「REI RINGONO status」を第302回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「広島県」に三次「BISTRO HOUSE TAKIYA」を新規公開いたしました。
http://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1648回更新しました。
1927.JR室蘭本線白老駅を公開いたしました。
「REI RINGONO status」を第302回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「広島県」に三次「BISTRO HOUSE TAKIYA」を新規公開いたしました。
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「Station-駅から始まる物語」を第1648回更新しました。
1927.JR室蘭本線白老駅を公開いたしました。
柵原ふれあい鉱山公園に保存されている片上鉄道の車両取材のため、
2023年7月23日日曜日から1泊2日で旅行に出た。
1日目は新幹線で岡山、津山線で津山まで行き、
路線バスで柵原ふれあい鉱山公園まで往復して岡山に1泊する。
2日目は快速マリンライナー四国に渡り、
予定を変更して午前中は高徳線で引田まで往復、
高松で昼食を喰い、午後から善通寺、宇多津、坂出と取材する。
事前の計画で訪問予定だった「塩がま屋・宇多津店」に行ったが、
臨時休業だったために坂出に移動してここで夕食が喰える場所を探す。
街を彷徨したが見つからず、駅まで戻ったところで偶然見つけたのが、
「とんかつ豚ゴリラJr.」である。
看板には「京都発」と書かれていた。
京都の店らしく、暖簾には「おいでやす」と書かれていた。
入店してメニューを見ると、「豚ゴリラのとんかつのためのカレー」があり、
この中ででヒレかつカレー1,280円を喰うことにした。
メニューには、
ただ、とんかつに合うカレーを追い求めて、
シンプルなこの味にたどり着きました。
みなさまに喜んでもらえるカレーの誕生です!
と書かれていた。
テーブルにはドレッシング、お漬物、ソースがあり、
積み上げられていた皿の1枚にお漬物を取って料理を待つ。
最初にサラダが提供される。
サラダと行ってもほぼ千切りキャベツだった。
テーブルにあったドレッシングをかけてこれを食べる。
そのあとカツカレーが出てきた。
とろとろのカレーライスに揚げたてのヒレカツが載っている。
みそ汁も付いてきて、西京味噌だった。
この辺が京都らしいと云うことなのだろうか。
家に戻ってから「豚ゴリラ」を検索してみた。
公式ホームページによると、
本店は京都市中京区聚楽廻西町にあり、
ほかに新京極六角と太子道にも店舗があるらしい。
「とんかつ豚ゴリラJr.」は「豚ゴリラ」で働いていたオーナーが、
坂出にフランチャイズとして出店したもので、
2023年4月21日にオープンしたようだ。
※参考:豚ゴリラ公式ホームページ https://butagorilla.main.jp/
※参考:豚ゴリラJr.公式ホームページ https://tonkatsu-butagori.hp.peraichi.com/
2023年7月23日日曜日から1泊2日で、
柵原ふれあい鉱山公園に保存されている片上鉄道の車両取材に出掛けた。
1日目は新幹線で岡山、津山線で津山まで行き、
ここから路線バスで最寄りのバス停まで移動して柵原ふれあい鉱山公園、
3時間29分の滞在で十分に取材して同じルートで岡山まで戻った。
この日はヴィアイン岡山で1泊し、2日目の7月24日月曜日は、
青春18きっぷで四国を旅してから新幹線で帰京することにしていた。
当初の予定では快速マリンライナーで坂出、丸亀で駅取材、
昼は宇多津の「塩がま屋・宇多津店」で骨付鳥定食を喰い、
予讃線の善通寺で駅取材したあと、
高松まで移動して高徳線の栗林で駅取材、
徒歩移動でことでん琴平線栗林公園、ことでん長尾線花園で駅取材して、
ことでん長尾線で高松築港まで戻り、「麺王・高松駅前店」で夕食を喰ってから、
快速マリンライナーで岡山まで戻り、新幹線で帰京することにしていた。
しかし当日、快速マリンライナーの中で急に気が変わり、
