まりあ戦記・038
『司令の息抜き』
司令がベースの外に出ることはめったにない。
俺の三回忌にやってきたのは、よくできたアンドロイドだ。だれも気づかなかったが、ホトケさんの俺には分かった。
箱根の秘密基地はベースに居るのと変わらない。どちらも軍務だし、国防省の横やりが入ってからは足を運んでいない。
常に臨戦態勢のベースだから、当たり前といえば当たり前なんだけど、どうやってリフレッシュしているんだろう?
!……なんとか声を飲み込んだ。
まりあは訓練に身が入らない。ウズメに慣れてくると自己流に動きたくなるまりあだが、反比例して縛りがきつくなる。
パルス攻撃がかけられれば、短時間に、もっと効率よく戦える。
八発しか撃てないレールガンを何度も装着し直さなければならない戦闘方に嫌気がさしている。
だから、通り一遍の訓練を消化したあとは、勝手にベースを飛び出している。
高安みなみ大尉は、力づくでまりあを従わせることはやめ、副官の中原光子少尉に見守らせるだけにしている。
先日、粘着シートで絡めとってからは、まりあのへそが曲がりっぱなしで、元に戻らないからだ。
――すみません、またまかれてしまいました( ノД`)シクシク…――
少尉の尾行は四日目で不発になった。
――しかたないわ、今夜は様子を見ましょう――
少尉の失敗ではない、それだけまりあに知恵と力が付いたということだし、少尉にだけ荷を負わせることもできない。
――司令に報告するか――
ヘッドセットを外して立ち上がるが、一歩踏み出しただけで止めた。
バフ!
乱暴に当直用シートに尻を落とすと、司令のCPに報告だけを打ち込み、120度のリクライニングにして目をつぶった。
トランポリンがあることは確認しておいた。
駅のホームに上がるや否や、まりあはベンチを跳躍台にして、八メートル下の袋小路に飛び降りた。
トランポリンは、地元のクラブが練習場所の確保に困って、この袋小路に置いてあるものだ。
まりあは、腰を沈めて反動を殺すと南側の塀を超えた。そのまま十メートルも歩けば三叉路でドブ板通りに入れる。
三叉路の手前に呑み屋の違法な増築部分があって、すぐには見通せない。これが適度な目隠しになっていて、少尉にトランポリンの仕掛けに気づかれても、姿を見られることを防いでくれる。
!……なんとか声を飲み込んだ。
増築の陰に二人の人間がいた。
一人は、この界隈どこにでもいる酔っぱらい、もう一人は呑み屋のアルバイト風の女の子。
酔っぱらいが女の子にしなだれかかり、女の子は酔っぱらいをさばいてビールケースに座らせた。
その瞬間に見えてしまったのだ。いや、感じてしまった。
二人はアクト地雷で、瞬間的に並列化して、酔っぱらいはスイッチが切れたように酔いつぶれた。
つまり、アクト地雷を動かしている主体が代わったということであり、代わった主体は、一瞬洩れたパルスで分かった。
――あれは、司令だ……!――
チ!
もう百回は舌打ちした。
レールガンを装着するたびにタイムロスが出る。
一回につき0・2秒から0・8秒のタイムロスだが、十回装着すれば2~8秒のロスになる。
これでは確実にヨミの攻撃に追い越されてまう。
むろんウズメは改造されていて、ヨミのパルス弾を1000発受けても致命傷を受けることはない。
一発の命中弾を受けると、ウズメは一秒ちょっとで衝撃を大気に逃がすので装甲を削られることがなく、いつも完璧な状態でヨミに対することができる。これをリペア機能という。
「でも、百回に一回は複数の命中弾を受けて、ダメージが蓄積されるのよ。で、百回に一回が十三回続くとウズメのリペア機能が低下し、反撃することができなくなってフルボッコされてしまう」
――だからこそのリバースでしょ――
「「リバース!」」
大尉の声と重なったのが癪だけど、まりあは、シートごとウズメの後頭部から射出され、これで七回目のリバースを行った。
アクトスーツはヨミが予測不可能な軌道を描いて飛翔して、その間は確実にヨミの攻撃を引き付ける。その間にウズメはフルリペアを済ませて、まりあの帰還を待つ。
このセパレートアタックを続けていれば、時間はかかるがヨミを倒せる。
「だけど、見てよ、このありさまを!」
ヨミに勝利した後、カルデラの内も外も25%の被害である。
「これを四回繰り返されたら、ベースも首都も壊滅するわよ!」
――だからこその訓練でしょ、タイムロスが無くなれば被害も小さくなる。さ、もう一度最初から――
「もう、おしまい!」
プツンとノイズがして、大尉はまりあと会話できなくなった。
ブチギレたまりあは、ウズメのジェネレーターを切って、シュミレーターを飛び出した。
「まりあがエスケープしたわ、みっちゃん追いかけて!」
大尉に命ぜられて、みっちゃんこと中原少尉はCICを飛び出し、まりあの軌跡をトレースした。
五分後、みっちゃんは第三ブースに入ったところで動けなくなっていた。
――セキュリテイーガ……ス……――
その一言を連絡したところで気絶してしまった。
「知恵がついたわね、ダミーをかましてセキュリテイーを乗っ取ったのね」
「大尉、ベースからマリアの痕跡が消えました」
「行先は分かってる、ちょっと行ってくるわね」
大尉は、指令室のあるフロアーに上って行った。
フロアーに上がって、二つ目の角を曲がると、不機嫌マックスの唸り声が聞こえた。
「卑怯よ、こんな超アナログで足止めするなんて!」
「アナログもデジタルも何でもありなのが、高安みなみさまなのよ」
マリアは畳一畳分はあろうかと思われる巨大粘着マットにギトギトに絡めとられていた。
「ヌーーー! パルス弾の直撃にも耐えられるスーツがああああああ!」
「司令への直訴を諦めて訓練を再開するなら開放したげるわ」
「だあから~、あの訓練は~、え、みなみさん、粘着マット平気なの?」
大尉は涼しい顔で、ゴキブリのように絡めとられたまりあの横に立った。
「それ、アクトスーツの組成にしか反応しないの」
「き、きったねーー!」
「だって、他の人間がかかったらまずいでしょ」
「かくなる上はーーっ!」
まりあは左肩にある緊急脱衣ボタンを押した。まるでバナナの皮がオートで剥けるような感じでスーツに切れ目が走り、脱皮するようにまりあは抜けて行った。
成功!……と思ったら、抜け出たすぐそこで、再び絡めとられてしまった。
「グ、ググ、なんで? スーツ脱いだのにさあ!」
「緊急脱衣したら、十分間は保護機能が働いて、まりあの皮膚をスーツと同じ組成にして保護するのよ。最初に説明したでしょ」
