rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

そろそろ一雨欲しいかな

2023-07-24 22:52:50 | ベリー類の栽培
まとまった雨が、もう10日以上降っていない。
通り雨すらない。
加えてこの異常な高温で、朝露も降りなくなっている。
はじめのころ、ブルーベリーが熟して糖度が上がるために、さんさんと降り注ぐ太陽の光をありがたがっていた。
けれども、先週末くらいから、ブルーベリーの実にハリがなくなってきた。
水分が減った分、糖度はかなり上がり、まるで干しブドウやザッハトルテのごとく劇甘なのもあるほどだ。
採りきれないで木についたまま、ドライブルーベリーのようになっているのもある。
甘いのもいいけれど、やはり果実は瑞々しさも大切な要素だ。
我が家ばかりが雨を切望しているとは思えない。
サツマイモやサトイモ、ナスにトウモロコシ、露地で栽培する作物の葉が、しおれていたり、蒸散を嫌って葉を裏返えし耐えている姿がある。今年の気象傾向として、常軌を逸した高温が連続したり、降雨では線状降水帯の発生で水害になるほどの量が限定的な場所に降るなど、とにかく極端すぎるのだ。
7年ぶりの大規模なエルニーニョが発生して、世界中高温や洪水、山火事の災害が頻発しているようだ。
穏やかな自然との慎ましやかな共生が理想だけれど、果たして欲望に忠実な人類が慎ましやかにいられるのかと思うと、甚だ難しいといわなければならないだろうな。
でも、優しい雨が、一晩じっくり降ってくれますよう祈らずにはいられない。

ブルーベリーだけど、ピンクレモネード

2023-07-02 23:03:41 | ベリー類の栽培


念願のピンクレモネードが収穫できたー!
ブルーベリーなのに綺麗なピンクの色だけど、これで熟している。
粒は中粒、爽やかな酸味と甘味、ほのかに桃とサクランボを併せたような香りがする。
小ぶりな苗木を買ってから4年経って、どうにか収穫できる形にまでなった。
これは、なんといっても生食にむいている。
家人とピンクレモネードを味わいながら、お互いの感想を交わすのが楽しみだ。


今年も早まる入梅か

2023-05-27 22:15:43 | ベリー類の栽培
今季初のブルーベリーを味わう。
まだ5月なのに露地ものを味わうことができちゃうなんて、ちょっと驚きだ。
3日くらい前に、仕事から帰ってくる私を待ち構えていた家人が「もうブルーベリーに熟してきたものがあるよ」と、私に報告してきた。
様子を見に行くと、かなり色づいた実がちらほら見える。
天気の具合などを考え合わせて、週末の土日あたりまで置くと、熟し加減がよくなりそうだった。
そこで今日の夕方近くに、家人とワクワクしながらよく吟味し熟したような実をそっと摘んで、二人で味を確かめた。
なんと優しく爽やかな風味と甘さに仕上がっているではないか。
ほのかに桃のような風味が感じられ、品種によっては甘味が勝っているもの、またはアクセントに酸味も加わっているものなどがあるが、概ね桃の風味は共通していた。
ブルーベリーだけではなく、ラズベリーも熟し始めてきた。
さて、ここで心配なのは、今年の入梅が早まりそうだということ。
雨が続くとブルーベリーの実が割れてしまったり、水分が多くて味が乗りにくい影響が出てくる。
ラズベリーは、花や実の形状からカビやすく、収穫までに至らない場合がある。
農産物は、天候の影響をダイレクトに受ける儘ならないものだ。
一年を通して世話をしてきた成果をもう少しで得られそうなのに、その無事をただ祈るばかり。
どうか、美味しいブルーベリーとラズベリーを、今年もたくさん食べられることを切に願っている。

まるでジョットの絵のような鳥に話しかける家人

2023-04-20 23:03:43 | ベリー類の栽培
ブルーベリーが、花盛り。
一番早く咲き出したものは、もう7mm位の実に成長している。
昨日仕事から帰宅した時に、私はカバンを芝生の上に放り出して、ブルーベリー畑に足を向けた。
ブルーベリーの木は、白や薄ピンクの釣鐘状の花をたくさん咲かせていてとてもかわいらしい。
淡い若葉の色は、まだ葉がとても柔らかい証拠だ。
丹念に木々の様子を見ていると、なんと既にやや透明感のある黄緑色の蝶の幼虫が、せっせと柔らかい葉を食べているではないか。
「ウチのかわいいブルーベリーになんてことをするんじゃい!」
もちろん、すぐさま捕殺。
そして、さらに入念なブルーベリーの木のチェックを再開した。
ところどころに花をたくさんつけた枝が折れて垂れ下がっている。
「ふむ、きっと鳥たちが花の蜜をついばむ時に止まり、細い枝が重さに耐えかねて折れてしまったのだろう。でも、家人は激しく憤るのだろうな。防鳥ネットを張り巡らせようと、画策しているに違いない。」
と、その枝を見て私は想像した。
さても、それは見事に当たっていて、昨晩は、その鳥たちに向かって呪詛の言葉をつぶやいていた。
手塩にかけて世話をしているブルーベリーが痛めつけられていたら、それは当然だろう。
けれども、鳥たちもまったくのいたずらでしている仕業ではないのだ。
あまりにも不憫な家人に、気休めのような提案をしてみた。
鳥たちに向かって、「多少は目を瞑るけれども、できるだけ木を痛めつけないで欲しい」と陳情、説得することだ。
まるで、ジョットの描く「聖フランチェスコの小鳥への説教」みたいにね。
その成果は、家人いわく多少ともあったようだ。
今日は、昨日枝を折っていた鳥たちは、家人が説得した後は姿を見せなかったとのこと。
果たしてそれは偶然であったにせよ、家人にとって心が穏やかになる効果はあったようだ。
「話せばわかる」
これは、とても理想的な解決方法、互いが歩み寄れる優しい世界の姿だろう。
ここで矛盾を感じる方がいよう。
青虫を敵とばかりに捕殺するのを躊躇わなかった私の行動だ。
ああ、人間、つまり私とはかくも愚かな生き物だということか!