そのまま高松まで行って午前中にことでん経由で高徳線に乗った。
本当は徳島まで行こうと思ったが、普通列車ではダイヤがうまく合わず、
引田で折り返して高松まで戻った。
そこで本来夕食に予定していた「麺王・高松駅前店」で昼食を喰うことにした。
この店は徳島で一度入店したことがあり、高松にあることも知っていたが、
「・・・高松駅前店」に入店するのは初めてだ。
店の外にある券売機で食券を購入する。
券売機はタッチパネル式で、日本語のほか、英語、中国語、韓国語に対応している。
オーダーは徳島ラーメン750円にした。
豚骨系の醤油味のスープに、中細麺が良く絡む。
トッピングはメンマと刻んだ葱、
そして徳島ラーメンの特徴である甘辛く煮込まれた焼肉が載っている。
2023年7月23日日曜日から1泊2日で、
柵原ふれあい鉱山公園に保存されている片上鉄道の車両取材に出掛けた。
1日目は新幹線で岡山まで行き、津山線に乗り換えて津山まで行く。
津山から柵原ふれあい鉱山公園までは路線バスで往復、
津山線で岡山まで戻り、岡山で1泊した。
この日の夕食は宿泊前に岡山で取ることとして、
事前にネットで調べた「中華そば山冨士・本町店」に入った。
事前に地図をプリントアウトして持参したが、
それでも迷ってしまった。
店は岡山駅東口から約200mと近距離にあり、
岡山電軌の走る桃太郎大通りから路地を入った飲食店街にある。
店に到着したのは6:30p.m.頃でちょうど夕食時であり、
店内は混んでいたが何とか座ることが出来た。
メニューは基本の中華そばとそのバリエーションで、
あとはおにぎり、いなりずしが1皿2個入りで100円である。
メニュー表は外国人の来客を意識してか英語でも書かれていた。
その中で天ぷら(ゲソ天)中華900円をオーダーした。
英語表記では「Tempura(squid)」と書かれていた。
ゲソ天は烏賊の天ぷらのことで、中華そばに合うのかなとも思ったが、
これが意外と相性がいい。
少し濁りのある醤油のスープに細麺、
トッピングはゲソ天のほかにチャーシュー、メンマ、刻んだ葱など。
柵原ふれあい鉱山公園に保存されている片上鉄道の車両を取材するため、
2023年7月23日日曜日から1泊2日で出掛けた。
1日目は「のぞみ1号」で岡山まで行き、津山線に乗り換え、
快速「ことぶき」で終点の津山まで出た。
ここから中鉄北部バスで最寄りのバス停の吉ヶ原まで行くのだが、
乗り換えの待ち時間52分の間にここで昼食を喰おうと思い、
事前にネットで探してたどり着いたのが「東姫楼」である。
津山駅から吉井川を渡って約500mの距離にある。
事前に地図をプリントアウトし、約10分でたどり着いた。
ここはいわゆる町中華でめん類からご飯ものなど、豊富なメニューがある。
その中でやきめしセットというのが気になり、これを注文した。
やきめしセットとは中華そば一人前にやきめしが半人前つく。
町中華ではチャーハンが多いが、ここは焼きめしである。
この日の最初の客で、程なくして料理が提供された。
中華そばはストレートの細麺で、硬めのチャーシューが特徴的。
やきめしはチャーハンと違い、玉子が入っていない。
その代わり、トッピングに錦糸玉子が載っていた。
日曜日ということもあって街は少し衰退した感じが否めないが、
そんな中で大通りから路地を入ったところにあるこの店は、
地元の人たちに愛される町中華なのだろう。
26.岡山の追加取材と新幹線での帰京-旅の終わり
坂出を18:09に出た普通列車は227系500番台「Urara」ではなく、
山吹色の単一塗色の115系鋼製電車だった。
車内は立ち客もいるほどの混雑で、20分掛けて岡山に到着する。
平日なので帰宅する通勤通学客が増える時間なのだろう。
岡山到着は18:29で、この段階で帰りの新幹線までにはまだ約1時間の余裕がある。
そこで津山線、吉備線の発着する9番線、10番線ホームに行き、
ここで気動車の車両取材をする。
十分に取材したあと、青春18きっぷで改札を出場する。
岡山駅の駅ビル「さんすて」でお土産など買い、コインロッカーから旅行用バッグを取り出す。
そして「のぞみ56号」の新幹線特急指定席特急券と、
岡山から東京都区内までの乗車券で新幹線改札口を通過する。
今回は既に夕食を喰っていたので駅弁は買わず、
新幹線待合室のハートインでビールやつまみなどを購入し、
