公園ーソフィスティケートされた自然 2016-11-20 22:43:51 | 随想たち 大きな木々のある公園が好き。 刈り込まれた芝、丁寧に並べられた石畳。 ゆっくりと散策しながら、公園を巡る。 たまに現れる彫刻や東屋などが点景となって、この場所が飼いならされた自然だと知らせてくる。 でも、だからこそ安心して物思いにふけりながら歩けるのだ。 公園こそ、人の知的な所業と思える。 なぜなら、無用をあえて行う余裕の産物だから。