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アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

コールドムーン 2024年12月15日

2024-12-16 15:42:28 | 空・雲・星・太陽たち
今年のふたご座流星群は、月明かりの元、ベストな観測条件ではなかったが、月はとても美しかった。
そこで昨夜の12月15日は、今年最後の満月であり、コールドムーンという別名も与えられているものだった。
そのことに関してSNSの記事で、今回のコールドムーンの高度が82.61度とほぼ天頂に近いほど高い位置を通過し、この100年で1969年の82.69度以来二度目の高さになるとあった。
たしかに、一昨日に月を見たときには、月明かりがずいぶんと真上から照らしているなと感じたし、さらに北も西も空全体のトーンが明るかったと思った。
また、朝6時前のもうそろそろ朝焼けの赤色が東の地平線部分ににじみ始めたころ、思ったよりも北よりの西の低い位置にまだ煌々とした月がドンと居座っているのを見て、まるで違う星にいるかのような違和感を持った。
寒くてまた布団にもぐりこんでしまったのだけれど、ぼやけた頭で写真を取って置けばよかったとうじうじと考えていたのだった。
そして、SNSの記事を見て納得し、今朝の明け方も月を見るために布団から這い出した。
月の存在は、我々にとって当たり前すぎて、日々関心を向けるとは少ないけれど、地球の大きさに対してこんなに大きい衛星であり、様々な影響を与えていると思うと、ふしぎな気持ちになる。
日本人は、月を愛でる細やかな情緒的文化を持っている。
お月見の習慣は、商業ベースでしか存続していないみたいだが、せめてしばしば夜空を見上げて月を愛でる気持ちを失いたくないものだ。

コールドムーン

2024-12-16 15:41:33 | 空・雲・星・太陽たち
今年のふたご座流星群は、月明かりの元、ベストな観測条件ではなかったが、月はとても美しかった。
そこで昨夜の12月15日は、今年最後の満月であり、コールドムーンという別名も与えられているものだった。
そのことに関してSNSの記事で、今回のコールドムーンの高度が82.61度とほぼ天頂に近いほど高い位置を通過し、この100年で1969年の82.69度以来二度目の高さになるとあった。
たしかに、一昨日に月を見たときには、月明かりがずいぶんと真上から照らしているなと感じたし、さらに北も西も空全体のトーンが明るかったと思った。
また、朝6時前のもうそろそろ朝焼けの赤色が東の地平線部分ににじみ始めたころ、思ったよりも北よりの西の低い位置にまだ煌々とした月がドンと居座っているのを見て、まるで違う星にいるかのような違和感を持った。
寒くてまた布団にもぐりこんでしまったのだけれど、ぼやけた頭で写真を取って置けばよかったとうじうじと考えていたのだった。
そして、SNSの記事を見て納得し、今朝の明け方も月を見るために布団から這い出した。
月の存在は、我々にとって当たり前すぎて、日々関心を向けるとは少ないけれど、地球の大きさに対してこんなに大きい衛星であり、様々な影響を与えていると思うと、ふしぎな気持ちになる。
日本人は、月を愛でる細やかな情緒的文化を持っている。
お月見の習慣は、商業ベースでしか存続していないみたいだが、せめてしばしば夜空を見上げて月を愛でる気持ちを失いたくないものだ。

2024年12月14日 ふたご座流星群

2024-12-15 17:46:08 | 空・雲・星・太陽たち
待ちに待ったふたご座流星群がやってきた。
しばらく前から天気予報のチェックを欠かさずして、ワクワクした気持ちを楽しんでいた。
ところが、いよいよ13日から14日にかけて極大期と思ったなら、雲が夜空を遮り朧に月の場所がわかるくらいだった。
仕事の疲れもあいまって、意気消沈してその夜は就寝した。
さて、次の日の夜、前日とは打って変わっての空模様、満月前の月は煌々と月影を成すほど輝いていた。
諦めの悪い私は、21時に外へ出た。
青白い光に満たされた外は、冷えた空気にピリリとしていて、眩しいくらいの月の近くには木星が存在感を誇示していた。
わかりやすく馴染み深い星の他は、月の光にかき消されていたけれど、つきと木星のあたりから、オリオン座に向かって光が走った。
条件がよければ、かなり強い光を放つ流星だったことが伺われた。
その後、30分間で4つの流れ星を見られた。
いずれも放射点がふたご座とわかりやすいもので、うちひとつは流星痕を残すほど煌くものがあった。
あまり粘ると風邪を引きそうなので、ひとまず室内で体を温めて、22時あたりからまた30分間星を眺めた。
冷え込みは時間が経つほどきつくなり、足元は霜柱のザクザクとした音を立てるほどになっていた。
その間、見えた流れ星は6個。
月明かりで観測条件がよくないにもかかわらず、これだけ見られたことに感謝をして今年のふたご座流星群と別れを告げた。
流星群を見るためだけでなく、冬の星空は美しい。
寒さにめげないで、これからもしばしば夜空を仰ぎ見たいと思っている。

