情を抑えて見送る人は、できるならばずっと自分の近くにいて欲しい人のはずだ。
そういう人には、ちょっと気恥ずかしくても、そんな言葉で見送ってあげた方がいいと思う。

何よりも、人生はこの言葉のとおりだと、自分自身が信じているのだから。

佐野元春「グッドバイからはじめよう」
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実家にて。

2013-03-25 | Weblog
昨日は、久しぶりにボクの実家へ家族全員で帰った。

自宅とはひとつ丘を越えただけの場所なので、
1年前まではしょっちゅう帰ってたのだが、昨年からは
家族の時間がなかなか合わず、正月以来の帰省(?)に
なってしまった。

実家は、今春、浴室とキッチンをリフォームする予定。

昨年辺りから父の足腰が一気に悪くなり、段差が多く、
冬場はおそろしく寒い浴室では入浴するのにもかなり苦労
するようになったようだ。
キッチンは、増築を重ねてムダに広くなってしまい、
年を取った母にとっては導線が複雑になり過ぎたので、
もっとシンプルにするらしい。

浴室とキッチンを作り変えたのは、今から約40年前。
ボクは当時4歳で、その時の工事の様子は、今でも記憶の
最下層におぼろげに残っている。
余談だが、家自体は祖父が建てた家で築50年ほど。
ちなみに落成当時の風呂は、なんと五右衛門風呂だった!

工事は、水道会社を経営しているボクの友人に、すべて
お願いしている。
昨日、友人が書き起こした今回のリフォームの概要の
間取り図を見せてもらった。


大工事だ。


図面を見ただけでも、家の半分が新築になってしまうと言っても
過言ではないほどのリフォームになりそうだった。

家を出たと言ってもボク自身、人生の延べ半分近くを過ごした家だから、
長年見慣れて使い慣れた家が変わってしまうことに、寂しい気持ちが
ないわけではない。
でも、そこで暮らす高齢の仲間に入りをはじめた両親のことを考えれば、
今のままでいいはずがない。
これからも元気で健康でいてもらうことが、何よりも大切なのは
明らかなことなのだから。
それに、リフォームが完了した暁には、もしかしたら毎日のように風呂に
入りに帰ってくるようになるかもしれない(笑)
なんせ、丘をひとつ越えただけの場所に暮らしているのだから。
変わる事に対する寂しい気持ちはちょっと横に置いといて、これからの
数ヶ月はそれを楽しみにして日々を過ごしたいと思う(笑)





上記の写真は、実家の居間にあったバランスボールに興じる息子。
話を聞けば、どうも母が衝動買いした代物らしい。
あと数年で70歳を迎えようとしているのに、大丈夫なのかよ?
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さくら。

2013-03-21 | Weblog
桜が開花したようで。

しかし例年よりもおそろしく開花が早いのは、
花に疎いボクでも分かる。
桜はもちろん好きだけど、あまり早いのも考えもの。
やっぱり四季を感じさせる花は、咲くべき時期に咲いて
初めてその季節の到来を実感できるのだから。
もしかしたら、これも地球温暖化が遠因なのかもしれない。

桜が開花が早まったことで、仕事の面でも、実は支障が
出ている。

例えば、“春の◯◯キャンペーン”的なポスターやフライヤーを
デザインする時、それらが4月上旬頃の納品予定なら、そのデザインの
バックに桜のイメージ写真やイラストを施すことが往々にしてよくある。

しかし今年に限って言えば、もうその頃には、桜は散っている可能性が高い。
ある意味、広告はナマモノだから、ちょっと表現がズレてしまうだけで、
本来の訴求力が半減どころか、ゼロになってしてしまうこともある。
だから、今年は桜を素材に使ったデザインの仕事は、例年に比べて
極端に少ないような気がする。

上記の写真は、Facebookのプロフィールページのカバー写真。
今週はじめに、この写真に差し替えた。
イラストと写真を使ってチョコチョコっと作った。
まぁ、桜を使いたい欲求のガス抜きみたいなもんですな(笑)