「のぞみ56号」に乗り込む。
行きと同様、帰りも乗車時間は3時間13分と長く、
疲労も考慮してグリーン車で予約した。
東京駅で在来線に出る時に切符の持ち帰りをお願いする。
東京到着は22:36で、横須賀線・総武快速線用の地下ホームに移動し、
22:48東京始発の総武快速線に乗り込む。
新幹線ホームから横須賀線・総武快速線用の地下ホームに12分で移動したことになる。
これで津田沼まで行き、在来線に乗り換えて帰宅する。
「Station-駅から始まる物語」を第1647回更新しました。
1926.JR山陽本線はりま勝原駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第407回更新しました。
「み」に豊橋鉄道渥美線三河田原駅を新規公開いたしました。
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「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第627回更新しました。
「蒸気機関車 図鑑」に110形110を公開いたしました。
「REI RINGONO status」を第301回更新しました。
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「Station-駅から始まる物語」を第1646回更新しました。
1925.JR山陽本線英賀保駅を公開いたしました。
25.茶屋町の下車と227系500番台「Urara」
坂出で偶然見つけた「とんかつ豚ゴリラJr.」でヒレかつカレーを喰い、
17:24発の快速「マリンライナー50号」に乗り込んで岡山を目指す。
しかし帰りの新幹線は19:23岡山発の「のぞみ56号」で、
坂出で電車に乗った段階で約2時間の余裕がある。
岡山から高松までの快速「マリンライナー」の乗車時間は約1時間で、
坂出だったら更に15分は短くなるだろう。
実際、スマホで調べてみたら、
快速「マリンライナー50号」の岡山到着は18:03だった。
そこで、旅行に出る前に四国で雨だったら瀬戸大橋を渡らず、
手前の茶屋町で駅取材しようと考えていたことを思い出し、
予定にはなかったが急遽茶屋町で下車することにした。
スマホで調べたら快速「マリンライナー50号」の茶屋町到着は17:49である。
快速「マリンライナー」は原則30分の1本はあるので、
ここで下車して駅取材しても帰りの新幹線には十分に間に合う。
JR茶屋町駅島式2面3線の高架ホームを有する、
宇野線の駅であり、宇野から分岐する瀬戸大橋線の駅でもある。
島式ホームの中側には線路が1本しかなく、
2番線と3番線の両方から乗降車が可能な配置になっている。
瀬戸大橋線全通直前の1988年3月20日、
茶屋町から児島の本四備讃線が開業、同時に高架化された。
ここで東西の駅舎取材する。
この時には全く気付いていなかったが、
茶屋町駅は2016年8月20日に訪問取材済みだった。
思いつきで下車したが、取材時には訪問済みであることには全く気付かなかった。
地上の東西の通路の壁には「ようこそ茶屋町へ」の掲示とともに、
巨大な鬼の面が飾られていた。
その下には以下のように書かれていた。
「茶屋町の鬼」の由来
茶屋町と言えば鬼、鬼と言えば茶屋町というくらい、
鬼と茶屋町とは、昔から深いかかわりがあります。
「鬼よボロボロ買い手がネェー、重箱あってもめしがネェー。」と、
鬼をからかうと、鬼が高下駄をからころと鳴らし、
こん棒を振り上げて追いかけて来ます。
そのやり取りが面白く、稲荷神社、住吉神社の秋祭りは、
いつも賑やかでした。
この風習は、茶屋町が干拓(一七〇七年)されて、
ようやく村が豊になりかけた一八〇〇年代に始まったと想像されるので、
もう二〇〇年近くは続いていることになります。
今は時勢の変化から、鬼行列や勢揃い行事に変わってきていますが、
茶屋町の人々にとって、鬼祭りは郷愁でもあり、自慢でもありました。
この鬼は、吉備津神社の随神“うら”に由来するものと言われていますが、
早島町、鶴崎神社の風習が、干拓移民によって、
茶屋町に伝わったものではないかと言われています。
茶屋町商工会青年部
駅取材を終えてホームに上がって岡山行きの電車を待つ。