「く、くそ、こんな状態で十分間も~」
スーツを脱いだまりあはカエルのように這いつくばった格好で十分間の我慢である。
「ね、スーツを脱いだあたしって、素っ裸のスッポンポンなんですけど!」
「ま、十分間だけの辛抱だから」
「だ、だってーー!」
廊下の向こうから休憩時間になって持ち場を離れた隊員たちの気配が迫ってくるのであった。
まりあ戦記・036
『司令の事情』
首都大が……
そう言いかけて、みなみ大尉は吹き出してしまった。
「まずいところを見られてしまったな」
司令の声は異様に小さい。
小さいはずである、デスクに収まった司令は呼吸をしているだけの抜け殻で、喋っているのはカップ焼きそばのカップの中でお湯に浸かっている体の一部だからだ。
「どう見ても十八禁ですね」
「それを見て笑うのは君ぐらいだがね」
「以前は、この姿は絶対、人には見せませんでしたよね」
「くだらん作戦会議のあとは風呂に入るのに限るからね」
司令はカップ焼きそばの風呂の中で大の字になってプカプカ浮いた。
「お背中流しましょうか?」
「すまん、頼むよ」
大尉はデスクの上の綿棒を持って、司令の背中を流してやった。
「司令こそ有機義体に乗り換えてみては?」
「この姿だからこそ非情になれる。非情でなければ司令なんぞは務まらんからな……もう少し強くこすってくれんか、体中凝りまくってるんでな」
「なけなしの理性が飛んでしまいますよ」
「……これだけが無事に残ったと言うのも不便なものだ、個人的には、ヨミの最初の出現で死んでいたらと思うよ」
「で、お話なんですが」
「あ、そうそう、大尉が司令室まで来るんだ、さぞかし重要なことなんだな?」
風呂からあがり、特製のバスローブを羽織りながら話を続ける。
「首都大の薬学部、ちょっと問題なんじゃないかと思うんです」
「市民や学生の反応は度を越していた……と言うんだね」
「大学構内に被害が出たとはいえ、まりあの助けが無ければ命が無かったかもしれません」
「まりあのスーツに飛行機能を付けておいて正解だった」
「あの大学、なにかあるんですね?」
「ああ、ちょっとね……ん?」
「どうかしたんですか?」
「義体に戻ろうと思うんだけど、義体が動かない」
義体への出入りは義体にプログラムされたメモリーで行われるのだが、義体は電池の切れたロボットのようにカタカタいうだけだ。
「わたしがやりましょうか?」
「あ、いや……」
「恥ずかしがる歳でもないでしょ、手袋しますし」
そう言うと、大尉は司令を掴んで義体本体に戻してやった。
「やっぱり、この方が話をするにはいいな」
義体が人らしい表情を取り戻し、いつもの司令らしく冷たい表情で大尉に目を向けた。
「あの……チャック閉めたほうが」
「あ、すまん」
マジメな顔でチャックを閉める司令は、見ていてギャグそのものなんだけど、大尉は笑わなかった。
「大学でやっているのは何なんですか?」
「鎮静ガスだよ」
「鎮静ガス?」
「ヨミとの戦いは先が見えない。都民の間には不安やら不満が高まっていて、いつどんな形で暴発するか分からない」
「お気づきだったんですね」
「ああ、カルデラで隔てられていて、一見首都は平穏に見えるがね、潜在的には不穏だ。昨年のハローウィンが異様に盛り上がったのは覚えているだろう?」
「ええ、まりあも友だちと仮装して、ずいぶんハジケていましたし」
「ああいうところに現れるんだ、潜在化した閉塞感は、時に、とんでもなく陽気で明るい姿になる。大学の研究者たちは、人々の神経が昂り過ぎないように、鎮静効果のあるガスを流してパニックが起こるのを未然に防ごうと研究をしていたようだ」
「それが上手くいかなかったんですね?」
「マリアがまりあの身代わりになって火だるまにされた時に申し入れはしたんだがね、失敗を認めたくないのか、軍の介入と思われたのか、よけい頑なになってしまってね」
「なにか手を打った方がよくはありませんか」
「アマテラスは静観しろと言っている」
「AIの指示に従うんですか?」
大尉の目が一瞬険しくなった。
「そんな顔をするな、美人が台無しだぞ」
「この顔は司令がプログラムされたんです」
「やっぱり有機義体にしたほうがいいと思うよ」
「お気に召しませんか」
「気に障ったのならすまん、もう少し考えて答えを出すよ」
司令は椅子の背もたれに背中を預けると椅子ごとモニターの方を向いた。モニターには修理完了間近のウズメが映し出されていた。
舵司令は拒否権を持っている。
2033年、未確認攻撃体ヨミが出現するまでは、どこの国でも軍の指揮権や作戦の決定権は人間が握っていた。
しかし、どこの国でもヨミの出現と、その攻撃の凄惨さを予見できなかったため、コンピューターのAIがとって替わった。
日本の防衛軍も例外ではなく、政府のマザーコンピューターであるアマテラスがその任に当たっている。
アマテラスは独立したコンピューターではなく、日本各地に分散されている七つのコンピューターの総称である。
ダイコク ビシャモン エビス ジュロウ ベンザイ ホテイ フクロクの七機のコンピューターは相互に並列化されており、国家の重大案件に関して演算を繰り返し、国家の意思決定時には多数決で結論を出す。問題ごとにホストコンピューターが決まっていて、軍事に関してはビシャモンが受け持っている。
その決定は絶対的であり、総理大臣といえ拒否することはできない。むろん、このことは一般国民はおろか、政府や軍の指導者しか知らない。
で、舵司令一人だけが、ヨミとの闘いに関して拒否権を持っている。
「大尉、義足のミサイルは外したらどうだ」
作戦会議の後片付けに入って来たみなみ大尉に、司令は聞いてみた。
「あら、ビシャモンと同じことをおっしゃるんですね」
四十七ある会議用シートを一つ一つ目視で確認しながら大尉は返事をする。
「あいかわらず、最後は自分の目で確認するんだな」
「ええ、理屈じゃないんです。ビシャモンも目視確認してはいけないとは言いませんから」
「ビシャモンはミサイルが不測の事態で爆発してしまうことを恐れている。確率は1/123000000000だがね、ハレー彗星が地球に激突する確率よりも高いんだそうだ」
「それって、世界の終わりまで起こらないってことじゃないんですか?」
「ヨミ出現の確率より一ケタ小さい」
「ビシャモンも心配性なんですね」
「わたしとビシャモンは結論は同じだが動機が違う。ミサイルとか物騒なものを搭載しなければ、有機義体に乗り換えられる」
