4.吉川美南駅の孤独
帰りも埼玉新都市交通伊奈線で鉄道博物館(大成)から大宮に戻り、
直ぐJRの改札口を潜って京浜東北線のE233系1000番台に乗車する。
予定ではこのあと蕨まで行って大荒田交通公園で、
静態保存されている蒸気機関車C11型304号機を取材することになっていたが、
既に鉄道博物館に行く前に取材していたので、
吉川美南駅の取材のみで帰宅することにした。
大宮から京浜東北線で南浦和まで行き、ここで武蔵野線に乗り換える。
吉川美南駅は武蔵野線では一番新しい駅で2012年3月17日に開業した。
そして武蔵野線で唯一未訪問の駅でもある。
武蔵野線吉川美南駅
吉川美南駅は単式1面1線と島式1面2線の地上ホームを有する武蔵野線の駅である。
請願駅であり、吉川市が建設費用の一部を負担して、武蔵野操車場の跡地に建設された。
単式ホームの1番線は下り西船橋方面、島式ホームの3番線は上り府中本町方面が使用、
2番線は折り返し用だが、通常のダイヤでの折り返し運転の設定はない。
武蔵野操車場の跡地に隣接する美南地区は都市再生機構によって土地区画整理事業が実施された。
折り返し運転に対応が可能な中線を有する新駅としてJR東日本と吉川市が協議して計画され、
公募により近隣の開発予定地と市名を合わせた“吉川美南”に駅名が決定し、
2012年3月17日のダイヤ改正とともに開業した。
西口のロータリーには開発経緯を記した石碑が建立されている。
この地、武蔵野線吉川駅と三郷駅間に日本国有鉄道が建設した武蔵野操車場は、
我が国で最も近代的な操車場として昭和51年3月に全面使用が開始されたものの、
社会・経済構造の転換に伴い、昭和61年11月に使用開始から約10年を経て、
その使命を終え廃止された。
また、当操車場の土地83.5ha及び施設は、昭和62年4月の日本国有鉄道の分割・民営化(国鉄改革)により、
日本国有鉄道清算事業団に帰属した。
その後、日本国有鉄道清算事業団(現「鉄道・運輸機構」)は、
操車場機能の廃止に伴い不要となった到着線13線、出発線13線、発着線7線、仕訳線30線、
機関区設備、貨車区設備、総合事業所などの設備を撤去するとともに、
埼玉県、吉川市、三郷市、都市再生機構、東日本旅客鉄道株式会社等のご指導・ご協力により、
新たな街づくりの検討、都市設備の整備等を進め、現在に至った。
この記念碑は、この地に近代的な武蔵野操車場があった証である。
記念碑設置に際し、吉川市のご理解・ご協力に深く感謝する。
平成24年3月 独立行政法人
鉄道建設・運輸施設整備支援機構
国鉄清算事業東日本支社
駅を降りて駅舎取材をするが、正直云って駅前にはほとんど何もない。
今の段階でここに駅のある意味は見いだせない。
それでも東口には“吉川美南高校”の案内もあり、
通学時間帯にはそれなりに賑わいを見せるのかもしれない。
西口にはケーズデンキが見えるものの、そのほかには何もなく、まだ建設中といった感じである。
今はまだ孤独な駅だが、それでも都市開発が進めばここもそれなりの利用客が見込めるのだろう。
ここから武蔵野線で西船橋まで出て、総武緩行線に乗り換えて帰る。
-取材結果-
撮影 926枚 保存 87枚 採用率 9.40%
帰りも埼玉新都市交通伊奈線で鉄道博物館(大成)から大宮に戻り、
直ぐJRの改札口を潜って京浜東北線のE233系1000番台に乗車する。
予定ではこのあと蕨まで行って大荒田交通公園で、
静態保存されている蒸気機関車C11型304号機を取材することになっていたが、
既に鉄道博物館に行く前に取材していたので、
吉川美南駅の取材のみで帰宅することにした。
大宮から京浜東北線で南浦和まで行き、ここで武蔵野線に乗り換える。
吉川美南駅は武蔵野線では一番新しい駅で2012年3月17日に開業した。
そして武蔵野線で唯一未訪問の駅でもある。
武蔵野線吉川美南駅
吉川美南駅は単式1面1線と島式1面2線の地上ホームを有する武蔵野線の駅である。
請願駅であり、吉川市が建設費用の一部を負担して、武蔵野操車場の跡地に建設された。
単式ホームの1番線は下り西船橋方面、島式ホームの3番線は上り府中本町方面が使用、
2番線は折り返し用だが、通常のダイヤでの折り返し運転の設定はない。
武蔵野操車場の跡地に隣接する美南地区は都市再生機構によって土地区画整理事業が実施された。
折り返し運転に対応が可能な中線を有する新駅としてJR東日本と吉川市が協議して計画され、
公募により近隣の開発予定地と市名を合わせた“吉川美南”に駅名が決定し、
2012年3月17日のダイヤ改正とともに開業した。
西口のロータリーには開発経緯を記した石碑が建立されている。
この地、武蔵野線吉川駅と三郷駅間に日本国有鉄道が建設した武蔵野操車場は、
我が国で最も近代的な操車場として昭和51年3月に全面使用が開始されたものの、
社会・経済構造の転換に伴い、昭和61年11月に使用開始から約10年を経て、
その使命を終え廃止された。
また、当操車場の土地83.5ha及び施設は、昭和62年4月の日本国有鉄道の分割・民営化(国鉄改革)により、
日本国有鉄道清算事業団に帰属した。
その後、日本国有鉄道清算事業団(現「鉄道・運輸機構」)は、
操車場機能の廃止に伴い不要となった到着線13線、出発線13線、発着線7線、仕訳線30線、
機関区設備、貨車区設備、総合事業所などの設備を撤去するとともに、
埼玉県、吉川市、三郷市、都市再生機構、東日本旅客鉄道株式会社等のご指導・ご協力により、
新たな街づくりの検討、都市設備の整備等を進め、現在に至った。
この記念碑は、この地に近代的な武蔵野操車場があった証である。
記念碑設置に際し、吉川市のご理解・ご協力に深く感謝する。
平成24年3月 独立行政法人
鉄道建設・運輸施設整備支援機構
国鉄清算事業東日本支社
駅を降りて駅舎取材をするが、正直云って駅前にはほとんど何もない。
今の段階でここに駅のある意味は見いだせない。
それでも東口には“吉川美南高校”の案内もあり、
通学時間帯にはそれなりに賑わいを見せるのかもしれない。
西口にはケーズデンキが見えるものの、そのほかには何もなく、まだ建設中といった感じである。
今はまだ孤独な駅だが、それでも都市開発が進めばここもそれなりの利用客が見込めるのだろう。
ここから武蔵野線で西船橋まで出て、総武緩行線に乗り換えて帰る。
-取材結果-
撮影 926枚 保存 87枚 採用率 9.40%