りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

神頼み。

2015-02-28 | Weblog
我が家の和室には、神棚がある。

10年前にこの家を購入した時、不動産屋と銀行が用意した膨大な枚数の書類にサインと捺印を終えて、晴れて自分の所有物になった直後、「引っ越す前に、まず神棚を作りなさい」と父から言われたのだ。

ワタシと父は、普段は意見が衝突することの方が圧倒的に多かった。
しかし、“家の購入”という生まれて初めての大イベントに対して自分の中にマニュアルがあるわけがないワタシは、この時、自分でも気持ちが悪いほど素直に父の忠告に従ったのだった。

ホームセンターで購入した市販の神棚セットではあるが、地元の氏神様である八幡神社のお札をちゃんと収めた。
以来、朝は必ず柏手を打って一日をはじめることが、今では習慣となっている。
別にワタシは過度に信心深いわけではないが、この10年間、大きな災いもなく家族が過ごせたことは、もしかしたらそのおかげかもしれない・・・と、思うことがないわけではない。

先日の話。

娘の第一志望校の受験票が手元に届いたそうだ。
それを知ってつかさず、「受験票、神棚に置いときなさい」とワタシが言うと娘が、

“何で?”

何で?って・・・無くしたらマズイし、神棚に置いとけば、安心できるだろう?

“安心・・・!?”

お父さんは、そうしてるよ。期日が決まっているモノで大事なものは神棚に置いてる。コンサートのチケットとか、あと・・・あ、そうだ、宝くじとかな。

“じゃあ、絶対に置かない!”

娘は即答し、そしてハッキリとこう言った。

“だって宝くじ、当たったことないじゃん”



・・・いよいよ来週、受験です(笑)
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もう、いいよ。

2015-02-25 | Weblog
80年代に10代を過ごした人間なので、ワタシも例に漏れず、ラッツ&スターは大好きなグループだった。

世間はもちろん、個人的にも、彼らが明らかに時代のポップアイコンだった時季があるのだ。

大人になった今でも、夏が近づけば「め組のひと」を聴きたくなるし、夏が終わる頃になれば「Tシャツに口紅」を聴きたくなる。

今まで本当に数多の音楽を聴いてきたが、長い時間を経て、今も昔と同じように自分の中に残っている音楽は、もうそれほど多くはない。

だから、もういいよ。

やめてくれ。

●田代まさし氏、リハビリ手記を発売 トークイベントも開催
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150225-00000325-oric-ent
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ちょっとだけ先の未来へ。

2015-02-23 | Weblog
今朝、スマホでFacebookを覗いたら、こんな記事が。



10年ぶりのアルバム発表。
何よりも、そんなに時間が過ぎていたことに驚いた。
だって、AMAZONで前作を購入してから、まだ5~6年しか過ぎていない感覚でいたから。

時間は過ぎているのだ。
年を重ねているのだ。
ワタシも。浜田省吾も。そしてファンの皆様も。
だって、10年も辛抱強くオリジナルアルバムを待つなんて、昔の彼の活動からすれば考えられないことだろう。

彼のアルバムをワタシが自分の意志で手にしたのが、ちょうど今から30年前。
高校1年生の晩秋、町の小さな貸しレコード屋でだった。
そんな個人的な節目の年に新しいアルバムが届くのも、ずっと付かず離れずで聴き続けてきた賜物かもしれない。
最近は、ダウンロードで購入することが本当に多くなったけど、10代の多感な時期に琴線に触れたミュージシャンたちのアルバムだけは、ちゃんとCDで購入しよう決めている。

発売は4月29日とのこと。
その頃には、もう春らんまんのはず。

こんな細やかな楽しみを、ちょっとだけ先の未来へ置いておくと、気持ちが少し軽くなる気がする。
こうして、少しずつ少しずつ、春は近づいてくるんだねぇ。

●2015.02.23 浜田省吾10年ぶりのオリジナル・アルバム発売決定!
http://shogo.r-s.co.jp/news/news3719.html
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1.38倍。

2015-02-19 | Weblog
今日、広島県の公立高校の入学定員と志願者数が発表された。

娘の第一志望の高校の入学定員は、128人。
志願者数は、176人。
倍率、1.38倍。

新聞を眺めながら娘がこう言った。

「1.38倍って、138人受験したら、38人は落ちるってことだよねぇ・・・」

・・・どーーーして、そういうふうに捉えるかなぁ(ー ー;)
しかも、100人単位で例えちまうから、必要以上にネガティブに感じるだろ(ー ー;)
いったい、誰に似たんだか・・・。

まぁ、娘の気持ちも分からないわけではないが、こちらとしては予想の範囲内の倍率ってとこか。

このブログでも何回か書いたけど、娘が志望する高校はワタシの母校なのだが、ワタシが受験したちょうど30年前の倍率も、たしかこの程度倍率だった記憶がある。

そういえば当時のワタシも、新聞の記事を眺めて、
「13人受けたら3人落ちるのか・・・」と思い、その一方で、同じ新聞記事の中に、定員割れをして倍率が1倍以下になっている高校を見つけては、死ぬほど羨ましく思ったものだった。