「ええ、有機義体なら限りなく人体に近いですけど、やはり人工の義体であることに違いはありませんでしょ。任務に精励するには、やっぱ、これで……これがいいと思います」
「新しい有機義体を開発したんだ、軍の技研にも届けていないんだがね。一年使用すれば残ったDNAをコピーして完全に本人に同化する。もし脳細胞まで作れたら、人工的に人間を創作できるレベルのものなんだよ」
「……それって倫理規定に反しませんか、人間を作ることは禁じられています」
「君を完全に回復させることが、君のお父さんとの約束だからね」
大尉の手が止まってしまった。
「ありがとうございます……でも、このミサイルも、どこかで役に立つときがある……アハハ、勘ですけどね」
司令は小さく頷くと、端末を確認して会議室を出て行った。
大尉は黙々と作業を続ける。
「あ、肝心の話を忘れてた!」
手早く作業を終えると、大尉は司令を追いかけた。
カルデラは灰神楽が立つような騒ぎになった。
文字通り灰神楽のような煙が五か所から立ち上り、最後の一か所は首都大学理学部の薬品庫を直撃されたもので四日目だと言うのに鎮火していない。
どうやら学内で違法な薬品研究をやっていたようで、初期消火に使われた化学消火剤が裏目に出て予期しない小爆発が続いている。
「ウズメの迎撃のせいではありません、ええ、迎撃は成功しています、ええ、ですから……」
被害状況の確認に来たみなみ大尉は、大学関係者やマスコミや野次馬の市民に囲まれて、調査そっちのけで対応に追われてしまった。
「人的被害が無かったのが不幸中の幸いだけど、こんな被害を招いたのは特務旅団の責任だろ!」
「いえ、だから……」
「ヨミの脅威は無くなったんじゃないんですか!?」
「そんなことは……」
「だいたい、ウズメなんて危ないものを持っているから、ヨミの攻撃を受けてしまうんじゃないのか!」
「そうだ、こないだウズメのパイロットは死亡したはずなのに、また出動したというのはどういうことなんだ!」
「それについては……」
「ひょっとしてウズメというのはAIで、パイロットなんてダミーだったんじゃ?」
「ウズメなんてのが、そもそも危険なんだ!」
「この被害が、なによりの証拠だ!」
「だから、あ、ちょっと掴まないでください!」
「ちゃんと答えろよ!」
「ちょ、掴まないで!」
ベリッ! プツン!と音がして、みなみ大尉の軍服の袖が破れ、ボタンが飛んでしまった。バランスを崩してしまったが、ここで倒れては群衆に踏み殺される、先日まりあになりきっていたマリアが学校に押しかけた群衆に、あわや焼き殺されそうになったことを思い出した。もっとも、この現場に駆け付けた時点で不測の事態を予見したので、助手の佐倉伍長は乗って来た車といっしょに帰してある。
――この人たち目つきがおかしい!――
直感した大尉は、袖を掴んでいた大学職員の肩を掴むとジャンプして群衆の肩や頭の上を跳躍、一か八かで焼け残った倉庫の屋根に飛び移った。
「逃げたぞ!」「追え!」「殺せ!」「八つ裂きにしろ!」
群衆は互いに焚きつけるようにして倉庫の周りを取り囲んだ。
「これを積んで火をかけろ!」
あろうことか消防隊員が率先して燃え残りの瓦礫を倉庫の周りに積み始めた。
――万事休す!――
大尉は、屋根の上に寝っ転がると、タイトなスカートをたくし上げて、両足を傾いた時計塔に向けた。
――生還の確率10%ってところかな……――
ドカーン!
太ももに手を伸ばしたところで、時計塔の真ん中が爆発して急速に傾き始めた。
時計塔は、こちらに向けて倒れてくる。群衆は、ザザっと倉庫から離れた。
みなみ大尉!
声が空からかかった、と思う間もなく両足を掴まれ、大尉の体は逆さまになったまま吊り上げられた。
「ちょ、なんでまりあが空飛んでるのよ!?」
「とりあえず、ここから離れるわよ! しっかり掴まって!」
「ウンショ!」
掛け声をかけると、大尉はコネクトスーツを着たまりあの背中に掴まり、大学の裏山に飛びさっていった。
まりあ戦記・033
『ウズメの出撃初め』
あたし専用の非常呼集とは言え、みんな無関心すぎる。
こんなにアラームと、あたしの官姓名を連呼しているんだ、立ち止まったり、モニターに注目したりがあってもいいと思う。
通路で出会う隊員たちは、みんな日常勤務の顔をしているし、持ち場に急ぐ姿も見られない。
徳川曹長だけが――大変だね――というような顔をしていたけど、やはり、これから戦闘配置という緊張感ではない。
「この非常呼集は、まりあとスタッフにしか聞こえない」
ハンガーで待っていたお父さん……司令は、ついでのように言った。
「え、こんなにけたたましいのに?」
「おまえの腕に埋め込まれたチップが、直接おまえの脳に働きかけて、アラームや非常呼集を感じさせるんだ」
「え、そうなの?」
「レギュラーなアラームを鳴らすと、それだけでヨミに感知されてしまうんだ。ベースから出撃するまでは知られないにこしたことはないからな。それと……」
司令は、あたしの早足に付き合いながら、新しいシステムのあれこれを説明してくれて、いつのまにかウズメのハンガーまで来てしまった。
「あの、この先はコネクトスーツの装着室なんだけど」
「分かってる」
「あの、えと……」
コネクトスーツを装着するためには、いったん素っ裸になる。体育の授業のように肌を見せないように着替えるのとは違うんだ。
「コネクトスーツのモデルチェンジをやったんだ、装着するところから見ないと良し悪しが分からん」
司令は控えのブースで腕組みをした。
装着エリアは透明な電話ボックスのような形をしていて、外からは丸見えなのだ。司令は職業的な無表情だけど、やっぱ恥ずかしい。
えい。
五秒で素っ裸になり、身体をニュートラルにしていると、三か所からマジックハンドが出てきてコネクトスーツを着せてくれる。
最後に胸のボタンを押すと、スーツの中に籠っている空気が強制排出されて、スーツが肌に密着する。
今度のは、前のよりもきつい感じがするけど、密着感がハンパじゃなく、もう一枚皮膚が増えたような気がする。
「女らしい体つきにになったなあ」
「あ、あのね……(#´o`#)」
司令の一言に文句を言おうとしたら、シュパっと音がしてウズメのコクピットにリリースされる。
グゴゴゴゴ……
ウズメが出撃のために射出姿勢をとる。ニュートラルからはわずかな姿勢変更で、最初のころは感じなかったが、跳躍する寸前のタメの姿勢に自分自身も投資が漲ってくるのが分かる。
この感じ……好きかも。
シュパーーーーーーーーーン!!