で、最後に、歌を。
“桜”にまつわる歌は数多あるけど、ボクはやっぱり何年経っても、
この歌が一番好きだ。

ケツメイシ「さくら」



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浪費。

2013-03-19 | Weblog
また、ヤフオクでしょーもないモノを買ってしまった。。。。。

(強がりでも見栄でもなく)落札したモノはまったく高額な品物ではないから
財布的には大丈夫なのだけど、逆に言えば、その程度の買い物なら、別に
それを購入しようがすまいが、今までの生活にもこれからの生活にもおそらく
なんら影響を与えない(笑)
そう、典型的な無駄遣い、衝動買いだ。

クリックひとつ。カード決済。
買い物をした実感が全くない。

簡単で便利な時代になったけど、やっぱり怖い時代でもあるな。
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一歩ずつ。

2013-03-16 | Weblog
自宅の裏に、丘がある。

今朝、朝食を口にした後、登ってみた。

まだ少し肌寒かったけど、先日の雨で
黄砂や厄介な大気汚染も少し落ち着いたのか、
先週よりも景色は澄んで見えた。

斜面に桜の木があった。

ボクは草花には疎いので、詳しい種類は
よく分からないけど、ソメイヨシノでは
なさそうだ。
でも、その枝には、もう花が咲いていた。



一歩ずつ、確実に、春は近づいているようだ。

午後から妻と一緒に買い物に出かけてきます。
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田辺誠一画伯。

2013-03-15 | Weblog
以前からツイッターで話題になっていた、俳優の田辺誠一氏が描くイラスト。

最近、そのクォリティに拍車がかかっているようで、昨日Yahoo!のニュースにも
取り上げられていた(笑)
その流れで、“田辺誠一イラスト”で検索してみたら、まぁ出るわ出るわ(^_^;)
ページを開くたびに、思わずのけ反ってしまうような、もの凄い破壊力!

とりあえず、その中でもお気に入りの作品をピックアップして転載してみました。
これはもう、立派な「アート」だと思う。

●カッコいい犬





●カッコいい車(その1)





●カッコいい車(その2)





●その車を運転していたドライバー





●機関車トーマス





●マツコ・デラックス





●(たぶん)スギちゃん





こんな調子でネットサーフィンしていたら、これらの作品をスマホの待受け画面に
加工しているモノをみつけたので、私も1枚いただきました。
今、私のスマホの待受は、これです↓




いやぁ~、スゴイです。
いつか、個展を開いてくれないかなぁ(笑)

Yahoo!ニュース「破壊力ありすぎ!? 田辺誠一画伯のくまモンが話題に」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130314-00000035-flix-movi
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ZOOEY

2013-03-13 | Weblog
佐野元春の新アルバム「ZOOEY」が、今日発売された。
ボクはAMAZONで注文していたので、昨日発売日よりも1日早く自宅に届いた。

佐野元春の歌と出会って、今年でちょうど30年になる。

30年前の中学生の時、FMから流れてきた彼の歌をラジカセでエアチェック
したカセットテープを擦り切れるほど聴いて、高校生になると街の小さな
貸しレコード屋でアルバムを借りて、20代になって以降はアルバムが発売
される度にCDショップで予約して購入した。
それが今では、マウスでクリックひとつだ。
それだけでも、30年という月日の長さを感じてしまう。

届いたアルバムは、目を見張るほどの豪華さだった。

まるでちょっとした腕時計を収めるようなボックスにCD2枚、DVD1枚、
ライナーノーツ、ステッカー、ポスター、そして印刷ではあるけれども、
佐野元春直筆の手紙まで入っていた。
今まで数えきれないほど彼のアルバムを購入してきたが、おそらく今までの
作品の中で最もデラックスなアルバムではないだろうか。

さっそく、パソコンにCDを挿入した。

ちなみに、わが家にはオーディオ機器はもう1台もない。
ラジカセもシステムコンポもCDプレーヤーも、ない。
CDもDVDもパソコンで視聴して、気に入ればそれをウォークマンやiPhoneに
コピーしている。
これも、時代なのだろう。

