人の能力は一様ではなく、高度なことをこなせる者ばかりとはならないのである。
さしずめその分布図は涙型となるだろうか。
今、日本の労働力は減少の一途を辿っている。
生産製造業において、単純作業をまだまだ人の手に頼るところが多く、しかも競争力を高めるために低賃金に抑えなくてはならない。
かつてほとんどの人が貧しかった頃には、低賃金でもそれほど苦にならなかっただろうが、なまじ平等や中流志向が行き渡ったためにそれを維持するのに必死だ。
それでも生活できればよいけれど、ますます上がっていく社会保障費を捻出するのも困難なほどの低賃金、雇用の不安定化、つまりワーキングプア状態に陥る負のスパイラルが社会に蔓延りだし、労働意欲を喪失させてしまう。
さて、そんな低賃金労働者の悲哀とはまったく無縁な官僚、政治家、経団連の方々は、優秀な労働力を輸入すればよいと簡単におっしゃる。
すでに、研修生という通貨格差を利用した安い労働力を輸入して受けた恩恵で味を占めたのか、食料も全て何でもかんでも輸入すれば目先のことは収まると学習しておいでのようで、労働力が足りないならば輸入なのだそうだ。
はたまた、人工知能を搭載したロボットを販売の方は、単純労働はもちろんのこと、学習コミュニケーション能力を持ったロボットならばなんでもござれ、労働力の不足を嘆くことは無い、明るい未来がそこにあるとおっしゃっているとかないとか。
人間さまは、ただ管理さえしておればよいとも。
けれど、それができる人ならば存在意義もあろうが、できない者はどうすればよいのだろう。
えっ、無理して人口を増やしたり維持しなくても構わない、なんならば特別な人間だけが生きる権利を持てばよい、との極端な世界に変わってしまいそうだ。
管理する人間たちも、低スペックな人間ができないように不測を排除した子孫作りを心がけるようになるに違いない。
いつしか人は人を辞め、ロボットか神にでもなるのだろうか。
SF映画などにありがちの未来世界に、今一歩近づいているような流れが本流となりそうで恐れおののいているのであった。
さしずめその分布図は涙型となるだろうか。
今、日本の労働力は減少の一途を辿っている。
生産製造業において、単純作業をまだまだ人の手に頼るところが多く、しかも競争力を高めるために低賃金に抑えなくてはならない。
かつてほとんどの人が貧しかった頃には、低賃金でもそれほど苦にならなかっただろうが、なまじ平等や中流志向が行き渡ったためにそれを維持するのに必死だ。
それでも生活できればよいけれど、ますます上がっていく社会保障費を捻出するのも困難なほどの低賃金、雇用の不安定化、つまりワーキングプア状態に陥る負のスパイラルが社会に蔓延りだし、労働意欲を喪失させてしまう。
さて、そんな低賃金労働者の悲哀とはまったく無縁な官僚、政治家、経団連の方々は、優秀な労働力を輸入すればよいと簡単におっしゃる。
すでに、研修生という通貨格差を利用した安い労働力を輸入して受けた恩恵で味を占めたのか、食料も全て何でもかんでも輸入すれば目先のことは収まると学習しておいでのようで、労働力が足りないならば輸入なのだそうだ。
はたまた、人工知能を搭載したロボットを販売の方は、単純労働はもちろんのこと、学習コミュニケーション能力を持ったロボットならばなんでもござれ、労働力の不足を嘆くことは無い、明るい未来がそこにあるとおっしゃっているとかないとか。
人間さまは、ただ管理さえしておればよいとも。
けれど、それができる人ならば存在意義もあろうが、できない者はどうすればよいのだろう。
えっ、無理して人口を増やしたり維持しなくても構わない、なんならば特別な人間だけが生きる権利を持てばよい、との極端な世界に変わってしまいそうだ。
管理する人間たちも、低スペックな人間ができないように不測を排除した子孫作りを心がけるようになるに違いない。
いつしか人は人を辞め、ロボットか神にでもなるのだろうか。
SF映画などにありがちの未来世界に、今一歩近づいているような流れが本流となりそうで恐れおののいているのであった。
それは、つまりどういうことかというと、
もとになる資本を持っていないということなんですね。
そのなかでここまでの経済発展するというのはとても大変なことだとおもいます。
そんな中頑張ってきたのはモノづくりの中心である中小企業の職人たちだと思っています。
ところが、最近の風潮はそういう人たちにたいする援助よりも、株式の売買やら円やドルの売買にばかり優遇措置を行なってます。
このままじゃ本当に日本は衰退すると危惧してます。
実体のない架空の取引に夢中になってるとロボットすらも存在できない架空の国になってしまいそうなそんな気がしてます。
各々の特性に合った役割分担で相互補完をしながら成り立てる世界を目指すのが理想だと思えるのですが、それはやはり夢の世界なのでしょう。
でも、子供たちのことを思えば、諦めきれないのが親というもの。
卑近ではありますが、まずは自分の子を思いやることからその遠くを感じて、よりよき未来を手繰り寄せるために人は行動するより無いと考えています。
それが、長く生きている者の務めではないでしょうか。