ホームには「La Malle de Bois」仕様のゴミ箱があった。
これは223系7000番台使用の観光列車だが、
茶屋町には停車しない。
ホームで岡山行きを待っていると、中線に227系500番台が入線してきた。
JR西日本227系は国鉄時代の直流近郊形電車置き換えを目的に、
2015年に0番台「Red Wing」が広島地区に、
2019には1000番台が和歌山線、桜井線、きのくに線に投入された。
そして2023年7月22日に500番台「Urara」が、
伯備線、宇野線、本四備讃線、山陽本線岡山地区にも投入された。
つまり、投入から2日後に偶然取材することが出来たのである。
前面ドアのところには「Urara」の表示がある。
これを十分に取材し、18:09の普通列車に乗り岡山まで戻った。
24.宇多津「塩がま屋」臨時閉店と坂出の彷徨
高松から来た7200系は15:25に善通寺に到着、
その列車が隣の琴平まで行き、折り返す12分の間に駅取材する。
駅取材後にホームに行き、善通寺を15:37に発車する列車を待つ。
ホームには「令和5年 弘法大師空海御誕生1250年」の垂れ幕が下がっていた。
善通寺は弘法大師空海の誕生の地とされて、
高野山、東寺と共に弘法大師三大霊場とされている。
空海は真言宗の開祖であり、生誕は西暦774年、宝亀5年とされている。
計算すると今年は生誕1249年となるが、
太陰暦で計算すると1250年となり、これを採用したのだろう。
15:37発の列車で宇多津まで行く。
宇多津は既に取材済みだったが、もともとの予定ではここで昼食を喰うことにしていて、
昼食で予定していた「塩がま屋・宇多津店」で夕食を喰うことにした。
宇多津に到着したのは15:56で夕食には少し早いが、
ここで骨付鳥定食を喰いたくて訪問したのだ。
しかし店の前までいって目が点になってしまった。
ご飯がなくなってしまい、定食が提供できないと書かれていた。
しかも入店してみると、店員が全員席に座っていて、客を案内する気がない。
会社の方針で閉店はしていないようだが、
客を受け入れる気はないようだ。
実質的に臨時閉店している。
仕方がないので宇多津での夕食は断念し、
本来予定していた坂出に移動する。
16:22宇多津発で隣の坂出まで行き、ここで駅取材する。
そのあとここで夕食を喰うことにして、駅前を歩いてみた。
しかし夕食には入れるような店は見つけられず、
結構先まで歩くことになった。
約600m歩いて「いきいきうどん」という看板を見つけた。
しかも「朝5時~営業中」と書かれていた。
やはり讃岐うどんの文化はすごいなと思った。
この時間ならうどんを喰ってから出勤とかも可能である。
しかし店の前までいってまた目が点になった。
閉店時間が「15時30分」になっていた。
開店も早い代わりに閉店も早い。
これでも10時間30分の営業時間である。
この街では夕食を喰う場所は探せないと判断し、駅まで戻った。
岡山まで戻ってから夕食を喰ってもいいかなと思っていた。
しかし駅まで行って、「とんかつ豚ゴリラJr.」という看板を見つけた。
しかも「京都発」と書かれている。
「坂出駅南口側すぐそこ」とも書かれていて、
高架下のスペースに店があるようである。
名前からちょっと変わった料理を出すのかなと感じ、
普段なら敬遠するかもしれないが、
時間的にも迷っている暇はなく、ここに入店してヒレかつカレー1,280円を喰う。
これを喰って17:24発の快速「マリンライナー50号」に乗り込む。
23.高松の昼食と2700系初乗車-善通寺へ
11:42に引田に到着した1500形2両編成は、
25分の停車で再び高松を目指す。
12:07引田始発のこの列車に乗り込み、終点の高松に行く。
高徳線は非電化の幹線で、途中の車窓はみどりの中を進む。
高松に到着したのは13:24だった。
昼食は本来夕食で行く予定だった「麺王・高松駅前店」に行く。
ここで徳島ラーメン750円を喰った。
ラーメンが提供される間に窓の外を見る。
それは青く晴れていて、雲も少なく、雨の降る気配はない。
元来の予定ではこのあと快速マリンライナーで岡山に戻ることになっていたが、
さすがに時間が早すぎるため、午前中に予定していながら、
岡山から乗った快速マリンライナーの中で考え、
予定を変更して訪問をやめてしまった善通寺に行くことにした。
