りきる徒然草。

のんびり。ゆっくり。
「なるようになるさ」で生きてる男の徒然日記。

水牛の角。

2024-11-27 | Weblog
今日、地元の商工会議所の表彰式に出席した。


永年勤続30年の表彰式。


会社の会長・社長をはじめ、地元のお偉いさん、商工会議所の皆さん・・・etc.
顔なじみの方から今日初めてお会いした方まで、数多の人から〈おめでとう〉の声をかけていただいた。


〈これは別にゴールではないし、あくまでも通過点なので・・・〉


デビュー20周年とか30周年を迎えたミュージシャンが、雑誌のインタビューでそう答えているのを読んだことがある。そういった発言を眼にする度に、

〈なーーーーに、カッコつけてんだよ、素直に喜べばいいじゃんよ〉

と思ったものだが、今のワタシには、そんなミュージシャンの気持ちが少しは分かるような気がする(笑)

おめでたいと思っているのは、どちらかといえばもっぱら周囲の人々であって、当人は至って冷静というか・・・。
バタバタバタバタとした1日を365回過ごすうちに1年が過ぎ、そんな1年を30回繰り返しただけ・・・といえばよいのだろうか。

今回の表彰も、最初は頑なに固辞していた。

今までも、デザインや小説のコンクールといった表彰式には出席したことが何度かある。
しかしそれは、自分なりに〈努力した〉という自負がどこかにあったから喜んで出席したのだと思う。

だが、今回のそれは、どうもそんな感じがしない。

上述したように、単なる〈時間の経過〉のような思いがあるし、何よりも、本人が〈頑張ったなぁ〉という実感がカケラもないのだ(笑)

・・・とは言っても、ずっと働き続けてきたから、今のワタシの人生があるのも事実なわけで。

そして、平成大不況やリーマン・ショックやコロナ禍といった木っ端微塵になりそうな暴風雨に襲われても、会社が雇用し続けてくれたことも事実。

そんな別の側面を思うに連れ、ワタシの中で少しずつ心境が変わっていったのか、会社側との何度かの話し合いを経て、

〈まぁ、ワタシの表彰が、少しでも会社の宣伝になるのなら・・・〉

というスタンスで、今回の表彰式に臨んだ次第。



それにしても、30年か・・・(苦笑)😅



前の会社を逃げるように辞めて、25才で中途入社。
最初に担当した仕事は、地元の店の小さな看板のデザインだった。
広告代理店と標榜はしていても、看板制作が主体で、印刷媒体もほとんど手がけておらず、テレビやラジオCMはもちろん、企業まるごとの案件やイベント全般を手がけるなんて、夢のまた夢のような話。
インターネットもまだ存在しておらず、デザインもパソコンではなく、手描きが当たり前の時代だった。
もっともそれ以前に、ワタシ自身、なーーーんにも作れなかった(笑)



それを考えれば、遠くまで来たんだなぁ。



40代を迎えた頃だっただろうか。
デザインを生業にしているのに独立していないことを、どこか負い目に感じていた時期もあった。

でも、もう今はそんな気持ちはないかも。

自分で選んだ道だからな。
ここまで来たのなら、それを正解にしてみせる。



          ◆



今回、表彰式に出席するにあたって、ひとつだけこだわったことがあった。

それは、今日着て行ったスーツ。
表彰式に出席することを決めた時から、当日は〈あのスーツ〉を着て行こうと決めていた。

それは、30年前に購入したスーツ。

入社した年の晩秋(ちょうど今頃の季節)に、それなりの店に行って購入した。

試着した時に店員さんが

〈これ、ボタンが水牛の角なんですよ〉

と自慢げに言っていたので

〈あ、そうなんだ、それはイイネ〉

なんて答えたのだけど、水牛の角だろうがプラスチックだろうが、20代の若造にその違いなんて分かるわけがない(笑)
それでも分かったフリをして、半年ローンで購入した。
最近はまったく袖を通していなかったのだけど、今回久しぶりにクローゼットから引っぱり出した。





濃いグレーのシングル3つボタン。

ちょっと時代遅れの感はあるが、そんなスーツの方が、なんだかワタシらしい気がする。

オマエもまさか、30年後のこんな日に着てもらえるとは思わなかったよなぁ。

まぁ、〈水牛の角〉の良さは、相変わらずオレには分からんけれど(笑)
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もう、ホントにやめる、たぶん。

2024-11-21 | 家族
最初に言っておくけど、今日のタイトルは、別に仕事のことでもタバコのことでもありません(笑)