・・・そうか、娘はワタシに似たのか(笑)

何はともあれ、これですべてのお膳立てが出来た、という感じだろうか。
後は、風邪をひかず大事なく当日を迎えてくれれば。

娘よ、まな板の上の鯛になれ(笑)
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小さい街だけど、待ってくれる人がいる。

2015-02-16 | Weblog
いい言葉だなぁ。

素直に、そう思った。

待ってくれる人がいる、ということは、それはとどのつまり、自身の存在を肯定してくれる人がいる、ということだ。

これはある意味、人間が人間らしい生き方をするための、根源的な条件なのではないだろうか。

生きてゆくためには、お金は必要。
絶対に、必要。

でも、そんな“必要”より、人間にはもっと大切なものがあることを、この人は自身の決断を通じてワタシたちに教えてくれたような気がする。

本当に、春が楽しみです。

⚫︎【黒田復帰会見 7】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150216-00000115-spnannex-base
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機種変。

2015-02-15 | Weblog
今日、スマホを機種変した。

今まで、3年前に機種変したiPhone4Sを使っていたのだけど、最近は使い難くなってきていた。
タップしてもすぐに反応しないし、充電もなかなか進まない。
仮に充電して100%になったとしても、例えば写真をたった1枚撮っただけで、充電の残量が10%になってしまう始末(笑)
これじゃあ、便利なのか不便なのかさっぱり分からない (ーー;)
ここ数ヶ月はそんな状態だったので、今日、思いきって機種変してきたわけで。



新しいスマホは、iPhone6。
6Sも薦められたが、あれを購入するならiPadの方がいいと思うので、迷うことなく。

それにしても、毎回機種変する時に思うのは、相変わらずの多種多様なプラン内容。
カウンター越しに店員さんが懇切丁寧な早口で説明してくれるのだが、毎回迷うのを通り越して辟易してしまう。
どこの携帯電話会社も似たようなものなのだろうけど、お客さんはみんな、自分の組んでいるプランを完璧に把握した上で新たなプランを組んでいるのだろうか。

ワタシは、してません(笑)

だから今回も、ひと通り店員の説明を聞いた上で、「まぁ、今までのに近いプランでやってください😅」と、ヒジョーに雑な答えを口にしてしまった(笑)

設定変更を店で終えて、帰宅後に旧iPhoneからデータ移行。
これが、やっぱりというか相変わらずというか、めんどくさい (ーー;)
ワタシは、iPhone以外を持ったことがないので他機種は知らないのだが、やっぱりここまで自分でしなければいけないのだろうか?
データのバックアップは、iTunesではなくiCloudでしていたので、新たにWi-Fi設定して、iCloudからデータを復元して・・・。
その間にも、いくつかのアプリのパスワードを突然尋ねてこられて、どういうパスワードだったかすっかり忘れてアタフタしたり (ーー;)

そんなこんなで、すべて無事ダウンロードできたら、ひとつひとつの機能やアプリを確認。
「連絡先」をタップしてみたら、やけにアドレスが少ない。
よく見ると「や行」の人物しか表示されていない。
しかも、そのほとんどが滅多に連絡しない人物ばかり。
“あ、オレ、この人の携帯電話、知ってたんだ”と、余計な発見をしてしまった(笑)

手汗でビッショリ、眉間に深い渓谷を刻みながら、なんとか連絡先も復旧させ、今、こうしてリビングの定位置に座って、iPhone6でブログを更新しております (^^;;

それにしても、以前のiPhone4Sから3年の機種変。
当たり前だが、購入した時は最新だったのに、今こうしてiPhone6を弄っていると、恐ろしく古く感じる・・・たった3年前なのに。

こういうところからも、自分が少しずつ年を取っていることを感じる、2015年の早春でございます(笑)
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フロントマスクとタッチペン。

2015-02-14 | Weblog
今朝の朝刊に、折込チラシが入っていた

正式に、HONDAから新車「JADE」が発表されたようだ。

ワタシは、昔から普通車はHONDA党だったのだけど、最近のHONDAは特に良いなぁ、と思うクルマが増えた気がする。
軽自動車のNシリーズやフルモデルチェンジしたオデッセイなどなど。
昨年初頭に発表されたヴェゼル(Vezel)に至っては、初めて眼にした瞬間、“ほ、欲しいっ!”と、反射的に心の中で叫んでしまった(笑)

それまでのHONDA車に比べて、フロントマスクがシャープな雰囲気に変わったからだろうか。
そう言えば、ここ数年の間に発表されたMAZDAのクルマも、フロントマスク・・・特にヘッドライト周りはシャープなイメージで統一されている。
(余談だけど、今のMAZDA車のフロントマスクを初めて見た時、口を目一杯広げたジンベイザメにしか見えなかった)

