rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

2025年の冬は暖かい そして百舌の速贄

2025-01-21 11:47:43 | 日記
今年の冬は、心配になるくらいの暖かさ。
寒いのは嫌だけれど、ちょっと心配になる。
降水量も激減して、霜柱のザクザクと立派なものもしばらくお目にかかっていない。
だから、育苗しているポットたちを露天においたものへの水遣りが、気を抜けないでいる。
ふと視線を上に向けると、見事なまでに鈴なりな杉の花に圧倒されて、今年のスギ花粉の飛散は多いのだろうと覚悟した。
すでに、スギ花粉の飛散が始まっており、花粉に反応してむずむずとクシャミを連発する。
いつまでも同じ状態が続かないとわかっていても、せめて自然のサイクルやあり方の変動は、人を根本から不安にさせるのだろう。

先週、ブルーベリーたちへの声かけをしていた時、小さなトカゲが枝に刺してあるのを発見した。
モズの速贄だ。
そして昨日、ブルーベリーの木にまとわりつく枯葉とクモの糸が絡み合ったものや、枯れた小枝を取り除いていると、今度はカエルが枝に刺してあるのを見た。
トカゲの場所からあまり離れていない木だから、きっと同じモズがやったのだろう。
こうした生き物たちの変わらぬ習性にふれると、少し安堵を覚えるのは、まだ自然の秩序が保たれていると思えるからか。

生き物として、自然に翻弄されるのは致し方ない場合が多いけれど、人の悪意や無関心に翻弄されるのはなんとも我慢ならない。
たとえそれすら自然というものに内包されるものだとしてもだ。
こう考えることが既に、人間を買いかぶっている贔屓目、驕りなのかもしれないけれど。

2025年1月3日 初虹

2025-01-04 22:16:09 | 空・雲・星・太陽たち


今年の初虹。
3日の正午に近い時、雨だったはずが陽が射して外は明るい。
雨が上がったのだと思い、家人と二人で外に出ると、粉雪かと思うほど白く輝く雨が降っていた。
二人で示し合わせたように、北側の空を振り返ってみた。
すると、濃くて幅の広い虹が、北の空の低い位置に大きくゆるい弧を描いている。
「写真だ!」と叫ぶや否や、二人はそれぞれのスマホを撮りに走り出した。
そして、スマホを手に取ると、虹は待ってくれない、障害物が入り込まないところへと向かって進みながら、写真を撮る。
虹は、うっすらではあるが、三重になっている部分もあった。
北の空に虹がかかることは、滅多に出会わない。
そのことに二人とも非常に興奮しながら、早々と消えかかる虹を眺めては、感想を言い合う。
まずは、新年のスタートに虹を見られたことを、吉兆としたい。
その吉兆のおすそ分けを、みなさまにもどうぞ。

2025年 年賀

2025-01-03 17:00:47 | 創作活動


皆様にとって、健やかに安寧な一年となりますように、心からお祈り申し上げます。

無事に新年を迎えられた。
巳年のデザインは、毎年苦労する。
個人的にヘビが苦手なせいだ。
それでもどうにか形にすることだできたので、ここに貼ってみる。

色違いで



「ゆらぎ」が存在を顕にする

2024-12-24 14:19:11 | 雑記または覚書
「ゆらぎ」のなかに、存在や意識が顕在化するのではないだろうか?
「ゆらぐ」ことで、自分の立脚点が意識でき、自分の存在と外界および他者が立ち現れる。
「ゆらぐ」とは、自分と外界を干渉する作用のことで、これが起こらなければ、すべれはただの無なのだ。


コールドムーン 2024年12月15日

2024-12-16 15:42:28 | 空・雲・星・太陽たち
今年のふたご座流星群は、月明かりの元、ベストな観測条件ではなかったが、月はとても美しかった。
そこで昨夜の12月15日は、今年最後の満月であり、コールドムーンという別名も与えられているものだった。
そのことに関してSNSの記事で、今回のコールドムーンの高度が82.61度とほぼ天頂に近いほど高い位置を通過し、この100年で1969年の82.69度以来二度目の高さになるとあった。
たしかに、一昨日に月を見たときには、月明かりがずいぶんと真上から照らしているなと感じたし、さらに北も西も空全体のトーンが明るかったと思った。
また、朝6時前のもうそろそろ朝焼けの赤色が東の地平線部分ににじみ始めたころ、思ったよりも北よりの西の低い位置にまだ煌々とした月がドンと居座っているのを見て、まるで違う星にいるかのような違和感を持った。
寒くてまた布団にもぐりこんでしまったのだけれど、ぼやけた頭で写真を取って置けばよかったとうじうじと考えていたのだった。
そして、SNSの記事を見て納得し、今朝の明け方も月を見るために布団から這い出した。
月の存在は、我々にとって当たり前すぎて、日々関心を向けるとは少ないけれど、地球の大きさに対してこんなに大きい衛星であり、様々な影響を与えていると思うと、ふしぎな気持ちになる。
日本人は、月を愛でる細やかな情緒的文化を持っている。
お月見の習慣は、商業ベースでしか存続していないみたいだが、せめてしばしば夜空を見上げて月を愛でる気持ちを失いたくないものだ。