来年の年賀状のこと。

今年の正月にも何通か出したのだけれど、それらはすべて元旦にいただいた方々への返信のような年賀状だった。

来年も何通か年賀状をいただくかも知れないけれど、その返信の年賀状がおそらく最後になるかと思う。

思えば、パソコンとプリンターをフル活用して100枚前後の年賀状を作っていたのは何年前だっただろうか。

仕事柄もあって、それなりのデザインの年賀状を毎年毎年作っていた。

その中でも印象深いのは、この年賀状かなぁ↓





西暦を入れ忘れたのは、今でも反省点(笑)
その他にも、あらためて見返したら、イラストもレイアウトも拙い点が多々ありますが😅

これは子年の年賀状。
今、ネットで子年の西暦を調べたら、2008年の年賀状だったようだ。

毎年、年賀状のデザインを考えたら、制作に入る前に必ず家族に見せていた。
いわば、〈家庭内プレゼンテーション〉のようなもの。

この時はたしか、夕食の食卓でプレゼンをした。
プレゼンの結果、妻と当時小学生だった娘からはOKの承諾がもらったのだけれど、4歳の息子はなぜか不満顔だった。

その理由を息子に尋ねたら、息子は下唇を突き出して、



「みんなで一緒に歩きたい・・・」



と、眼に涙をいっぱい溜めて呟いたことを今でもよく憶えている。

そして、そんな息子の言葉に応えて妻が、

「あのね、これはね、お父さんが捕まっているから面白いのよ♥️」

と、身も蓋もないことを優しい口調で息子に説いたことも、今でもよく憶えている(笑)

そんな優しくて家族想いだった息子も、やがて声変わりをし、すね毛が生え、高校を卒業すると、当たり前のように家を出て行った(笑)

まぁ、時代に連れて年賀状がなくなるように、家族のカタチも変わってゆく、ということか😅

・・・というわけで、年賀状でのやり取りはなくなってしまいますが、皆さま、これからもよしなにお願いいたします🙇

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搾り出せ。

2024-11-16 | 健康
先週の話。

会社の健康診断があった。
年に一度の健康診断。

これだ。
去年のこの診断だったのだ。

ワタシに対して
〈数値的には、もう立派な糖尿病ですよ〉
という、慈悲のかけらもない宣告をしたのは。

それから1年、定期的にかかりつけ医に通院し、食事に気をつけ、適度な運動をし、(タバコだけはやめられなかったが)、その結果1年足らずで10kgの減量に成功した。

さぁ、行こうか。

待ってろよ、労働衛生協会の職員さん。

この体重と腹囲をあなた達に見せてやる。

そう、これはある意味、〈リベンジ〉だ。



          ◆



午前10時。

健診のスタートとほぼ同時に向かおうと、自分のデスクを立った。

しかし、そのとたん、にわかにトイレに行きたくなってしまった。

ワタシも人の子。

この1年の努力とその成果が今日結実することに、少し緊張しているようだった。

トイレに向かい、用を足した。

うん、スッキリ。

体も軽くなったし、心も軽い。

さぁ、行くか。



          ◆



会場に着いて、去年の身長やら体重やら腹囲やら視力やら聴力やら血圧やらが記載された診断用紙を受付に渡したら、それと交換するようにこれを渡された ↓



ド忘れしていた。
いつも、診断の最初が検尿だったことを。


・・・さっき、出しちゃったよ・・・💦


それでもなんとか冷静を装ってカップ片手にトイレに向かった。
しかし誰でもそうだが、自分の身体のことは自分が一番よく分かっている。


オレ、今、空っカラだぞ💦💦💦


さっきまで軽快だった心身が、少しずつ重ーくなりはじめ、それは仁王立ちになった小便器の前でピークになった。

なんてこった😓

どうしてトイレに行っちまったのか😓

最近、少しずつ物忘れが増えてきた気がしてたけど、こんなことも忘れてしまうようになったのか😓

もう、物事を線や面で考えられない、点だけの人間になったのか😓

せっかくここまで頑張ってきたのに😓

こんなことで、この1年を無駄に出来るかよ😓







      ・・・搾り出せ。







・・・小便器の前にいつもの倍以上の時間、仁王立ちになり、そして、なんとか、なんとか、なんとか、なんとか出すことができた💦

今考えれば、今年した最大の努力は、減量なんかではなく、もしかしたら、この時の〈搾り出し〉だったかも知れない。



          ◆



この後、各種診断をしてもらったのだけど、案の定、体重測定と腹囲測定の時には、職員さんに驚かれた。

特に腹囲の時には、ワタシの腹に巻いたメジャーを見た職員さんが

「エッ⁉️」

と、マスオさんのような裏返った声を出して、その後しばらく、昨年の数値が書かれた用紙とワタシの腹に巻きついたメジャーを二度見、三度見していた。

生まれて初めて見た。
あんなコントのようなリアクション(笑)

まぁ、とりあえずこれでワタシの勝手なリベンジは、成功👍ということで。
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え? まだ働くんスか!?