2000年代のクルマのフロントマスクのデザインは、どのメーカーもヘッドライトが大きくて、どちらかというと大らかというか、鈍角的なデザインが多かったような気がする。
もしかしたら、その反動で、2010年代のクルマのフロントマスクは、シャープで鋭角的なデザインの傾向にあるのかも知れない。

話は変わるけど、下の写真は、我が家のHONDA・フィット。
朝見たら、バンパーの下部に小さな傷が・・・(ー ー;)



気がつかなかった。
いつ、どこで、誰が傷つけたのだろう。
・・・と詮索したところで、この傷がキレイサッパリ直るわけでもなく、カー用品店へ直行してタッチペンを購入。
ボディカラーとドンピシャの色を選んだので、それこそ遜色がないはずなのだけど、やはりそこは素人の仕事。
見事にムラになりました(^^;;



まぁ、この程度の“大らかな”処置でいいだろう。
なんせこのフィットは、2000年代のフロントマスクなのだから(笑)
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やればできるじゃないか。

2015-02-07 | Weblog
上の写真は、先月購入したジャケット。

だが購入したはいいものの、腕を通してボタンを留めてみたら、多少キツい感があった。

こりゃ、ちょっと痩せなきゃマズイ。残念だけど、今冬は着れないだろう・・・ということは、このブログにも書いた↓
http://blog.goo.ne.jp/riki1969/e/c9a2d3646fe82c238638ff46bbf559e8

あれから、3週間。



フツーに着れるようになりました(^_^)v
人間、やればできるもんです(笑)
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生きているのなら。

2015-02-02 | Weblog
昨日の昼下がり、娘を迎えにクルマで出かけた。

日曜日だというのに、娘は朝から塾の学力テストだった。
彼女の受験勉強も、佳境に入ってきた。
今回のテストが最後の学力テストになるそうで、もうこれ以降は、第一志望の高校受験が終わるまで自身の学力を確かめるテストはないらしい。

塾へ向かう途中、交差点の信号待ちに時間を食われた。
真冬であっても、日曜日の午後だ。
買い物なのかレジャーなのか分からないが、交差点付近は、家族で外出途中のようなファミリーカーたちでちょっとした渋滞を起こしていた。

少しイライラしはじめたワタシの視界に、ある光景が映った。
それは、反対側の歩道で信号待ちをしている二人の中年男の姿だった。
一人は痩せ型。一人はぽっちゃりした体型の男だった。
友人同士なのか、兄弟なのか、上司と部下なのか、それとも“ただならぬ関係”なのか、そんなことはもちろん分からない。
でも、付かず離れずの距離間で同じように信号待ちをしているということは、たぶん顔見知りなのだろう。

あれが・・・。

ふと、思った。

・・・あれが、湯川さんと後藤さんだったら、よかったのに。

フロントガラス越しに目にした二人の男の姿に、ワタシはそう思った。

“実は、私たちはシリアには行ってなくて、瀬戸内の小さな街でボケーとしてましたぁ~”
もしもそんな記者会見をしてしまったら、とんでもないことになっていただろう。
昨年のゴーストライターやSTAP細胞や号泣県議どころではない。
国民すべてが不安と恐怖に包まれて、心の底から心配していたのだ。
一億総バッシングの嵐になってもやむ得ない。
きっと、二人は、二度と以前のような生活も仕事もできなくなる。
地位も名誉も何もかも失って、世間の隅の隅の隅で隠れるように残りの人生を過ごさなくてはいけなくなるだろう。

それでも、いい。
生きているのなら。

無事に生きていて、これからも生きてゆけるのなら、それだけでいいじゃないか。

渋滞に巻き込まれたおかげで、塾に5分遅刻した。
娘は、助手席に乗り込むと、開口一番“ダメだぁ~!”と、上半身を丸めて頭を抱えた。
話を聞くと、日本史で撃沈したらしい。
彼女曰く、鎌倉時代と室町時代はあまりにも似ていて、いまだに理解が難しいそうだ。
しかし、その言葉とは裏腹に、あまり深刻な空気は伴っていなかったので、ワタシは娘の後頭部を軽く小突いて、再びクルマを動かした。

生きているのだ、娘は。
家路を辿るクルマを走らせながら、素直にそう思った。
現状に悩んだり、迷ったり、困っているということは、この先も生きていきたい証しなのだ。
そして、そんな娘と接して“こいつ、このままで本当に受験、大丈夫か?”と、ワタシが少し不安になっているのも、この先も生きていきたいと思っている証しなのだろう。

ワタシは、そんな当たり前のことを、彼の地で散った二人から、あらためて教わったような気がしている。

湯川遥菜さんと後藤堅次さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
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