リリースの五秒後に電磁カタパルトで射出されると、あたしと一体化したウズメは、たちまち高度10000に達した。
見える前に感じた。
今年最初のヨミは七体。数は多いけど最初に出遭ったタイプと同じだ。
これならウズメの固有武器であるパルスガで片づけられる。ただ、相手が多いので囲まれてはやっかいだ。
あたしは、ヨミたちの前を掠めるように加速し、ヨミたちが一体ずつバラけるようにした。
――パルスガ攻撃は最終手段だ。カルデラの周囲に格納されている携帯ウェポンを使うんだ――
「それじゃ時間が掛かる、下手をすれば市街地に被害が出る」
――出ても構わん、言われた通りにしろ――
「ラ、ラジャー」
箱根のことを思い出した。システムの組み換えをやって、直接ヨミの始原体を攻撃し、高い成果を出したが、携帯ウェポンを一切使わなかったので、当局からクレームが付いて、以後実施できていない。
特務師団はヨミのせん滅が任務だが、軍事産業のレーゾンデートルを否定するわけにはいかない。
非効率的だけども携帯ウェポンを使わざるを得ないのか……。
反転急降下すると、カルデラ外のB点を目指す。ウズメ用のレールガンを取り出す。
装着に二秒のタイムラグ、ヨミ二体がウズメを射程に入れ、パルス弾を発射した。
避ける以外に手はない。
しかし、避けてしまうと、射線の向こうに首都大学のカルデラキャンパスがある。
考える前にパルスガを発射。
「あれ、ただのパルス弾だ」
パルスガに比べると二段階威力の弱いパルス弾は、軸線上のパルス弾を無効化したが、一発がカルデラキャンパスに着弾してしまった。
「どうしてパルスガにならないの!」
レールガンは八発しか発射できない。バッテリーがもたないのだ。
八発では、ヨミ一体の装甲を撃ち抜くことしかできない。それも全弾命中してのことだ。
ヨミは装甲が厚すぎるせいか小回りがきかない。
それを利用して何度も捻りこみをかけ、少しずつ攻撃し、ヨミの装甲を一体ずつ削り、時間を稼いでは、C点からP点までの携帯ウェポンをとっかえひっかえ使い、四十五分後に六体のヨミを撃破。一体は逃走した。
――ご苦労、帰還せよ――
司令の声がして、ウズメをターンさせると、あたしは息を呑んだ。
「これって……」
カルデラの内外に五本の煙が立ち上っていたのだった。
六日目だけど、まだ慣れない。
特任少尉になったことじゃない、少尉待遇というだけで軍務があるわけじゃないし、覚悟していた訓練も無い。
年末年始は、ベースのあちこちを探検したので退屈もしなかったし、ストレスも無かった。
ベース住まいになったことでもない。あたしは、子どものころから逆境には慣れている。早くから親のいない生活だったし、お兄ちゃんも死んじゃったし、三年前には、とうぶんボッチの生活だろうとすんなり覚悟できていた。
なんていうんだろ、家族の都合で「一週間一人暮らしよ」と言われたような感じ。少し心細いけど、一週間たてば、みんな帰ってくるという安心、それまでは好き放題やってられる、そんな感じ。
人生いつまでもボッチじゃないと思っている。大人になってしまえば、嫌でも人とのしがらみが出来て、煩わしいくらいボッチじゃなくなる。二十歳を過ぎたら、そんな状況になるだろうと思う。それまでの数年間は、家族がいない一週間と同じくらいのスパンだ。言い換えれば、あたしの日常は、それくらい忙しい。さっきも言ったけど、自分の外のものに拘束されてじゃなくて、自分の好奇心に振り回されて忙しいって言えば分かってもらえるかしら?
ベースを探検して面白いことはいろいろあったんだけど、下手に語りだすと際限がないことが分かっているので、語りません。
う~~~ん。
でもね、二つだけ言うよ。
ベースにいたら、何十回何百回も見るやつ。
なんで敬礼ってするんだろ?
普段の生活じゃ、朝出会った時に「お早う」って言うよね。そのあと、同じ人に出会ったら、ニコッと笑って目礼したり、ちょっと目の端で「また会ったね」ぐらいのシグナル。それが軍隊じゃ出会うたんびに敬礼。あたしも少尉待遇なんで、下士官や兵隊さんには敬礼される。見よう見まねで敬礼を返すんだけど、サマになってないようで、三日ほどは階級に関係なく笑われてしまった。
で、慣れたころに疑問が湧いてきた。なんで敬礼なんだろ? 肩の上まで手を上げるって、運動量の面からいうと過剰だ。胸のあたりに留めておけばラクチンだと思うんだけどね。昔流行った「宇宙戦艦ヤマト」とか「進撃の巨人」とかじゃ胸のあたりで済ましてるよ。
「そんなもん、昔からだわよ」
みなみ大尉に聞くと、めんどくさそうな中身のない返事しか返ってこない。
「こんど時間のある時に」
徳川曹長に聞くと、この返事。
マリア……えと、テレジアに聞けば分かるんだろうけど(あの子のCPUはベースのマザーとリンクしてるので、なんでも知ってる)あの子に聞くのは業腹だ。
とまあ、敬礼一つとってもこれだから、もう語らない。
え、慣れないって話だったわよね?
そー慣れないの! このキモオタ部屋!
ベッドに腰かけて正面を向いただけで百個ほどのフィギュア! 魔女っ子ペルルやラブ戦士クーデル、古いのじゃスーパーそにこにラブライブ、TOHEART、ほかに名前も分からないのがいろいろ。フィギュアたちの後ろにはタペストリーやポスターがぶら下がり、隙間には理解不能のグッズが詰め込まれている。
「技研の平賀主任の方針でカスタマイズされてるんで、なにか意味があるんだと思うよ」
徳川曹長は、そう言うけど、あたしはキッパリ言ってやった。
「こんなのに意味なんてないわ、平賀っていう人の度を越した悪趣味よ!」
ブーーーーーーーーーー! ブーーーーーーーーーー!
そこに、もう来ないんじゃないかと思っていた、あたし専用の非常呼集がかかった。
どこで間違えてしまったんだろう?