ここの駅取材をしてから岡山に戻ろう。
食事を終えて岡山駅まで行き、青春18きっぷで入場した。
停車していた14:10始発の快速「マリンライナー38号」に乗り込んだ。
これで宇多津まで行き、土讃線に乗り換え善通寺まで行くことにした。
しかし出発直前で考えを変え、これを降りて、14:26始発の琴平行きに乗り換えた。
宇多津での乗り換えが不明なのと、7200系に乗ってみたいというのがあった。
JR四国7200系は121系を改造した車両である。
国鉄時代末期の1987年3月に誕生した直流電車で、
分割民営化以降の脆弱なJR四国のために製造された。
そのため、前面デザインは同じ時期に製造されていた205系に似ている。
登場から30年以上経過した121系を足回りや車内設備を大幅リニューアルし、
型式番号を変更して7200系となった。
本来なら番台区分が使用される筈だが、
JR四国は国鉄方式の車両形式名をやめて4桁での管理に変更していたため、
全く新しいJR四国方式の型式番号が付番された。
高松から普通列車で59分かけて15:25に到着した。
乗ってきたで7200系は善通寺の隣の琴平まで行き、
折り返して高松まで行く。
これの到着を乗って宇多津を目指すことにする。
22.高徳線の往復-引田の臨時駅取材
JR栗林駅に到着したのは10:16a.m.頃で、
高松を10:31に出る引田行きには十分に間に合う時間だった。
高松で時間を潰さず、ことでんでの移動は成功だった。
十分に駅取材して、ホームで列車の到着を待つ。
高松を10:31に出る引田行きは栗林に10:39に到着するダイヤである。
やってきたのは1500形2両編成だった。
平日だったためか、車内は学生で混雑していた。
乗り込んでから車内でスマホを駆使して途中下車して、
昼食を喰うところを探したが、見つからなかった。
引田行きは10:39に栗林を出発し、11:42に引田に到着する。
結局そのまま引田まで行くことにした。
予定通り、引田に到着し、その先の行動を考えた。
この先、徳島方面に行きたかったが、普通列車は13:00までない。
それどころか12時台は特急を含めて停車列車が全くない。
これが地方の鉄道の実態である。
仕方がないので徳島訪問は諦め、上りで高松に戻ることにした。
上りは12:07の高松行きがある。
これで高松に戻り、そのあと昼食を喰うしかない。
JR引田駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する高徳線の駅である。
発車番線は固定されておらず、
駅舎と隣接する単式ホームは1番線に付番、上下線が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番、
2番線は上り高松方面のみが使用、
3番線は下り徳島方面と引田で折り返す上り列車が使用する。
高徳線はその名の通り、高松市と徳島市を結ぶ非電化路線である。
高徳線としての敷設され最初に部分開業したのは1925年8月1日で、
高松から志度までの区間だった。
1926年3月21日には讃岐津田まで延伸、
1928年4月15日には引田まで延伸した。
この時、終着駅として開業した。
余談だが「引田」は「ひけた」と読む。
ここの駅舎には「カフェ・ド・カンパーニュ」という喫茶店が併設されていたが、
訪問した7月24日には閉店していた。
店の前には以下のような張り紙があった。
閉店のお知らせ
引田駅老朽化の為、前年の秋、
JR四国及び東かがわ市より
立退きの要請が来ました。
熟考の末、残念ではありますが、
本年6月末を持って閉店させて
頂く事になりました。
本当に長い間(23年)
ご愛顧いただきました事を
心よりお礼申し上げます。
1ヶ月前に来ていれば、ここで昼食を喰い、
そのまま徳島を目指すことが出来たかもしれない。
駅は無人だが、有人改札時代の窓口のところに、
「昭和引田駅舎のぽっぽや」という掲示があり、
有人駅であった時代にこの駅で働いていた人たちの写真が、
ボードに直接貼り付けてあった。
引田は終着駅として機能していた時代もあり、
在りし日の隆盛を残していた。
引田から折り返す列車に乗り込む時に改めて気付いたのだが、
2両編成の1500形のうち、前側の車両だけを使用し、
後ろ側の車両はただ連結され牽引されているだけだった。
