「我執」を捨てよ!
「我見」を捨てよ!
という言葉をよく耳にします。
人間は、つい、自分自身にとらわれてしまいます。
人間は、知らず知らずのうちに自己本位に物事を考えがちです。
自分自身の考え方を押し通していきたいと思ってしまうと、物事は円滑に進みません。
特に、
自分の経験がないうちは、
「我執」を捨てて「我見」を捨てて、
とりあえず努力をしてみる事だと思います。
心構えだけではなく実が伴わないと・・・いつまでたっても未熟者となってしまいます。
同じような意味で、
”山に入る者は(入って)山を見ず”という言葉があります。
物事の当事者というのは、目先のことにとらわれて、客観的になれないという意味です。
それでは、大局を見誤る事が多いという例えです。
今の自分だけをみるのではなく、
数年先の自分、、、数十年先の自分、、、というものを考えると、
今の自分は何を成すべきかが分かって参ります。
それは、自分自身にも常に言い聞かせております。
○○でなくてはならない!!を捨てて、
=「我執」・「我見」」を捨てて、
○○でありたい!!と思い願い、
○○となる為にはこうしたら良いのだ!!と考え、
○○となる為にひたすら努力していこう!!と腹をくくる・・・。
「我執」・「我見」を捨てる事が出来ないままであり、
腹をくくる事も出来ないのなら、
登る山を変えるしかありません・・・が、
同じランクの山にはいどめないという事になってしまいます。
それは、何とも勿体無い話です。
いどむ=挑む
まずは、
「我執」・「我見」を捨て去って、素直な気持ちで挑んでいきたいものですね。
ーby事務長ー
「我見」を捨てよ!
という言葉をよく耳にします。
人間は、つい、自分自身にとらわれてしまいます。
人間は、知らず知らずのうちに自己本位に物事を考えがちです。
自分自身の考え方を押し通していきたいと思ってしまうと、物事は円滑に進みません。
特に、
自分の経験がないうちは、
「我執」を捨てて「我見」を捨てて、
とりあえず努力をしてみる事だと思います。
心構えだけではなく実が伴わないと・・・いつまでたっても未熟者となってしまいます。
同じような意味で、
”山に入る者は(入って)山を見ず”という言葉があります。
物事の当事者というのは、目先のことにとらわれて、客観的になれないという意味です。
それでは、大局を見誤る事が多いという例えです。
今の自分だけをみるのではなく、
数年先の自分、、、数十年先の自分、、、というものを考えると、
今の自分は何を成すべきかが分かって参ります。
それは、自分自身にも常に言い聞かせております。
○○でなくてはならない!!を捨てて、
=「我執」・「我見」」を捨てて、
○○でありたい!!と思い願い、
○○となる為にはこうしたら良いのだ!!と考え、
○○となる為にひたすら努力していこう!!と腹をくくる・・・。
「我執」・「我見」を捨てる事が出来ないままであり、
腹をくくる事も出来ないのなら、
登る山を変えるしかありません・・・が、
同じランクの山にはいどめないという事になってしまいます。
それは、何とも勿体無い話です。
いどむ=挑む
まずは、
「我執」・「我見」を捨て去って、素直な気持ちで挑んでいきたいものですね。
ーby事務長ー