その年によって虫の発生する割合は変わるけれど、今年は黒い毛虫が大発生して、植物ならば何でもござれと食べ漁っていた。
職場で栽培していた小松菜、ほうれん草、ノースポール、ビオラ、ナス、イチゴ、ヒマワリの双葉も、我が家で育てているバラやラズベリーたちも、この毛虫に蹂躙されて満身創痍に陥ったものも多い。
見つけたならすぐに捕殺、足でぐりぐりと磨り潰したり、時には土の中に埋めることもある。
しかし、軟らかな土に埋めたとき、なんと土を掘り起こして這い出でてきたのには驚き呆れ、やはり磨り潰すのが一番確実だと悟った。
もうそろそろ毛虫も収束だろうと気を緩めたなら、やはりどこからか遅れたのがやってきて、ヒマワリの双葉を2本分食べられてしまった。
本当にいい加減いなくなってほしい、子供が大切に蒔いた種なのに、せっせと水遣りをして世話をしている野菜たちなのに。
それもひっくるめて全てが自然だから、それを解るためにも毛虫の存在は必要なのだといえばごもっとも、けれど、やはり許せないのは人情というものだ。
植物でも動物でも、何かを育て世話をすることは、人の心にとって大切な体験となる。
命の儚さや尊さを知るには、実際に深くかかわる中でしか知りえないのだと、いま、私自身が追体験しているところである。
職場で栽培していた小松菜、ほうれん草、ノースポール、ビオラ、ナス、イチゴ、ヒマワリの双葉も、我が家で育てているバラやラズベリーたちも、この毛虫に蹂躙されて満身創痍に陥ったものも多い。
見つけたならすぐに捕殺、足でぐりぐりと磨り潰したり、時には土の中に埋めることもある。
しかし、軟らかな土に埋めたとき、なんと土を掘り起こして這い出でてきたのには驚き呆れ、やはり磨り潰すのが一番確実だと悟った。
もうそろそろ毛虫も収束だろうと気を緩めたなら、やはりどこからか遅れたのがやってきて、ヒマワリの双葉を2本分食べられてしまった。
本当にいい加減いなくなってほしい、子供が大切に蒔いた種なのに、せっせと水遣りをして世話をしている野菜たちなのに。
それもひっくるめて全てが自然だから、それを解るためにも毛虫の存在は必要なのだといえばごもっとも、けれど、やはり許せないのは人情というものだ。
植物でも動物でも、何かを育て世話をすることは、人の心にとって大切な体験となる。
命の儚さや尊さを知るには、実際に深くかかわる中でしか知りえないのだと、いま、私自身が追体験しているところである。