スピッツ / 水色の街、スカーレット センシティブな少女マンガのような世界

2024-12-12 16:46:49 | 音楽たちーいろいろ
スピッツ / 水色の街


スピッツ / スカーレット


今、六本木においてスピッツのエキシビジョンが開催されているようだ。
残念ながら、足を運べていないし、コンサートにも行ったことがない。
私にとっては、リアルを共有したいという欲求はないから、是が非でもと言う気持ちではないけれど、その場に存在する雰囲気の体感に否定はない。

このところ、仕事に行く時は洋楽を聴きながら運転し、帰りはスピッツの曲を聴いたり歌ったりして気持ちを保ちながら家に帰り着いている。
その聴いている曲の中に、「水色の街」と「スカーレット」がある。
この2曲が流れてくると、なぜか少女マンガのオザキアキラ作「ふしぎの国の有栖川さん」に登場する主人公の一人「野宮宗介」が、すっと現れるのだ。
完璧すぎて浮世離れしている男子高校生が、世間知らずの深窓の令嬢に恋をする物語。
繊細でやわらかな感情表現が、優しい世界観を作っている。
スピッツの透明感のある言葉で織り成された歌詞と、伸びやかで流れたり零れ落ちる滴のようなメロディーは、ずっしりと重くなった心の中をさらってくれる。
思いやりと優しさでできた世界を切望する日々、スピッツの曲でちょっと気分が軽くなる。

人生の中で、節々を彩る音楽があるけれど、私の人生にはこの2曲がもうエントリーしている。

ゆず湯ってホント温まる

2024-12-07 22:40:34 | 日記
我が家には、庭に柚子の木が二本あり、今年も黄色い実を鈴なりに生らせてくれた。
義父母は、この時期になるとゆず湯を楽しんでいる。
もったいない男である家人は、義父母のところでお風呂に入る。
それは、義父母たちは湯船に並々と湯を張るため、そのお湯がもったいないからだというのが理由らしい。
以前は、長湯ができないタイプだった家人だけれど、今年あたりからは体を温めることを好むようになった。
そこで、家人が気がついのは、「ゆず湯」は体の芯まで温める効果が高いということだ。
毎晩のように、私に「ゆず湯は体が温まるから、柚子がたくさん生っているし、柚子をお風呂にいれて入ったほうがいい」とアピールしてきた。
一昨日、家人が育ちすぎて暴れている柚子の木の剪定をしていて落ちた柚子を回収したため、せっかくだからとお風呂に入れてみた。
たしかに、ゆず湯をかつて何度か楽しんだことはあったが、今回ほどの感動を得たのは驚きだった。
たぶん、歳をとって、その有用性をしみじみと実感できたのだろう。
柑橘系の爽やかな香りはいうまでもなくリラックス効果をもたらしてくれながら、柚子の皮に含まれる油分を手のひらに馴染ませてかさついた踵をマッサージすると、しっとり滑らかになる。
なによりも、湯上り後、いつまでも温かさが持続することは、新たな発見だ。
冬至には、ゆず湯に入る慣習は、だてではなかったのだと思い知らされる。
疲れてリラックスしたい時だけでなく、これから寒い時期には、ゆず湯に浸かる楽しもう。
喪失と獲得について考えていたけれど、加齢が喪失ばかりではないそのささやかなアンチテーゼとして、「ゆず湯を楽しむ」を付け加えることができたのだった。