rock_et_nothing

アートやねこ、本に映画に星と花たち、気の赴くままに日々書き連ねていきます。

どちらかといえば春や初夏の朝だけれど、グリーグ組曲「ペール・ギュント」

2014-11-20 15:53:21 | 音楽たちークラシック


Edvard Grieg - Peer Gynt Suites

今朝の朝焼けは、灰色の雲の間から濃いピンク色が覗く、いささかどぎついものだった。
それなのにグリーグ作曲「ペール・ギュント」の”朝”とは、印象が違いすぎる。
”朝”は、切れ切れの雲がたなびく濃紺の空が光を孕んで白々となり、金色に輝く朝日がやさしく雲を照らし出し、目覚めた小鳥たちが謳い出す、そんな春や初夏のさわやかな朝を表現している。
けれど今は冬の初め、朝がつらくなる季節。
真逆をイメージする曲をあえて挙げるのは、寒々と曇る今日の空を払拭したいから。
いや、冬の曇りはそれなりに楽しい事だってある悪い日ではない。
何が気分を鬱々とさせるのか。
それは、自分のいるこの国が、悪い方向へと進んでいるのがやりきれないのだ。
人としての誇り、気概が失せてしまった国民の愚かさと悲しみがこの国を被っている。
悪者がいるとすればその綿密にして用意周到な策略が期を熟し、国民は破滅への選択をあえて選ぶしかないところにきてしまった。
「選んだのはあなた方でしょう」と臆面もなく言わせてしまうまでに。
先日、世界における現在の奴隷が約3580万人とされる記事を見た。
世界の人口72億人の中において、この数字が多いか少ないかというならば、その数字が正しいものならば少ないと思える。
しかし、実態はその数倍は下らないだろう。
人は、生きるために同属を搾取してきた。
それはこれからも続くだろう。
それでも、愛と理性を欲得の上におくべきだと思いたい。
なぜならば、人は他の生き物と違って際限というものを知らないからだ。
これを人の”業”というならば、業の行き着くところにすがすがしい夜明けは来るのだろうか。
時々星を眺めながら、遥か彼方にいるであろう知的生命体の行く末を想像するのであった。