百のパーツを組み直したマリアの骨格は二センチほど高くなってしまった。
ベースのスタッフは「自分たちでやるからいいですよ」と言ってくれたが、自分の代わりに犠牲になったマリアを人任せにするのは忍びなく、まりあはマニュアルに沿って、丸三日かけて復元した。
で、マリアは背が高くなってしまったのだ。
「ま、いいわよ。伸びた分は腰から下だし」
鏡に姿を映し、ポーズをとりながらまりあが答える。
「徳川曹長、そんなマジマジ見ないでくれる。あたし、チョ-裸なんだけど」
「スケルトンの状態で言われてもねえ」
マリアは、長時間高熱で焼かれたためにムーブメントとPC以外は焼け落ちて骸骨同然になってしまっている。
「オホホ(ケタケタ)、これで肉を付けたらナイスボディーになるかもね」
スケルトンの状態で笑うと、骨同士がぶつかってケタケタという音が混じる。
「パーツが熱膨張したのかもしれない……ま、あとは肉付けだ、マリア、第三ラボに行くぞ」
「ハイハイ~、よっと!……あら?」
調子に乗ってステップを踏むと頭蓋骨が落ちてしまった。
「頭は拾ってやるから、急げよ」
マリアを見送ると、まりあは荷解きを始めた。
「自分で詰めてないから、なにがなんだか分からないよ……」
二つ目の段ボールでまりあは音を上げる。それでも俺の過去帳だけは仏壇の所定の位置に収めてくれた。
「あれ、マッチが無い……」
線香を立てようとしたまりあの手が止まる。
「ベースの中じゃ火は使えないから」
ちょうど部屋に入って来たみなみ大尉が注意する。
「わ、びっくりした!」
「片付け手伝ってあげたいけど、忙しくてね。ちょっと腕を出して」
「え、なに?」
「いいから」
大尉は、マリアの腕を掴み、二の腕までシャツをめくって、スタンプのようなものを勢いよく叩きつけた。
「痛い! なにすんのよ!?」
「まりあもベース住まい。今日からは特務旅団の特任隊員、いちおう階級は少尉だから、士官用の施設は全部使える。あとは、こうやって揉んどこう……」
「い、痛いってば」
「認識チップ埋め込んだから、ちょっとの間ベッドで横になっていて。じゃ、21時には戻ってくるわ」
それだけ言うと、大尉は足早に行ってしまった。
「あ……眠くなってきた……」
チップの埋め込みには微妙な麻酔がかかっているようで、まりあはベッドでまどろみ始めた。
三時間ほど眠ったまりあは、ベッド脇に立つ人の気配で目が覚めた。
「いつまで寝てんの!」
肉付けの終わったマリアが、偉そうに腕を組んで立っている。
「……あ……え? まりあ?」
「こうやって見ると、まりあってブスよね」
いきなり失礼なことを言う。
「マリア、微妙に変わっちゃった?」
微妙ではなく、かなりの美形に変わったマリアは、こう言った。
「マリアの影武者は卒業したの、今日からはガイノイド戦士テレジアよ。よろしくね」
「テレジア?」
「そーよ、ガイノイドってのは機密。書類上はまりあの姉ってことになってる。グレードは上がったけど、まりあと相似形だからね。一個年上の美人お姉さんということになってる。ダミーの姉妹関係は、そこのパソコンにインストールされてるから学習しといてね。あ、一応ガードは継続するから安心して、それじゃ、あたしの部屋は隣だから、入る時はノックしてね(^^♪」
マリア……いや、テレジアは鼻歌まじりで隣の部屋に行ってしまった。
「あ、あーーーー!?」
眠っている間に部屋は片づけられていた。
仏壇こそはそのままだったが、それ以外は、なんというか……。
まるでキモオタの部屋じゃんよ!
どこ触ってんのよ!?
思ったけど声に出せなかった。
まりあは、大きなクマさんのぬいぐるみの中に入って、運送屋に化けた兵士の肩に担がれている。
「まりあ、ずらかるわよ!」
朝帰りのみなみ大尉に言われたのは、ついさっきだ。大尉に続いて運送屋に化けた兵士が五人入って来た。一人は徳川曹長だ、曹長は部下にテキパキ指示をすると熊の大きなぬいぐるみをひっくり返し、ジッパーを開けると、こう言った。
「安倍まりあは死んだことになったので、これに入れて運ぶよ」
「え、なに? どゆこと?」
曹長はニッコリ笑って、まりあにぬいぐるみを被せると、部下に指示して担がせたのだ。
「どうも、お世話になりました」
大尉は、お隣りさんには声を掛けておいた。
「あら、急なお引越しなのね!」
「はい、急な異動で」
「大変ね軍隊は……あ、まりあちゃんは?」
「あの子は……一足先に、すみません、ご挨拶もさせないで」
大尉は顔を伏せながら言いよどんでおいた。
おや? お隣りさんは不審に思ったが、大尉の目が潤んでいるので聞いてはいけないと思った。
そして朝刊を見てビックリした。
――第二首都高校女生徒焼死!――
「ま、まりあちゃん!?」
お隣りさんは、まりあが『焚火の火が燃え移って焼死』したのだと信じた。
怒れる群衆によってリンチにされ、そのあげく焼き殺されたということは完全に伏せられた。
大掃除で出たゴミを校庭の隅で焼却中に、誤って混入していた古い花火に引火し、まりあの制服に燃え移ったとされた。
まりあは火だるまになりながら、フェンスを突き破り崖下に落下。崖下の林は半日燃え上がり、まりあの遺体は発見に至っていないと続いていた。
ウワーーー!!
荷解きしていたまりあは、チョービックリした。
ベース特有の無機質な音がしてドアが開いた時は、みなみ大尉か徳川曹長かと思った。
焦げた臭いに顔を上げると、そこには焼けただれたゾンビが立っていた。
「ちょっと失礼ね!」
文句を言うと、ゾンビはブルブルと振動し、炭のような焼け焦げを振るい落した。
「ウワー、寄るな触るな!」
「邪険にしないでよ、まりあの身代わりになってきたんだからさーー」
ゾンビは、ほとんど焼け焦げの骸骨のようになり、そこだけ真っ白な歯をカタカタいわせた。
「え……マリア?」
「あったりー!」
ウワーーーーー!!
それだけ言うと、電池が切れたようにグッタリし、百以上のパーツに解けてまりあに覆いかぶさてきた。
あまりの臭さと驚きで、まりあは泡を吹いて気絶してしまった。
玄関前に集まっていたのは街の人たちだった。
三百人近く居るだろうか、それも、しだいに増えつつある。
――思ったより早く集まってる、まりあと入れ替わっていて正解だった――
学校の玄関は吹き抜けになっているので、二階から階段を下りながら玄関の様子が観察できる。
「あ、安倍さん」
担任のエッチャン先生が小さく呟いたのを校長も街の人たちも見逃さなかった。ざわめきが収まり、三百人分の視線が集まる。
「あなたが安倍まりあね!」
「ウズメのパイロットだな!」
年かさの二人がまりあを指さすと、まりあを取り囲むように三百人が動いた。
「ここは手狭です、表に出てください」
そう言いながら、まりあ(マリア)は歩を緩めずに校舎の外に出る。
――立ち止まったら終わりだ――
そう思って、まりあはグラウンドを目指した。
グラウンドに出ると、友子やカノンたちが校舎の窓から心配げに見ているのが分かった。
「この人たちは、ウズメのことで話があるとおっしゃっている、質問にお答えしたら早く下校しなさい」
校長の言葉はアリバイだ、もう四百人になろうかという群衆は、大人しくまりあを帰しそうになんかない。
「ヨミが攻めてくることは、もうない!」
「ここ三か月は何もない!」
「ウズメは税金の無駄遣いだ!」
「ウズメみたいなものを保有していたら、それが原因で、いつかヨミの攻撃が始まる!」
「あなたを二度とウズメには乗せない!」
「ウズメに乗るな!」
「「「「「「乗せるなーーーーー!」」」」」」
群衆が、一斉に拳を上げた。
――予想していたより激しい――
そう判断したまりあは、両手をメガホンにした。
「みなさんは間違っています! ヨミの攻撃は続きます! ヨミが攻撃してくる原因や理由は分かりません、分かりませんが、現に攻撃があることを無視はできません。ヨミの攻撃が1パーセントでも予想される限り、わたしは、ウズメに搭乗することを止めません!」
こんなことをシャウトすれば火に油なのは百も承知、むしろ焚きつけている。
「話して分からないようなら、乗れないようにするしかない!」
「なにを言われても、わたしは乗る! 乗ります!」
「乗せるか!」
最前列のオッサン数人が跳びかかって来た。
「来ないで!」
地面を転がって二人のオッサンをいなし、起き上がるついでに、もう一人に足払い、起き上がると被さってきた奴の顔に頭突き、オッサンは顔を血で染めてひっくり返った。
数メートル走った! 通せんぼしている四人にフェイントをかまし、できた隙間を駆け抜ける!