2024-11-10 | 旅行

先週行った、大阪のお話。

久しぶりに息子の部屋に行った。

息子が暮らしているのは、大学から至近の学生寮。
令和の時代によくぞ生き残っていると拍手を贈りたくなるような年代モノの寮なのだが、栄養のことを考えた家庭的な食事を毎日出してくれるという点が決定打になってここに決めた。

ちなみに、そんなアットホームな雰囲気が話題になって、今年の初めに地元大阪のテレビ局から取材されて夕方のワイドショーで放送されたそうだ。

息子の部屋に入ったのは引っ越しの時以来だから、約2年半ぶり。

引っ越し当初はなかったカーペットが敷かれ、シンプルなパイプベッドも置かれていて(どちらもAmazonで購入したらしい)、以前より狭くなったように感じたが、それに比例して生活感も格段に増したような気がした。

それよりももっと増えていたのが、書籍。

分厚く年代モノの学術書やら何やらが所狭しと山積みになっていて、どちらかと言うと、ベッドよりもそれらの書籍の山が部屋を一段と狭くしているように思えた。

眼についた本を手に取って、ページをめくってみる。
しかし、めくって0.2秒くらいで〈理解できない〉と判断し、本を元の場所に置く。
そして、また別の本を手に取り、0.2秒で元の場所に置く・・・そんな行動を4冊ほど繰り返して、


「とりあえず、本棚も買いなさい」


と、父親らしくアドバイスをした(笑)



写真は、そんな部屋の真ん中に鎮座する黒いテーブル。

このブログをお読みの方で、ワタシと大学時代から付き合いがある方なら、見覚えがある方もいるのではないだろうか?

冬になるとこたつにもなるこのテーブル、実は、ワタシが大学時代に一人暮らしをしていたアパートで使っていたテーブルなのだ。

このテーブル、ワタシが進学で18歳で家を出た時に購入し、25歳の頃、アパートを引き払って一度実家へ戻った際に、〈もう使うことはないだろう〉と、物置きに仕舞った。

それから時を経て、息子が進学で家を出る事が決まり、1ヶ月にも満たない短い期間で引っ越しの準備をしたのだけど、いよいよ明日は引っ越し・・・という前日になって、机やテーブルといった類いの家具を準備していなかった事に気づいた。

引っ越し先で購入することも出来たのだが、実家にこのテーブルが眠っていることを思い出したワタシが、大急ぎで実家に戻り、物置きから引っ張り出して他の荷物と一緒にクルマに載せて持ってきた・・・というのが事の経緯。

このテーブルの立場になれば、もうとっくの昔に退役軍人となって物置きの中で穏やかな隠居生活をしていたのに、突然召集令状が送られてきたようなもんだ。

テーブルの気持ち的には、〈え?まだ働くんスか!?〉といった心境だっただろうし、まさか自分の終焉の地が広島から遠く離れた大阪になるだなんて想像すらしていなかっただろう(笑)

息子曰く、毎年冬になったらこたつとしても使っているとのこと。
電熱器は今でもしっかり使えるそうだ。

〈老体に鞭打って〉という言葉があるけれど、まさにお前のことじゃないか。
親子二代で世話になって、ありがとうな・・・思わずそんな気持ちになってしまい、テーブルを優しく撫でてしまった(笑)

でもそうは言っても、このテーブルも35年も前の代物。
昔の家電は電気代を食うから、せめて電熱器は買い換えた方がいいと思うぞ、Amazonで。
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青春キャンパス。

2024-11-04 | 旅行
昨日は、大阪へ。

妻と一緒に息子のところへ。
この3連休は、ちょうど息子が通う大学の大学祭。
せっかくなので行ってみた。



やっぱり総合大学だけあって、ベラボーに広い。
ワタシ自身が通った大学は単科大学だったので、学部もひとつしかなく、構内は高校と勘違いしてしまうほど狭かった。

だからこのような、校舎が学部ごとに何棟も林立して、その真ん中にイチョウ並木の大通りが走り、学食がいくつもあって、その上、構内にコンビニや郵便局やATMやカフェや理容店まで存在する、まるでひとつの町のような〈THE・キャンパス〉といった感じの大学には50代になった今でも憧れる。

こんなキャンパスをブックバンドでまとめた教科書を片手に、セーターを肩に巻いて歩きたかった・・・って、いつの時代だよ(笑)🤣

それにしても、盛り上がっていた。
音楽サークルのライブはプロ顔負けだったし(なんとブルーハーツのリンダリンダをプレイしていた!)、ダンスサークルのヒップホップはカッコよかったし、環境問題の展示は考えさせられたし、農学部の学生が作ったホットドッグはめちゃくちゃ美味しかった。

何よりも、大学生の子たちが本当に楽しそうで、男の子も女の子も、みんな礼儀正しくて優しそうな、いい子ばかりだった(当たり前だが、完全に親目線)



そんな風景を眼にして、自身の大学生活を少しだけ後悔。

ワタシの通った大学も今頃の季節に大学祭が開催されていたのだが、その期間は講義は休講になるので、その間はここぞとばかりにバイトを入れて、結局一度も大学祭には顔を出さなかった。

おじさんになったからこそ、思う。

やっぱりねぇ・・・青春を謳歌できる時期には、存分に謳歌しといた方がいいよ(笑)
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