rock_et_nothing

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型にはめられた子供の絵

2014-11-27 22:20:42 | つぶやき&ぼやき
児童生徒の描いた絵の展覧会を見てきた。
はじめに見た壁面は、とてもカラフルで自由に描いていた。
小さい頃からたくさんの色に囲まれ、グラフィカルなものを多く目にしてきたからなのだろうと思えた。
ところが、各ブース、つまり学校ごとを見進めていくと、奇妙な気分に捕らわれた。
見進めているはずなのに、同じところに居続けているような錯覚に陥ったのだ。
それはなぜか。
各学校、若干の違いは認められたものの、描いている主題も変わらなければ、色使いも変わらない、ものの捉え方も判で押したようだ。
主題が同じなのは学校という特性上問題はないが、色使いと捉え方が同じというのはどういうことだろう。
微妙な違いが指導者のカラーということは、その学校の子供たちの絵がそれ一色に染まっていることから窺える。
しかし、色とものの捉え方にはもっと違いと幅があってもいいのではないだろうか。
子供はまわりに引きずられやすいけれど、そこにはいわゆるお手本の存在と大人の指導が見て取れた。
だから、一見子供らしく自由奔放に描いたように思えるが、その実は個性などどこにも見当たらないものに仕上がったのだ。
時々、極めて稀にその型にはまらない絵を目にすると、かえって際立つ。
子供が小さいとき、図工の時間、絵を描くとき一定の方法で描くようにと指導があって、それにあわないと直させられるといっていた。
教師も美術の専門ではないから指導マニュアルに副って授業を進めなくてはならないもの一理あるけれど、そのとき与えたテーマ以外、自由に描かせるべきではないか。
絵とは元来自由であるもので、ましてやデザイナーでも工房に属した絵師でもないのだから、楽しんで描き、美しいものに感動できる心を養うのが図工や美術の教科の意図するところだろう。
あと考えすぎかもしれないが、教師たちの一定のノルマと評定を意識した指導のあり方と思えなくもない。
子供たちは、立身出世や生活の糧の道具でもなければ国を支えるマシーンでもない。
今回の展覧会を見て、言い知れぬ気持ちの悪さを感じたのは、単に私の思い違いであることを希望している。