殺気を感じた。
視野の端に拳銃を構えた男! 斜めにジャンプ! 同時に銃声! 前に居た女子大生風の額に穴が開き、糸の切れたマリオネットのように崩れる!
二度目の銃声! レポーター風の女の首筋に当たり、穴の開いた水道管のように血が噴き出る!
「させるか!」
怒鳴り声といっしょにガソリンが降って来た。ヤバイ! 思うと同時に目の前が赤くなった、誰かが火をつけたのだ!
「殺してしまえ!」
だれかが叫ぶと、石ころ、金属バット、トンボ、野球のボール、槍投げの槍、グラウンドにあるあらゆるものが飛んできた!
――ここで燃え尽きるわけにはいかない――
燃える制服を脱ぎながら駆け、校舎裏に逃げる!
跳び込んだ校舎裏に数人の人影、手にホースのようなもの!?
思った瞬間には、爆発するような炎に包まれた! 火炎放射器だ!
瞬間、まりあは火柱になった!
ギャーーーー!!
渾身の叫び声をあげ、まりあはフェンスにぶつかる!
フェンスにほころびがあったのか、まりあの必死の力か、まりあはフェンスを突き抜け、崖下の林に転げ落ちた!
ここのところ続いた異常乾燥で、瞬くうちに林は火に包まれ、消防自動車が到着してなを、まりあを呑み込んだ林は日の暮れるまで燃えていたのだった。
「まりあ、前から言おうと思っていたんだけどさー」
指先でシャ-ペンを器用に回しながら友子、いかにも勉強に身が入りませんというオーラを発散している。
「なによ……」
明日の試験に向けて一心不乱にノートの中身を暗記しようとしているまりあは生返事。
「まりあのお肌、荒れてなくない? 転校してきたころの瑞々しさないよ」
「いろいろ気ぃつかってるからね~」
友子の顔も見ないで生返事。友子も真剣な物言いではない。勉強が億劫なので、なんとなくの話題をふってみただけである。
だけど、女子の無駄話というのは、まったく根のないものでもない。確かにまりあの肌は荒れている。ヨミとの三回の戦い(一度は異空間での戦いで、一般には知られていないが、まりあには一番苦しい戦いだった)、見えてこない戦いの見通し、慣れないカルデラでの生活。そういうものがまりあの心身を蝕んでいる。そういうところを、ヨタ話のきっかけとは言え、友子は見通しているのだ。
――わたしの擬態は完璧だ、肌の荒れ具合までシンクロできている(o^―^o)――
まりあ(実はマリア)は思った。本物のマリアは、まだ家に居る。
まりあに成り代わって三日になるが、今日あたり、なにか起こりそう……マリアは、そう思っている。
なにが起こるかまでは分かっていないが、この漠然とした不安は的中すると、マリアは思っている。
「このリップつけてみそ」
友子がリップを取り出した。
「え、あ、うん」
ノートに目を落としたまま、半身になってリップを受け取ろうとした。
「あたしが塗ったげるよ」
まりあの顔を両手で自分の前に持ってきて、リップを構える友子。
「はいはい」
ヘタレ眉になりながらも、大人しく友子にされるままになる。
「唇が荒れすぎ、こんなんじゃ、だれもキスしてくれないぞ」
「まさか、男が寄ってくるような成分入ってるとか?」
「喋っちゃダメ!」
「う、うん……」
唇を動かさないで返事をする。なんだか間の抜けた声になる。
「こうやって見ると……まりあって男好きのする唇だね……なんだかそそるよね~」
すると、友子は、いきなりリップ塗りたてのまりあにキスした。
「ウップ……ちょ、ちょっと!」
「アハハ、まりあの初めてを奪ってやった!」
「オヨヨヨ、お嫁に行けなくなった~」
「ウハハ、上等上等、みんな、あたしといっしょに独身を貫こーーぜ!」
「そういう魂胆か……でも、このリップって、雪見大福の香りがする」
「メーカーいっしょだから、食品会社って、こういうところに繋がっていくんだねー」
「リップでも頭よくなるのかなー?」
「それはどーかなー……」
そこへカノンと妙子が帰って来た、手にはレジ袋をぶら下げている。
「ほれ、雪見大福!」
「あ、今日は買えたんだ!」
「一人二個まで。二人で行って正解だった」
第二首都高には、テスト前に雪見大福を食べると成績が上がると言う伝説があるのだ。
「オ、ひょっとして、まりあも友子の犠牲者?」
妙子が、まりあの唇に気が付いた。
「あー、これで一生独身決定だって」
「ハハ、あたしらは朝やられたよ」
カノンが自分の唇を指さした。
「でも、こんないい女を独身のままにしておいたら、ヨミが出なくったって世界は滅ぶね」
「そう言や、ヨミってのは環境破壊とか温暖化が原因で、習っているように太陽風とか地磁気とかは関係ないって言いだしてるよね」
「そうよねえー、ヨミ出現の公式とか予測計算とかやってらんないわよ」
友子は、鼻の下にシャーペンを挟んだ。
「あ、その顔キュートだよ!」
「ほんと?」
キュートと言われて、友子は嬉しくなった。
「一生独身だったら、キュートとか関係ないじゃん」
「独身でも、キュートがいい!」
手鏡を出し、友子は自分の顔を映してみた。
「あれ、校門のとこに大勢人が……」
友子が発見するのと校内放送が入るのがいっしょだった。
――二年A組の安倍まりあ、至急玄関前まで来てください。繰り返します……――
これが本当なら どんなにいいだろう
ため息一つついて、まりあはチャンネルを変えた。変えたチャンネルはうるさいだけのバラエティーだったので、それ以上変えることもなくテレビの電源を切った。
さっきの情報番組では「ヨミの攻撃はもう終わった」とコメンテイターが言って、スタジオのゲストたちが賛同していた。
もう二か月以上ヨミの攻撃が無いこと、大気中の二酸化炭素が減少傾向にあること、北極の氷が減っていないことなどを理由にあげていた。
ヨミの出現は、地球温暖化を始めとする環境破壊にあるとする俗説は、今でも人類の20%ほどが信じている。
客観的に温暖化は終わっているのだが、局地的な異常気象や天変地異を取り上げることで「温暖化は進んでいる!」と言い張ってきていた。だが、ここ数年、世界の気候は寒冷化の兆しを見せており、温暖化を言い募るのは苦しくなってきた。
度重なるヨミの出現で環境破壊のエネルギーは消費されてしまったので、温暖化もヨミの出現も終わりを告げたと説明している。