電車と違い、気動車はエンジンを掛けていなければ通電できない。
車内の明かりや空調を使用する為にはエンジンを掛けなければならない。
そのため通勤通学のラッシュ時以外は、
燃費を考慮して1両のみで運行しているのだろう。
行きとは反対側の車両に乗り込み、高松を目指す。
21.予定逆行のことでん琴平線-栗林公園と栗林の徒歩移動
快速「マリンライナー11号」で岡山から高松まで来た。
高松到着は09:18で駅で車両取材していたら、
高徳線09:16発三本松行きが出てしまった。
このあとは10:31発の引田行きまで普通列車はない。
そこで本来ならば午後から予定していた、
高松から高徳線で栗林まで行き、
徒歩移動でことでん琴平線栗林公園まで行って、
更にことでん長尾線花園まで移動し、
ここからことでん長尾線で高松築港まで戻るという計画を、
逆行できないかと考えた。
1時間あれば、ことでんで栗林公園まで行き、
ここから高徳線栗林まで歩き、高松を10:31に出る列車に乗り込む。
高松駅は“SHIKOKU SMILE STATION”として、
正面のカラス窓を顔に見立てたラッピングがされている。
また、右側は駅ビルが工事中で、2024年3月に完成予定である。
ここから徒歩でことでん高松築港まで向かう。
青空が広がり、真夏を感じる。
ここには何度か来たことがあるので迷わない。
高松築港から栗林公園は200円で、
ここは券売機で切符を購入し、有人改札で入鋏してもらう。
高松築港駅は高松城址に隣接しており、
駅の一部には石垣がそのまま利用されている。
ここで10:00発のことでん琴平線に乗り込む。
やってきたのは1080形で、元京急1000形である。
前面形状は一昔前の京急の特徴を残している。
栗林公園に到着したのは10:07で、
ここで下車して駅取材する。
高松琴平電気鉄道栗林公園駅は、
相対式2面2線の地上ホームを有する琴平線の駅である。
1番線は上り高松築港方面、2番線は下り琴電琴平方面が使用する。
駅舎は1番線に隣接していて、2番線とは構内踏切で結ばれている。
琴平線は琴平電鉄が敷設した路線で、
1926年12月21日に栗林公園から滝宮までの区間が開業した。
栗林公園はこの時に始点駅として開業した。
翌年の1937年3月15日には滝宮から琴平(現・琴電琴平)まで延伸、
同年4月22日には栗林公園から高松(現・瓦町)までが延伸開業した。
駅取材後に駅に戻り、改札にいた駅員にJR高徳線栗林駅への行き方を尋ねる。
距離は約500mで、ここの移動する人が多いのか、
道には案内板が設置されており、
それを辿っていけば迷わず行けると教えてもらった。
約10分でJR高徳線栗林駅に到着する。
JR栗林駅は島式1面2線の高架ホームを有する高徳線の駅である。
1番線は下り徳島方面、2番線は上り高松方面が使用する。
高架下の2階部分に駅機能が集約されており、3階がホームになっている。
高徳線はその名の通り、高松市と徳島市を結ぶ非電化路線である。
高徳線としての敷設され最初に部分開業したのは1925年8月1日で、
高松から志度までの区間だった。
栗林駅が開業したのは1925年12月21日で、
現在の高架駅が完成したのは1976年11月9日である。
「Station-駅から始まる物語」を第1645回更新しました。
1924.JR東海道本線野洲駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第406回更新しました。
「し」に豊橋鉄道渥美線新豊橋駅を新規公開いたしました。
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「旅の徒然に」を第657回更新しました。
「駅弁コレクション」の「西日本エリア」に「嫩草盛り」の1データを公開いたしました。
「REI RINGONO status」を第300回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「東京都」に東京「塩らーめん専門 ひるがお」を新規公開いたしました。
https://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1644回更新しました。
1923.JR東海道本線守山駅を公開いたしました。