曲についてはまだ聴かれていないファンの方のために詳細は割愛するけど、
あえて感想をひとこと言えば、とてもよかった。
良いアルバムだ。

長年のファンならご存知かもしれないが、佐野元春も50代半ばになって、
20年前30年前とは比べ物にならないほど、声量が落ちた。
昔は絶叫するような歌唱だったが、今では呟くような歌い方に大きく変わってしまった。
それを嘆くファンも少なくない。
でも自分自身を見てみれば、10代の頃に比べると、身体のアチコチにガタも来て、
クルンクルンの天然パーマだった頭も薄くなり、おまけに白髪も増え、身軽だった
身体も両手や背中に色んなモノを抱えて日々を過ごすようになってしまった。

変わったのは、佐野元春だけではない。

歌詞が、優しい。
アルバムを最後まで聴いて残った印象は、それだった。

「ガラスのジェネレーション」にしろ、「サムデイ」にしろ、昔の彼の歌は
“いつかきっと”とか、“風向きを変えろ”とか、歌詞にそんな言葉があふれていて、
そういった曲を聴くと、聴いている人間は“よし!”と重い腰を上げてしまうような、
俯いていた顔を上げてしまうような、そんな心境になったものだった。

前々作の「THE SUN」あたりからだろうか。
そんなまるでアジテーションで鼓舞するような言葉が少なくなって、
その代わりに“今まで頑張って来たんだから、君はそのままでいいんだよ”と、
長年、彼の歌とともに生きてきたファンにそっと寄り添うように労る言葉が
目立つようになった。

今回のアルバムは、そのオンパレードと言ってもいいかも。
まさに癒しのアルバム。慈愛に満ちたアルバムだ。

歌詞カードに目を通しただけなのに、ボクは不覚にも涙腺が緩みそうになった。

それは、あれだけエッジが鋭かった佐野元春も、様々な経験を重ねて丸くなって
しまったからなのか。
それとも、彼の歌と出会った頃は無知で無垢だったボクも、それなりに経験を重ねて
“つまらない大人”になってしまったからなのか。

たぶん。

たぶん、その両方なのだろう。

佐野元春 & THE COYOTE BAND「世界は慈悲を待っている」
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絶対に何かあると思うんだよ。

2013-03-12 | Weblog
以前から、ずーーっと気になっていた。

上記の地図。
ご覧の通り、関西地方の地図。
右斜め上に琵琶湖。
左斜め下に淡路島。

このふたつの形が、あまりにもよく似ている。

まるで淡路島が淀川を産道のように通って、大阪湾に産み出たように見えないこともない。
ちなみに、琵琶湖の面積は670km²、淡路島は592km²らしい。
島の一部が海に隠れ、湖も干拓や埋め立てで小さくなっていることを考えても、面積はほぼ同じくらい。
分かりやすい地図を作れば、こんな感じか?↓



このことを初めて教えてくれたのは、中学1年の時の担任の先生だった。
社会科の授業の時に「これは先生だけが思っていることかも知れないんだけど・・・」と
余談として話しはじめた。
だけど先生の独り言のようなその話を耳にした時、地理や歴史が好きだったボクは、
なんだかとてつもない衝撃を受けた記憶が今でもある。

それ以来、ずっと頭にこびり付いていた・・・というわけではないけど、
地図を見るたびに、“何かあるんじゃないの????”と素朴な疑問が浮かんでは消えていた。

で、現代はネット社会。
“琵琶湖淡路島カタチ”と検索してみたら、案の定というか意外というか、同じような疑問を
持っているたくさんの人達がブログやサイトに書き込んでいた。

神話の記述に根拠を求めている説や、地殻変動云々・・・という科学雑誌のニュートンに
載っていそうな説など、良いように捉えれば百華撩乱、悪く捉えれば好き勝手に自説を
説いているのだけど、説得力のある結論に至っている説は皆無で、結局圧倒的に多い結論は、

「単なる偶然」。

そうかなぁ????
これほど至近の距離で、これほど形が相似しているのに、偶然という解釈の方がよっぽど
不自然のような気がするけど。
生まれ変わったら、地質学者にでもなって、この疑問の解明に一生を捧げちゃうぞ(笑)

あなたは、どう思いますか?
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