なんとも仮定の上に仮定を重ねた理屈でお目出度い限りだ。
理屈の主題は「我々は間違っていない」ということだけだ。「間違っていない」ことを言い募るために「ヨミ防衛のための軍事費を大幅に削減しろ」という主張までするようになってきた。
さ、ちっとはお勉強するか。
明日から始まる期末テストに向けて、まりあは重い腰を上げる。
リビングから自分の部屋までは、ほんの六歩なのだが。地球の裏側に行くほどに遠く感じる。
「なんで『of』を三つも重ねるかなあ」
すごく文語的で、日本語で言えば二百年は昔の表現の英文にプータレる。
「『af』は熱帯雨林だけど、記号だけ覚えても意味ないじゃん」
地理というのを暗記科目にしていることにムカつく。
「『君死に給うなかれ』……与謝野晶子は大東亜戦争じゃ戦争賛美なんだけどなあ……」
国語の解釈が気に入らない。
学校の授業が嫌いなのか、勉強そのものが嫌なのか、まりあ本人もホトケさまの俺もよく分からない。
「ね、マリア、あたしの代わりに学校行ってくれたりしないかなあ」
洗い物が終わったマリアにポツリと言う。
「あたしは、そういう意味での影武者じゃないんだけど」
背中越しでも分かるジト目で非難するマリア。
「ジョーダンよ、ジョーダン」
仕方なく、大きなため息ついて、まりあは机に向かいなおした。
よく朝は、へんな気配で目が覚めた。
――これって……あたしの気配……?――
服を着る衣擦れの音、リビングへ向かう足音、牛乳を飲む音……そう言ったものがまりあ自身の気配。まりあは夢を見ているのかと思った。
「じゃ、行ってくるから」
まりあの声。
「行ってらっしゃーい」
みなみ大尉の寝ぼけた声。
「!……ちょっと待って!」
ガバッと起きて、爆発頭でまりあはマリアを呼び止めた。
「なんで、ペッペッペ(咥えた髪の毛を吐いている)マリアが学校行くのよさ!?」
「夕べ代わりに行けって言ったでしょ?」
「あ、あれは……」
「フフ、ちょっとした緊急事態でね……」
それだけ言うと、マリアは通学カバンをぶら下げて出て行った。
「フヮ~~~ マリア、朝ごはんお願い」
目覚めたみなみ大尉が、目をこすりながら頼んだ。
「えと……あたしまりあなんだけど」
「え? え?」
事情が呑み込めないみなみ大尉であった……。
日向ぼっこの気楽さで、親父はまりあに言った。
「箱根での戦いは成功だ、まりあもよく頑張ってくれた」
「うん……」
「ヨミは異空間にいる間に叩くにかぎる。三次元戦闘なら一回の出撃で一体撃破するのがやっとだが、異空間なら数百体のヨミを消滅させられる、事実まりあは634体の原始体を撃破した」
まりあは、さらなる異空間での戦いを強いられるのかと気が重くなった。
ヨミとは二度戦った。一度はベースに来た直後、ヨミの完熟体と。二度目が異空間で634体の原始体。
いずれも、戦いの後は死ぬんじゃないかと思うくらいボロボロになった。
異空間で戦った方がはるかに効率のいい戦いができる。同じボロボロになるのなら戦闘効率のいい異空間戦がまし。
そう自分には言い聞かせてきた。
でも、親父の口から直に言われると、正直に――辛い――という気持ちがせきあげて来る。
「統合参謀本部から、異空間戦闘を禁止すると命ぜられた」
「え……どうして?」
思いのほか棘のある言い方に、親父は直ぐには言葉を返さなかった。
まりあは二重の意味で驚いた。
親父が極秘でオペレートした異空間戦闘が、統合参謀本部とはいえ外部に漏れていたこと。
もう一つは禁止されたことを理不尽に思う自分の心に。二重の驚きがまりあの棘を鋭くさせた。
「ウズメの正規の戦いは、ベースの周囲に分散配置した正規ウェポンを装着して行う。異空間では初期搭載されている固有ウェポンだけだ。異空間戦闘を認めると、正規ウェポンは無用の長物になってしまい、それは国内防衛産業の存在意義を否定してしまうことになる。俺が考え出した異空間戦闘は時代の先を行き過ぎたようだ。これからは従来の三次元戦闘一本でいく」
それだけ言うと、親父は回廊の階段を下り始めた。
「待って」
「なにが聞きたい?」
「なんで、あたしに話すの? あたしは、命ぜられたら三次元でも異空間でも戦うわ、そんな裏事情聞かされても不愉快になるだけ」
「あとで聞いたら、もっと不愉快になるだけだからな。じゃ、行くよ」
まりあは階の一番上に腰かけたままボーっとするしかなかった。ちょっと不憫だ。
「まりあ、お斉(おとき=法事の後の会食)が始まるぞ」
「うん……兄ちゃん!?」
不憫に思ったせいだろうか、俺は一瞬生前の姿でマリアに話しかけてしまった。直ぐに消えたけどね。
だいぶ疲れてるなあ……
ペシペシ
まりあは自分のホッペを叩くと「エイ」と小さく掛け声をかけて本堂に戻った。
「精進料理かと思ってたわ!」
みなみ大尉が子どもみたいに喜んでいる。お斉に出てきた料理は海老・蟹・肉の三大スターを中心に若者向けにアレンジしたごちそうばかりだ。俺も思わずいっしょになって食べくなった。
「ヘヘ、朝からみんなで作ったんだよ」
衣を脱いで気楽なセーター姿になった観音(カノン)がクラスメートたちといっしょに料理を並べる。
「ちょっと失礼」
まりあは、お皿に料理を大きく盛った。
「そんなに食べたらブタになるわよ」
まりあが突っ込む。
「いいえ、これは……兄貴にね」
山盛りを俺の遺影の前に置いた。
「こんなにお供えするんだ、生き返ってみせたら~……な~んてね!」
チーーーーーン
リンを大きく鳴らすと、お斉のテーブルの中に戻って行った。
ありがたい三回忌ではあった。
自分で言うのもなんだけど、今日は俺の三回忌だ。
専光寺の須弥壇の前には鮮明なことだけが取り柄の俺の写真が置かれ、写真を乗せた経机に『釋善実(しゃくぜんじつ)』という法名を書いた半紙がぶら下がっている。過去帳があるんだから、わざわざ法名を晒す必要はないんだけど、まりあのこだわりなので仕方がない。
二年前の俺は、まさか死ぬとは思わなかった。
だから遺影にふさわしい写真がなくて、まりあは手っ取り早く生徒手帳の個人写真を遺影に使った。で、それを更新することなく、四十九日法要と一周忌に使い、今日の三回忌にも使っている。もうホトケサンになってしまったんだからこだわることもないんだけど、せめてディズニーランドで撮った笑顔の写真にしてほしかった。
