8.豊橋鉄道の断念と売り切れの稲荷寿司-旅の終わり
14:37笠松発の特急中部国際空港行きに乗って名古屋本線との分岐である神宮前まで行く。
ここで駅取材してから停車する列車の車両取材をする。
ここで取材していて思ったのだが、豊橋鉄道の取材は光量的に厳しいのではないかと思った。
1700系を取材したくて15:40神宮前発の豊橋行きに乗って終点の豊橋まで行く。
豊橋に到着したのは16:26で、予定では16:45新豊橋発の豊橋鉄道に乗り換え、
終点の三河田原まで往復することになっていたが、
既に日が傾きかけていて、終点の三河田原には17:20に到着することになっているが、
いまから35分後では完全に日が暮れてしまうと判断し、豊橋鉄道の取材は断念した。
帰りの新幹線まで2時間20分あったので、まず5:00p.m.まで豊鉄市内線の車両取材する。
その間にもどんどん日が暮れてきて、車両取材も限界だった。
5:00p.m.で撤収し、最後に豊橋鉄道新豊橋駅を取材する。
時間が余ってしまったのでここで夕食を喰うことにした。
豊橋鉄道の取材をすると夕食を喰う時間がなくなってしまうので、
駅弁を買って新幹線の車内で喰うつもりだったが、
豊橋鉄道取材を断念したために時間が出来たのだ。
駅前を散策したが結局駅ビル内の「みかわの郷」に行き、豊橋カレーうどん890円喰う。
このあとお土産など買い、早めに新幹線改札口を通る。
豊橋といえば豊川稲荷にも近いということから、
「いなり寿司」が名物駅弁になっている。
以前に豊橋から新幹線に乗って帰る時に駅構内で駅弁を購入したが、
その時もいなり寿司は売り切れで代わりに助六を購入した。
余談だが、「助六」は歌舞伎の「助六所縁江戸櫻」に由来するという。
源氏の宝刀を探して侠客の助六が吉原でわざと喧嘩を吹っ掛けるという話で、
助六の情婦の花魁が揚巻といい、そこからの連想でお揚げのいなり寿司と巻物の海苔巻きが入っている。
しかし今回は立売は終了しており、売店の駅弁はすべて売り切れていた。
18:46豊橋発の「ひかり530号」で東京に戻る。
いなり寿司どころか駅弁も完売していたので、つまみは無しでビールだけ買って社内で飲む。
東京駅で総武快速線に乗り換えて津田沼まで行き、緩行線に乗り換えて帰る。
平日だったのでちょうど帰宅時間帯にあたり、満員電車の中を帰ることになってしまった。
14:37笠松発の特急中部国際空港行きに乗って名古屋本線との分岐である神宮前まで行く。
ここで駅取材してから停車する列車の車両取材をする。
ここで取材していて思ったのだが、豊橋鉄道の取材は光量的に厳しいのではないかと思った。
1700系を取材したくて15:40神宮前発の豊橋行きに乗って終点の豊橋まで行く。
豊橋に到着したのは16:26で、予定では16:45新豊橋発の豊橋鉄道に乗り換え、
終点の三河田原まで往復することになっていたが、
既に日が傾きかけていて、終点の三河田原には17:20に到着することになっているが、
いまから35分後では完全に日が暮れてしまうと判断し、豊橋鉄道の取材は断念した。
帰りの新幹線まで2時間20分あったので、まず5:00p.m.まで豊鉄市内線の車両取材する。
その間にもどんどん日が暮れてきて、車両取材も限界だった。
5:00p.m.で撤収し、最後に豊橋鉄道新豊橋駅を取材する。
時間が余ってしまったのでここで夕食を喰うことにした。
豊橋鉄道の取材をすると夕食を喰う時間がなくなってしまうので、
駅弁を買って新幹線の車内で喰うつもりだったが、
豊橋鉄道取材を断念したために時間が出来たのだ。
駅前を散策したが結局駅ビル内の「みかわの郷」に行き、豊橋カレーうどん890円喰う。
このあとお土産など買い、早めに新幹線改札口を通る。
豊橋といえば豊川稲荷にも近いということから、
「いなり寿司」が名物駅弁になっている。
以前に豊橋から新幹線に乗って帰る時に駅構内で駅弁を購入したが、
その時もいなり寿司は売り切れで代わりに助六を購入した。
余談だが、「助六」は歌舞伎の「助六所縁江戸櫻」に由来するという。
源氏の宝刀を探して侠客の助六が吉原でわざと喧嘩を吹っ掛けるという話で、
助六の情婦の花魁が揚巻といい、そこからの連想でお揚げのいなり寿司と巻物の海苔巻きが入っている。
しかし今回は立売は終了しており、売店の駅弁はすべて売り切れていた。
18:46豊橋発の「ひかり530号」で東京に戻る。
いなり寿司どころか駅弁も完売していたので、つまみは無しでビールだけ買って社内で飲む。
東京駅で総武快速線に乗り換えて津田沼まで行き、緩行線に乗り換えて帰る。
平日だったのでちょうど帰宅時間帯にあたり、満員電車の中を帰ることになってしまった。