「ディズニーランドの写真は、お兄ちゃんケンカしたあとで、前歯が一本欠けてるからね」
俺と同じことを言ったみなみ大尉に説明した。
「でも、まじめ写真の方が、まりあの守護霊って感じがするね」
アンドロイドのマリアが軽く言う。軽い言葉なんだけど、俺には響く。
そうなんだよなあ、俺ってまりあの守護霊なんだろう。守護霊らしいことは何もしてやれないけどな。
「じゃ、そろそろ始めるわね」
まりあのクラスメートにして専光寺副住職である釈迦堂観音が、まりあの耳元で囁いた。
さんざめいていた本堂が静かになり、各自が出す数珠のチャラチャラした音がする。
一周忌はまりあとお向かいのオバチャンだけだったが、三回忌の今日は、ちょっと賑やかだ。
法事って、ま、パーティーだから。
まりあの軽いノリに共鳴してくれたというか、言葉の通りに受け取ったまりあの友だちが六人も来てくれ、引率ということで担任の瀬戸内美晴先生まで来てくれている。
あ、そしてベースからみなみ大尉と徳川曹長も。
「それでは、釋善実、俗名舵晋三さま三回忌の法要を務めさせていただきます」
観音(かのん)ちゃんに似た面差しのご住職が開会宣言。
何度聞いてもお経というのは眠くなる。
参列のみんなは、お寺での法事が珍しいのか居眠りするような者はいなかったが、俺は、ついつい記憶が飛んでしまう。
こんなお経を毎日聞かされたら、しまいには二度と目が覚めなくなるんじゃないかと思ってしまう。
そうか、こうやって眠ってしまうことが往生なのかもしれないなあ……。
ふと目が覚めた。
エッ!?
ビックリした。なんと親父が、俺の前で焼香をしている!
親父は仕事最優先の人間で、俺が死んだときも、葬式に十分顔を出しただけだ。四十九日にも一周忌にも現れなかった。いや、ベースにまりあを呼びつけた時でも娘としてのまりあに声を掛けたことも無かった。
ホトケサンである俺はうろたえたが、当のまりあは平然としている。まりあの友だちたちは――だれなんだろう?――という顔だ。
「まりあ、ちょっと」
焼香が終わり、本堂の中は「お斎」と言われる法要後の食事会の準備に入り、長い座卓やらお斎の料理やらが並べられ始めた。
一同が副住職の観音ちゃんの指示でテキパキと動く中、親父はまりあを本堂外の回廊に呼び出した。
さすがに、まりあもムっとした顔になった……。
ま、まりあ!
マリアの声でみなみ大尉は目が覚めた。
よっぴき看病していたので、いつの間にか眠ってしまっていた大尉だった。
「大丈夫、まりあ!?」
まりあの布団に這いよる大尉はすさまじかった。起き抜けのスッピン顔はむくれて、髪はボサボサ、右目は開いているが、左目は目ヤニでくっついて閉じたままだ。おまけに、慌てていたので、膝で浴衣の前身ごろを踏んづけてつんのめり、意識が戻ったばかりのまりあに覆いかぶさってしまった。
「フギュ~~~~」
まりあは、意識が戻ったばかりなのに窒息するところだ。
「あ、あ、ごめん」
「ワ、ゾンビ!?」
まりあに驚かれるので、大尉は顔をゴシゴシこすり、手櫛で髪を整えた。
「あたしよ、あたし。ペッ、ペッペ、髪の毛食べちゃった」
「みなみさん?」
「そうよ、あんたがお風呂でぶっ倒れるから、もう気が気じゃなくってさ。あんた、一時心肺停止になっちゃったのよ」
「わたしが人工呼吸したの」
そう言いながらマリアはまりあの首元に手を伸ばした。
「え、なに?」
「コネクトスーツを脱がなきゃ、圧迫されたままだから」
「ちょ、ちょ、痛い、痛いってば!」
まりあはコネクトスーツを着たままで、脱がせようとすると、まるで皮膚をはがされるような痛みが走る。
「バージョンアップしてるから脱がせられないんだ……脱ごうって、念じてみな」
「あ、えと……」
まりあは念じてみた。すると、スーツのあちこちに切れ目が走り、まりあが体をよじるとハラリとスーツが脱げた。
「司令のタクラミだったのね……」
落ち着いたまりあから話を聞いて、みなみ大尉は腕を組んだ。
保養所地下の浴場は秘密基地に繋がっていて、まりあだけが移動できる仕組みになっているようだ。まりあは、そこで舵司令一人のオペでヨミの原始体と戦わされていたということが分かった。
「なんだか重力を感じない異世界というか異次元というか、とにかくヨミが、この世界に現れる前の世界らしくて、数は多いけど、ヨミはあたしが出現したことに狼狽えていて、とてもひ弱だった」
「それで、ヨミはやっつけられたの?」
「相当やっつけた……でも、まだ居る……というか、あそこはヨミを生み出す母体のようなところで、反復して攻撃しないといけないような気がしたわ」
「そう……でも、まりあがこんなになっちゃね……」
みなみ大尉は口をつぐんだ、未整理のまま口に出してはいけないと感じたのだ。
保養所を出ると、芦ノ湖を遊覧し、強羅で箱根山の迫力を感じながら温泉卵を三人で食べて彫刻の森美術館に向かった。
「彫刻ってアナログだけど、静かに訴えかけてくるものがあるわね……」
ハイテクの固まりと言っていいマリアがため息をついた。
「あたしはチンプンカンプンだよ」
抽象彫刻が多いエリアでみなみ大尉は音を上げる。
「大いなる疑問……これが?」
まりあが立ち止まったところには、直径一メートルほどの丸い石があった。
「う~ん、なんだか訳わかんなくって縮こまっちゃった感じ?」
乏しい想像力を駆使して感想を述べる。
「あー、球ってのは、一番体積が小さいものね」
まりあも納得しかける。
「これって、修理中みたい……ほら、ここに本来の写真がある」
マリアが示した案内板には、でっかい『?』マークの写真があった。
「ん……クェスチョンマークの下なんだ?」
「パッと見で分かるものがいいなあ」
三人は具象彫刻のエリアにさしかかった。
「んーーヌードの彫刻って女のひとばっか」
「みんな劣等感感じさせるプロポーションだわね」
「あ、あそこ」
マリアが指し示したところには、仁王像のような男のブロンズ像があった。
三人は、そのブロンズのたくましいフォルムにしばし目を奪われた。
ブロンズの銘板には『TADIKARA』と刻まれていた。